安倍元総理の葬儀を国葬とする事となった。幾つもの重層的な意図が見え隠れする。まず国民に弔意を強制する意味に於いて・・・。大日本帝国の国体維持の思想に近い。国家的行事であるのに国会での審議も全くない。閣議決定である。今まで憲法解釈など国家の方向性を決める重大事をお友達同士で決めてしまった。一連の流れである。民主主義の本流からどんどん離れていく。近い将来中国と戦争することを閣議決定したからみんな頑張ってね・・・と言う事が冗談ではなくなってくる危険性が有る。具体的な予算額は聞いていないがそこそこの金額になるはずである。コロナ対策、物価対策に回すべきと考える。そしてこの行事を取り仕切るのが電通である。現在オリンピックの汚職問題の渦中にある企業である。いったいいくら税金が中抜きされるのか・・・。国葬を最後に死人に鞭打つことをするな・・・と言う事でモリカケ桜問題が永遠に封印されることになる。日本人は葬式に弱い。桜の会に統一教会の幹部が招待されていた証拠を出てきたがそんなことは一切不問とされる。声を上げなくてはならない。