2021.10.13  大口・林4 Jazz Advancing

大口純一郎(p)林 栄一(as)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
いきない脱線しよう。先ごろ亡くなったR・ストーンズのチャーリー・ワッツは自称“ジャズをこよなく愛するロックドラマー”だ。彼は少年時代にジャズに魅せられたものの、家にドラムを買える余裕がなく、そこで彼はバンジョーを改造してスネア代わりに練習を積んだという逸話がある。そういう出自をことさら美化するつもりはないが、後に名声を博するか否かに拘らず、おそらく50年のキャリアを重ねる演奏家の中にはそれに類する体験者がいると思われる。飽くまで想像でしかないが、演奏を聴いていていると林さんにもそういうことがあったのではないかという気になる。林さんのライブに接した機会は決して多くはないのだが、林さんに付き纏うイメージは長らく変わっていない。それは一貫してアンダーグラウンド感が漂っているような印象である。いわば公のルールでは裁くことの出来ない天賦の資質と言ってもいい。この日も演奏から演奏外の何か得体の知れないものを感じていた。筆者にとってそれが林さんなのである。一方の大口さんにもそれを感ずるのだが、溢れだす閃きは両者に共通していてもその質感には差異があり、それを直に味わうことはライブの重要な面白みである。それにしてもこの方たちのエネルギーはどこから湧き出してくるのか。数多くの音楽データが蓄積されているお二人の筈だが、おそらく“今日はこれまで以上にベストな演奏をする”、そういう演奏覚悟のようなものがエネルギーの出どころではないかと思えるのだが、どうだろうか。まぁ巨匠評は二の足を踏むもので、本文は欠員レポーターのトラとしてチャーリー・ワッツに援護して貰った次第である。演奏曲は「Goodbye pork pie hat」、「Four in one」、「You don’t know what love is」、「回想(林)」、「Better get hit in your soul」、「New moon(大口)」、「What is this thing called love」、「ノー・シーズ(林)」そしてアンコールはブラジルもの。上昇しながら構築する曲も、横へ横へと流れていく曲も独自性に溢れていたと思うのであるが、おしなべてタフな演奏の連続だった。従って、ベースもドラムスも心身ともに運動性量が限界に達していたのではないかと思われる。上手いこと言えないが、おどろおどろしさに咲くファンタジーがこのライブだ。
 実はこのライブ、カニBAND北海道ツアーの谷間に嵌め込まれた唯一のカルテット企画である。そこに惹かれて来られた人もいたようであるが、分かるような気がする。
ところで「Jazz Advancing」とはいまなお前進して止まない御大に捧げた標題である。その出典はセシル・テイラーの「Jazz Advance」だ。芸術家の家計簿は知名度ほどにはアドヴァンスしていないんだろうな(泣)。
(M・Flanagan)

2021.9.24-25  鈴木央紹3 Groove Struttin’ !

鈴木央紹(Sax)宮川純(H.Org)原大力(ds)
レイジーでは幾度も素晴らしい演奏に巡り逢っているが、今回3年連続となるこのハモンド・オルガン入りは他になく、稀少さなどという次元を超えて、初聴き時に筆者の体感メーターの針が右往左往していたのを思い出す。それは以後も変わりはない。では、トリオ・サウンドを思う存分味わうこととしよう。予め演奏曲を紹介しておこう。「Solar」、「No Moon At All」、「Babbles,Bangles&beeds」、「Dolphin Dance」、「Detour Ahead」、「My Heart Stoods Still」、「If I Should Loose You」、「Love Walked In」、「How Long Has This Been Going On」、「You’d So Nice To Come Home To」、「The Ruby&The Pearl」、「The Favourite」、「Some Other Time」、「So In Love」and「All Of Me」。中には知らない曲もあるが構いはしない。聴いた後で、唐突に思い出したことがある、“ジャズに名演有りあり、されど名曲なし”という誰が言ったか知らないが、相当前に発せられたセリフである。“名曲なし”については歴史的事実に反するが、“名演あり”については日々発現している。従って、そのセリフの半分は妥当性を失っていない。いったい何処から何処までがジャズなのかという問いがあるとすれば、”演“が感じられるかどうかに尽きると言ってよさそうだ。裏を返してそれ以外はジャズあらずといえば言い過ぎか。トリオの話に戻どそう。肝心のこのトリオの聴きどころについてである。バンマスの鈴木については何度もレポートして来たので、何度も類似したことを述べてきたのだと思う。それは名盤は何度聴いても飽きないことと似ている。手短に言うと、彼の演奏は兎に角捉え方の大きさにある。これは実力者たちの共通域であるが、そこにおいて鈴木を決定づけているのは、圧倒的なニュアンスの多彩さである。街場の風景によれば、鈴木食堂に行列ができるのは、丹念に仕込まれた下味をベースに多種多様な具材が”瞬時に“出てきてしまうところにある。形容語は過去に使い果たしてしまったが、毎度々々凄いと言うより他ない。さて、オルガンの宮川だが、その演奏を耳にしたことのない人も多いかと思う。いきなり天才幅肌と言うのも興ざめだけれども、元々はアコースティックの演奏家がハモンドに執着しているのは、優れて本人望むところとこの楽器と相性の良さによるものだろう。その演奏に対するこちら側は絶対鈍感に陥らないよう気を付けておけば、それだけで彼のグルーブを満喫できるのである。そして御大の原、この人は例によってドラマーの役割意識とドラムスの音がそっくり連動しているので、気持ちの良いい音を叩き出す才において人後に落ちない。勿論、この気持ちの良さは、トリオのサウンド展開において隠れもしないのである。(ナイショ話だが、とても蓬莱の定食で胃もたれを引きずっていたとは思えない。)演奏が終わってから耳をそばだてていると、“You’d be so~”と“All of me”は、歌で取り上げられることも多く、私たちは割と構えないで聴いていることの多い曲だが、プロにとって難曲に位置づけられるのだそうである。素人としては聞かなかった振りをしておく。結局この鈴木央紹トリオ、ヴァリュアブルだ。
 これから少々広報的なことを申し上げる。今年の追い込みラインナップは重鎮はもとより、中堅・若手のスゴ腕がライブ・スケジュールに掲げられている。ベースでは楠井、若井にまとまった日が用意されているようだ。また、ドラムも鮮度の西村匠平、札幌のプライド竹村一哲、そして筆者が隠れファンを自認している小松伸之も来る。おっと、鈴木の再登場もある、壷坂も来る。例年以上に冬支度が後手に回りそうだ。なお、標題は、ソニー・クラークのマスト盤から拝借。鈴木トリオのGrooveがStruttin’、少々誇らしげに歩いているぐらいのことだ。あのジャケットの足運びのように。
(M・Flanagan)

2021.9.14-15  LUNA女気の初秋夜曲

 LUNAによると、9月は10本のLIVEが流れたのだという。本文に目を置く各位はご承知のことと思うが、恒例となっているこの月の北海道ツアー(本編)もその流れに飲み込まれたのである。従って番外編も行き場を失うはずであったが、尻尾だけは再生することとなった。これはLUNAの女気を結晶させた本編なき変異型LIVEのドキュメントである。
9.14 Unpluged Rock Again  LUNA(Vo)町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
今年の4月、これまで積み重ねてきたRock-Loud路線がショパンの事情によりUnplugedに切り替わったが、予想に増して好評を博したことは記憶に新しい。そしてその第2弾がここに実現したのである。前回は初競演とは思えぬ調和のとれたパフォーマンスを残していったが、今回は夕暮れに霞む“Loud”を尻目に“Unpluged”は満を持して綿密に電子連絡を交換し合ったとのことである。演奏曲は、「Long train running」(ドゥービー・ブラザーズ)、「NewYork state of mind」(B・ジョエル)、「Sunshine of your love」(クリーム)、「Old love」(クラプトン)、「Little wing」(ジミヘン)、「Forever young」(ディラン)、「Redemption song」(B・マーリー)、「Knocking on heaven’s dooe」(ディラン)、「The waight」(ザ・バンド)、「Imagine」(レノン)、「Nowhere man」(ザ・ビートルズ)、「Natural woman」(A・フランクリン)、「You’ve gatta friend」(k・キング)。個人的には1970年代後半くらいまでしかRockを聴いていないが、本日の演目の多くをリアルタイムで聴いていた。ということは、それらの曲は風雪に耐えて来たということができる。ただオリジナルの大半がソリッドのギターであったのに対し、“Unpluged”はアコギなので、異なった趣へと導いてくれる。しかも腕前を徒に見せびらかせない大人の立ち振る舞いが三者のバランスを絶妙なものとしていて、ジックリと聞いていられるのだ。加えてハモりを大の好物とするLUNAの期待に応えて余りある野郎どもの喉が何とも味わい深い。“洗練”という言い方が似合うこのコラボはまた有りそうであり、そう有って欲しいものだ。
9.15 日本の歌ブラジルの歌
LUNA(Vo)(Vo)古館賢治(g、Vo)板橋夏美(tb,Vo)
標題は前宣伝のコピーだが、全体としては“ほぼブラジル”である。まずはそれらの曲目から見ておこう。「晩歌」、「folas secas」、「corcovado」、「samurai」、「時よ」、「felicidade」「beijo partido」、「intil pasagem」、「romaria」、「行かないで」、「equilibrista」、「四季」、「panta de areia」、「chega de saudade」。ブラジルもの精通している人は、ニンマリするのだろうが、筆者にはほとんど何のことか分からない。いくつかは聴いたことがあるような気がする。だが知っているか知らないかを基準にすると音楽は部分化されて広がりようがない。そもそも音楽が世界化するのは、何度も引用されるエリントンの「音楽には好ましいものとそうでないものの二種類しかない」のであって、これは普遍的認識といっていい。従って知らないことに臆することはない。エリントンの音楽観を持ち出したのには理由がある。9月3日の本編は幻となってしまったが、これが実現していたら、エリントン特集だったのである。このこと自体は残念と言うより他ないが、私たちは何であっても聴いている間はその曲その歌を楽しんでいるだけでよいと思うのだ。ただ今回楽しむことを可能にしたのは、知らないもの伝えきるLUNAの力量によるものと言い切っておくが、それをサポートした女殺しの古館Voiceと添い寝されているような板橋の心地よい音色がこの日を大いに盛り立てていたのを忘れるべきではない。
翌日、所有しているボサノバもののなかから3枚ほど立て続けに聴いた。持っていても曲名は殆ど知らないことに気付かされたが、LIVEで助走がついているのですぅっと入ってくるのを感じた。ところがである、期せずして次の1枚はコルトレーンのヴィレッジバンガード・ライブを選んでしまった。音楽はどこからも繋がってしまうといという真実の前では、一貫性のない選択など些細なことである。やはり私たちはエリントンの音楽観から逃れることは出来ない。
最後に複数の実行犯が絡んだらしいハプニングについて伝えておきたい。LUNAはこの10日ほど前に迎えた誕生日を一人三角座りしながら夜に涙をぬぐっていたそうである。二日目のセカンド1曲目の最中に、何処からか不規則にカチッカチッという音が聞こえてきた。この曲の目終了に合わせてそれは起こったのだ。バースデイ・ケーキの進呈だ。年の数を大きく下回るロウソクの本数ではあったが、点火に手こずったそのカチッカチッが今も耳に残っている。
(M・Flanagan)

2021.8.20 松島&山穰5 ウルトラQ

松島啓之(tp)山田穰(as)本山禎朗(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
ウルトラQとは、怪獣系の草分けと思って頂いても結構であるが、素朴にウルトラ“Q”uintetのことである。それはさておき、ご存知のとおり松島は定期的な出演枠を持つtpのトップ・ランナーである。そして今回は継続的に共演を続ける山穰入りという願ってもない贅沢な編成だ。LBでの山穰は7、8年ほど前のLiveを最後に少し遠ざかっている。従って、待ち望まれた再登場である。思い起こすと山穰と言えば若き‘90年代を駆け抜けた花形プレイヤーという印象が強過ぎて、個人的には演奏家としての全体像が明快にならない。職業評論家なら豊富な情報を背景に俯瞰的に論ずるのだが、素人のライヴ・レポートというものは、限られた聴音体験しか持ち駒がないので、そこは割り切るより他ない。そうではあるが地方都市にいて、“これは是非聴きたい”と気がはやるLiveに足を運び、それが僅かずつ積み重ねれられた位置で、Liveの素晴らしさを伝えたいと願うことに徒労感はない。少し勿体ぶった物言いになったが、これも行動抑制下のストレスによるものと容赦願いたい。まずはおおよその流れを紹介しようと思う。最初の数分でこの日の全貌が掴めた気がした。自明のことだが、演奏が終わるまで全貌が分かる筈ないのだが、時として“今日は行っちまうな”と確信することが、時おり起きるのだ。松島の「Back to Dream」で幕を開けたのだが、2管で立ち上げ、松島のソロへ突入した、彼は音一発でライブの醍醐味をぶっつけて来る。こっちに向かって突き抜けてくるのだ。そして山穰のソロ、彼はどのような局面でもロジカルに演奏を発展させるタイプと思っていたが、やや感情を前に出す展開に持って行っているような印象を受けた。そしてそれが何ともこっち(胸)にくるのだ。この様子は最後の最後まで継続して行ったのである。開演が導く快演の連鎖というべきか。最初の数分に予期したことが的中したのは、勘が冴えていたのではなく成るべくして成ったに過ぎない。2曲目はガレスピーの名曲「Con・Alma」、松島のワン・ホーンによる「Skylark」、N・アダレー「Tea met(と聞こえた)」、柳を大きくフィーチャーしたP・チェンバースの「Ease It」、松島作「Treasure」、山ジョーのワン・ホーンによる「My Foolish Heart」、音の深みを握りしめて離さない雰囲気が充満していて、説得力に溢れていた。バラードと言えば内省的味わいを噛みしめるのをイメージするが、その佇まいを保ちながら情感が注がれていく様に喉元から変な唸り音が出てしまった。制限時間一杯に選曲されたのはお馴染みの「Lotus Blossom」、ウルトラ“Q”uintetの百花繚乱サウンド、中でも山穰のソロは圧巻だ。鳴り止まぬ拍手が残業命令となって「I’ve never been in love before」に突入した。迫り来る閉店時間と忍び寄る国防婦人会の見回りに最高度の緊張感が走る。だが、事なきを得て無事終演した。いつまでも拍手は鳴り止まなかった。これは忘れられないLiveになりそうだ。記憶に納められた財産は減価しないからである。振り向けばドアの前に“立ち見”のお客さんがいて、ドアーズの“Touch Me”を思い出してしまった。
晴れないモヤモヤがまとわり付いて久しいが、それを吹っ飛ばすLiveが終了した。禁酒法の適用下でウーロンを含みながら、ふと思い出したことがある。Tpのクラーク・テリーがエリントンをこう評していた。『彼は人生も音楽も常に生成過程におきたいんだ』。
(M・Flanagan)

2021.8.6  本山禎朗4 ヒートでジャンプ

本山禎朗(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)+山田丈造(tp)
札幌は連続真夏日の観測記録を更新する熱波の只中にあった。しかも個人の話で恐縮だが、ワクチン摂取により少々熱っぽく頭がフワ~ットしている始末である。かかる事情下とはいえ、例年と異なり今回の米木さんが本年最初で最後ということなので、奮い立たねばならない。加えて丈造の参加で真夏の夜のジャズはあらゆる熱を好作用に導くだろうと期待が膨らんでいった。そしてスタート時間の繰り上げを余儀なくされているなか、リーダーの本山が時間の制約に配慮して簡潔に開演宣言を行ったのだった。
1曲目はガーシュウィンの「エンブレイサブル・ユー」、これは熱さ求めて前のめりになるのを戒めるような端正で落ち着いた演奏。2曲目は米木さんが今年リリースしたアルバム“SIRIUS”からハロルド・ランドの「ワールド・ピース」、終始ベースのビートに乗っかって各自が開放的なプレイを展開し、ややアクの強い曲を一般人の耳にスンナリ入ってくるように仕上げられていて、聴き応えがあった。次は数多くの名演・名唱がのこされている「アイ・フォーリン・ラブ・トゥー・イージリー」、丈造のバラード感性が格段に研ぎ澄まされていることを印象づけるものだ。4曲目はE・マルサリスの「スインギン・アット・ザ・ヘブン」、多くのライブがそうであるように、終盤の聴かせどころは渾然一体感を流し込む仕様である。そしてその通りとなったのである。締めくくりは「ストレイト・ノー・チェイサー」、ぜい肉なし。
ご存知だろうか、1960年代にフィフス・ディメンションという歌のグループがあった。彼らには“ビートでジャンプ”という割と知られたナンバーがある。“ビート”から煩わしい濁点を取っちまえばスッキリするだろうと他愛ないことを考えていたが、演奏者・客ともども熱さ満開の“ヒートでジャンプ”に行き着いてしまったと言える。
なお、冒頭に述べたとおり、今年の米木さんは聴き納めとなるので、あと2daysを覗かせて頂いた。鹿川暁弓3とNate Renner3である。両者とも高鳴る緊張感を露わにすることなく一身に演奏する素振りが見て取れ、持ち味が十分引き出されていたように思う。三夜を通じて攻めの姿勢を緩めることのない米木さんに改めて頷かさせられた。そこには生き続けるジャズとは何かという問いが漂っていた。
(M・Flanagan)

2021.7.1~2  三嶋大輝 SPECIAL GIFT

ここ数年来、東京を拠点にしている若手を招くことが、LBのひとつの柱となっている。この企画がなければ、彼らは見たことも聴いたこともない連中のままになっていた可能性が大いにある。三嶋の初演は2年半ほど前に過ぎないのだが、以降、彼はサイドマンとして抜かりなく出演機会をモノにして来ている。ただ今回は、三嶋の仕切りでライブを挙行することになっており、そこに課された条件は、現時点で想定される最高のメンバーを人選し、最高の演奏をすることだったという。そして我々は三嶋のギャンブルに巻き込まれていくことになったのである。
2021.7.1  PassioNate Renner 4
Nate Renner(g)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
この日は、当地でコンスタントに活躍するネイトのリーダー・カルテット。ネイトはJ・ホールがお好みらしいが、直接的な影響は感じられない。演奏家によっては先人の影響が割と露骨になっていることもあれば、表に出ることなく内的蓄えに留められていることもあるだろう。ネイトは後者に属しているので、彼独自のフィーリングから押し出されるフレーズがそれをよく物語っている。話しは飛ぶが、今はフュージョン絶頂期のようにギターでお客さんを呼ぶことが珍しくなった時代だと言える。それは逆に落ち着いてギターを聴くべき時代になっているのではないかとも思う。そうした時代だからこそネイトには一層のPassioNATEな活躍を期待する。演奏曲は「All Of You」、「Finding Our Feet」、「On A Misty Night」、「9th February~Mono Koko」、「The Way You Look Tonight」、「Moment’s Notice」。なお、柳沼は最近招聘されない匠平(西村)の後輩筋になるそうだ。明日も期待が膨らむ中々のプレイだ。
2021.7.2 三嶋大輝TRIO
加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
これが三嶋の真価が問われる注目のTRIOだ。聞けば月に一度のペースで演っているとのことである。言わば彼らは、気心の知れる域に入っているのだが、慣れによる予定調和は決して許されないことを覚悟した三嶋はリハに普段の倍ほど時間を費やしたらしい。それはこの日に賭ける三嶋の愚直なまでのメッセージであるが、それは実際のライブ・パフォーマンスの出来は全くは別のことである。筆者は三嶋が毎回ひと山越えてやって来るので、意識的にハードルを上げて聴いている。なおかつ今回は三嶋の統率力も注目して置かなければならない。ここで演奏曲を紹介する。「Time After Time」、「You Stepped Out Of Me」、「You’ve Changed」、「Martha’s’ Prize 」、「In The Still Of The Night」、「Nearness Of You」、「Cakewalk」、「Fly Me To The Moon」。“いる所にはいるものだ”、ピアノの加藤、まだ二十代半ばである。瑞々しさを湛えながらも臨機応変に攻勢をかけるところにはその才量を認めぬ訳にはいかない。そして前の日に肯定すべき片鱗を見せつけていた柳沼は、この日もケレン味のないタイトなプレイを披露しており、彼ら二人は三嶋の土台音に乗っかって清心な印象を刻んでいったのだった。唯一気がかりだったのは、気合の入りすぎによる勢い任せの大芝居だったが、そんな心配を見事に引っくり返してくれた。
店内にはもちろん川は流れていないが、三嶋はTRIOと客席の間にきっちり橋をかけていった。若きM・ヴィトウスに“限りなき探求“という作品がある。若き三嶋の奮闘に”限りなきThank You“を献上する。三嶋からSpecial Gift(大輝ん星)を貰ったのである。
(M・Flanagan)

2021.6.1  本山禎朗 孤高のソロ

本山については、これまでのレポートで手短に触れるに留まっていた。そんな中でもう“ソロソロ”ひと踏み込みしようかなというタイミングでこのソロに巡り合うことになった。従って、いつに増して真摯に聴くことになったのである。時の流れは、これからのJAZZシーンを担おうとする連中が東京に活動拠点を移す中で、本山は東京との交流を巧みに消化しつつ、それを地元に還元している貴重な存在である。折に触れ彼の音に接してきたが、いつの間にか気になる演奏家になっていたというのが個人的思いである。私たちが音楽に共感すると言うとき、大別して理由は二つあるだろう。一つは演奏そのものに、もう一つは演奏に対する演奏家の姿勢に対するものである。普通は前者が優先的に享受され、後者は遅れてやって来る。ところが、継続的に聴き続けていると、これは逆循に転じていく。演奏家像を通じて演奏を聴くようになるのだ。思い浮かべただけで、直ちに音が聞こえてくるミュージシャンがいるのはこのためだと思うのである。どうやら本山はその中の一員になっているようなのだ。そういう思いで聴いていたのだが、彼の静かなる熱意が、静まり返った場内を独占していく様子が胸を打つ。孤高のソロというに相応しいライブとなったのである。演奏曲は、「ウィッチ・クラフト」、「エミリー」、「ペンサティヴァ」、「ミスティー」、「ブッチ&ブッチ」、「カム・トゥギャザー」、「リトル・ウイング」、「ソラー」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」。振ったら当たったというような、まぐれの演奏は有り得ない。試練のあとの成果、これに逆循はない。当夜の模様は、CD-R10枚限定で提供されるとのことである。手遅れにならぬようお問い合わせ願いたい。
ところで、昨年、本山はソロのインプロ・アルバムを2枚リリースした。それは幾つかの音楽誌で賞賛されたと聞く。そこに何が書かれていたかは知らないが、聴いてみると、音に向かう本山の姿勢が伝わって来るものであった。ソロといえば、聴くのをためらう向きもあるかも知れないが、筆者は途中で止めることなく2枚一気に聴き終えた。それだけで、お分かりになるだろう。
(M・Flanagan)

2021.5.6-8  16周年第2談

5.6 鹿川暁弓TRIO 鹿川暁弓(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 独自の美意識から異彩を放つ鹿川と東京戦線で活躍する若井と山田との初競演。筆者は鹿川のソロしか聴いたことがなく、必然的にコンボ編成での応酬に関心がいく。以下が演奏曲である。
「In A Sentimental Mood」、「There Is No Greater Love」、「Lonely Woman」、「Hot House」、「Reverie」、「I Hear A Rhapsody」、「Time Waits」、「My Conception」。スタンダードやバップの曲が並んでいるのは少し意外な感じがした。その演奏はソロのときとは異なる印象だ。折角手合わせする相手だからだろうか、押し返すような力強さや冒険心が覗いていたように思う。聴き手がそう思うのだから、本人はスイッチが入りっぱなしだったのだろう。バラードにおいても流れ出す曲においても、彼女を特徴付けるクラシカルなニュアンスを失うことなく作用させていたところに、自身の演奏に向かう姿勢がよく出ていたように思う。なお、鹿川の演奏に狙い目を付ける人をディア・ハンターと言うかどうかは今のところ分かりかねる。 .
5.7 本山3feat.村田千紘  本山禎朗(p)村田千紘(tp) 若井俊也(b)山田玲(ds)
 予定されていた池田篤2daysが事情により延期になってしまい、これは変更プログラムの初日である。実は村田を聴いいたことがない。話によればLBで何度か演奏している田中菜緒子(p)との『村田中』というユニットを中心に活動して来たとのことである。初モノを前にすると気が引き締まるものだが、そんな思いに耽る間もなく、時間制限下の4人編成はスタートを切っていった。最初にG・グライス「In A Night At Tony’s」、急遽客演が決まったとはいえ、原曲のゴキゲンな乗りを一発達成、これだけでおおよそ力量が伝わってくる。A・C・ジョビン「Meditation」の柔らかな冥道感にも味わいがある。我々の良好な助べい根性は、ライブではこんな曲を演って欲しいと願うときがある。その思いが通じたのだろうか「Blue In Green」。選曲も演奏も願ったり叶ったりの素晴らしい出来ばえだ。知名度ほどには聴かれていないと思われるE・マルサリスの「Swing’n At The City」、軽快なミディアム・テンポが気分をほぐす。T・ジョーンズ「Lady Luck」、翌日のトリオ演奏への誘い水か、トランペットが聴きどころの曲にも関わらず、意表を突いて村田レスのトリオ演奏であった。再び村田が入る。LBではあのテナー奏者が何度か採り上げるマイルスの「Baplicity」。初めて聴いたT・シールマンス「For My Lady」、曲の親しみ易さ以上に品を感じさせる。最後は勝手な思い込みではあるがG・グライスの最も有名な「Minority」、これはMajorityが太鼓判を押すだろうアグレッシヴで立派な演奏。少し逸脱を許して頂こう。この国においては、「女性活躍」なる俗な4字を見かけるようになって久しいが、それは男女が同一の地平にいる存在であることよりも、単に男の肩代わりとしての女性像しか期待していないことが透けて見える。村田も前日の鹿川もその音によって、乱暴を働く事なくそれを打ち消していたように思う。いずれ村田の再演があると思うので、その日を楽しみにしたい。
5.8本山揁朗(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 本来フロントにいるべき池田の不在によって、かなりのプレッシャーが掛かっているだろう。池田がいるに匹敵するパフォーマンスを、自らにもリッスナーに対しても納得いく形で求められるからだ。そんなことを思いながらも、このトリオはトリオとしての演るべきことをやっていたと言ってよいのではないか。ほぼ同世代に属しているこの3人は、彼らの音楽意識として透明性を目指すというより、濁り化を残しながらその状態の純度を高めようとしているように思う。彼らがそう思っていないとしても、それはジャズとは何かと問われた時にありうる幾通りかの答えの一つになると思う。面倒な話しを程々にして、この日の演奏曲は、「You&The night&The Music」、「Miles Ahead」、「These Foolish Things」、「Buch&Buch」、「Pensativa」、「We See」、「Fingers In The Window」、「I Remenber April」、「In sentimental Mood」。では、一言づつ。本山は我ここにありに手が届いている。若井の融通無碍なプレイには今回も関心した。山田、音という音を芯で響かせる才腕ドラマーである。
 今般この周年第2弾は、汚れっちまった世の中に今日も悪夢が降りかかる状況下で行われた。言いたい事はそれなりにあるが、今日は50年代のマイルスを聴いて心を鎮めることにする。
(M・Flanagan)

2021.4.8-10 LUNA 16周年の三重品格

4.8 Unpluged Rock  LUNA(Vo) 町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
昨年までのLoud3は、LUNA vs爆音の格闘絵巻だった。そうした有り様はRockのラジカルな魅力をなすものである。それとともに、演奏力とともに台頭してきた‘70前後のRock黄金期の名曲総出演となっていたことが耳の記憶を刺激するものであった。音楽的記憶とは覚えようとしなくても無意識に刷り込まれてしまうことに気づかされる。残るものは否応なく残ってしまうのだ。さて、今夜は、正面衝突ばかりがRockではないことを証明せんとする設定である。撃ちまくる痛快活劇もRockであれば、シェーンの背に思いを込めるのもRockである。Rockなんてと受け流してはいけない、懐が深いのだ。さて、16周年の初日は、新型‘Sとして共演歴の長い町田と古館との顔合わせだ。彼らはともにギターの名手であるが、喉のレベルも人後に引けを取らなく、この二枚にLUNAが絡むとどうなるのか。それが16周年の実験室に課されたミッションである。演奏を目の当たりにすると、三者のハーモニーはナチュラルに心地よく、LOUDと異なるRockの成果を体現するものだったと言える。実験室の課題曲は「Get it on」、「I will survive」、「Desperado」、「A cace of you」、「A song for you」、「To be with you★」、「I feel The earth move」、「Nowhere man」。「Don’t let me be lonely tonight」、「Fragile」、「Johnny be good」、「We are all alone」、「A whiter shade of pale」、「The waight」、「I shall be released」。なお初めて聴いた何曲があった。興味本位に緊急聞き取り調査したところ、★の曲はある年齢層までのスーパー人気曲だったことが分かった。それは清志郎風に「聴いたことのないヒット曲」だったが、今さら知ったかぶりもできない。本日の感想を申し上げる。爆音を武器としないUnpluged Rock、それは鼓膜のケアを必要がないが、毒の回り方には気をつけなければならないというものだ。
4.9 昭和歌謡  LUNA(Vo) 古館賢治(g、Vo)、板橋夏美(tb)
昨年秋口が初演、今回は単なる再共演以上のモノにできるかが注目されるところだ。まずはLUNAレスで古館がかますウエルカムの一発、「兄弟船」でがオープニング。昭和歌謡にそれなりの造詣はあっても、寄る年波に揺すぶられている我ら高齢族、型は古くシケには弱いことを思い知って悲しいというべきか。以後LUNAを招き入れた展開となる。て惑いなき人生賛歌「あの鐘を鳴らすのはあなた」、女の情念とは距離を置くのが身のためということを教えてくれる「北の蛍」、一転ポップな「恋のバカンス」で景気づけした後は、心の汚れを洗い流してくれる「愛燦燦」、当節、気ぃ付けんとならん昼カラ人気曲「二人でお酒を」、LUNAの敬愛する安田南氏に捧げられたという「プカプカ」、昭和歌謡の金字塔「喝采」、大人になりつつある少女が捨てきれない不良の真っ当さに執着する「プレイバック・パートⅡ」、恨みが恨みを誘って‘60の後半に大衆の共感を呼んだ「圭子の夢は夜ひらく」、岡林信康が曲名を繰り返し畳み掛ける「私たちの望むものは」、あまたある漁師もので欠いてはならない「石狩挽歌」、そして後期昭和の賑わいを象徴するエンターテインメント曲「北酒場」でフィニッシュ。古館が敬愛する作曲家の船村徹や玄哲也は、地方から東京に身を移して後、薄れいく望郷の念を生き返らせようと大手との契約に見きりを付け、全国各地を巡りながら改めて日本人の情緒を突き止めようと腐心したと聞く。そうした切羽詰った熱意が礎となっている昭和歌謡には決して一筋縄ではいかない奥行がある。それを知ってか知らずか、LUNAの歌唱は「私なんでも歌えるわ」的なものではなく、原曲から自身の何かを引き出そうとすることが明確に意識されていることが伝わってくる。それが独自の凄みを獲得しているのだと感じさせる。再共演は手応え十分なものに仕上がっていたと確信する。最後に、声のような音色で寄り添う平成生まれの板橋。回を追うごとに昭和に磨きがかかっているが、果たして本人は生まれの和号を超えた地点に来てしまっていることに気がついていだろうか。
4.10  勝負のJAZZ  LUNA(Vo) 本山揁朗(p)菅原昇司(tb)
ほ~う、これが本職なのか。職業に優劣がないように、音楽ジャンルにも優劣がないことを思い知らされた前二日。それでも人は利き足を無視しては四方に飛ぶことができない。やはりLUNAの利き足はジャズのなである。取りも直さずRockと昭和歌謡をさばく上手さはジャズあってのことだ。語らずとも、以下の曲での歌唱が文句なしにそのエヴィデンスになっていた。「I love you」、「Spring can really hang you on」、「I’ve got you under my skn」、「Answer me my love」、「Star crossed lovers」、「Beautiful love」、「Shenando」、「Misty」、「Feel like making love」、「ひとり」、「We will meet again」、「Beautiful love」、「Here’s to life」、「Smile」。
本山はLUNAと初競演である。飲んでも寡黙な本山が、今日は留め金をはずしたように楽しさ行き交う奔放な演奏に徹しており、誕生日を迎えたハズミで勢い24を乗り越した御年34が、一瞬ハメを外したのも貴重なものとして水に流そう。菅原はLUNAとの共演回数を重ねているが、そうした慣れに寄りかかることなく、気迫のこもった演奏を貫いていたのは彼の力量が一級であることを十分に伝えるものであった。
16周年の始まりは、Rockの祭典Woodstockを凌ぐアッという間の三日であった。その祭典に出演したザ・フーに「四重人格」という危ないタイトルのアルバムがある。それには格が一つ不足するとは言え、記念行事の初っぱなは、Unpulgedrock、昭和歌謡そして輝けるJAZZの「三重品格」フェスティバルだったとキレイに締めくくり、概況レポートとする。
(M・Flanagan)

2021.2.26~27 松島啓之4&5 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)三嶋大輝(b)伊藤宏樹(ds)・・With江良直軌(bs)
 松島を何度も聴いているが、いつも円熟の中に新鮮さを感ずる。何故だろうか。20代の松島には“Something Like This”という力作がある。そこは瑞々しい力感に溢れている。その後の活動プロセスには、若き日の核心部分が劣化することなく寄り添っていると思われる。おそらく松島は昔も今も同じ合鍵を使って演奏しているのだ。
 最初の数音で生き返ったような気分になった。飛び切り音が突き抜けて来たからだ。ここにはホールでは味わえない至近距離感があり、音楽会ではなくライブ、Jazz Lives Matterなのだ。初日はオーソドックスな4人編成で、トランペッターの曲を中心にプログラムされており、松島の演奏を思う存分聴くことができた。改めて音のニュアンスの多彩さに息を呑み、相当ニンマリしていた自分が想像できる。2日目はバリトン入りの2管編成。J・マリガン、P・アダムス、C・ペイン、S・チャロフ。バリトン奏者の名前は一気に底をついてしまった。コンボ編成では多くを聴いて来なかったのだ。江良の音を聴いていて、当たり前だが、その重厚な音色を直に確認することができた。初日と異なるサウンド・カラーに出遭えたことに何ら不満はなく、寧ろ大いに楽しませてもらった。カルテットの演奏曲は「Back To Dream」、「Miles Ahead」、「Ceora」、「PS I Love You」、「I Remember April」、「Just Out The Moment」、「Sleeping Dancer Sleep on」、「Lady Luck」、「Little Song」、「Lotus Blossom」、「All The Things You Are」、クインテットの演奏曲は「Just Because」、「Driftin’」、「Gradation」、「Panjab」、「Fiesta Mojo」、「Treasure」、「Darn that Dream」、「Black Nile」などで、江良の持ってきた幾つかの曲が披露されていた。
冒頭、松島に毎回新鮮さを感ずると述べた。得意の曲を得意のパターンで演奏するのは、アマチュアリズムの大いなる美徳である。一方、毎回新鮮さを提供するということはプロであることの美徳である。そうでなければ、次も、その次も足を運びたいという動機は生まれない。
思いっきり脱線するが、いま唐突にベンチャーズのことを想い出した。何十年も同じことを演っているのだ。つまり、ベンチャーズの最大のコピー・バンドは、ベンチャーズということになる。彼らは新鮮さを追求することは無く、一世を風靡した過去の演奏を型通りに再現する。進歩することを仕舞い込んだ音楽芸人だったのかも知れない。余計なことを思いついたせいで、プロの定義が揺らいでしまった。
(M・Flanagan)