2016.8.19 チコ本田 ソングス・トゥ・ソウル

チコ本田(vo)和泉聡(G)高瀬順(p)米木康志(b) 
レイジー・バードの乱心からか、ここのところボーカルが席巻している。このシリーズの要所々々は押さえて来た積りだが、本日お招きしたチコさんのライブは長年延び延びになっていた経緯もあり、気は早いが今回を以て早くも年内のボーカル締めくくりとなりそうだ。重鎮チコさん故にこちらも重度の構えが必要になる。その上“適当に聴き流すんじゃねぇぞ!”、日本一多忙なドラマーの声が聞こえてきそうで増々圧が高まる。
全体的にロック系やブルース系が採り上げられている曲の布陣であったが、どれもがチコさんの圧倒的パフォーマンスに釘付けにされるものであった。中でもCCR(クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル)の「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」、G線上のアリアを素材にしたプロコル・ハルムの「青い影」、J・ザビヌルの「マーシー・オン・ミー(マーシー・マーシー・マーシー)」はチコさんの今日を余すことなく伝えるものといってよいものだ。古めの曲が引き出す郷愁すら出る幕を失っていた。そして、急きょ予定にない選曲となったのが「Purple rain」。「パープル・レイン~パープル・レイン・・・」の連呼は異様に胸に突き刺さり、プリンセス・チコさんのこの瞬間は私達の永遠になると確信する。このほかスタンダードの「フールズ・ラッシュ・イン」、ベッシー・スミスで有名な「ノーバディ・ノウズ・ホエン・ユア・ダウン・アンド・アウト」、まばゆい「サニー」、“浅川マキ”バージョンの「イッツ・ナット・ア・スポットライト」、シャンソン歌手ジルベール・ベコーの「レット・イット・ビー・ミー」、ゴスペルの「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」、本田竹広さん晩年の作品で小室等氏が詞をつけた「Save・our・soul」。アンコールはてんやわんやに「ブン・ブン・ブン」。筆者はこの感動に言葉は追い付けないと諦めた。言い逃れのために、サイドメンに関して逸話を添える。ピアノの高瀬はチコさんとの共演で初めてジャズの世界に足を踏み入れたということだ。因みに小学生の2年間ほど札幌に在住していたとのこと。ギターの和泉、イフェクターを駆使して大技・小技を縦横無尽に繰り広げたが、絶えず歌っているのには参った。因みに彼はあの臼庭潤が率いたJAZZ-ROOTSのメンバーで、その時はまだ二十歳くらいの頃だったという。米木さんによれば、元々チコさんとの共演が縁で本田さんと出会ったということである。“みんな逆だと思ってるんだよね”と突け加えて頂いた。因みに長年米木さんと仕事を続けている我が国のトップ・ボーカリストで7月にLBでライブを行ったあの人が、チコさんの歌には感動を禁じ得ないと漏らしていたらしいのだ。
永遠の1曲をテーマにした「ソング・トゥ・ソウル」というTV番組がある。ハートに秘められた声帯から滲み出すチコさんの歌は時に嗚咽のようであり時に優しい。今日出会った全ての曲を『ソングス・トゥ・ソウル』と言わせていただく。
(M・Flanagan)

2016.9.2  帰って来たからうれしいわ

LUNA(vo)菅原昇司(tb)板谷大(p)柳真也(b)
 今年のLUNAは3月、7月と北上しながら、その後関東地方と東海地方あたりで無断外泊を繰り返していたらしく、音信が怪しくなったところではあったが、このたび3度目の帰宅を果たしたことはうれしい限りだ。本日は編成に管が入っているのが里帰りの土産だ。
順を追って曲を紹介する。B・エバンスの「ベリー・アーリー」、難曲を端正にそして熱く語りかけられて冒頭からしびれる薬を呑まされた感じだ。エリントン・ナンバーから2曲。多分、喪失感が主題と思われる「チェルシー・ブリッジ」、スキャットのみで陰影を出し切った。失恋の痛手で出歩く気にもなれない心境を歌った「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア」。異常気象がもたらす春らしくない春、夏らしくない夏、私の季節感をどうしてくれるのよとぶちまけるLUNA作「アイ・ドント・ノー・ホワット・トゥ・ドゥ」。地球が平であると信ずる某○○団体への皮肉「ディア・フラット・アーサー」。日本語はEarthを“地球”と云うので、既に地が平であることを否定しており、中々の人が命名したのだろう。成就しえぬ恋人たち、B・ストレイホンの「スター・クロストゥ・ラバーズ」、ざわめきが沈没する瞬間が訪れた。残酷と享楽と失望が混ざったような武満徹の「他人の顔(ワルツ)」、はかない大正ロマンを彷彿させる旋律。歌詞を色使いする魔術師ユーミンの「挽歌」、ビビッドな雰囲気に転換が図られた。これだけのファン囲まれてもLUNAの自意識はオーネット作「ロンリー・ウーマン」なのだろうか。LUNA手による「コントレイル(ひこうき雲)」、Tbのバルブの伸びと共に雲の糸が加速をつけて彼方に引きずられて行くところが聴きどころだ。生活感のない年齢の恋愛は一時的に最強だが、過ぎさりし日に思いを馳せるのは空しく響くというような内容の歌、曲名が不明につき勝手に名付けてみた。「青春の灰とダイヤモンド」。クルト・ワイル「ロスト・イン・ザ・スターズ」、人は淡い希望と無慈悲な失望に翻弄されるしかないのだろうか。惨禍からの復興を願う「ペシャワール」、一部の人々の中でスタンダードへの道を歩み始めている。今回も涙腺をピンポイント攻撃されてしまった。厳かにアルコで始まる「サイレンス」、ヘイデンは幾つか録音を残しているが、管が入るとリベレーション・ミュージック・オーケストラ風になることが分かる。そのヘイデンとH・ジョーンズによる名作「スピリチュアル」から標題曲、最終曲にしてライブのハイライトをなす大熱唱だ。又しても胸を打つ攻撃を受ける羽目になってしまった。万雷の拍手の中、これなしには外泊どころか帰宅も認める訳にはいかない。そうです「諸行無常」、胸をど突かれる度合いは今回も“not change ”だ。筆者は歌の解説に自信がないので核心を相当外していると思うが、それにしても歌詞というのは希望と逆向きの内容が非常に多い。傷を手当てするプロセスが人生だと言わんばかりだが、歌詞はその人生の趣きを掴み切ることを宿命としている。それゆえに心の世界と対峙するシンガーも歳月とともに深みを加える宿命を負うのだろう。面倒な話はやめた。LUNA!You’d be so nice to come back home to.
(M・Flanagan)

2016.8.19 L列車で行こう

元岡一英(p)橋本信二(g) 
絶妙とか流石とかの形容では何か不足しているように感じた。それを補うため帰り道に少し付け加えた。“今聴き終えたのは、何時か出会いたかった演奏なのだ”と。若い時は前向きに受け入れられなかったかも知れないが、今は質素の極みにある贅沢が尊い。
1stの最初はケニー・バロンの「カリプソ」という曲で、久しぶりに聴いたついでに言うと、付き合いは長くなかったがイイ奴と邂逅したような心地よいメロディーが引き立つ演奏になっていた。2曲目は札幌の宝石こと田中朋子さんの愛奏曲「ウイッチ・クラフト」。全曲通じて言えることだが、両者のバランスが非常に良いので余計なことが気にならない。3曲目は「アイ・リメンバー・エイプリル」。このスタンダードは多くがバド・パウエルに代表される高速演奏だが、このDUOはかなりスロー・テンポで扱っており、旋律はそのままでニュアンスは新たに思い出す四月という感じだ。人生は大体がてんてこ舞い続きだが、ひと山越えてからのテンポは自主判断に任ねられるのだろう。4曲目は「ジャスト・ア・クローサー・ウイズ・ジー」、ゴスペルの曲を聴くと数名の黒人女性がバックから繰り出す高音域の伸びが頭に付き纏うが、同様の症状は他の人にもあるのだろうか?5曲目はSax奏者サム・リバースの「ベアトリアス」、大物(マイルス)との共演歴がある割にはファンに恵まれないといった身近にもいるタイプの人だ。やや切ない曲からこのDUOはタイトなスイング感を引き出していた。2ndはモンク臭溢れる「バルー・ボリバー・バルーズ」で開始。妙なタイトルのこの曲は“ブリリアント・コナーズ”に収められている。2曲目は元岡作「アズ・ア・バード」。ちなみにシンガー・ソングライター中島みゆきに「この空を飛べたら」という曲がある。彼女にとって“私と鳥はもはや一致しえない無念”であり、それへの拘りに思える。元岡の場合は“客観的に鳥を眺めている私の自由度”がモチーフになっている印象だ。3曲目はB・ストレイホンの「デイ・ドリーム」、うっとりのあまり眠ってはいけない。4曲目はC・ブラウンの「ダフード」、バップはいつもかりそめの帰巣本能をくすぐる。5曲目は「トゥー・フォー・ザ・ロード」、この哀感が最後を飾るには未練が残る。とその時、拍手の中で面白い光景が訪れた。ギターの橋本がストラップを外して楽器を仕舞いにかかる様子が窺われ、アンコール無しかと思わせる微妙な雰囲気となった。すると立ち上がっていた元岡が小声で読経のように何か歌い始めている。少し間をおいてから橋本がギターを手に戻してバッキングをし始める。やや声量が上がって「ムーン・ライト・イン・バーモント」だと分かる。元岡は心の様子をなぞりながら呟くように歌っている。ボーカルを生業としている歌唱ではないが、不思議な感動を呼ぶ。何が人を揺さぶるのかの謎は深まるばかりだ。感動を定義できず困っている。
 我々は喧噪や慌ただしさとは縁切り出来ないが、この演奏を聴いていると少しは出来そうな気になって来る。時間に囚われず、酔っ払いに絡まれず、夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、欲を言えば意匠を凝らした質素な演奏を各駅に1曲のゆったりペースで耳を傾ける贅沢を望む。今日のような予期せぬ財宝探しにはLocal列車で行こう。
(M・Flanagan)

2016.7.29 7月のシング・シング・シング 

大野エリ(vo) 石田衛(p)米木康志(b)小山彰太(ds)
7月はシング・シング・シングにつきる。よってメニューの立役者は「ボーカル漬け」である。いずれも糠床が格好よく発酵していて聴き応え十分だった。そしてこの月のライブ循環は大野エリの王道において解決をみた。彼女のそもそものエネルギー源は、ボーカルが別物扱いされることへの不信感を単なる不満に留めることなく、対等な肉声楽器に昇華させようとする自意識の強さだ。それが既に確立されている“私のカタチ”を超えて自らが取りうる可能性を徹底追求しているように感じさせるのだ。言い換えると、彼女に対する最も舌鋒鋭い批評家は彼女自身である。但し、ステージではその苦行難行は見つけることはできない。プロフェッショナルな誇りをもって自らの“楽器”を演奏しているだけなのである。解説を加えすぎるのは宜しくない、今日も素晴らしかったとだけ言っておく。バックのピアニスト石田を初めて聴いて、目立たないところに沢山の仕掛けがあった。“隠し味、自分だけしか、うなずかず”。このつまらない川柳ふうはある評論家の一言をもとに捻った。彼が云うには“作品の良さとは読者が自分にしか分からないだろうと感じさせるものが優れている”。これを信ずるならば、このピアニストはそういう感じをさせてくれていて興味深い。誤解しないでほしいのは、ある曲の途中で石田は一瞬“ラバー・カムバック・トゥ・ミー”のサビを引用したが、それに気付いたかどうかを言っている訳ではなく、自分だけに響いていると思わせるものがあったかどうかを言っているので要注意。それからショータさんのここぞという時の一撃、米木さんの背骨の太さについては付け加えることは何もない。曲は、「ジャスト・イン・タイム」、「リフレクションズ」「コンファメーション」、「マジック・サンバ」、「ブルー・イン・グリーン」、「アイム・オールド・ファッションドゥ」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「リトル・チャイルド・“クリスティーナ”」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」、「カム・アラウンド・ラブ」、「イン・ザ・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」、「アップル追分」、「ブラックバード~バイ・バイ・ブラックバード」、「アイ・ラブ・ユー・マッドリー」などスタンダードを始めベーシストB・ウイリアムスの曲、エリさんの曲で、殆どエリさんのアルバムからピック・アップされていた。
ボーカルを別物扱いにしている人はまだまだ大勢いいると思われる。筆者自身も例外ではなかった。経験則に従えばシング・シング・シングにある程度リッスンを対応させていれば、いつか貴方は歌にとってのグッドマンになることができる。今回のレポートはここからが重要である。ボーカル・ライブの日は女性のお客さんが多い。ジンジャーかウーロンで人生が変わり得ることに期待を込めてレイジー・バードに足を運ぶことをお勧めする。
(M・Flanagan)

2016.7.22-23 クレイジー・バード/愛と平和と音楽の2日間

LUNA with 一哲Loud three LUNA(vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
 これはどう考えても憲法違反な企画である。自らをjazzに縛ることを信条としてきたLBマスターだが、若き日に浴びたロックのDNAが暴発、戒律をその手に掛けてしまったのだ。この深刻な成り行きが本当の話になってしまったのは、共犯の申し入れをLUNAが快諾したことによる。ここには音楽と熱狂の関係を問い直すための明確な意図があるのだろう。
いよいよロック・シンガーLUNAの誕生だ。のっけからツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ロイヤル・オルレアン」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンの「ファイアー」、「リトル・ウィング」、ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」。これらのリアルタイム世代としては恥も外聞もあったものではない。ハートに火をつけられ、“イェー”の声が裏返ってもお構いなし。この日だけは行儀の良さにHellow-good-by。次のエアロスミス「ママ・キン」やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのFワード連発「サック・マイ・キス」そして人気曲「バイ・ザ・ウェイ」は、筆者より少しあとの青春の人々のものである。若き日に誰を好んで聴いていたかによってその人にとってのロックはほぼ決定されるように思う。しかし、年齢と時代の出会いは本人には選択できない偶然にすぎず、ビートルズ世代であろうとその後のどの世代であろうとロックと個人の関係に優劣は全くない。ロック的な感受性が繋がっていれば世代という垣根は取り払われてしまう。場内の性別・年齢を問わない一体的興奮がそのよい証拠となっていた。LUNAの言を借りれば、そこにいた一群の女性達を“ロック喜び組”と言うのだそうである。そして再び我が世代がやって来た。3、40年ぶりに聴いたのに咄嗟に思い出すジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」、「ムーブ・オーバー」、更にはツェペリンの古典「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、トドメはディランのやるせない「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」。あぁ、過去と現在が日本語の時制のように節操なく行き来する。ロックのボーカルは単に主要パートと言うより武器に近い。メッセージの発信という役割を担ったLUNAの闘争心に歓喜のうるうるは仕方あるまい。
 躊躇なく2日目も聴く。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」、先ごろ伝説になったプリンスへの追悼「パープル・レイン」など前日にない曲に再び泣きが入ってしまった。Loud3はと云うと、碓井がオリジナル・フレーズ多用する我らが望み通りの展開に持ち込み、応戦する一哲渾身のドラムスには久々に鼓膜がヘトヘトとなるも、長老秋田のグルーブ感は抜群の効果をあげていた。何時しかLUNAに潜むナチュラルなロック魂がエクスプロージョン、ついにLoud4へと変貌した。その時“サッポロ・シティー・ジャズ”は視界から消えてしまい、店主の願いどおりドラッグにまみれない「愛と平和と音楽の2日間」Woodstockな夜が終了したのだった。もはや憲法違反は撤回され、新たに第北24条として“Love&peaceに対する音楽的罰則については永久にこれを放棄する”が追加された。放心状態のさ中、筆者に宿る家政婦は見ていた。帰り際とらえた最高のロック・シンガーLUNAの目は、『またやるわよ』。
(M・Flanagan)

2016.7.9 キャノンボール・は誰? 

松原衣里(vo)朝川繁樹(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)、スペシャル・ゲスト 畑ひろし(g)
 かなり前のことだが、廃刊になった「スウィング・ジャーナル」誌に畑のデビューCDが紹介されていて、入手したところ腕の立つ未知のギタリストがいるものだと思ったことを覚えている。このライブに来た動機は畑を聴くためだ。予想通り、ソロにバッキングに淀みなくスウィングする見事な演奏を披露して頂いた。なお、本日の段階で松原のことは全く知らない。最初の2曲「ステラ・バイ・スターライト」、「オーニソロジー」はインスト演奏だったが所期の目的は達成できそうだと感じていたところで、3曲目から初めて聴く松原が登場した。“つれなくしないで”が邦訳の「ミーン・トゥ・ミー」。いきなり“うぉっ”と思った。太く柔らかい声は天性のものに違いない。1stは「ワン・ノート・サンバ」、「ユードゥ・ビー・ソ・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」、「ア・タイム・フォー・ラブ」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」と続いて行くが、この人は徹底的に自分の天性を活かす鍛錬を積んでいるのだろうという印象を持った。2ndもボーカル抜きの「ラブ・フォー・セイル」から始まり、2曲目から再びボーカルが入る。「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、「ウェイブ」で会場の秩序を整え、そのあと壊しにかかる。ど・ブルースの「サムワン・エルス・イズ・ステッピン・イン」を思いっきりシャウト。放蕩男に対する女の怒りが爆発。客が内に潜めているウズウズした感覚を一気に引っ張り出して見せた。一転、次はシンプルなギターのイントロに乗せて「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」。誰もが六十になったらルイ・アームストロングのように歌いたいと願っている。この曲はそういう曲だ。そう言えば、わが国のリーディング・ボーカリストの大野エリさんも近作で歌っていたのを思い出す。最後は「アンソロポロジー」で、アタマで同じコード進行の「アイ・ガッタ・リズム」をワンコーラス入れるサービスがあり、ごっつぁんでした。アンコールは賑やかに「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」。
筆者はボーカルに明るくないので、松原がどのような位置にいるのか分からない。敢えて感想を言うならば、ボーカルの新館には実力者がひしめいている、彼女はそこには居ないかもしれないが、別館では間違いなく女王の座を争っているのではないか。イージーな設問に恥じらうが、誰を隠そう松原こそ声も見た目もキャノンボール、圧巻のライブだった。
(M・Flanagan)

2016.6.25 生き返った歌の行方 

高野雅絵(vo) 大石 学(p)
 『大石はボーカルのバックをさせたら日本最高と信じています』。これはライブ案内に書き添えられていた1行である。今回の企画を知った時、ゾクゾクとザワザワが走った。札幌圏で地道な活動を続ける高野だが、今日の相手は案内書のとおり“日本最高”だからだ。
 早速ライブの進行に沿いながら振り返りたい。1st.最初の2曲は大石のソロから開始された。ボーカルが入るまでの前奏として静かな幕開けが演出されていた。高野が加わった1曲目はセルジオ・メンデスの「ソー・メニー・スターズ」、上ずる心を鎮めていて中々の滑り出しだ。次は最近よく採り上げている鈴木慶一の「塀の上で」、これまでの中で最も情感が乗っていたと思う。ブルース・ライクな強音のイントロから“ガッガッガッガッ~”「Come together」だ、これも十分歌い切っていて出色の出来だ。加藤崇之作「泣いて笑って」、この曲で大石はピアノとピアニカの同時二刀流で臨んだ。ピアニカはこの曲名を象徴するかのような悲と喜を漂わせる不思議な音色だった。最後はC・ローパー叛の「タイム・アフター・タイム」、高野は今日の自分に手応えを感じている。親しみやすいポップ曲を気持ちよさそうに歌っていたのだった。2nd.も冒頭2曲は大石のソロから。2曲目はラグタイムとブギーを掛け合わせたような賑やかな演奏で、暗に“さぁやるぞ”と高野に呼びかけていた。高野も大人である。調子に乗ると落とし穴があることを知っていて、大石に振り切られないようにギアを一つ下げて「スパルタカス愛のテーマ」と「ジンジ」というスローで美麗なメロディーの曲を持って来た。これは賢明な選択だった。場が落ち着いてから、ジョー・サンプルの割とポップな「When The World turns blue」、元々インストの曲に後から歌詞が付けられたと紹介された。詞が付けられる必然性が高野の歌で証明されていたように思う。いよいよ峠越えが近づきユーミンの「ひこうき雲」へ、そして雲の流れの先で最終曲の「Bridges」にたどり着いた。この曲を彼女が大事にしていることを承知していたが、ひときわ丁寧な歌いぶりにそれがよく表れていた。大石の豪快なバックに乗せて高野から”A thank for you”の謝意が会場に発せられ、必然的にアンコールは「A song for you」、予想にたがわぬ熱唱で2時間が締め括られた。
 筆者は高野の歌をそれなりの回数聴いてきたが、今回は群を抜いて良かったと断言しよう。地元の連中が東京の一流どころと共演するとき、思わぬ能力が引き出されるのを度々見てきた。この思わぬ能力はその後の日常に吸収され易いことも知っている。今回は敢えて大石レポートにしていないが、「日本最高と信じられている」このピアニストはその形容のとおり起伏づくりやその立体感において全編で素晴らしい演奏を繰り広げていた。大石がいたから生き返った歌はこれからどうなるのだろうか。聴衆は豪華客船に乗せて貰い大満足の旅を終えたが、高野の旅は始まったばかりだ。過去は変えられないが未来と自分は変えられるという角度から今後の成り行きを注視して行こうか。
(M・Flanagan)

2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』

2016.5.28 『Ikeda 奥に生きる』
池田篤(as)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
ことも有ろうに27日、羽田空港で旅客機火災事故が発生した。その煽りで池田は新幹線に切り替えて一夜越しで札幌に着いたため、1日のみのライブとなってしまった。対照的に筆者は、数日前から池田のCDを何枚か聴き直し、24への助走路を通り抜けていたので殊さら残念であった。今回のベース若井俊也については数年前に初めて聴いていたが、周知のとおり今やケイ赤城トリオで本田珠也と共にその構成員として活躍している。いつぞや珠也に「そんなんじゃ、気合入らねぇだろ」と言われたとか言われないとか。前置きはさておき、開演に当たり池田らしく昨日来の不運に触れた後、ここに2日分を込めると公言してくれた。
 最初の曲は、W・ショーターの友人の手による「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しい)で、心に残る旋律とそれに相応しい端正な演奏だ。( )書きの心理状態のお客さんがいたなら症状が悪化したかも知れない。2曲目は数日前に出来上がったオリジナル曲で、その演奏の濃さから演奏家が演奏を強く意識して書いた曲だと思わせる。3曲目はC・ブレイのあまり知られていない“永遠の平和”を意味するらしい曲、才媛カーラならではのメロディアスな曲想が相性よく胸に収まる。毎回演奏する「フレイム・オブ・ピース」は池田の代表作の一つとなっており、この曲がまだ無題であった時に沖縄の海を眺めながら作ったと言っていたが、このバラードは最近の憂うべき世情を超越していて心に迫る。2回目は無題の自作曲から始まり、次の「フォーリャス・セーカス」という曲は“枯葉のサンバ”という邦題で、例の“枯葉“と比較することは無意味な南半球でしか生まれそうにない曲。W・ショ-タ-の「ユナイテッド」、これはアクの強い曲なので中々テーマを頭から追っ払えない。バラードを挟みいよいよ佳境を迎えた。アタマからアルトとベースがインプロでスリリングに並奏しはじめ、これが第1の聴きどころとなっていた。次に池田の渦と渦が混ざり合うような壮絶ソロからやがて四重奏になっていくところが第2の聴きどころだろう。その曲名が池田のソロ解決部分で「チェロキー」だと分かる。客の貯まっていたエネルギーが躊躇なく大喝采となって噴き出した。伊藤も本山も最早引き下がることを許されない。そして十分健闘した。彼らも止まない拍手に一役買っていたのだった。池田には素晴らしいソロ・アルバムがあるが、アンコールはそれを想起させるようなソロに始まる「オールド・フォークス」が演奏され、じわ~っと来させてからメンバー紹介を織り交ぜた「ナウズ・ザ・タイム」にて終演した。若井俊也が益々大きくなっていたこともあり、池田の公言どおり2日分が1日に込められた手に汗のライブだった。
 冒頭、池田のCDを聴き直したことに触れたが、辛島さん支援のために自主制作した『Karashimaジャズに生きる』は結束感が極められていて一際印象深いアルバムだ。少し横道にそれるが、人は勘違いに気付かないことがある。美空ひばりの「柔」の歌詞には「“おくに”生きてる柔の夢が・・」という一節があって、東京オリンピックの頃の曲ゆえに筆者は競技による国威高揚の文脈から“おくに”を長い間“お国”と思い続けてきた。ところが、最近になって“奥に”であることを知った。ここで勘違いを確信に変換してみたい。『Ikeda奥に生きる』と断言しようではないか。池田を聴いていて我々の脈動が熱く変化するのは、彼の音に血が通っているからだと信じている。いま池田篤は奥の奥で演奏することが許される数少ない演奏家の一人となった。
(涙のM・Flanagan)

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ

2016.3.18 マイ・バップ・ペイジ
井上祐一(p) 粟谷巧(b)田村陽介(ds)
 今年に入ってからピアノトリオが面白い。2月のキム・ハクエイ・トリオはスタンダードに新鮮な解釈が試みられており飽きを寄せ付けなかった。今月(3月)の11周年での大石学トリオは自己の美学を追求する強固な姿勢に感服した。今回の井上祐一トリオはジャズのエッセンスをバップとその継承に見出していることがストレートに伝わってきて、つぶやくとすれば、“ああ、こういうのっていいなぁ”ということになる。バップは、録音仕様で云うとモノラルな感じで、近年の高音質とは無縁の格好よさがある。筆者がジャズを聴き始めたころのピアノトリオとは、ビル・エバンスではなくバド・パウエルだった。何やら毒気が充満しているが、あちこちで新たな音楽の芽が吹き出している様子を想像することができる。あの時代は再現できない熱気に溢れていて、にスリル満点だ。ここで余談だがH・シルバに“ピース”という名曲中の名曲がある。この曲を聴くと熱いシルバと一致しない思いが募り、どうしてもこの違和感から自由になれない。
 ところで、あの時代・バップの時代とはよく言うが、実はよく分からない。手掛かりとして、ダンスと切り離せなかったスイング時代から脱出するエネルギー噴出の時代と考えれば少し楽になる。このトリオの演奏曲を紹介しよう。「ヤードバード・スイーツ」、「ライク・サムワン・イン・ラブ」、「ウッディン・ユー」、「オーバー・ザ・レインボウ」、「ブルー・モンク」、「スリー・タイマー」(MCによれば、パーカー、モンク、マイルス風を詰め合わせたオリジナル)、「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」、映画“ラウンド・ミッドナイト”で演奏された「ワン・ナイト・ウィズ・フランシス」、「ティー・フォー・トゥ」「スター・ダスト」。楽しいライブだった。
 今回はバップ本流を聴くことができた。B・ディランの曲で、K・ジャレットも演奏していた『マイ・バック・ペイジ』という曲がある。つられて私個人のバップ・紙片を読み直すことになった。
(M・Flanagan)

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4

LAZYBIRD 11周年記念ライブ  大石学 2・3・4
2016.3.2 大石学(p) LUNA(Vo) DUO
数年前にLBでDUOライブを果たしたことのあるこの両者は、それぞれ毎年札幌にやって来る。筆者は、LBでの大石は殆ど、LUNAの時はすべて聴いている。このことは自慢であったが、最近は幾分プレッシャーになっている。開演前、LUNAから前回のレポートを読み直したと聞かされた。残念ながらHP消失のため筆者自身断片的にしか覚えていないが、選曲のすれ違いを書いたと記憶している。ミュージシャンの選曲と客の聴きたい曲の微笑ましい不一致だ。今回は「ペシャワール」を聴きたかったお客さんハズレ。
このDUOの開始は、大石のソロからLUNAが加わる構成で、大石のソロは多分オリジナルだと思われる。1日が12時間しか刻まない重たい冬のイメージだ。最後の方で僅かに陽が差し、床板がそれを拾っていた。LUNA登場。舌を噛みそうになる高速発音に舌を巻いた「Joy・spring」。本人が空想に舞う「夜空のかけら」。圧巻のヴォイス・コントロール「エブリシング・ハプン・トゥ・ミー」。お馴染み「マイ・フェィバリット・シングス」に映画のフォントラップ・ファミリーが浮かんだ。そしてゴスペル風の曲で1部終了。後半は大石のソロに続き、しっとりうっとりの「マイファニー・バレンタイン」。吉田美奈子作「時よ」でどんどん時を駆け抜け、個人用タイトル「百年の恋」までたどり着いたが、この曲を今しばらくは忘れられない。最後の2曲は完璧に読みが的中。「ナチュラル」そして「諸行無常」だ。自然発生のStanding・ovation、こちらはLUNAの読みが的中しただろうか。彼女は丁度半年後の9月、11.5周年記念に再び来るので宣伝しておく。
2016.3.3 Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
近年の大石は歌ものやSOLO 、DUOが中心と決めつけていたので、このトリオのCDを聴いた時はかなり新鮮な感じがした。そして本日。「タイム・リメンバードゥ」、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、大石オリジナルの「ポインテッド・デザート」、「クワイアット・ラバーズ」、「ネブラ」などJust-tioと過去の作品収録曲を交えてピック・アップされていた。後半は、大石オリジナルと思われる曲の後、オフのLUNAが来ていて2曲飛び入り、「アイブ・ネバー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」と札幌スタンダードの「ローンズ」、ボーナス・トラックが花を添えたことは喜ばしい。再びトリオの世界に戻ると、「ウェルス」、「フラスカキャッチ」、「ピース」、「マイ・ワン&オンリー・ラブ」と一気に畳みかけて行った。いつも思うのだが大石の低音部の使い方は重層的で素晴らしい。札幌初登場のドラマー則武は、出過ぎないことを自意識の核にしている印象で外連味がない。名曲「ピース」を初めて聴いたのは、およそ10年前大石・米木・原のトリオによるライブで、その後何度か聴いているが、この曲には大石の感受性が究極まで掘り下げられた魔物がいて、聴く者を釘付けにしてしまう。これが心に来ない人はきっと間違った生涯を送るのではないか。
 先日、テレビに出ていた僧侶の話によれば、仏教の信仰には“信仰しない”という概念が含まれており、他の宗教と比較して際立った特異性があるとのことだった。音楽(演奏)も感動する・感動しないを含んでいるとして、11周年は見事に感動の側に振れたが、ここには何ら特異性はない。一呼吸おいて余興が始まりそうになった。余韻に逃げられないよう慌てて店を出た。
2016.3.4 鈴木央紹(ts)with Just Trio 大石 学(p) 米木康志(b) 則武 諒(ds)
「?」「?」「?」曲名が思いつかぬ3曲の後、ガレスピーの「グルーヴィン・ハイ」であっという間に前半終了。思索的エモーションの強い大石と淀みないエモーションが怖い鈴木の双頭カルテット、非常に貴重な組み合わせだ。こういう編成の大石を想像しづらかったが、管とやる時のあり方を完全消化していることが分かった。抑える所と露わに絡む所がダイナミズムを発生させ、絶妙のスイング感を提供する。鈴木は直前まで大石がリーダーと思っていたらしく、どう乗っかるかを考えていたようだが、本人がリーダーと知らされ咄嗟にアイディアが湧いていたようだ。横道にそれるが、昨年の10周年はリーダーが入れ替わり立ち代わりのリレーゆえバトンを落とすハプニングもあったが、今年は秩序意識が高い中で進行した。後半もレギュラー・ユニットさながらの演奏が展開された。「マイルス・アヘッド」のなんと心地のよいことか。10日ほど前に仕上がったという大石作「レター・フロム・トゥモロウ」を終えた後、鈴木は“こういう美しく正当な進行の曲だから演奏中に頭に入ってしまった”と言っていた。難曲を難曲に聞こえさせない超実力者の鈴木ですら、奇抜なコード進行の曲は必ずしも歓迎していないことを知って少し安心した。佳境に向かって演奏されたミンガスの「デューク・エリントン」に捧げた曲では作者の分厚い曲想に酔が回ってしまった。常時LBの指定席が用意されている米木さんは、勿論、アニバーサリーの固定ミュージシャンである。異論を蹴散らして言うと鈴木と大石のバランスを絶妙に仕組くんだのは米木さんだ。LBではミュージシャンが幾つかの名言を残しているが、ある高名なドラマーが言った「米木さんがいれば何とでもなる」というのもその一つだ。シンプルだが真実を言い当てている。来場者の多くがLBはミュージシャンと客との距離が近いと言う。ついに世界有数のライブ・ハウスの仲間入りをしたか?今回ライブを聴いたのは3月の2、3、4、そしてDUO・TRIO・QUORTET。大石学2・3・4。
(M・Flanagan)