2022  17周年のApril in バリバリ

これはLB17周年記念として企画された規格外の本田珠也6日連続ライブである。今回はそのうち編成メンバーの異なる4日ほど足を運んだ。久しぶりに頭の中はてんこ盛り状態になっている。これ全部を捌くのは至難と思い、東京ミュージシャンが結集した二日分に限定するのが賢明と判断した。この組み合わせは率直にファースト・ラスト的な感じがする。予感的中ならば、後から振り返ったとき私たちは大変貴重な場に居合わせたことになる。未来はどのような悪戯を選択するかは分からないが、今これを聴き逃すことにならないという焦りが襲いかかるというものだ。当然ながら、主賓の本田珠也についてレポートしなくてはならないのだが気が重い。その理由は彼についての月並みな賛辞は許されないということではなく、祖父や父親の楽曲を演奏するというということ自体が稀有なことであるうえ、それを突き詰めていくと、子は親を選べないという人の鉄則に反し、彼に限って子が親を選んでしまったのではないかと思わせるような幾分怖い特異性に行き着いてしまので、それに太刀打ちできそうにないからだ。幸い演奏中はそういうことを考えずに済んでいるが、書いている今はライブ中ではないので揺ら揺らしている。なので卑怯にもリスク・マネジメントとして、モザイク効果を期して少々脇道に逃げることにする。40数年前になろうか、B・エヴァンス・トリオを聴いた時に、ドラムのP・モチアンがうるさくて取り返しのつかないことをしているように思えていた。それから何千もの昼と夜が費やされていくにつれ、モチアンがいなければワン・ランク下の名盤に留まっていたかも知れないと思い始めだしたのである。こうした思いの核心は共感を得られるかどうかではなく、時と個人の感覚の関係として見た場合に、感覚は定点に留まることなく結構うろうろ歩き回っていることが確かめられることにある。時つまり歳を重ねるとはそのようなことだという極く平凡な結論に至るだけのことに過ぎないかも知れないのだが。すると珠也を初めて聴いた時と今とでは感じ方がどこか違っていると感じても不思議なことではない。それは彼の側ではなくこちら側の問題なのだから。誰もが認めるようにあの伝説的“蹴り”同様に破壊力のある豪快なドラミングが珠也の最大の聴きどころであることを受け入れた上で、今回耳を凝らしながら強烈に思いを強めたのは、珠也が驚異的に歌い続けていることであった。ここには表層の興奮を通り越した世界がある。アンタ今ごろ気付いたの?と言われてしまうと身を隠したくなるが、ここのところを正直に告白しておかなければ、彼が標榜するDown To Earthや“和ジャズ”の達成に近づける気がしないのである。ここらでモザイクを解除し二日間のライブ話に持ちこんで行こう。なお、今回の珠也Weekで彼はバンマスを務めておらず、ピアニストがその役割を担っていたので、予め申し添えておく。
2022.4.7 荒武雄一朗(p)米木康志(b)本田珠也(ds) 
 荒武は三年ぶりくらいの登場になろう。その間、彼は自ら立ち上げたレーベルOwl-Wing-Recordにおいて精力的に制作活動を行っていたらしい。蓋を開けてみると制作活動が演奏行為の妨げになるどころか矛盾することなく連結していたように思う。そこにはピアニストの枠を越えた音楽者としての荒武の素晴らしい演奏があった。それを周囲の様子からお伝えしよう。筆者から少し離れたところにある女性の背中があった。肩を震わせていた。後で聞くと、荒武のプレイに号泣、珠也の打撃に嗚咽、米木さんによって辛うじて我に返えらせて貰ったということである。筆者も終演後の余韻に縛られ、しばらくは人と話をする気になれなかったのだった。荒武のレーベル名になぞらえると、三者All・WINと言ったところだ。演奏曲は「Golden Earirngs」、「I Should Care」、「Water Under The Bridge」、「Influencia De Jazz」、「Dialogue In A Day Of Spring」、「Beautiful Love」、「閉伊川」、「Sea Road」、「Dear Friends」。
2022.4.8 荒武雄一朗(p)後藤篤(tb)米木康志(b)本田珠也(ds) 
 昨日のトリオに後藤が参加したカルテットである。後藤は2度目の来演だ。何と言っても彼はこころ温まるトロンボーンの一般イメージとは違う位置にいる。音がデカい。従って我々は救急車が来たときの一般車のように一旦道路脇に寄せなければならない感じになる。ではあるが、だんだん救急車に引っ張られて行くハメになっていく。そんなプレーヤーが後藤である。荒武、後藤、珠也そして米木さん、それぞれ固有の黄金比をもっているミュージシャン同士の融合は聴き応え十分であり、それ以上付け足すことはない。演奏曲は「That Old Feeling」、「All Blues」、「Be My Love」、「No More Blues」、「I Should Care」、「Riplling」、「Little Abi」、「夕やけ」、「Isn’t She Lovely」。Here’s To This Quartet。
レイジーバードのApril、17周年記念ライブは、うっとりするようなパリではなくバリバリだった。嗚呼“Live is over”とオーヤン・フィフィーなら言うだろう。ひと言付け加えさせて頂く。「米木さん、今回も心に沁みました」。
(M・Flanagan)

2022.3.15 鈴木・西村の週間春分砲

鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)柳 真也(b)西村匠平(ds) 
弥生三月の第2週は鈴木央紹、西村匠平週間だ。多様な取り合わせが組まれていので、迷いつつこのカルテットに出向くことにした。鈴木については、何度も聴き何度もレポートして来たのでおおよそ書き尽くした。このことは聴き尽くしたこととは全く違う。次も聴きたいという動機が働いてしまうのがその理由である。ファン心理とはそんなものだ。高速でねじ伏せ、低速で息をのませる、しかも大人の粋さがある。私たちが目撃しているのは、どんな風向きも自分の味方につけてしまうような並外れたクリエイターである。おっと、またダラダラ書きしそうなので、ページをめくることにしよう。西村は昨秋久しぶりに顔を出したが、それから程なくの登場でペースが上がってきたようだ。前回と今回から思うのは、初めて聴いた多分5年くらい前との微妙な違いである。かつて、勢いあるプレイと繊細なプレイが区分されていたように思えていた(それはそれで非難されるべきではない)が、今はその区分が簡単に見分けられない。繊細さが繊細に聴こえているうちは未だ本当の繊細さに至っていない、彼の数年間はそういう歩みと共にあったのではないか、そのように想像してみた。鈴木も西村も年内にまた聴けそうなので楽しみだ。ライブは既に始まっているのである。この日は聴こうと思えば何時でも聴ける堅実なプレイで定評のある柳と秀逸な作品を連発している本山が申し分のないサポートをしていていたことを付け加えておく。演奏曲は「Airegin」、「Introspection」、「Little Girl Blue」、「Long Ago & Far Away」、「Vely Early」、「317East32」、「Worm Valley〜Little Willy Leaves」そして「I’ll Be Seeing You」。
この冬の札幌には散々苦しめられた。最近は少しずつ日が長くなってきてコルトレーンの“Equinox”(昼夜平分点)を思い出しながらレポートしている。週刊文春のようにスクープはないが、このライブは、正に昼夜平分点を目掛けた充実の“春分砲”となっていたのだった。
(M・Flanagan)

2022.2.26  本山禎朗 の「As it is」

この日のライブは、本山の最新アルバム「As it is」リリース記念の第一弾として組まれたものである。発売レーベルは、ここLazybirdで何度か演奏歴のあるピアニスト荒武裕一郎氏が主宰するOWL-WINNG-RECORDだ。音楽文化の保存や発展と真摯に向き合うこの主宰者から声がかかること自体、本山の力量を物語るものであり、その意味で今回のことは降って湧いた特ダネでも何でもないと言えよう。私たちがこの新作に期待を膨らませるこのライブは2月26日に行われた。226である。一石を投じられているかも知れない。それはさておき、ライブは当然ながらアルバム収録曲が中心であり、まずはそれを紹介をする。「It Could Happen To You」、「Witch Craft」、「Misty」、「Butch & Butch」、「Come Together」、「Moon Walz」、「Little Wing」、「Fingers In The Wind」である。これらの曲は本山が演奏し慣れた曲というよりは、特別な思い入れがある曲である。普段はあまり読まないライナー・ノートに目を通して、これらの曲は本山が演奏することへの志を後押しする契機へと導いた楽曲集なのである。そう思っているとタイトル「As it is」の意味合いが少しずつ近づいてきた。多くの人と同じように、筆者にとっても音楽とは、音を媒介にした生命の表現行為と思っている。個々のアルバムやライブを即時的に楽しむことを大前提としつつ、そこに至るまでに演奏家がくぐり抜けてきたプロセスを想像することは陰の楽しみである。生命が必ずしも一定でないように、音楽表現も“時の階段”を踏み上がることで一定であろうとはしない。このことは過去の否定とは異なっていて、時を経た現在から過去に向かって返信してやろうとする思いに駆られるのは正統なことである。すると本山がこのアルバムで描こうとしたことが見えてくる。「As it is(ありのまま)」とは、過去の「As it is」群を現在時点での「As it is」に集約してみせることだったのではないのかということだ。先に述べた“時の階段”とはそういう意味を含ませて使ってみた。最後に、このアルバムについて体感的に述べておく。筆者はレコード、CDをジャズ喫茶のように聴くので、同じアルバムを立て続けに繰り返す習慣はない。しかし、今回は朝、昼、晩そして深夜と何度となく聴いた。むしろ何度も聴くことができたと言ったほうが正確である。「Misty」ほか素晴らしい演奏が納められている。本山の最良の姿を捉えた素晴らしい作品だと言い切っておく。
(M・Flanagan)
付記
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2022.2.18  「バップ、いいスね」

松島啓之(tp)岡 淳(ts)本山禎朗(p)柳 真也(b)原 大力(ds)
松島と岡そして原は、若き修行時代のバークリーで被っていて、帰国後はよく顔合わせをしていたとのことである。その頃から時を経てこの3人が顔を揃えるのは随分久しいとのことらしい。因みに東京から来るミュージシャンの話によると、ホームでの共演機会がなくても、ここLBで再会を果たすことがままあるらしい。言わばレア盤のようなライブを私たちは目の前にする機会を得ているということができる。今回もそのケースと言ってよく、LBライブ史上、Saxではまだ見ぬ最後の大者の一人というべき岡の参加という貴重な編成となっている。終演時点から物申すのも妙ではあるが、たまたま横にいた柳が「バップ、いっスね」とはしゃぎ加減の笑みをもって一言発した。彼が初めて演奏したというモブレーの「Rall Call」のことを言っているのだろう。筆者もライブでこの曲を初めて聴いた。突き抜けていく松島と悠然とウォームな岡のブレンドは、「バップ、いっスね」で勝負ありだ。20世紀半ばの黄金期に敬意を払うかの熱演である。開演に時に巻き戻そう。オープニングは「You Are My Everything」、多分松島の選曲だろう。トランペットが輝きに輝く。2曲目は岡のペンなる「Only One」、岡によれば“My One&Only Love”のチェンジを拝借しつつ原曲の“Only”と“One”を抜き出してタイトルにしたそうである。後で原が「リハ演らんかったらヤバかった」というナーバスな曲である。バラード指定席の3曲目は「Darn That Dream」、何故か最近この曲を最近よく耳にする。そして4曲目は先の「Rall Call」だ。2回目は如何にもハンコックらしい曲想の「Driftin’」で開始。続いて松島の「Treasure」、何度か聴いて耳に焼きついてしまった。3曲目は「If You Could See Me Now」、どういう訳かこの曲を聴くとH・メリルの歌唱を思い出してしまう。最後はK・ドーハムの名作「Lotus Blossom」に汗が飛んだ。喝采に乗ってアンコールは「I’ve Never Been In Love Before」。岡の参加は効き目十分のGroovin’ High!。
後日、札幌は記録的大雪となったので、その前にこのライブを聴けたのは実に幸運であった。一方、ドラムを務めた原にとって後に控えた3Daysが直撃されたのは不運としか言いようがない。歩道も閉ざされる中、意を決して中日のLa Coda with原を覗いてみた。原曰くバッチ(Bach)やチョピン(Chopin)など普段は演らない楽曲においても、原ワールドは至って揺るぎない。さすがの原師匠である。なお、本文に一度も触れていない本山については、別の機会に譲ることにしたい。
(M・Flanagan)

2021  レイジーバード ウォッチング

『Jazz is』。これは批評家ナット・ヘントフ氏の著作のタイトルである。「is」のあとに来るのは個々人のJazzに対する思いであり、特定の解はない。だからヨソからの縛りを喰らうことなく聴いていられる。これは結構大切なことのように思う。今年もソロから複数人の編成まで様々なタイプの演奏に接したが、それは偏に楽しみの幅の広がりとして受け入ればよいのだと思うが、どうだろうか?。さて、今年はどんなだっただろうと考えてみると、気分のうえで上半期はモヤモヤ、下半期は割り切りといった感じだ。思いつくまま振り返ると、6月までは常連の鈴木央紹、若井俊也、Unpluged Rockなどが記憶に残る。それと若井のライブに客演した村田千紘の「Blue In Green」が個人的には印象深い。7月以降になると時間制限と酒類禁止の中、皆さんがチビチビとウーロン・トゥギャザーしていた時の光景を思い出す。それはさておき、ライブの話に戻ろう。まずは三嶋のトリオだろう。毎度の手土産“東京バナナ”の皮1枚で滑らずにいた三嶋が満を持して連れてきたメンバー(加藤友彦(p)と柳沼祐育(ds))とのセットだ。このトリオは彼の自信を裏付ける出来栄えだった。連れてきた二人とも初聴きだったが、溌剌として引き締まったプレイは上々のものである。特に若き加藤の今後には大いなる期待を持った。そしてこのトリオは12月にも声がかかることになったのである。三嶋は辛口で知られるLB・AWARDにおいて堂々最優秀賞の栄誉に輝いたと聞く。そこで三嶋について一筆付け加えておく。彼は回を重ねるごとに充実した演奏を披露しているように感じている。思うに、三嶋にとってライブは課題発見と克服の結合になっている。人は本当のことに気がつくと嘘をつきたくなるものだが、実直な三嶋はそこに陥らず課題を正面から受け入れているように見える。演奏を聴けば、それが分かるのだ。ただし、それが受賞理由の一つになっているかどうかは知る由もない。8月にはLBの一帯一路戦略を牽引してきた米木さんのお出ましとなった。聞くところによると東京ミュージシャンはギグの中止・順延を後追いで穴埋めしていようで、ブッキングが思うに任せない事情下にあるようなのだ。そんなこんなで、今年は観測史上初めての1回出演になったのだ。演奏は山田丈造を招いてスタンダード中心に進められた。8時終了というのは残酷に思えた。お盆明けには松島・山ジョーの双頭ライブがあった。松島は演奏もさることながら、人柄だけでメシを食っていけそうな模範人だ。9月はLUNAの北海道ツアーの本体が中止になったが、ツアーの付録編は無事挙行された。ジャンルのルツボのような構成は特許もの。この路線は定着しつつあるようだ。月の終わりには原大力Week、オルガン入りトリオ(原、鈴木、宮川)のグルーブは益々磨きがかかっている。宮川が「上達すると演奏がつまらなくなる」と自身に警鐘を鳴らしていた。プロの世界は厳しい。10月に入っても時間制限は解除されていない。カニBAND北海道ツアーのオフに唯一設定された大口・林Quartet。林さんのドエラい音に会場が膨張した。11月にようやく制限解除となった。先鞭を切ったのが若井・壺阪・西村のライブだ。いいタイミングでいい連中が登場した。彼らにとっても客にとっても開放感が充満していた。これが本来のライブではないか。以後、怒涛の展開となって行く。昨年我々を驚かせた竹村一哲グループ(竹村、井上、三嶋、魚返)による『村雨』ライブだ。4つの個性の激突はスリル満点、一哲は改めて札幌の誇りであると確信した。こうなると気を緩められない流れにハマってしまわざるを得ない。小松・楠井・本山のトリオ。聴きどころ満載である。リーダーは本山、昔流の言い方を借りれば「どこに嫁に出しても恥ずかしくない自慢の娘」的な本山が余すとこなくこん日の力量を見せつけていた。いよいよ本年の最終月。待遇改善がかなった三嶋トリオの再演。「アップ・テンポの演奏で喜んでもらうだけが能じゃない」と切り出して“テネシー・ワルツ”なんぞを披露した。三嶋は演奏家としていいテンポを刻んでいるわい。そしてこのトリオをバックに待ちに待った池田篤。いつも池田には感動の予感が働く。蓋を開けてその通りになる。大熱演の締めくくりにどこまでも穏やかな「フォーカスセカス」には麻酔にかけられたような抵抗不要の気分になったのだった。今年の締めくくりはLUNA4DAYS。全部聴いたわけではないが、あぶない路線に円熟味が加わり、黄金期の浅草六区でも面食らいそうなSun Shine Of Your Liveでフィニッシュした。
今年も残り僅か、毎年、除夜の鐘の刻に何かを聴くことを習慣にしている。今年は何にしようか考えているが、LIVEものにしようと思っている。JazzおよびBeyond Jazzファンの皆さんよいお年を、そして2022もLIVEを楽しみましょう。
(M・Flanagan)

2021.12.9-10 Free Bird At Lazybird

池田篤(as)加藤友彦(p)三嶋大輝(b)柳沼祐育(ds)
「Free Bird」とは池田の直近アルバム名である。Bird、パーカーの演奏は機械的すぎるというような理由で好まない者が結構いるような気がする。しかし、彼の天才を否定する者は余りいないだろうし、その後に及ぼし続けた影響を否定する者はいない筈だ。「Free Bird」というタイトルはパーカー的なるものの最終確認の意味合いが含まれていると思う。“帰巣”とそこからのより自由な“旋回”と受け止めても良いかもしれない。詮索は程々にして、ライナー・ノートの最後の一行が池田の音楽家意識を平明に表しているので転載しておく。『さあ大変なことになった!次回はこれを超えるアルバムを作らなくてはならないからです』。池田の凄みは徹底したやり残しの拒否である。残渣を受け入れないのだ。聴いていて、池田はどこまで行ってしまうのだろうかと感ずる聴き手は少なくない筈だ。それは今日ここで人生最高の演奏をする、いつもその思いが池田にはあり、必ず彼はそういう演奏をするのだ。ひょっとすると若い時の方がスキル的に上回っていたかもしれないし、若い時にしか成し得ない音があることも事実に違いない。しかし池田はいつも往時を背負った今日を発信し続ける。池田の演奏に胸打たれるのは、それが生で伝わって来るからだ。このリアルな体感は消そうとして消せるものではないとつくづく思うのである。演奏曲は近作で曲名の紹介がなかったブルーズやバラード数曲のほか「Miles Ahead」、「You’re A Believer Of A Dream」、「Enter The Space」、「Is It Me?」、「Ceora」、「Infant Eyes」、「Rhythm-A-Ning」、「Star Eyes」、「ThisIDig Of You」、「When Sunny Gets Blue」、「Newspaper Man」、「Folhassacas」などである。
標題は“Free”と“Lazy”とのBird的な相性を問うてみることに端を発しているが“自由”と“怠惰”は馬が合うとの噂が広まっているらしく安心した。
PS.池田の前の日、リズムセクション三嶋大輝トリオの7月に続くLive Againがあった。これまでのところ、三嶋は勝負球を連投するタイプと思っていたが、ライブでよくあるモンクでつなぐような選択を避け、「テネシー・ワルツ」、「ビギン・ザ・ビギーン」といった楽曲を持ち出して来た。何んだか三嶋が半歩ほど近くなった。演奏曲は「Time After Time」、「North Of The Border」(B・ケッセル)、「Training」(M・ペトルチアーニ)、「Tow Bass Hit」(J・ルイス)、「Hindshight」(C・ウォルトン)、「Old folks」、「Fly Me To The Moon」など。ドラムとピアノは初聴きの人が多くとに思うが、柳沼のタイトさ、加藤のフレクシブルさに目を見張ったに違いない。これは、あるソフトリーな脅しに対して三嶋が命を張ったトリオである。
(M・Flanagan)

2021.11.17-18  本山禎朗 2021 ジス・オータムのカルテット&トリオ

11/17 鈴木央紹(ts)本山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
11/18 山禎朗(p)楠井五月(b)小松伸之(ds)
 この二日間は小松伸之週間の大詰めに位置している。筆者は小松の隠れファンなのだが、この両日に絞らせて頂いた。この二日間の選択は、荒くれ少年の告白に意中の少女が返す定番のセリフ「私にも選ぶ権利があるわよ」というのとは違う。過去に同じメンバー編成のライブがあり、その延長線上に眺められる本山の姿を確認しようという動機が働いているからである。昨今の本山から充実感が伝わって来ると思うリスナーは少なくないだろう。場数と研鑽によって彼は自らが意図する音楽表現を今では手に取るように出し切れているように見えるのだ。東京から来るミュージシャンとの共演は、過去において遠慮や自重が見え隠れしていたこともあったが、今それはない。今日に至る変遷と今日の演奏とがオーバーラップすると、音が音以上の装いを伴ってやってくる。今日は本山の音を聴き逃さないようにしようと、東京連に向きがちなこれまでの聴き位置から一旦座り直すことにしたことに誤りはないように思う。1日目はあの鈴木央紹入のカルテット、2日目はトリオという編成で、その違いも上々の組合せとなっている。カルテットの日は、予想通り我が国ジャズシーンの中央にいる鈴木がやはり圧巻の演奏を披露したことだけは言っておかねばならない。演奏曲は後にするが、とりわけ「Misty」における本山の演奏は、血がかよっているなぁと思いながら聴いていた。「本山これだよ」と呟いていたかもしれない。皆んなが盛り上がるアップ・テンポの曲も本山はフレームの強さを感じさせる隙のない演奏を繰り広げていた。トリオの日は当然ながらリード奏者がいない分、自由度が高められねばならない。そもそもピアノ・トリオはp・b・dsによる典型的な編成がなければピアノは随分困ったことになった筈だが、そうではなかったために激戦区になっている。多くの名演が残され、それとともにピアノ・トリオファンも大勢いいるだろうから、演っている側にしてみれば実は相当な重圧を感じているに違いないのだ。そこを攻略するには脇を固める連中のオリジナリティーが欠かせない。その意味で楠井と小松との取り合わせは申し分ない。両者とも辛島サウンド体験者なので緩むはずがないのだ。個人的にはもっとバラードを、と思っていたが良しとしよう。どの演奏にも温度・彩度・強度がバランスしていた。これ以上は脚色が過ぎてしまいそうなので、先を急ぐが、本山はソロ、フリーなどを含め多岐にわたる取り組みを行っている。それらが積分されて新たなる本山の立体世界が出現することを期待している。カルテットでの演奏曲は「Witch Craft」、「We See」、「Misty」、「Hey It’s Me Talking To」、「Laura」「Serenity」、「Long Ago&Far Away」、「Woodin’ You」、「I’ve Never Been In Love Before」、トリオは「Embraceable You」、「Boplicity」、「Pensativa」、「Worm Valley」、「Butch&Butch」、「Midnight Mood」、「All The Things You Are」、「Fingers In The Wind」、「The Song Is You」、「It Could Happen To You」。
 最近は来札する東京ミュージシャンのライブに限定した聴き方になっている。それは理由あってのことだが、2021の秋は地元の本山に拘ってみて、色々考えることができた。いつも冷静を味方につけていた印象のある本山だったが、この二日間で思ったことは、本山のネライは冷静からの脱却にあるのではなく、冷静自体を燃焼させることなのではないかということだった。去りつつあるジス・オータムのメッセンジャーから一言あるそうだ。MVP(Motoyama・Valuable・Pianist)。通過点として聞き留めてくれよな。
(M・Flanagan)

2021.11.6  竹村一哲G LIVE!『村雨』

井上銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
昨年春のこのグループによるLIVEはセンセーショナルなものだった。その時が初登場の井上銘に注目していたが、バンドとしての傑出したトータリティーに驚かされたものだ。その後、レコーディング計画が持ち上がっていることを耳にしていたが、程なくこの『村雨』がリーリースされたのである。一連の流れから待ちに待ったタイミングでこの日を迎えたと言っていい。午後8時、会場はいつの間にか人で溢れ、それはこの1年半余りにひと区切りをつけ、ようやく時計が動き出したかのようであった。竹村は決め事を極力排除することで、演奏するとは何かという追求心をグリップして離さないドラマーだ。彼を十代のころから聴いているが、懐かしさに微笑んでいる場合ではない。このグループは現時点における彼の集大成、つまり、実録竹村一哲ここに至る意味しており、彼の第一回記念碑なのだ。こっちも力が入るが、気分を鎮めて早々に演奏曲を紹介しよう。「MOZU」、「RN」、「悲しい青空」、「Spiral Dance」、「Normal Temperature」、「Vera Cruz」、「ノウ(板谷)」、「村雨」、「Lost Visions」。オリジナル曲が中心に構成されているが、思いもよらぬ「Vera Cruz」のイントロを聴いて、たちまち数々の名演を残して去っっていった津村和彦の顔が脳裏に襲いかかってきた。それに続きリスペクトと追悼の意を込めて板谷大の曲を演じたときは、その曲調が大らかな分だけ目尻の調整が効かなくなってしまった。感傷を取り除いて進めよう。既に述べたように竹村の目論見はメンバーの自由度を極力高めることにあるので、同一曲はいつも新曲に聞こえる。どのミュージシャンもそれを目指しているに違いないが、しかし、それを如実に体感できることはそう多いことではない。少しくらい遊んだらと思はないではないが、どこをどう切り取っても一貫して緩みがない。私たちはこの快感にヘトヘトになることを受け入れざるを得なくなったのだった。それでは、メンバーの様子を少しばかり振り返りたい。井上はジャンル横断歴なプレイヤーなので、普段は眠っている神経が覚醒させられる。敬愛するP・マルティーノ風フレーズを忍び込ませていたのもゴキゲンの上積みだ。兎に角、井上の演奏には努力では身につけられない資質の恵による華があるのだ。魚返の演奏は結構聴いているが、この日の止めるに止められないエモーションの噴出には、腰を抜かした。これは特筆しておくべきことに違いなく、これまでの見積もりの甘さを反省する。三嶋はいつも演奏が嬉しくて堪らないのだ。メンバーから新しいアイディアが提供されると必ずニンマリしている。LBのベース指定3席の一角を奪取するのはハードルが高いが、それ近づいているかもしれない奮闘ぶりだった。そして竹村一哲。全ての曲において後ろからの支配権を全開で行使していたように思う。細かいことは抜きにして、その途切れを知らない集中力に並々ならない意気込みが伝わって来る。堅実なサポートなどと言って済ます訳にはいかないのだ。纏めがたきを纏め上げた竹村に心からの賛辞を贈りたい。
余談になるが、入口の“本日のライブ”に、竹村一哲G・・・井上銘g・・・となっていた。Gはグループのことだが、開演前、彼らは談笑していた。“今日は大っきいのと普通のとツイン・ギターなんだ”。演奏中にそんな和んだ雰囲気は何処をどう探しても見当たらない。ライブから数日経た今も、LIVE!『村雨』が頭の中で鳴り続いている。
(M・Flanagan)

2021.10.29-30  壺阪健登3 スリリング・イズ・ヒア

壺阪健登(p)若井俊也(b)西村匠平(ds)
壺阪も毎年の顔になってきた。ブッキング基準については知らないが、少なくとも聴く気をそそることが真ん中あたりに位置しているだろうことは容易に想像がつく。では聴く気をそそるとはどういうことだろう。私たちには、日頃の煩わしい用向きから離れたいときに、気分を鎮めたり発散させようとしたりといった心理が働く。そこに音楽が待ち構えていることもあるだろう。けれども人がどのようなシチュエーションにいても、音楽はそれとは独自して成立している。そうとは言え、個々人のシチュエーションが音楽に潤いを期待するのは勝手な話だとしても、それを許容できることは音楽自体が決して敗北しない理由の一つであろう。どしてこんな問答を持ち出したのかと言えば、多くの音楽家が“何故音楽を演るのか”という問いに“音楽が好きだから”という平凡な答え以外は案外何も見いだせていないらしいことによる。“それが好きだから”という答えは平凡だが、音楽家もリスナーもそれを肯定的に受け入れているようにみえるのは、どう振り回しても否定しようがないからとしか言い様がない。平凡こそ長持ちの秘訣なのだろう。前置きが長くなってしまった。それでは本編へ。今日のメンバーはブッキングに相応しい聴く気をそそる連中といっていい。彼らは定期的に演奏してはいないが、夫々の個性についてはこれまでのLBライブで確認済みだ。壺阪についてはK・ジャレットを連想するとの声が聞かれる。筆者もその一人であるが、とりわけ長めのエンディングに向かってグルーブを引き出す構成力において、実際に教えを請うたような感じすらする。そこに壺阪がいまやっておきたいことがあり、その意思は十分伝わって来るのである。ドラムスの西村はやや間隔をおいての出番となったが、久しぶりの彼は、持ち前の男盛りの勢いを堅持しながら、繊細さが一回り磨かれていたように思う。時の鼓動が彼をして着実に前進せしめているのだろう。そして若井俊也だ。初めて聴いた時に感じた可能性から時を経たいま、このベーシストの手腕は計り知れない域に達している。ドライバーを何本持っているか知らないが、甘いネジの絞めどころが見つからない。このトリオの要たる若井はもはや予測より遥かに早く王道を歩んでいる。ここで迷いながら架空の話をするが、ライブ教習所のテキストには冒頭こう書かれている。安全運転は最大の法規違反である、と。先に平凡は長持ちの秘訣と言ったが、一発勝負のライブ演奏にそれは当てはまらない。彼らの生演はそれを証明しつつ走り過ぎて行った。演奏曲は「Tones For Joan’s Bones」、「Good Morning Heartacke」、「Mirror,Mirror」、「Little Girl Blue」、「Up On Cripple Creak」、「Come Rain Or Come Shine」、「Morning Morgan Town」「Delaunay’s Dilemma」、「Smoke Get’s In Your Eyes」、「Bye Ya」、「East Of The Sun」、「Boplicity」、「I Could Write A Book」、「It’s Easy To Remember」、「U.M.M.A」、「Of Course,Of Course」、「For Heaven’s Sake」、「Four in one」、「Shainy Stockings」。スタンダードからR・ロバートソン、J・ミッチェルまで壺阪の選曲マジックがこのライブに一層花を添えた。JAZZ無党派層の筆者はウグイス嬢になり代って連呼しよう、「壺阪、壺阪健登をお願いします」。
寒さ深まる当節はスプリングにあらずだ。標題は彼らの白熱パフォーマンスを讚え“スリリング・イズ・ヒア”とした。
(M・Flanagan)

2021.10.13  大口・林4 Jazz Advancing

大口純一郎(p)林 栄一(as)秋田祐二(b)伊藤宏樹(ds)
いきない脱線しよう。先ごろ亡くなったR・ストーンズのチャーリー・ワッツは自称“ジャズをこよなく愛するロックドラマー”だ。彼は少年時代にジャズに魅せられたものの、家にドラムを買える余裕がなく、そこで彼はバンジョーを改造してスネア代わりに練習を積んだという逸話がある。そういう出自をことさら美化するつもりはないが、後に名声を博するか否かに拘らず、おそらく50年のキャリアを重ねる演奏家の中にはそれに類する体験者がいると思われる。飽くまで想像でしかないが、演奏を聴いていていると林さんにもそういうことがあったのではないかという気になる。林さんのライブに接した機会は決して多くはないのだが、林さんに付き纏うイメージは長らく変わっていない。それは一貫してアンダーグラウンド感が漂っているような印象である。いわば公のルールでは裁くことの出来ない天賦の資質と言ってもいい。この日も演奏から演奏外の何か得体の知れないものを感じていた。筆者にとってそれが林さんなのである。一方の大口さんにもそれを感ずるのだが、溢れだす閃きは両者に共通していてもその質感には差異があり、それを直に味わうことはライブの重要な面白みである。それにしてもこの方たちのエネルギーはどこから湧き出してくるのか。数多くの音楽データが蓄積されているお二人の筈だが、おそらく“今日はこれまで以上にベストな演奏をする”、そういう演奏覚悟のようなものがエネルギーの出どころではないかと思えるのだが、どうだろうか。まぁ巨匠評は二の足を踏むもので、本文は欠員レポーターのトラとしてチャーリー・ワッツに援護して貰った次第である。演奏曲は「Goodbye pork pie hat」、「Four in one」、「You don’t know what love is」、「回想(林)」、「Better get hit in your soul」、「New moon(大口)」、「What is this thing called love」、「ノー・シーズ(林)」そしてアンコールはブラジルもの。上昇しながら構築する曲も、横へ横へと流れていく曲も独自性に溢れていたと思うのであるが、おしなべてタフな演奏の連続だった。従って、ベースもドラムスも心身ともに運動性量が限界に達していたのではないかと思われる。上手いこと言えないが、おどろおどろしさに咲くファンタジーがこのライブだ。
 実はこのライブ、カニBAND北海道ツアーの谷間に嵌め込まれた唯一のカルテット企画である。そこに惹かれて来られた人もいたようであるが、分かるような気がする。
ところで「Jazz Advancing」とはいまなお前進して止まない御大に捧げた標題である。その出典はセシル・テイラーの「Jazz Advance」だ。芸術家の家計簿は知名度ほどにはアドヴァンスしていないんだろうな(泣)。
(M・Flanagan)