腹立ち日記vol20位

西村匠平の8daysの真っ最中である。金土の壼阪健登trioを頂点に毎日暑い演奏が繰り広げられている。それに免じて腹の立つこと位忘れたいがそうはいかない。忘れないうち書き留めておく。
1.
大手石油元売り会社3社が過去最高の利益をはじき出している。石油価格の高騰を抑えるための補助金が投入されたためである。勿論石油価格は抑えられていない。政府は消費者に補助金を出すことを極端に嫌う。そのまま大手企業の内部留保になっている。その前段で自民党に巨額の献金があった。
2.
バイデン大統領が来日した。横田基地の入った。羽田ではない。どこの空港に入ろうがどうでも良いのではと思うかもしれないがあるメッセージが込められている。占領国に来日する時は基地に降り立つ。トランプ大統領の時からだ。バイデン大統領の日本の評価もその程度と言う事である。その車列の映像を垂れ流すNHK。政府広報である。もう二カ月国会中継が放映されていない。

同級生

週末、高校の同級生Kが来た。55年の付き合いだ。折しも55年体制が確立する頃の話になる。コロナ禍で年、数回安否の確認のメールをやり取りするくらいで実際会うのは3.4年ぶり位だ。初めて会ったのは入学式前のオリエンテーションの日、通学のバスで僕が彼女のカバンを持ってあげた日らしい。そう言われた。僕は覚えていない。2年生の時、自由放任主義の担任の先生で掃除は週二回、席は早い者勝ちという生徒が決めたルールーを尊重してくれる先生であった。何より制服自由化の要望を支持してくれた。そのクラスで席取りを彼女がしてくれていた。直射日光が当たらなくて、黒板の字が見えて、寝ても比較的目立たない席を早めに登校して確保してくれた。僕は当時バンドをやりながらサッカー部にも所属しておりレコードを買うために昼食は我慢していた。飯抜きでサッカーの練習はきつい。見かねた女子生徒が時々おにぎりを分けてくれた。そんな高校二年の春、中間試験近くKに世界史のノートを借りる約束をしていた。部活を終えて教室に戻るとKが「全部書き写してあげたから・・・」とノートを渡された。書き写す手間の省けた僕はそのノートを何度か読み試験に臨み96点のクラスの最高点を取った。フン族の大移動あたり時代だ。フン族が東ゴート族を破って西進したのが375年のはずだ。(ゴート人皆殺し)と覚えた。だから僕はKに会うとフン族の事を想い出す。Kは覚えていないという。二人とも覚えていることが違う。当たり前の話だが・・・・。55年も付き合っているとあの時こっちの道を選択していれば・・・と思う事が数度あった。二人ともその事を知っている。そのうえで他愛もないことを年に一二度話す。そういう時はウクライナ問題も、知床遊覧船の話もしない。
帰ってから短いメールが来た。「お母さまが亡くなってから初めて会うので白いブラウスと黒いカーディガンで行きました」とあった。そんな所まで気遣いができる女性が同級生にいる事が心をほっこりさせる。
相変わらず地味な服装だな・・・と言わずに帰して本当に良かった。

1199k㎡

沖縄本島の面積である。これが札幌市の面積とほぼ同じであることを最近知った。日米軍事演習が北海道でも時々行われる。オスプレイも飛来した。オリンピックの時マラソン中継のヘリが取材しているだけでもその騒音にイライラした。基地の70%が今も沖縄にある。それが札幌にあるとしたら考えただけでも気が遠くなる。できれば来てほしくないと思うだろう。だが日米安保条約に依存すると言う事はどこかがそれを引き受けなくてはならないという取り決めである。5月15日。その沖縄が返還されて50年目の節目になる。二度ほど沖縄の離島に行ったことが有る。その飛行機の高度がやたら低いことに気が付いた。サンゴ礁の輪郭まではっきり見える。これはANAのサービスではなく米軍との航空協定である。幼稚園に落下物が落ちようがヘリが畑に墜落と言う名の不時着をしようが米兵が酔っぱらってウイルスをまき散らそうが日本に裁く権利はない。沖縄では憲法の上に日米地位協定がある。石垣島でミサイル基地の為に造成工事が行われている写真を見た。ウクライナ問題の余勢を駆りて敵基地先制能力など威勢の良い議論が出ている。当たり前であるが狙われるのはそういう施設のあるところである。その写真には「狙われたくない」という主旨の縦看が映っていた。

憲法改正案

今回は直球勝負である。以下の文章は自民党の「憲法改正案」である。よく読んでいただきたい。
日本国は天皇を戴く国家である。
国民は自ら国を守らなければならない。
国民は自由と権利を乱用してはいけない。
国民は義務と責任を自覚せよ
国民は常に公益と秩序に従うこと。
国民の権利は公益と秩序の範囲でのみ認める。
現憲法の権力者の権限を抑制する部分が国民に置き換わっている。断じて許すことは出来ない。次回の参院選が試金石になると考えている。投票率が下がれば自公維新国民の圧勝になる。そうなると三年間のフリーハンドを与えることになってしまう。三年間憲法触り放題、5000円ぽっきり・・・安っぽいピンクキャバレーに身を落とす

憲法記念日に思う事

岸田文雄・自民党総裁は3日改憲派の集会ビデオメッセージで自民党改憲案に関し『早期実現が求められる』と発言した。これは事実上、首相による改憲宣言であり憲法尊重擁護義務を大きく逸脱する行為と考える。自民党総裁は公務員でもある。公務員は憲法を順守する義務がある。ヤクザと防犯体制を話し合っても意味がない。まずは堅気になってもらいたい。ここ10数年総理がその地位、影響力を利用して改憲発言を繰り返している。
何をどう変えたいのか・・・。
憲法が現実に即していないという。例えば自衛隊と第9条の問題だ。そしてGHQから押し売りされた代物であるという議論。
もう一度憲法とは何かを考え直してみたい。憲法はある意味で理想の社会の御伽噺かと思うことが有る。現実はその何割も満たしてはいない。その時代に生きる人間がその社会を実現すべく努力する指針であると考える。だからある意味では「虚しい言葉」で列記されている。軍事大国アメリカも憲法で「常備軍を持ってはならない」と規定されている。だが現実は知っての通りである。憲法、人権宣言の類、さだまさしの関白宣言以外は「虚しい言葉」で理想が書かれているはずである。それを現実に即さないと言って条文を変えるのは50点を満点にしよう・・・と言っているのに等しく纏足を施された女性の様に成長が止まる。
改憲派の自公維新国民は抵抗の強い9条改憲よりも「緊急事態条項」から手を付けようとするはずだ。このコロナ禍で「緊急事態宣言」がコンビニの綺麗なお姉さん程度に馴染みやすい存在になっているが全く別物である事を意識すべきである。「緊急事態条項」はナチを独裁に導いた条項に酷似している。総理に独裁権を与え国会も選挙も中止可能、内閣は法に替わる政令で国民の人権と自由を奪う。9条を変えなくとも敵基地攻撃も可能になる。
今もウクライナで悲惨な戦闘が続いている。もし日本にプーチンの様な指導者が出現したとしても今の憲法を順守すれば他国へ侵略することはないはずである。
戦後、自衛隊は他国の人を一人も殺さず、一人の戦死者も出していない。憲法9条が存在したおかげである。アフガニスタンで平和活動に従事していた中村医師がそのおかげでどれだけ活動しやすかったか発言していた。平和を願う国民の世論と運動の力が、自衛隊員の命、他国の人々の命を守ってきた。この宝物に纏足を施してはならない。

 

Ⅱ・Ⅴフレーズ

以前ブログにも書いたことだが「安倍やめろ」と発言して排除された市民の裁判が原告の全面的勝訴で結審した。その後の道警の出方を伺っていたが今日控訴することとなった。その件に関して鈴木直道知事の会見があった。控訴主体は北海道であるが事実上の回答拒否であった。その時のフレーズが「あれ」である。パーカーがやってフィル・ウッズもジャッキー・マクリーンも渡辺貞夫も池田篤も吹いたことが有るあのフレーズである。ジャズの場合は許そう。伝統は継承しなくてはならない。
いつからだろう、国会やら公の場であの2-5-1フレーズが多用されるようになったのは・・・。
「個別の事案にはお答えできません」
記者は今回の案件は重要な政治的社会的意味をもつものなので説明義務があると指摘すべきである。そう質問しない記者は馬鹿に見える。Jazz barのマスターも意味のない定番フレーズを連発する輩には嫌われても言わなくてはならない。
本田珠也はここである人間に「何。同じことやってるんだよ」と言ってしまった。
その後どうなったかって・・・・
「個別の事案にはお答えできません」

BSTとBTS

「今日は一日BST三昧」と言うラジオ番組があった。・・・と思った。流石NHK、報道番組は政府の広報と化しているが時々良い番組を制作するときがある。BSTはblood、sweat&tears
の略で半世紀前に流行ったブラスロックグループの草分けで僕にとってはロックからジャズへの橋渡しをしてくれた重要なグループである。ライバルのシカゴの様にヒット曲は多くないが当時の腕利きのスタジオミュージシャンが集まって結成された進歩的なバンドであった。ランディ・ブレッカーやジョー・ヘンダーソンも在籍していたことが有る。一曲目には多分「スピニングホィール」が掛かるはずである。ラジオのスイッチを入れた。MCとゲストの雰囲気が何か違う。BSTを語る雰囲気ではないのである。一曲目が掛かった。ラップ調の曲で歌詞はハングル語の様だ。新聞の番組欄を見直す。BSTではなくBTSであった。そうだよなあと思う・・・。BSTでは一日は持たない。皆さんは御存じないと思うが世の中にはスマホと言う便利なものがあって知らないことは何でも教えてくれる。使用歴半年の僕は先生に教えを乞うようにスマホに話しかける。「BTSについて教えて」・・・出てくる出てくる色々な情報が・・・韓国の7人組グループで2021年のアメリカンミュージックアワードで3部門を制覇した人気ユニットであるらしい。写真も載っていたが見ためもかっこ良い。これも何かの縁である。暫く聴いてみることにした。少なくともラジオのスイッチを切りたくなるような音楽ではなかった。ハングル語で歌うヒップホップが妙な違和感を残し印象に残るのである。多分ハングル語はラップには適さない言語の筈である。それを克服して余りある何かがここにはある。ラジオなので映像はないがダンスもキレキレであるらしい。一昔前Jポップが東南アジアを席巻していたようにKポップが何倍のクオリティで世界を席巻しつつあると聞いた。それはあたかも日本の国力と韓国の国力の差を象徴しているかのようである。ジャーニーズ事務所のグループやAKBとは音楽のクオリティが違うと感じた。
せっかくBSTを想い出した。こんなヤクザな道に誘い込んだグループを半分怨みつつ、半分感謝しつつ明日は店でレコードを聴いてみよう。

初体験

金正恩ではないが革命的一夜である。この写真僕が撮ったものである。スマホに変えて苦節半年、電話とメール、見ようと思えばエロビデオを見られるくらいにはなった。だが写真はもともと取る趣味がなかったのでこれが3枚目になる。何でこんなつまらない写真をアップするのだというあなた・・・革命的鉄槌が下されるであろう。最後の時短営業の給付金申請の際店の外観が分かる写真が不足しているのでメールに添付して送れとおっしゃる。コロナ対策と店舗外観は関係ないのではとコールセンターのお姉さんに食い下がった。そのお姉さん「今回の給付金は今までとは違うタイプの給付金なので審査が厳しくなっていますので・・・」とおっしゃる。長いもにはまかれろ・・という諺もある。堪え難きを絶え、忍び難きを偲んで撮った一枚である。前からブログに写真を入れたいと思っていた。制作してくれた人に聞けばすぐわかるのであろうが自力でやろうと思っていたので時短で暇なときにプログラムを一個ずつ調べていった。時々余計な所を触って壊したこともあったが今日に至った。写真を撮る。Gmailでパソコンに転送する。ファイルを作って画像を保管する。それをブログ作成ソフトに取り込む。一連の作業ができるようになった記念すべき日である。もうジュラ紀生まれとは言わせない

 

 

 

2022  17周年のApril in バリバリ

これはLB17周年記念として企画された規格外の本田珠也6日連続ライブである。今回はそのうち編成メンバーの異なる4日ほど足を運んだ。久しぶりに頭の中はてんこ盛り状態になっている。これ全部を捌くのは至難と思い、東京ミュージシャンが結集した二日分に限定するのが賢明と判断した。この組み合わせは率直にファースト・ラスト的な感じがする。予感的中ならば、後から振り返ったとき私たちは大変貴重な場に居合わせたことになる。未来はどのような悪戯を選択するかは分からないが、今これを聴き逃すことにならないという焦りが襲いかかるというものだ。当然ながら、主賓の本田珠也についてレポートしなくてはならないのだが気が重い。その理由は彼についての月並みな賛辞は許されないということではなく、祖父や父親の楽曲を演奏するというということ自体が稀有なことであるうえ、それを突き詰めていくと、子は親を選べないという人の鉄則に反し、彼に限って子が親を選んでしまったのではないかと思わせるような幾分怖い特異性に行き着いてしまので、それに太刀打ちできそうにないからだ。幸い演奏中はそういうことを考えずに済んでいるが、書いている今はライブ中ではないので揺ら揺らしている。なので卑怯にもリスク・マネジメントとして、モザイク効果を期して少々脇道に逃げることにする。40数年前になろうか、B・エヴァンス・トリオを聴いた時に、ドラムのP・モチアンがうるさくて取り返しのつかないことをしているように思えていた。それから何千もの昼と夜が費やされていくにつれ、モチアンがいなければワン・ランク下の名盤に留まっていたかも知れないと思い始めだしたのである。こうした思いの核心は共感を得られるかどうかではなく、時と個人の感覚の関係として見た場合に、感覚は定点に留まることなく結構うろうろ歩き回っていることが確かめられることにある。時つまり歳を重ねるとはそのようなことだという極く平凡な結論に至るだけのことに過ぎないかも知れないのだが。すると珠也を初めて聴いた時と今とでは感じ方がどこか違っていると感じても不思議なことではない。それは彼の側ではなくこちら側の問題なのだから。誰もが認めるようにあの伝説的“蹴り”同様に破壊力のある豪快なドラミングが珠也の最大の聴きどころであることを受け入れた上で、今回耳を凝らしながら強烈に思いを強めたのは、珠也が驚異的に歌い続けていることであった。ここには表層の興奮を通り越した世界がある。アンタ今ごろ気付いたの?と言われてしまうと身を隠したくなるが、ここのところを正直に告白しておかなければ、彼が標榜するDown To Earthや“和ジャズ”の達成に近づける気がしないのである。ここらでモザイクを解除し二日間のライブ話に持ちこんで行こう。なお、今回の珠也Weekで彼はバンマスを務めておらず、ピアニストがその役割を担っていたので、予め申し添えておく。
2022.4.7 荒武雄一朗(p)米木康志(b)本田珠也(ds) 
 荒武は三年ぶりくらいの登場になろう。その間、彼は自ら立ち上げたレーベルOwl-Wing-Recordにおいて精力的に制作活動を行っていたらしい。蓋を開けてみると制作活動が演奏行為の妨げになるどころか矛盾することなく連結していたように思う。そこにはピアニストの枠を越えた音楽者としての荒武の素晴らしい演奏があった。それを周囲の様子からお伝えしよう。筆者から少し離れたところにある女性の背中があった。肩を震わせていた。後で聞くと、荒武のプレイに号泣、珠也の打撃に嗚咽、米木さんによって辛うじて我に返えらせて貰ったということである。筆者も終演後の余韻に縛られ、しばらくは人と話をする気になれなかったのだった。荒武のレーベル名になぞらえると、三者All・WINと言ったところだ。演奏曲は「Golden Earirngs」、「I Should Care」、「Water Under The Bridge」、「Influencia De Jazz」、「Dialogue In A Day Of Spring」、「Beautiful Love」、「閉伊川」、「Sea Road」、「Dear Friends」。
2022.4.8 荒武雄一朗(p)後藤篤(tb)米木康志(b)本田珠也(ds) 
 昨日のトリオに後藤が参加したカルテットである。後藤は2度目の来演だ。何と言っても彼はこころ温まるトロンボーンの一般イメージとは違う位置にいる。音がデカい。従って我々は救急車が来たときの一般車のように一旦道路脇に寄せなければならない感じになる。ではあるが、だんだん救急車に引っ張られて行くハメになっていく。そんなプレーヤーが後藤である。荒武、後藤、珠也そして米木さん、それぞれ固有の黄金比をもっているミュージシャン同士の融合は聴き応え十分であり、それ以上付け足すことはない。演奏曲は「That Old Feeling」、「All Blues」、「Be My Love」、「No More Blues」、「I Should Care」、「Riplling」、「Little Abi」、「夕やけ」、「Isn’t She Lovely」。Here’s To This Quartet。
レイジーバードのApril、17周年記念ライブは、うっとりするようなパリではなくバリバリだった。嗚呼“Live is over”とオーヤン・フィフィーなら言うだろう。ひと言付け加えさせて頂く。「米木さん、今回も心に沁みました」。
(M・Flanagan)

文化の日

高度成長期の頃「天皇陛下ネタの駄洒落」と言うのを聞いた。明治天皇は「目弄ってんの・・」
ウクライナ問題の隠れ蓑を借りて日本の極右勢力の中で不穏な動きがある。「文化の日」を「明治の日」と呼称変更しようとしているのである。自民安倍派と維新を中心に日本会議の主力議員が根回している。祭日で休めるのなら名称などどうでもいいではないか・・・・という意見が聞こえてくるが大阪城の外堀を埋める戦術と同じである。あの輝かしかった大日本帝国に戻ろうよ・・・と肩を叩かれていると思ったほうが良い。この事はニュースにも流れないし新聞にも取り上げられていない。本丸は憲法への緊急事態条項の導入である。この緊急事態条項はコロナ禍の緊急事態宣言と混同しやすいが全くの別物。ジョージ・ベンソンとベン・ジョンソンあるいは刷毛と禿くらい違う。緊急事態条項は総理が「緊急事態です」と言えば緊急事態になる。国会は休会になり閣議決定でどんどん法律を作ることができる。それに反対するものは危険人物として弾圧される。そう今のロシアのイメージに近いのだ。スターリン時代のソ連と大日本帝国が重なる。史実以上に美化された帝国。政治的に歪曲されたロシア正教はロシア版国家神道でウクライナのロシア系住民を守ることはロシア版八紘一宇と言ったほうが分かりやすい。
今フランスでは大統領選挙でマクロンとルペンの決選投票になっているが日本のメディアはルペンを極右と半分揶揄して呼んでいるが中身は中道レベルである。ところが安倍晋三も高市早苗も極右と呼ばれることは全くない。