何となくvol7

初めて聞いたjazzのコンサートはWeather Reportだった。よくは分からなかったが記憶だけははっきりしている。ミロスラフ・ビトゥスが大男で弾いたラインは聴いたことがない種類のものであった。でもこういう音楽が分かるようになりたいと思ったことは覚えている。今音楽を提供する店をやっているが、コルトレーンの音楽に感動してのめりこんだわけではないことが改めてわかる。少しづつ舵を切っているうちに今に至ってしまったという感じがする。何かを分かりたいという欲求は止め処もない。では「わかる」という事はどういうことか。そのものの世界における位置を言い当てることである。そんなことか可能かと問われる。問題はできるかどうかではないのである。論理はいきつくところまで行くのである。でも行き過ぎると戻ってこれなくなるのでぎりぎりでこちらに引き返してくる。そして音楽を楽しむ。だがフーテンの寅さんのように又「音楽が分かる旅」に出かけるのである。
米木のベースと35年付き合っているがまだよくわからん。