孤独の発明その2

前回勝手に歌って勝手に寝て、帰ったお客さんのことを書いた。楽しい時間ではなかったし、迷惑もしているのだが何故か憎めない。
「寂しんいんだ・・・」と言った一言が気になっている。
社会的に孤立した高齢者が抱くネガティブな感情・・・・。
地震のあった直後店の前にパトーカーが来ていた。昼下がりのことである。二階の昼カラの店の前に男が座り込んでいる。もうだいぶ酔っているようである。警察が来ているという事は無銭飲食なのかもしれない。
「お客さん、家に誰かいないの」
「俺はだれもいない独りぼっちさ」
「モテそうな顔しているけどね」
警官とのやり取りである。
地震の直後である。不安感から昼からカラオケ屋で飲む以外に孤独を癒す方法がなかったのかもしれない。
こういう人たちは社会的に声を上げるすべを知らない。店に来て「俺はさみしい」と声を上げているかと思うと無下に扱うのに躊躇することがある。24条界隈はこういう人が多いのである。
僕はSNSの類は全くやっていないが、ネット上でつながっているときだけが生き生きとしている若者が多いと聞く。スイッチを切ったとたんに孤独にさいなまれるという。どちらが実社会でどちらが仮想社会か分からない「トータルリコール」のような社会になっている。
例えば僕が死ぬとする。病院で死ぬ以外は今住んでいるところで死ぬと家賃滞納で不動産会社の人が発見するはずである。すると僕が孤独だと思って死ぬかどうかは別にして「孤独死」と呼ばれることになる。
これはもう社会問題ではないですか。

参考図書
「孤独の発明」P・オースター 勝手にタイトル借りました
「断片的なものの社会学」岸政彦  社会学とついているが論文ではないので読みやすく、社会の底辺で生きる人の姿が生き生きと描かれていて感動します。