2015.11.13 Eri the greatest 大野エリ(vo)若井優也(p)

2015.11.13 Eri the greatest
大野エリ(vo)若井優也(p)
  Live at Lazybirdでのエリさんは、毎回キャリアの集大成のような実力を見せつけてきたが、今回は極め付けというか、期待以上の期待を更に飛び越した感じだ。彼女のトータルな力量が余すことなく伝わってくる。壮麗なヴォイスが会場を呑みこんでいく。その流れに浸るだけで、他はいらない。ジュリーではないが、時の過行くままにこの身を任せてしまった。“前回も良かったけど今回はもっと良かった”というライブ後の感想は、満足の度合いを端的に示すバロメータである。それは前回の評価を低めるものではなく、今回ますます手応えを感じたということであり、ライブはいつもそうあって欲しい。その日その日ライブに足を運ぶお客さんは、何らかの狙い目を付けてやって来るので、それぞれに満足を持ち帰りたいのだ。
エリさんは中盤ぐらいまで会場が盛り上がっていないように思っていたらしいが、威圧感すら漂うような歌唱に一同聴き惚れていたというのが真実だ。そして呪縛が解けていく後半は大盛り上がりになって行ったのだった。この日は若井とのデュオだが、ニュー・リリースの“How my heart sings”には、ベースのバスター・ウィリアムスとドラムスのアル・フォスターというレジェンドが加わっている。その中から「アイム・オールド・ファッションド」、「コンファメーション」それにアルバム・タイトルから「ハウ・マイ・ハート・シングス」がピック・アップされていた。このほか「ジャスト・イン・タイム」、「ブルー・イン・グリーン」、「ワン・ノート・サンバ」、「イン・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」などエリすぐりの全15曲。ときめきを運ぶその声は今も耳に残る。随分前になるが、モハメド・アリの伝記的映画に付けられた題名は、“アリ・ザ・グレーテスト”だったが、来場者ひとり一人の“How my heart sings”に対応するのは“Eri the greatest ”だ。
(M・Flanagan)
 

2015.10.16-17 リスペクト・イン・ジャズ

池田篤(as、ss)本山禎朗(p)北垣響(b)伊藤宏樹(ds)
いま池田は尊い活動を行っている。共演歴が長く、また、多くの影響を受けてきた辛島文雄さんの闘病生活を支援するため、2013~2014でのピット・イン・ライブを1枚にまとめたCDを自主制作し、この購入を広く呼びかけている。既に1000枚を突破せんとし、更にオーダーが増えているという。筆者も手に入れたが素晴らし演奏が詰め込まれている。詳細は池田篤のウェブサイトで確認のうえ是非とも協力して頂きたい。標題は池田に敬意を表し、ジャズ批評家の油井正一氏による昔のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」から拝借した。
 さて、池田は3月に続き今年2度目の登場になる。前回はバンマス・ジャックに巻き込まれながらも堂々と人質を務め、懐の深さを見せつけたのが記憶に新しい。今回はメンバー構成から言って、事件と事故の両面ともその可能性がなく、安心特約付きライブだ。ここで池田聴き歴をまとめると、何でもできる池田の時代から池田にしかできない池田の時代になったという感慨に尽きる。近年の楽しみは二つあるが、一つはバラードでの胸中から滲んでくる音、もう一つはあたかも後ろにオーケストラがいるかのような圧倒的なドライブ感だ。
演奏曲を羅列してみよう。モブレーの佳曲「ジス・アイ・ディグ・オブ・ユー」、不思議な天才ショーターの「ユナイテッド」、池田が影響を受けたというC・マクファーソンの「ナイト・アイズ」、同じくJ・マクリーンの「マイナー・マーチ」、歴史的名演を持つ「ラバー・マン」、ショーターの友人が書いたという「デ・ポワ・ド・アモール・バッジオ」(恋の終わりは空しいという意味らしい)、黒い情念マルの「ソウル・アイズ」、選曲される王者モンクの「ティンクル・ティンクル」、池田のみが演奏を許されている「フレイム・オブ・ピース」、3月にリクエストしたのが奏功したか分からないがスリル満点の「インプレッションズ」、怪しさ漂うバラード「ダーン・ザット・ドリーム」、最早我らのナツメロ「パッション・ダンス」、辛島さんに捧げた直訳風タイトル「スパイシー・アイランド」は未開が覆うモンスターな島の物語だ。最後はブルース、イントロで池田は「ドナ・リー」やら「ホット・ハウス」やら「コンファメーション」やらを散りばめた長尺ソロで場内制圧、その終息と同時にルーズなテーマに突入。このくだけた極楽とともに幕がおりた。また、バック陣の奮闘ぶりも好ましく、彼ら多量の発汗によって立派な“ほっちゃれ”になっていたようだ。
 余話一つ。LBには付属施設としてジャズ幼稚舎という家柄を問わないバンドがある。諸事情から札幌を離れた連中が心の故郷と慕うLBに時折顔を出す。この二日の間、カナダからマークが3年ぶりにサプライズ来場、首都圏からサックス主任S名とスランプ対策係長H瀬、その他行方不明中の人物も姿を現していたようだ。そこに数名の固定メンバーが出迎えていた。いい光景ではないか。
(M・Flanagan)

2015.9.25 スズキの四人駆動

2015.9.25 スズキの四人駆動
鈴木央紹(ts)南山雅樹(p)北垣響(b)竹村一哲(ds)
昨年の鈴木のレギュラー・カルテットによるライブは、非の打ちどころのない見事なものだったが、その完成度の高さに少し割り切れなさを覚えたとレポートした。それは、多くのファンの思いを代表するものではないが、何でもできてしまうが故に計算済みに聞こえることに対しての印象からだ。そうした昨年のことを思い起こしながら、今回のイレギュラー・カルテットを聴いた。相当楽しめたというのが率直な感想だ。勿論、その立役者は鈴木である。湯水のごとく湧き出るその創造性に、いつしかS・ゲッツを思い浮かべていた。彼の圧倒的タレントは我が国のレベルの高さを立証するものである。加えてリズム・セクションも気心知れた連中で固められており、自らの持ち分をぶつけて鈴木と向き合う姿勢は非常に好感が持てるものであった。本日ここに、スズキの四人駆動が足回り抜群なことを晴れ晴れと認識した次第である。レギュラーとイレギュラー問題については、別の機会に回すことにするとして、当分の間、余計なことは言わない方が得策と判断した。演奏曲は「チチ」、「アイム・オンリー・スマイリング」、「タイム・フォー・ラブ」、「エンブレイサブル・ユー」、「パブリシティー」、「フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」など。なお、鈴木は来年3月のLB11周年記念ライブに大物の一角として出演を果たすそうである。天災は忘れたころに、天才は忘れる前にやって来る。
(M・Flanagan)

清水くるみ(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)

2015.9.18-19  Cool-me or heat-me 

 くるみさんは、多様な音楽経歴の持ち主だが、札幌おいてその名はZEKのピアニストというに尽きる。ZEKはツェッペリンの曲のみ演奏するバンドだが、ロック・スピリトをジャズ変換させる猛烈なエネルギーによって、特異な魅力を獲得していることはご存知のとおりだ。今回は“珠抜き”につき、ZEKにはないsomething elseを期待している。そこで気になるドラマーだが、ドラムがなければ絶滅危惧種と言われている伊藤が起用されたことは興味深い。また、あらかじめ情報としては、スタンダード及びその周辺曲が採り上げられるとのことだった。オープニングは「ハンプス・ブルース」、これは“Hampton Hews trio”に収録されている曲で、私事で恐縮だがジャケット写真を待ち受け画面に拝借しているので意外なところで納得。「プレリュード・トゥ・ア・キス」のあと、くるみさんが、決意表明のように予定していなかった「サーチ・フォー・ピース」(リアル・マッコイ)を演奏すると宣言。我が国がルール放棄したこの日に対する1個人としての抗議が込められていた。ファラオ・サンダースの「プリンス・オブ・ピース」も同じ思いが意識化されていたのだろう。それにしてもピアノが飛び切り鳴っている。「タンジ゙ェリン」、「ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング」、「ノーバディー・ノウズ・ザ・トラブル・アイブ・シーン」、「酒とバラの日々」、「ラッシュ・ライフ」。旋律をたじろがせるかのように鳴り響いている。どういう訳か最後の方で“月”に因んだ曲を演奏すると前置きがあり、「イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン」、この曲は軽妙で洒落た演奏しか聴いたことがなかったが、くるみさんのは天体的衝突のようなハード・ジャズだった。続いて、菜のは~なばたけぇに、曲名「おぼろ月夜」を思い出すのに苦労した。そしてR・カークの「レイディーズ・ブルース」を以て二日間に幕。
やたらに鳴るくるみさんの音が気になっていたので、感覚解説の達人米木さんにZEKの時とは違った力強さを感ずる旨を伝えたところ、“くるみさん気持ち良くやってるね”、巨匠らしいまとめだ。ある時は大人心に冷静さを授け、またある時は熱くダイナミックな演奏が提供された。Cool-me or heat-me。快心の演奏に触れた清々しさ、清水くるみさんを改めて認識するのにZEKKOUのライブだった。一つ加える。入魂の演奏をした伊藤に心から拍手を贈りたい。
(M・Flanagan)

2015.9.4 裏切られた共通曲

LUNA(Vo)南山雅樹(p)小山彰太(ds)
 ある作家が新作の執筆中に、今書いた1行が過去の自作か他者の作品と全く同じなのではないかという不安に駆られ、それを調べ続けるという途方もない消耗戦の話を読んだことがある。ただ、創作活動とは違ってライブ・レポートにはその種の強迫観念を伴うことはない。
LUNAは6年連続の来演だ。筆者は皆勤を継続中であるが、それは初回に強い思い出があるからだ。当時、名古屋在住であったLUNAについて全く知らなかったし、札幌での知名度もかなり低かったと思われ、必然的に入りが悪く客は筆者のみだった。これはむしろ不幸中の幸いで、細大漏らさずLUNAを聴くことができた。そして最後には、定位置である店のコーナー付近にてLBマスターと並んでスタンディング・オベーションをしたのだった。このことについては、過去のレポートでも書いたように思うが、“ある作家”ではない筆者は何ら気にしない。
さて、LUNAのライブの良さの一因はその選曲にある。毎回の共通曲と新しい(つまりLAZYでは初めて歌う)曲が程よくブレンドされている。前者には愛着が後者には意表を突くことが備わっている。それもこれも彼女の傑出した歌唱力あってのことだ。
1ステは、「サマー・タイム」「ヒア・ザット・レイニー・デイ」「アイ・キャント・ギブ・ユー・エニシング・バット・ラブ」「ホワット・アー・ユー・ドゥイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ」「バイバイ・ブラックバード」など名曲中の名曲がズラリ。4曲目に「夜空のかけら」という少し浮遊感のあるオリジナルが割って入っていた。2ステは、身近にも聴く機会のある「死んだ男の残したものは」。世の中の殺伐感が意識されていたようで、歌詞をメロディーに乗せないで一瞬朗読するようなところが印象的。拍手の中から自作の「ペシャワール」へ。He dig the well~という歌詞さながら、年を追って深く掘り下げられている。人気曲の「ファースト・ソング」には彰太さんのハモニカが寄り添う。スイング感のある「オータム・リーブス」を経て着いたところが「朝日のあたる家」。このトラッドは日本語で歌われたが、日本語だと浅川マキ風のやさぐれ感が出るので不思議だ。いよいよ最後の曲。少年期のころに流行した音楽は、記憶の中にひっそりと留められているものだが、ある年齢に達すると“あの時代”の鮮度が甦ってきたりする。この日出会ったのは、ボブ・ディラン~ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」だった。隣のご婦人は筆者と年齢が誤差範囲内、心の踊る音が聞こえるような気がした。もうアンコールを残すのみ。LUNAレイジー・バード史の共通曲として手堅く予想したのは「エブリシング・マスト・チェンジ」。これには裏切られ「ナチュラル」だった。だがこの諸行無常の結末に不服はない。
(M・Flanagan)

2015.8.7-8 臼庭 潤メモリアル・ライブ(jazz-roots)

本田珠也(ds)峰 厚介(ts)米木康志(b)吉澤はじめ(p)

筆者は臼庭のバンド「jazz-roots」がプリントされたTシャツを着用していたが、その由来を珠也が言うには「臼庭がリスペクトしていた貞夫さん、峰さん、おやじ(本田竹曠さん)など自身の音楽的ルーツに思いを込めてバンド名に託した」とのことであった。かつて臼庭本人が音楽を複雑化することを好まないと語っており、察するとその真意は音楽をシンプルにさせながら、そこにエモーションを注ぎ込むのが自分なのだ、臼庭が恩師のjazz-rootsから得た結論だったのだろう。今年もそんな臼庭を熟知しているミュージッシャンが結集した。不動のバイタル・レジェンドの峰さん、地層ごと揺さぶる米木、バッキングで歌い続けている吉澤、そしてルーツの同質性で臼庭と一致するパワー無尽蔵な珠也、臼庭が慌ててケースからサックスを取り出す姿が浮かんだ。曲の選定に当たっては、珠也が実に数カ月も前から候補曲をレイジーに打診する配慮が働いていた。そして幾つかが採用されている。その演奏曲は、

「アイブ・トールド・エブリ・リトル・スター」(ロリンズ)、「エア・コンディション」(パーカー)、「ソング・オブ・ジェット」(ジョビン)、「ひまわり」(マンシーニ)、「アンチ・カリプソ」(R・プリンス)、「* スキップ・ウォーク」、「* サスペシアス・シャドウ」、「* メッセージ」、「サムシング・フォー・JUN」~「ソニー・ムーン・フォー・トゥ」(ロリンズ)で、*を付したのが若き日の臼庭のオリジナルだ。

そして、メモリアル・ライブを一層特別にしたのは、吉澤がこの日のために書き下ろした「サムシング・フォー・JUN」だ。臼庭の音楽性が凝縮されたこの曲、ダウン・トゥ・アースで臼庭ライクな演奏が繰り広げられたのだった。このことだけでも吉澤には心から謝意を贈りたい。8月の札幌、久かたの暑さのどけき夏の日は、臼庭から一言引っ張り出した。“峰さん、何か俺に似てきたんじゃない”。禁じられた一言だった。

レイジー・バードにはミュージシャンが背にするする壁に臼庭の2枚の写真が貼られている。それはどの客の視覚にも収まる位置にあり、ここに来る回数だけ彼に会うことができる。今年も臼庭人脈の最高峰たちの手により、最も近い位置で彼との再会を果たすことができた。本田珠也は、演奏以外にも微笑ましい臼庭エピソードを紹介して会場を和ませてくれたが、二日間とも冒頭で「天才サックス奏者、臼庭潤のために演奏する」と宣言した。そして、このカルテットは珠也の自然発火に調和して完全試合をやってのけた。来場したすべての“私”は、このひと時を臼庭ととともに分かち合うことができたと確信する。

(この稿、いつの日にか続く)(M・Flanagan)

2015.8.4 虹の彼方にサンディノ貴方

米木康志(b)奥野義典(as.fl)田中朋子(p) 竹村一哲(ds)
これは米木康志セッションと銘打たれたライブ二日間のうち初日の物語である。演奏曲は、「イースト・オブ・ザ・サン・ウェスト・オブ・ザ・ムーン」、「サンディノ」、「ベガ」、「ミッドウェイ」、「ザ・ブラック・アンド・クレイジー・ブルース」、「ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル」(米木訳:彼らは、何ていいんだろうと言ってる)、「アブリー・ビューティー」、「ラテン・ジェネティクス」、「マイ・ファニー・バレンタイン」。事件は2曲目「サンディノ」の終了と同時に起きた。米木さん曰く「この曲を初めて演奏したけど、これは盗作です。」と断言したのだ。若き日の自身がキャバレー仕事をしていた時に、ダンス・タイムに演奏したラテンの曲と瓜二つだと言い、途中からその頃を思い出しながら演奏したというのだ。さらに「チャーリー・ヘイデンもやりますねぇ」と駄目押し。それを聞いていた奥野が「何かがっかり」と呟いたような気がする。“虹の彼方にサンディノ貴方”、つまり貴方の仕事は盗人だったとうい事件の顛末にて一件落着。ところで若い人には不明点があると思われるので少し解説すると、“虹の彼方にサンディノ貴方”のオリジナルは“虹の彼方に3時のあなた”という駄洒落であります。『3時のあなた』とは1970年ころのワイドショウの名前。オリジナルの方の評価は、虹の針を3時につなげる心地よい時間の流れと言葉としての耳ざわりの良さが格別であるというもの、最高位に君臨しております。なお、事件は別として立派なライブでした。
(M・Flanagan)

威風堂々・時々普通

2015.7.25 
中本マリ(Vo)米木康志(b)加納新吾(p)
ご存知のとおりマリさんは長らくギターの太田雄二とのデュオによる活動を続けてきた。太田の卓越した技量がボーカルを支えきる見事なデュオだった。今回はオーソドックスなボーカル・トリオ編成で帰って来た。早速、納得のピアノとベースが後ろのライブをなぞってみよう。ミュージカルのバラードから「リトル・ガール・ブルー」、お馴染みの「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」でたっぷりスイング。ブルース・フィーリング溢れる「ユー・ドゥ・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」から「ジョージア・オン・マイ・マインド」へと畳みかける。かつて恋仲・今はただの友「ジャスト・フレンズ」、行方不明になった夫との刹那的再会が忘れられない名画「ひまわり」はソフィア・ローレンの目のように恐ろしい。マリさんのデビューアルバムから「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ」、大人だから独占できる「エンブレイサブル・ユー」、エネルギッシュに「オールド・デビル・ムーン」、コルトレーン風じゃなくこの曲はこうなのよと言わんばかりの「マイ・フェイバリット・シングス」、しっとりと「ガール・トーク」、オリジナル2曲を挟んで、盛り上がり宣言の「ラブ・フォー・セイル」、アンコールは「ミスティー」で高級リンスのような潤いだ。もう少し分け入ってみる。手堅い後ろをキャンバスに仕立てにして自家製の絵を仕上げていくマリさんがいる。先人たちが通った道を自分の歩み方で踏み固めて来たのだという確信が伝わってくる。マリさんに感ずるのはこうした確信の強さだが、これは表に出ることはない。表にはボーカリスト中本マリがいるだけだ。マリさんは、やりたいことだけをやる。それが極上のエンターテインメントとして完成してしまうのは、マリさんの築き上げた実力そのもので、まさに威風堂々だ。
折角なので、ピアニスト加納について少し解説すると、本拠地は大阪で、その演奏を耳にしたマリさんが速攻チャージを仕掛けたという新進気鋭だ。彼は音色も人となりも端正で全国的大阪のイメージとは異なる。追々、あちこちでその名を目にするかもしれない。このライブの頃、東京は折からの猛暑、朝晩の北海道は快適な避暑の圏外にあり、マリさんは小さい風邪をひいたらしい。ステージを離れるとごく普通の人だ。
(M・Flanagan)

我ら永遠の津村和彦

2015.7.16-18  我ら永遠の津村和彦
7月17日と18日の2日間、津村和彦、米木康志、本田珠也のトリオでライブが行われる予定であったが、その願い叶わず一月前に津村は帰らぬ人となってしまった。闘病明けから少しずつ演奏活動を軌道に乗せていたことを聞いていたので、あまりに突然の訃報だった。津村の復帰後のプレイは渾身の極みだったらしく、既に彼は最終メッセージを発する覚悟の中にいたのかも知れない。一流ミュージシャンの天国流出が後を絶たない中、ここ札幌では、津村がLBに残した数々の名演に報いる思いを込めて、米木・珠也に地元ミュージシャンを加えた追悼ライブが行われたのだった。
2015.7.16 田中朋子(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.17 佐々木伸彦(g)本山禎朗(p) 米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.18 田中朋子(p)山田丈造(tp)米木康志(b)本田珠也(ds)
3日間のうち、初日と最終日に田中が起用されているが、理由は明白だ。レイジーバードのライブ史上“伝説”とまで言われているクインテット(津村、田中、臼庭、米木、セシル)の一員として彼女は究極の演奏を行っていたからだ。そうした経過があるため、筆者としても田中は今回のライブには不可欠だった。田中がこの日のために曲を厳選したことは容易に想像できる。紹介すると自作曲から「デイ・ドリーム」「カレイドスコープ」「ベガ」という当地ではスタンダードの地位を確立している曲。そして安息を意味する「レクイエム」、ピアノがテーマを奏でた途端、笑顔の津村が脳裏を駆け巡った。切なさがピークに達すると津村に誘われて自分が笑顔を催してしまった。田中は更に津村と縁の深い曲を採り上げていく。「アローン・トゥギャザー」「サークル」そして「ベラクルーズ」。津村が演奏しながらジャンプする姿の残影、目の前で繰り広げられている演奏、その素晴らしさは残酷ですらある。この追悼は明らかに早すぎるのだ。3日目にはボーカリストでもある津村夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人は万感の思いを込め2曲披露して下さった。歌が行き着くある地点に届いていた歌唱だと思った。最後は津村、米木、珠也のトリオが定番とする愛奏曲で締めくくられた。
ライブ中は相当しょんぼりしていたので、客観的な聴き方を一切できなかった。それで良いのだと思っている。何故なら、この3日間は。津村を偲ぶという私たち個々の胸中に収めておくべきことだけが課されていたのだから。我ら永遠の津村和彦、ありがとう。
(M・Flanagan)

6月の年末調整

この月の前半は多く戻ってきたのに、ある日を境にいっぺんに持って行かれた。
2015.6.5 松島啓之 4
松島啓之(tp)南山雅樹(p)北垣響(b)横山和明(ds)
 松島は、輝けるバップ・スピリットを現代に注入する。そうかと思えば、ルパンJAZZに参加するなどレンジの広い活躍を続けている。彼は好感度高く受け入れられているが、その秘訣は鮮度溢れる実直な音と偉ぶらない人柄にあると言われている。一方、横山は出演回数こそ多くはないが、何といっても臼庭のLBライブ・レコーディングで存在感を決定づけた。彼はそこらで見かける水溜ですら細かい飛沫を付けながら太平洋に描き変えることができる異才の持ち主で、その大きなノリを生み出す固有の回路は脅威といえる。二人の楽しみ方を白鳳の相撲に例えてみると、スキのない盤石の取り口でその醍醐味に頷くことが一つ、結局勝つのだが白鳳の心技体が普段と違うバランスにはまってワクワクするのがもう一つ。松島の王道と横山の不思議道を言い当てるのには少々無理があるとして、いつもより攻撃的な北垣と自分に冷静な南山のコントラストも面白ろく、このライブは幾つかの角度から楽しむことができた。
演奏曲は、「ア・ロット・オブ・リビング・トゥ・ドゥ」(C・ストロウズ)「トレジャー」(松島)「スイート・パンプキンン」(B・ミッチェル)「エンブレイサブル・ユー」「ザ・キッカー」(J・ヘンダーソン)「テイク・ユア・ピック」(H・モブレー)「ブルース・ライク・ア・リスク」(松島)「レディー・ラック」(T・ジョーンズ)「ピース」「オーニソロジー」「ジャスト・フレンズ」など。
2015.6.12 鈴木央紹 4
鈴木央紹(ts、ss)若井優也(p)佐藤“ハチ”恭彦(b)原 大力(ds)
 1曲目に「バット・ビューティフル」。多くのライブで最初の曲はミディアムかそれ以上のテンポの曲が本日の腕慣らしとして採用されているように思う。鈴木のカデンツァから淀みなくバラード展開に持っていく流れは成熟したレギュラー・グループならではだ。振り返ると前回このグループを聴いてから2年くらい経つだろうか。時折客演している鈴木と若井のエイリアン2人とは異なり原には久し振り感が湧く。その原ワールドは相変わらず健在で、ドラムスが可能とする極限の繊細音が潮の満干のように変化しながら全体を包んでいく。たまらず我々ファンは北国のよろこび組と化してしまうのだ。演奏曲は、「ウイズ・ア・ソウル・イン・マイ・ハート」「ローラ」「ベリー・アーリー」「エローデル」「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」など。アンコールの「モナ・リザ」は実に感動的だった。
このグループは誰もが思うとおり非常に完成度が高い。全く余計な心配だが、これを超えたら演奏側はやることが無くなり、聴く側は関心が薄れてしまう恐れがある。成熟し過ぎると無垢の領域が葬られそうになる。彼らの稀有なる個性は際どい地平に立たされつつあるのかも知れない。杞憂であって欲しいものだ。余計な心配の後は余計なひと言。鈴木のライブには結構足を運んできたが、来るのをためらう時がある。一群の固定客を“常連さん”と言うが、鈴木の日には大勢の“女連さん”がやって来てギュウギュウ詰めになるからだ。俗に“アマゾネス・どっと混む”と言われる現象だが、高齢者に酸欠は少々こたえる。
2015.6.16 津村和彦逝く
 レイジーバードに数々の名演を残してきた津村和彦が亡くなった。丁度、松島4と鈴木4のレポートを書き終える頃にそのことを知った。この7月に米木・珠也とのトリオでライブが行われる予定になっていて、そのことを随分前から楽しみにしていたので心の遣り場がない。知らせを受けた日の夜に自室で津村を聴いた。津村の唸り声とフレーズがシンクロしている。鍋から溢れるように涙がでた。伝え聞くところによると、亡くなる直前、米木さんが“札幌に行こう”と抱きしめながら勇気づけたという。今は只々ご冥福をお祈りする。
(M・Flanagan)