2024.4.4 ~ 20周年記念LIVEの快楽演


 Lazybird 20周年の記念を前に思いだしたことがあった。一つは名演の数々を差し置いて開業前の内装を拝見したときのことだった。その時点では前のテナントの名残があり、現在あるカウンターや椅子・テーブルは未だなく、壁が斜めになっている箇所(現在のドラム・セットのあたり)を見て、何がどう設置されるのだろうかと気を巡らせていたこと。二つ目は、晴れて工事が終了して暫くの後、同時営業していた隣接ビルのGROOVYを閉じてLAZY一本に統合するに際し、ボランティア数名で命のレコード・CDを一斉に移し替えすることになるのだが、作業段取のリハに真面目さを欠く人物がいて、本ちゃんで所定箇所に配置されず大顰蹙となる顛末があったことだ。1年を20回転させた歳月は、それを笑える想い出に変容させている。番外エピソードに時の流れを感じながら本論に入いろう。記念LIVEは初日から一人増え、二人増えと厚みを加えながら、来つつ去りつつの終盤は札幌の中核連合との手合わせとなっていった。これは1年のブッキングを短期間に凝縮したものと言えるものだ。因みに東京でも実現できない編成がLAZYで起こってしまうのだとミュージシャンが口を揃える。つまり今回も異例が規則になっていたのだった。
4.4 壺阪健登(p)楠井五月(b)本田珠也(ds)、4.5 プラス鈴木央紹
 両日ともに壺阪仕切りだ。このメンバーの中だと彼は新世代に属する。普通の実社会なら若手に対し「お前にはまだ早い」的な空気が支配的であろうが、音楽では相互にインスパイアしていく度合いがその価値を決定づける。まずはキーマン壺阪がどう持って行くのか楽しみだ。予め選曲の構成をお知らせすると、壺阪のオリジナルとスタンダードなどが半々となっていた。オリジナル曲の核心は自作であるという事実よりも、独創性の「有無」によって真価が決定されるだろう。とすれば、壺阪の曲は「有」の側にあるだろう。それをプレイとどうリンクさせるのかが、普段にない編成での彼に課せられたミッションだ。筆者は壺阪が来た時はほぼ聴いてきた。その延長線上に今日もあるのだが、彼の躍動感が作りだす”うねり”に巻き込まれて、じっとしてはいられない状態を再体験できたことは報告しておきたい。他の人は壺阪をどう感じているのだろうか。奇しくも横に座っていた旦那さんが「初めて聴いたけど、藤井聡太のようだ」と語りかけてきた。超賛辞と受け止めるしかないだろう。演奏時間が押してしまうことは想定内だったが、”二十一世紀旗手”にバラードがもう一曲欲しかったと次回に向けておねだりしておく。他のメンバーについて触れておこう。楠井を初めて聴いたのは数年前にピアノとのDUOでやって来たときだった。その超絶技巧に細い目が丸くなった。だが超絶過ぎて、歌っている部分が上手く捉えられなかった思いがある。その後聴く機会を重ねにつれ見晴らしが良くなってきたのに気づく。それは単なる耳慣れによるものではないことを言っておきたい。今に始まったことではないが、アルコを入れるタイミングと音色にはハッとさせられたな。続いて本田珠也、先ごろホーム・ページに掲載された「わが青春の10枚」を読んでいると、彼が如何に多様な音楽に接し、課題に向き合ってきたのかが秘話を通じて伝わってきた。とかく気丈さ一点張りと思われがちな彼の演奏家像は、時として歩を休めながら随分思案してきたことが分かる。珠也が発する強さと繊細さはA面とB面の関係のように一つの作品になっているのだろう。彼の持論とする和ジャズの実現に立ち向かう姿は、目の前の感動劇そのものに映る。何故か分からないが「新しいことをやるには、習い覚えたことを忘れてしまうことだ」と含みのある発言をしていた洋輔さんを思い浮かべていた。いつもながら8系の音出しにブルっとした。彼は記念事業に欠かせない。珠也の来年今頃のスケジュール調整を急いで欲しいものだ。そして最後に駆けつけてきた鈴木央紹。意表を突かれたのは、これまで耳にしたことのないアブストラクトに爆走する演奏があった。本人は「なんちゃってフリー」と言っていたが、きっちりコントロールされていたのは流石だ。それはさておき、彼の演奏を聴きながら思っていることがある。彼の信条は曲を作った人に恥じない演奏を心がけるということだ。この自己約束こそ彼の演奏の深みと通底している。絶えずそれを実践し続けていることに真の実力というものを感じる。上っ面と無縁の地平は一体どこまで続くのだろう。気になって終演後、本人に確認したところ今年LAZYでのブッキングはないと言っていた。残念なことだ。では演奏曲をお知らせする。4/4「Stella By Star Light」、「Isolation」、「暮らすよろこび」、「Smoke Gets In Your Eyes」、「子どもの木」、「Quiet Moment」、「It’s Easy To Remember」、「Bye-Ya」、「Four In One」、「Little Girl Blue」など,4/5「Time After Time」、「Never Let Me Go」「酒とバラの日々」など。
 神妙な面持ちで大区切りのライブを振り返ってきたが、ようやく頭がほぐれて来た。これだけのメンバーが結集するとレイジーの敷居が高くなる。実際の話、油断のあまり入り口で躓いてしまったが、幸いマスターよろしくケガなく良かったわい。それはさて置き、4/7の里奈3+珠也+鈴木と4/9の鹿川3+鈴木を聴いて筆者のお勤めは終了した。なお、重責を担った壺阪が7月末に小曽根真氏の企画によるピアノの競演が決定しているので(@キタラ大!ホール)、熱心なファンと中途半端に多忙な人は是非ともキタラで壺阪の雄姿を御覧あれ。もう一つ、数日前に鈴木は今年のブッキング未定と言っていたのだが、最終日に8月の再登場があることが判明した。こちらの方は多忙を極めていても、目標を外すことのないよう覚悟のほどを。LAZY20周年、誰しも同じだけ年齢が嵩むことになる。この度のような快楽演に巡り合うと、人生Warm馬齢を重ねていてもムダなことばかりではないと思うのだ。
(M・Flanagan)

2024.3.14 田中朋子Original Night

田中朋子(key)奥野義義(as、bs、fl)岡本広(g)斎藤里菜(b)竹村一哲(ds)
この夜は標題のとおり、田中朋子さんの作品集である。オリジナル作品のみの演奏と告げられて、我が意を得たりと思わせることは、そうそう多くはない。私たちはオリジナル作品について、熟す前の果物が出荷されているような印象を持つことがあることに薄々気づいているからだ。朋子さんの曲はその難を逃れていると常々感じており、筆者のみならずここに異論をはさむ余地はないと察する。ここ数年前から朋子さんは鍵盤ハーモニカを常備していて、アコースティックとは異なる味わいを付加している。曲にもよるが、フェリーニがいたら「私の映画に使わせて貰えないか」と申し入れがありそうな情緒豊かな音色が気を引く。毎度のことだが、朋子さんの演奏を聴いていると頭の中に過去の映像が映し出されてくる。ご本人の語りにもあったが、いくつかの曲において彼女がここレイジーで共演した今は亡き臼庭、津村、セシルの想い出深い演奏光景が滲み出てくる。その光景はかつては重々しいものであったが、今はスローに宙を横切るという風になっている。こういう思いの去来を通じて、田中朋子さんのプレイにはその演奏容量を超えた記憶が収められていると感じてしまう。喝采を送りつつ、柄にもなく感傷を隠すのに一苦労してしまった。この日はSextetというLB標準からするとやや大き目の編成で、時に華々しく賑わい、時に深いところに向かって偲び行く。何れも重厚な仕上がりと言えるものだ。この日は奥野の本邦LIVE初公開となった貴重なバリトン、時々アナーキーな岡本さんの歌いっぷり、菅原の抜いたフィーリング、一部高齢者の基礎票を着実に固めている里菜夫々の巧みさと調和がここにはあった。一人抜けている。「一哲、いい仕事してるよな」と掛けた帰り際の一声を以てレポートを納めよう。Original Nightの演奏曲は「Blues For Lazy Bird」、「Alkaid」、「Day Dream」、「母の絵」、「Hope」、「道くさ」、「Requiem」、「Life Long Friends」、「Vega」。
 終わりに朋子さん今後についてお知らせしておきたい。今年はレコーディングを構想しているらしい。その頼もしき意欲には敬服する。なお、5月にはまたこの編成でLIVEが計画されているので、是非お運びのほどを。
(M・Flanagan)

Psnjab

2024.2.16 田中菜緒子TRIO feat.平田晃一
田中菜緒子(p)平田晃一(g)若井俊也(b)柳沼佑育(ds)
 緊急告知があったとおり、曽我部泰樹(ts)が都合により不参加となったことに伴い、噂のギタリスト平田が代役を務めることになった。筆者はあいにく彼を存じ上げなかったが、LBのホーム・ページには「若手NO.1の」と記されていた。信ずるしかない。豪快な曽我部のブロウに諦めを付けたとき、このNO.1からの受けた第1報は洗練だ。まだ20才ちょい超えのこの演奏家から総じて研ぎ澄まされたものを印象付けられた。思うのだが、あっという間に過ぎ去る思春の期の意識は生煮えの熱意をあからさまにしたり、思いの丈を静かにに煮詰めていったり、その中間に身を置いたりタイプは様々だろう。平田は一見静か派にみえて、そこには熱い派を潜在させているようにも思える。こうした混み入った思いに至らせしめたのは、平田が大人然とした演奏をしていたからだ。伝え聴くところに依れば、彼はB・ケッセルほかジャズ・ギターのレジェンドのみならず、ジャンルを問わず幅広く音楽遺産を耳に蓄えてきたそうである。そのことを知り「成るほど」と思った。いま現在の彼が選択しているのは王道中の王道であるが、その彼はエモーションを露出し過ぎない処に立ち位置を定めているように思える。それが大人感の源泉となっているに違いない。今回は平田の持ち味をしっかと確認したが、今後どうなって行くかは興味津々ではある。おっと、筋立てを誤ってしまった。本ライブのリーダは田中菜緒子ではないか。彼女は毎年この時期に顔を出していて、今や馴染みの1人だ。前述のように平田に焦点を合わせててしまったため、入りの文脈が前のめりになったが、それもそのはず今回の彼女は平田を如何に引き立てるかに徹していたように思うのだ。因みにこの前々日にVocalのNAMIさんとの手合わせがあったが、後ろに回っていい仕事をすると感心させられたものだ。彼女の演奏は素人さんのようなMCと全く対照的な玄人さんそのものに他ならないと言い切ろう。演奏曲は概ね著名な曲とオリジナルとの半々の構成だ。「Punjab」、「Mine Mine」、「Monochrome」、「Willow Weep For Me」、「Costello」、「Nobody Else But Me」、「Estate」、「Monk’s Birthday」、「I Remember Smile Again」、「My Ideal」。他のメンバーについてちょこっと触れておく。柳沼は来るごとに番付を上げている。それが証拠に微塵も「俺が俺が」に流れずタイトなサポートを絶やすことがない。いま「渋いドラマーは?」と問われれば、「柳沼」と口を滑らせてしまい兼ねないな。そして心身ともに風格すら漂う若井俊也、彼はサウンドの整体師のような存在だ。如何なる状況にあっても体幹の歪みが見当たらない。こういう土台に乗っかていれば、住み心地が悪かろう筈がない。ついでながら「Costello」は珍しく若井のオリジナルで、そのタイトルは世話になった店の名前だという。早速「もっと世話になっている店があるだろう!」という不服申立ての声も聞かれた(笑)。いずれ何かいい土産を持ってくるものと期待しておこう。それはさておき、このライブをLB常連の魚返明未(p)が音楽担当を務めた映画になぞらえて言えば、田中菜緒子の『白鍵と黒鍵の間』に全員ピタリと嵌まっていた。この印象を田中のお国言葉にすると「気分が上がったばい」となるたいね。
(M・Flanagan)

2023 Lazybird ウォッチング

 
1年を振り返る時期になった。困ったことに、LIVEを基礎づけるその場の音とその場の光景が月日の経過でバラけてしまった。こういう時は、後退途上国の流行語を手懸かりに1年間を『しっかり精査し、適切に対応する』ことが宜しそうだ。ついてはこの路線で逃げ切りを図りたい。今年の突破じめはKANI-BANDだった。必ずしも聴く機会が多いとは言えないフルート(小島さん)が入ると、サウンドの暴れ度が変わることが分かり楽しませてもらった。曖昧な記憶をカットして勢い2月。渡辺翔太トリオ(b俊也、ds一哲)あたりからリスナー軌道に乗ってきたと思う。このピアニストへの注目度は高い。自分のものにしている閃きがある。中でも喜劇王の「Smile」にはこっちもニコッとさせられた。まだ年の序盤で戦局が定まらない中、早くも大手がかかった。翌日から脳の半分以上が音符で占めていると言われる鈴木央紹が参加し、名曲と名演の大つばぜり合いが展開された。またまた振るえが来てしまう(俗称フルエル・マータ症候群)のであった。3月もフロム東京組の豪華合わせ技で、田中菜緒子トリオ(b俊也、ds柳沼)に始まり、一夜を越すと松島啓之と池田篤が加わる展開だ。トリオの方は田中の個性的なオリジナル曲が中心、知らない曲もベースとドラムスのタイトなサポートによってピアノが小気味よくスイングする。菜緒子も固定席ゲットに意欲を見せているようだ。そして黄金のツー・トップ、夫々のソロをぐるりして解決へ向かう2管のアンサンブルはスリリル満点、何と気持ちの良いことか。4月に入ると敏腕プロモーターの底力の見せどころ、19周年企画だ。ハクエイ・キム、米木康志、本田珠也のトリオを皮切りに翌日から峰さんが参加してくる。久し振りにハクエイを聴きたいと思っていたので、余りにタイミングがよろしい。曲も演奏もオリジナリティーに富むのを再確認した。余談になるが、父親がハクエイの知り合いという道内在住の娘さんが聴きに来ていて、会話を弾まさせていたのは喜ばしいひと時だった。さて、詳細は省くがレジェンド峰さんの並外れたエナジーはMr.Monsterそのものだ。極め付けはジョン・ルイスの「ジャンゴ」だ。峰さんが幾重にも刻み続けてきた音の年輪に挟みつけられるようで、身動きを完全に封じられた。なお、これは珠也の選曲だったらしく、会心の一撃はプレイその他にとどまらない。時がどんどん刻まれ5月になる。この月はゴールデン・ウエークが絡むので、従来はひと山作られてきたが、コロナの制約フェーズ切り替えとなったためか、数年来にわたり全国的に中止・延期を余儀なくされていたLIVEが本格的に後追い調整され始めて来たのだと思われ、ブッキングに苦慮している様子が窺える。そうして半年を経過しようとする6月。この月の恒例となっているミュージシャンが登場してくる。まずは松原依里(Vo)を聴くことができた。最近はヴォーカルを聴き損ねていたので、この実力派の歌に触れHotさせられた。月の締めくくりは何と言っても大石・米木だ。ここんところ、このDUOでは米木がエレベに持ち替えている。個人的には、グルーブの異質性から、エレベとウッドは別楽器に思えていた。そしてこの日もそういう聴き方をしていた筈である。ところが、エンドを飾った大石の「ピース」を聴いていて、楽器がどうのこうのという思いは消えて飛んだ。説得力のある演奏ってこういうことなんだな。7月は「内地」からの攻め込みがなく、本山・Nate、昼下がりのクラシックなどを聴いた。8月は早々に竹村一哲バンド(g井上銘、p魚返、b三嶋)だ。道東を起点に幾つかの会場を回り、ツアー締めくくりのLIVEがここに実現した。各地で盛況を博したと聞く。彼らのサウンドは、ぶ厚さの中に華麗さが織混ぜられており、さすがの猛暑も逃げ場を失ったのではないか。とかく井上銘に脚光が浴びがちではあるが冷静になろう。彼以外は割と頻繁に聴ける機会がある。いま聴いておくおくべきだ。ここでちょっとブレイクさせて頂く。LBと縁の深い臼庭潤が他界してから19日で13年も経ってしまった。だが彼の演奏はいつも昨日のことだ。この日は彼が追及したJAZZ-ROOTSを偲ぶことにしている。まあ臼庭は湿っぽいのを嫌うから、長居せずに9月に行こう。鈴木央紹の”Stars”リリース記念LIVE(g荻原亮、b若井俊也)がやって来た。セールスに影響するので、余計なことは言わないことにする。このライブの完成度は本年屈指。購入して出来ればそれなりの音量で聴くことをお勧めする。月の半ばにはLUNAの「ジャズ」ライブ(gネイト、b柳)、「ペシャワール」などのオリジナルのほか「竹田の子守唄」など、歌いきっているのが記憶に残る。10月にはドット・プッシュのトリオ版(p魚返、b富樫、ds西村)と池田篤が加わるカルテット版。還暦に至るも意欲に衰えを見せない池田と若手・中堅の一歩も引かないせめぎ合いだ。オリジナルを基調とするプッシュの曲に堂々乗り込んでいく池田は実にカッコいい。月末に急遽決定したKurage-Mini-Band、頗るユニークな演奏で中島さち子にメンバー分を含め座布団3枚。いよいよ11月に突入。低空飛行を伴わないフライトはない筈なのだが、今のところlazybirdは上空高いところばかり翔んでいる。そして更に高度を上げようというのだ。世にいう令和の”大催し”だ。先陣を切ったのは松島のカルテット(p本山、b三嶋、ds一哲)だ。いつも松島のプレイにはワクワクさせてもらっている。周囲の人々も同じに違いない。聴いていると何だか自分にも運が回って来そうな気になる。改めて素晴らしいトランペッターに感服。そしていよいよ鈴木央紹参上。前記(9月)の”Stars”とのセット・アルバム”Songs”のリリースに歩調が合っている。彼については何度もレポートしているので、借りネタだけを垂れ流すつまらないジャズのような書きぶりになりはしないかと萎縮気味になる。そこで理屈っぽいことを排除することにした。筆者は鈴木をゲッツと同じレベルで聴いているのだ。この実感をもってまとめとする。そろそろ息が切れてきた。LIVEは宝クジではないから引けば当たる確率が高い。来年もこういう安心できる博打に賭けたいものだ。その意欲を途切らせないためにも、怠惰>成実の人生観に磨きを掛けて行くとしようか。今年の駄文をチラ読みされた各位にお礼を申し上げておきたい。最後に生演奏をレポートすることについて、右手を胸に充てて言い訳する。生聴記よ永遠なれ(笑sometimes泣)。
(M.Flanagan)

2023.10.31 Kurage Mini Band


中島さち子(p) チェ・ジェチョル(Changu) 小林武文(ds)
 これはピアノと打楽器2つのレア編成である。レアと言えば”Changu”という楽器を初めて見た。これは韓国ではごく一般的らしく、我が国で言えば和太鼓に相当するのだろう。その形状は丸太りの砂時計風だ。折角なので当人に簡単な解説を求めたところ、3つの音程を基礎としながら上部と下部を繋ぐロープに結わい付けられた留め具をスライドさせて変化をつけるということであった。急遽決定したこのライブの狙い目は「ジャズと民族音楽の掛け合わせ」ということになっている。日頃からジャズをジャズとして意識しながら聴くこともないので、まして民族音楽について考えることは殆んどない。ただ耳に入ってくるリズムに「おやっ」と思うようなときに、それが民族音楽と称されるものであったりする。民族音楽というのは地域の土着性に根を持つ音楽であって、そもそも他の地域に広がることを求めない音楽だと思う。結果的に影響が広まることがあったとしてもである。この文脈の流れは何処から来たかというと、三人が先ごろエチオピアに行って音楽交流して来たという話があったことによるが、まぁ気合い入っているわ。粗い感想を述べさせて頂くと、中島がジャズ、チェ・ ジェチョルが民族音楽、小林が両者の橋渡しの役割を担っていて、トリオとして本日の主旨にアクセスしていたと思う。選曲は中島のオリジナルが大半を占めていたが、半ばで挿入されたチェによる韓国の”民族音楽”の独唱にはグサッときた。集落の祭事に欠かせぬ歌なのではないかと想像した。世に知られる「アリラン」や「イムジン河」とは異なる印象を受けたのだ。またラストで中島の代表曲「灼熱」を聴けたことも嬉しい。Kurageの由来は分からないが、世界の音楽をゆらゆら漂う意思表示ぐらいに受け止めておく。「ジャズ☓民族音楽」LIVEに型破りな感じはなく、寧ろ万国に連なろうというコンセプトから発案されたのだろうと思うに至った次第だ。
 中島は5、6年前になるかと思うが米木康志、本田珠也とのトリオで演奏していた。この取り合わせが何所から来たのか不思議に思っていた。彼女がMCで本田竹広氏に師事していたことに触れ、疑問が氷解した。本田さんの曲を採り上げてもいた。何より演奏に本田因子が散りばめられていることが了解でき、繋がるべきものが一気に繋がったのだった。
(M・Flanagan)

2023.10.13~14  .Push Trio & 池田篤のTowDays ・Tow Ways


池田篤(as)魚返明未(P)富樫マコト(b)西村匠平(ds) 
 このTow Daysは初日がプシュの選曲、二日目は池田の選曲によるという意味でTow Waysだ。つまり私たちは、一枚の絵から二通りの鑑賞が可能となっている。これまでのプッシュのアルバムはオリジナル曲で固められており、ここでも概ねそこからピック・アップされている。池田の方はスタンダードとオリジナルが相まじえての選曲だ。初日の演奏曲を列挙しよう。「WANA BI」、「時しらず」、「Old Folks(これはスタンダード)」、「ORA 2」、「High Step Corner」、「Lonly Bridge」、「Tiny Stone」、「照らす」。よほど熱心なファンでなければ知らないだろう。しかしながらプッシュのオリジナルはシンプルで親しみやすい。数多くの曲を提供している西村も魚返もJazzのみならず昔のポップな曲を含め、幅広い分野の楽曲に精通していることがその一因としてあるのだろう。これが耳の琴線を心地よく弾くのだ。池田は(多分)初見になる彼らの曲を違和感なく受け入れていた。彼は小手先であしらう様なことをしないし、得意技で纏めるような方法に依拠することもない。そうしたプロとしての矜持が渾身のプレイを促すのだ。だからプッシュのどうにも止まらないエナジーに対し、存分にキャリアを重ねてきた池田は格上として受けて立つように振る舞うことをしない。だからこそ四者の音圧がひと塊のJazzとなって会場を埋めつくして行ったのだと思う。二日目の演奏曲は「On The Trail」、「Never Let Me Go」、「Subconsciouslee」、「For A Little Peace」、「Out Of Africa」、 「UGAN」、「Long Vib On The Blues」、「Every Time We Say Good By」、「Flame Of Peace」、途中、池田のノン・タイトル2曲が採り上げられていた。池田を長らく聴いてきたが、ここ10年ぐらいを切り取るとキレッキレの高速演奏もバラードも辛口ではあれウォームになっているというのが筆者の見立てである。そういう視点で池田の音色に舌鼓を打つことは筆者にとってこの上ない喜び事なのである。折角の機会なので、締めくくった後、粒ぞろいの演奏の中から「Every Time We Say~」にジーンと来たことを池田に伝えた。すると池田は「シンプルな曲って、普段から手入れしておかないと、扱えなくなるんですよね」と応じてきた。また噛みしめるものが増えてしまった。今回は前日(10/12)のプッシュ・トリオ(1年前はナーテー曽我部入りのカルテットで来演)の熱演に感服させられたことを付け加えておくが、それとともに思い浮かべていたのは、LBでの東京で活躍する生きのいい若手を聴くシリーズで期待値がハネ上がった連中は、今や日本のジャズ・シーンを担う段に来ているということだ。そんな時に彼らより手前の世代である富樫が現れてしまった。先輩格はウカウカしてられない。人生、逃げ足より追い足の方が速いから十分気を付けた方がよさそうだ。何はともあれ二日間のTow Ways「ごっつあん」でした。角界用語を使ったついでに付け足そう。ご存知だろうか外国籍で初めて関取になった高見山という力士を。この人はいつも自らの相撲信条を「押して押して押す」つまり「Push,Push&Push」と語っていた。奇策を排し「Push」を貫く取り口は彼をして多くのファンを獲得せしめたのである。このライブを聴いていると、時を隔てて古い記憶と繋がってしまった。謂わばドット・プッシュによる『”唸らせられたで東京』と言ったところだ。
 すこし慎重に仕上げよう。「芸術とは真実を気づかせるための嘘である」と言ったのは、かのパブロ・ピカソである。今回のライブからはどうにも”嘘”が見つからない。例外のない名言はないということか。ここでもう一つ。筆者は”嘘”のない広告代理店を気取って、”真実”の宣伝を付け加えておきたい。最近「白鍵と黒鍵の間に」という映画が公開された。この音楽を担当しているのが魚返である。札幌でも上映されるであろうから、誘い合って魚返のニュー・シネマ・パラダイスを観に行こうではないか。
(M・Flanagan)

2023.9.14 LUNA の前転先祖返り

LUNA(Vo) Nate Renner(g) 柳 真也(b)
 ここ数年、LUNAはバク転的活動に芸能人生を割いていたようだが、順序からいって人みな前転が基本であり優先される筈だ。そんな逆転現象のためか「Jazzやってるの、やってないの?」という疑念交じりの半苦情ーンズな問いを突きつけられていたらしく、後ろ髪を引かれる思いでこのほど意を決した”Jazz Tour In 北海道”なる看板を持ち込むに至ったそうである。かくして日々道内の犠牲心を厭わないメンバーとともに、各地を行脚した最後に LBにて千秋楽を迎えることになったのだった。大相撲でいえば千秋楽は15日目、このライブは9月の14日で千秋楽には届かない。2日分の頑張りを見せて貰おうじゃないの。この日数カウントの理屈はヘンテコだけど、それでイイのだ。さて、周知の通りベースの柳とLUNAは、古くから共演を重ねている仲だが、一方のNateとは初共演ということだ。この日は幾つか日本の曲が採り上げられており、Nateの日本力が本物であれば日本帰化の第一関門突破を認定するというウラの課題も入っていたようだ。私見では概ねNate色をキープしながら相応の出来栄えであったように思われた。話は変わるが、個人的に60を過ぎるころからVocalに接する機会がかなり増えたという実感がある。それは誰かが「60くらいになると、ルイ・アームストロングのように”What A Wonderful World”を歌うことに憧れる」と言っていた一文を目にした時期と対応している。そんなこんなで色々聴いていると、歌唱力やセンスを基準に気に入っただの入らないだのと断を下していたことに”ちょっと待て”を掛けることになっていった。それは”声の質“に重きを置いていなかったのではないかという自問である。インストものでは”この人にしてこの音色”という聴き方をして来たにも関わらず、Vocalには脇の甘さを露呈し続けていたのだ。以後、単にアクが強いとか美声であるとかを超えて”この人にしてこの歌声”というような歌い手と声との一致関係のことを気にするようになったと思う。それまで多くの人が当然視していたであろうことに、筆者は相当遅れを取っていたのである。本日のLUNAも聴くと直ぐに分かるシンガーだ。いま筆者は”声の質“は個性に欠かせぬ重大要素なのだという思いを強くしており、その軸をズラすことなく「Jazz Vocalist」LUNAの”声の質“に寄り添って聴こうとしていた。そして進み行く内に長年に渡り累積表現されたLUNAの”声の質“に更なる深みが加えられているように感じ取ることができたというのが結論らしきものである。そろそろJazzにされてしまった曲を紹介することにしよう。「Summertime」、「深淵」、「Summer Song」、「竹田の子守唄」、「Hand In Hand」、「A Case Of You」、「挽歌」、「Early Autumn」、「夕暮」、「Peshawar」、「Wind Of Fields」、「Blues In C」、「Tow For The Road」、「Destination Moon」、「Everything Must Change」。どうやら前転先祖返りは成功だったようである。
 因みに「A Case Of You」はカナダの国宝ジョニ・ミッチェルの曲だ。勿論LUNAの選曲によるものだがNateは同郷の大ミュージシャンに対して余すことなく母国愛を込めた演奏をしていたように見える。そこから察するに、まだまだ帰化は難しいな。
(M・Flanagan)

2023.9.1-2  鈴木央紹 完璧トリオ

鈴木央紹(ts)荻原 亮(g)若井俊也(b)
 ライブに行こうとする時に迷うことなく足が向く演奏家が少なからずいる。鈴木央紹は間違いなくその一人だ。こうした演奏家に巡り会えることを世間では「幸運」と言ってるらしい。その鈴木のニュー・アルバム「Stars&Smiles」がリリースされ、絶好のタイミングで今回のトリオ・ライブがブッキングされた。鈴木と若井は出演番付の上位者なのでお馴染みだが、荻原はおよそ5年振りのブランク永井だとなる。いずれ実力者なのだが、何と言ってもテナー、ギター、ベースという編成が魅力的だ。鈴木によればレコーディングに当たって、夫々がブースに入るのではなく、敢えてフロアに三者揃って演奏する方式を採ったということだ。つまりメンバー同士が息遣いをキャッチしたりアイ・コンタクトが十分可能となる条件設定だ。このシチュエーションは客を入れないライブに相当するので、演奏に仮想の臨場感を持ち込むことを狙いとしていたのだろう。その仮想を剝がしたのが、このLBライブということになる。何でもレコーディングに当たって、50曲をほぼワン・テイクで収録し、そのうち20曲をカット、30曲を厳選して2枚のCDにまとめたということだ。その第一弾がこの「Stars&Smiles」になっている。ライブでの選曲はそこに収められた曲を中心に進んで行く。その曲群を紹介する。「So Many Stars」「Milestones」「Wrap Your Troubles In Your Dream」「All My Tomorrows」「Groovin’ High」「Lucky Southern」「Little Willie Leaps」「Dreamsville」「You Say You Care」「Someday My Prince Will Come 」「Turn Out The Stars」「Hullcinations」「The Touch Of Your Lips」「Where Are You?」「Baubles,Bangles&Beads」「Get Out Of Town」「I’m Old Fashioned」「I Cover The Water Front」「Peri’s Scope」「Moon River」。筆者の狭い聴き歴で恐縮だが、ここにはよく聴く曲とそうでもない曲が混在している。途中で不思議に思ったことがある。それはどの曲も耳馴染みあるように感じられたことだ。答えは向こうからやって来た。鈴木のMCで「ハーモニーへの気遣い」についての語りがあった。我々の耳にすぅ~と入ってくるのは矢張りスーパー・ハーモナイズされた彼らの演奏によるものだと考えれば納得できる。バンマス仕切りのもとギターとベースは全曲について手を休めるひと時もないハード・ワークだ。鈴木スキ無し、荻原ミス無し、若井ムダ無し、我ら言うこと無し。言わば会場が調和していたのである。これは「完璧トリオ」によるパーフェクト・ゲームだ。終焉後、そこはかとなくドラムが入る時入らない時談義が聞こえてきた。どこかの空の下で「原たち日記」がアップさていたかも知れないな。なお、シリーズ第二弾は歌モノを揃えた「Songs」というタイトルで、近くリリースされることになっている。これに合わせて、11月に再び鈴木がやって来る。北区役所に転入届を出す勢いの長期企画であるらしい。皆さん「幸運」に巡り会うべく聴きに来てみなはれ。
(M・Flanagan)

2023.8.4-5 竹村一哲 BANDの”もはや彼らは”

井上 銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
 これは北海道ツアーの締め括りライブである。先行の道東2カ所(釧路、帯広)でも大盛況だったことを事前に聞いた。その勢いよろしくLB4度目の来演を迎えた。「いい演奏出来そうな店ですね」、初演のときの井上銘の一言を思い出す。以後、井上の予感が的中して今回に至っている。このバンド、芸能界的な次元では井上がセンターに君臨しているが、それは適切とは言えない。実体的には夫々が存在感を譲らない4人編成だからだ。魚返も三嶋も別建てでLBライブを重ねているので、その実力は実証済みだ。こう言ってしまうと、結論が見えてしまいそうだが、お墨付きも折り紙も付いている連中だから止むを得まい。では、完成状態で発展を止めないBANDを聴こう。まずは演奏曲を紹介する。「WE」、「The Lost Queen」、「Shinning Blue」、「Twilight」、「神のみぞ知る」、「Normal Temperature」、「妄想歩く」、「Chicken Rock」、「R M」、「悲しい青空」、「Spiral Dance」、「A」、「Mozu」、「No」、その他Non Title曲だった。大半が各自のオリジナルで占められている。最近は三嶋も曲作りに意欲をみせていて、今回も2曲提供している。失礼ながら彼は割とウラオモテのない一本気な人物だと思っていたのだが、曲想もタイトルも条理に収まらないものとなっており、ヒトの特性である矛盾を抱え込むことが垣間見ることがでる。知られざる三嶋の一面が妙に嬉しい。三嶋に寄り道してしまったので、ファンを代弁して他のメンバーにも触れておく必要があるだろう。井上は伝統を押さえた上でのスタイリシュなギター・ワークに抜群の冴えをみせ、何よりクライマックスに向かう演奏の創り方に圧倒される。魚返はリリカルな演奏に傑出する一方、何処まで行ってしまうか予測を超えた芸術的肉体労働のピアニストだ。そしてリーダーの一哲、例えば自曲の「Shinning Blue」での長尺ソロでは、打音の連鎖がいつしか物語の世界へと越境し、そのスティックによる筋書は我々の胸を打ずには置かない。改めて晴らしい。全てを聴き終えると、唐突に戦後10年余りの経済白書において我が国の再生宣言した「もはや戦後ではない」の一行を思い出していた。その誘因は少々安っぽいが「もはや彼らは若手ではない」と感じたことだ。一般論として若いというだけでそれに酔いしれてしまうことは、誰もが経験することだ。彼らは演奏家としてそれを完全に撃破して見せている。そう、”もはや彼らは”これからの我が国ジャズ・シーンを切り開く中核的な位置に足を踏み入れているのだ。こういうスリリングな局面に出会うと、私たちは一哲BANDの次回を楽しみにしたい気持ちが募る。ただ、今は過剰に美化することを控えよう。そうしなければ、次の楽しみを失いかねないからだ。
(M・Flanagan)

2023.6.25 「Under The Moon」リリース・ライブ

大石学(p) 米木康志(eb)
 最新作を引っ提げた記念ライブである。これは大石によるアコピとエレベによるDUO企画だが、出自をオルガン弾きとする大石がこの楽器の低音部を見つめ直して、米木とのエレベによるコラボを持ち掛けたのが事の始まりだそうだ。実はこの青写真の現像作業は昨年からが開始されている。レイジーで恒例となっている6月のこのDUOもその意図をもとにしていた。それがこのコラボの第1回目のワクチン摂取となっていて、今回は前回の感染対策を程よく身に受け入れながら聴き進めることが出来た。「Under The Moon」とは録音した「月下草舎」というペンションの名に由来していると思われるが、それは大石の人脈由来の命名であり、そこに捧げたものと考えてよいたろう。というのも大石は演奏の場を提供する関係各位に自曲を以て一礼を表することを厭わないと伝え聞く。その律義さが勢い余って一か所3曲も提供していることがあるそうだ。何やら曲数争いが激化しそうな不穏な空気も漂うが、今回は満を持してレイジーの看板娘「いも美」をモチーフにした曲を店に劣らぬ品格を以て演奏した。筆者は現時点で「Under The Moon」を聴いていないのでアルバムに踏み込めないが、この曲が収録されていることだけはしっかり確認した。大石のMCからアルバム収録曲のほか、過去と近作を織り交ぜていたようである。ほぼ大石のオリジナルである。これまで大石の演奏を何度も聴いているが、彼は一貫して透明なものをもっと透明にしようとしているのではないかという印象を受ける。その姿は清々しいなどと云うよりも格闘に近い。それが筆者が思う大石ワールドだ。演奏曲の紹介に移ろう。過去に何度か共演した高野雅絵氏を鎮魂する「Melanchly」、お好みのスコッチ・ウイスキーに寄せた「Talisker」、前述した看板娘の「E More Me(いも美to Mr yoshida)」と二つの飲酒癖モノが続く。その酔い覚ましのような大石宅に咲く花「Color」、ブルース作品の多くない大石が名古屋の店に捧げた「Blues For Lamp」、倦怠感が燻る様子を綴ったような「花曇りのち雨」、米木のオリジナルでベース・ソロをフィーチャーしたシリアスな「Sirius」、闘病中のキースと先ごろ他界したゲイリーに捧げた「k・J&G・P」、鬱蒼とした時の流れを美的に構成した「Heavenly Blue」と「雨音」、かつてのアルバムからのタイトル曲「Nebula」。そして最後に待ち構えるのはあの曲、「Peace」だ。この曲を初めて聴いてから20年くらい経つ。幾度となく聴き、その都度感動を共にしてきた。かつて米木にこの曲をどういう思いで演奏しているのかを訊いたことがある。大石の演奏に込められた祈りを感じながら演っているよと言っていた。その一言を噛みしめている内に、悠久の名曲は渾身の演奏で締めくくられて行ったのだった。
(M・Flanagan)