米木をめぐる冒険

村上春樹の初期3部作には元ネタがある。レイモンドチャンドラーの「ロング・グットバイ」である。ロング・グットバイにも元ネタがある。スコット・フィッツジエラルドの「グレート・ギャッビー」である。主人公とその友人の関係性の中で物語が成り立っている。ギャツビーは主人公とギャツビー、ロング・グットバイはフィリップ・マーロウとテリー・レノックス・・・・。村上春樹の初期3部作は僕と友人「ネズミ」の関係性で物語が紡がれていく。「羊をめぐる冒険」はその3作目にあたる。僕と米木の関係性がこれに似ているとふと思った。
米木に1週間来てもらっていた。米木はとにかく忙しい人だ。年金受給者の中では日本一忙しいはずである。今回のスケジュールを貰ったのも8カ月ほど前である。札幌のミュージシャンとやってもらうのが主眼である。レギュラーでやっている大石とスケジュールが合ったのは偶然である。僕は米木と40年ほど付き合っている。最初はレギュラーグループのライブを主宰するところから始まった。ある関係性ができたころから札幌のミュージシャンとやってもらうお願いをするようになった。当初はその人の音源を送り自分の意図を説明した手紙も書いた。最低限の礼儀と思っていた。ある時から、それは多少信任を得たころからだが「また。やってよ」「ああ、いいよ」と言うやり取りに替わっていった。いくつか条件があった。レギュラーグループで来ている時はそのライブで東京に返して・・・ということがまずあった。楽しいからレギュラーでやっていると言う事である。そのイメージで帰りたいと言う事であった。はっきり言うとセッションはレギュラーより楽しくないと言う事である。勿論大人なのでそんなことは言わない。「楽しかったよ、又やろうよ」と言う事になる。だがそういう危険な通奏低音が企画全体に流れていると言う事である。失敗した組み合わせもあった。その時はちゃんと誤っている。ではなぜ面白くないかという本質的な問題になる。米木は言う。上手い下手は関係ない・・・。そこにその人がいるかどうかだ・・・と。今回の1週間。初日が社会人Yとのデュオであった。米木は本当に楽しかった。今回来た甲斐があったとまで言った。言われたYも恐縮していた。僕はすべての日が前回より良かったと思っている。米木の言っていることが分かるまで聴き続けたいと思っているので今回もセッション卒業させてほしいとの申し出があったが「ダメ」といった。米木は凄いベーシストであるが器用ではない。そんなことは知っている。「毎日違うミュージシャンと違う曲やるのって大変なんだよ」と毎回言われる。そんなことも知っている。そんなことも知って頼む僕の考えも米木は知っているはずである。