ある常連の死
ここ3年くらいのお客さんである。札幌のIのライブの時は必ず来てくれるようになった。皆J子さんと呼んでいて苗字は知らなかった。闊達にしゃべる人であった。年のころは僕とほぼ同世代であると思った。今は同じ年だと知っている。何故か・・・。顔見知りになってから話すようになった。ススキノにこじんまりとした居酒屋がある。僕も以前行っていたことが有る。そこの常連でもあるらしい。帰りは豊平橋渡って歩いて帰ることがしばしばであると聞いた。僕も子供の頃中心街で用事が有った時豊平橋を渡って帰っていた。世間話を繋げるためにどの辺に住んでいたのか聞いた。「南町」僕も南町である。何丁目ですか・・・「1丁目」僕も1丁目である。僕は山下商店は知っているかと聞いた。勿論知っていると答えてくれた。家はすずらん保育園の裏という。僕も中一までその辺に住んでいた。そこで初めて苗字を聞いた。Kという。僕は一人だけKという苗字が付く子を知っていた。T彦という名前を出すとKさんはそれは弟だという。T彦君は野球仲間で家にも行ったことが有る。T彦君には姉が二人いたのを知っている。言われると何となく60年前の姿を思い出してくる。そんな縁でライブがない時も時々のみに来てくれる様になった。iのライブの帰りに入院することになるかもしれないと言っていた。特に暗い表情では無かったと記憶している。お互いに通信機器の取扱いに明るくない。人を介して連絡を取っていた時期もある。そうこうしているうちに手紙が来た。今はゆっくり休んでまたlazyにライブ聴きに行きますと有った。僕はKさんが扱えるSNS手段を覚え何とか連絡を取れるようになった。Iのライブの時は連絡を取って「また一緒にライブ聴きましょう」と励ました。何度か短い返信が来たがいつかそれが途絶えた。その時期に亡くなっていたと知ったのは数日前である。