2023.9.14 LUNA の前転先祖返り

LUNA(Vo) Nate Renner(g) 柳 真也(b)
 ここ数年、LUNAはバク転的活動に芸能人生を割いていたようだが、順序からいって人みな前転が基本であり優先される筈だ。そんな逆転現象のためか「Jazzやってるの、やってないの?」という疑念交じりの半苦情ーンズな問いを突きつけられていたらしく、後ろ髪を引かれる思いでこのほど意を決した”Jazz Tour In 北海道”なる看板を持ち込むに至ったそうである。かくして日々道内の犠牲心を厭わないメンバーとともに、各地を行脚した最後に LBにて千秋楽を迎えることになったのだった。大相撲でいえば千秋楽は15日目、このライブは9月の14日で千秋楽には届かない。2日分の頑張りを見せて貰おうじゃないの。この日数カウントの理屈はヘンテコだけど、それでイイのだ。さて、周知の通りベースの柳とLUNAは、古くから共演を重ねている仲だが、一方のNateとは初共演ということだ。この日は幾つか日本の曲が採り上げられており、Nateの日本力が本物であれば日本帰化の第一関門突破を認定するというウラの課題も入っていたようだ。私見では概ねNate色をキープしながら相応の出来栄えであったように思われた。話は変わるが、個人的に60を過ぎるころからVocalに接する機会がかなり増えたという実感がある。それは誰かが「60くらいになると、ルイ・アームストロングのように”What A Wonderful World”を歌うことに憧れる」と言っていた一文を目にした時期と対応している。そんなこんなで色々聴いていると、歌唱力やセンスを基準に気に入っただの入らないだのと断を下していたことに”ちょっと待て”を掛けることになっていった。それは”声の質“に重きを置いていなかったのではないかという自問である。インストものでは”この人にしてこの音色”という聴き方をして来たにも関わらず、Vocalには脇の甘さを露呈し続けていたのだ。以後、単にアクが強いとか美声であるとかを超えて”この人にしてこの歌声”というような歌い手と声との一致関係のことを気にするようになったと思う。それまで多くの人が当然視していたであろうことに、筆者は相当遅れを取っていたのである。本日のLUNAも聴くと直ぐに分かるシンガーだ。いま筆者は”声の質“は個性に欠かせぬ重大要素なのだという思いを強くしており、その軸をズラすことなく「Jazz Vocalist」LUNAの”声の質“に寄り添って聴こうとしていた。そして進み行く内に長年に渡り累積表現されたLUNAの”声の質“に更なる深みが加えられているように感じ取ることができたというのが結論らしきものである。そろそろJazzにされてしまった曲を紹介することにしよう。「Summertime」、「深淵」、「Summer Song」、「竹田の子守唄」、「Hand In Hand」、「A Case Of You」、「挽歌」、「Early Autumn」、「夕暮」、「Peshawar」、「Wind Of Fields」、「Blues In C」、「Tow For The Road」、「Destination Moon」、「Everything Must Change」。どうやら前転先祖返りは成功だったようである。
 因みに「A Case Of You」はカナダの国宝ジョニ・ミッチェルの曲だ。勿論LUNAの選曲によるものだがNateは同郷の大ミュージシャンに対して余すことなく母国愛を込めた演奏をしていたように見える。そこから察するに、まだまだ帰化は難しいな。
(M・Flanagan)

2023.9.1-2  鈴木央紹 完璧トリオ

鈴木央紹(ts)荻原 亮(g)若井俊也(b)
 ライブに行こうとする時に迷うことなく足が向く演奏家が少なからずいる。鈴木央紹は間違いなくその一人だ。こうした演奏家に巡り会えることを世間では「幸運」と言ってるらしい。その鈴木のニュー・アルバム「Stars&Smiles」がリリースされ、絶好のタイミングで今回のトリオ・ライブがブッキングされた。鈴木と若井は出演番付の上位者なのでお馴染みだが、荻原はおよそ5年振りのブランク永井だとなる。いずれ実力者なのだが、何と言ってもテナー、ギター、ベースという編成が魅力的だ。鈴木によればレコーディングに当たって、夫々がブースに入るのではなく、敢えてフロアに三者揃って演奏する方式を採ったということだ。つまりメンバー同士が息遣いをキャッチしたりアイ・コンタクトが十分可能となる条件設定だ。このシチュエーションは客を入れないライブに相当するので、演奏に仮想の臨場感を持ち込むことを狙いとしていたのだろう。その仮想を剝がしたのが、このLBライブということになる。何でもレコーディングに当たって、50曲をほぼワン・テイクで収録し、そのうち20曲をカット、30曲を厳選して2枚のCDにまとめたということだ。その第一弾がこの「Stars&Smiles」になっている。ライブでの選曲はそこに収められた曲を中心に進んで行く。その曲群を紹介する。「So Many Stars」「Milestones」「Wrap Your Troubles In Your Dream」「All My Tomorrows」「Groovin’ High」「Lucky Southern」「Little Willie Leaps」「Dreamsville」「You Say You Care」「Someday My Prince Will Come 」「Turn Out The Stars」「Hullcinations」「The Touch Of Your Lips」「Where Are You?」「Baubles,Bangles&Beads」「Get Out Of Town」「I’m Old Fashioned」「I Cover The Water Front」「Peri’s Scope」「Moon River」。筆者の狭い聴き歴で恐縮だが、ここにはよく聴く曲とそうでもない曲が混在している。途中で不思議に思ったことがある。それはどの曲も耳馴染みあるように感じられたことだ。答えは向こうからやって来た。鈴木のMCで「ハーモニーへの気遣い」についての語りがあった。我々の耳にすぅ~と入ってくるのは矢張りスーパー・ハーモナイズされた彼らの演奏によるものだと考えれば納得できる。バンマス仕切りのもとギターとベースは全曲について手を休めるひと時もないハード・ワークだ。鈴木スキ無し、荻原ミス無し、若井ムダ無し、我ら言うこと無し。言わば会場が調和していたのである。これは「完璧トリオ」によるパーフェクト・ゲームだ。終焉後、そこはかとなくドラムが入る時入らない時談義が聞こえてきた。どこかの空の下で「原たち日記」がアップさていたかも知れないな。なお、シリーズ第二弾は歌モノを揃えた「Songs」というタイトルで、近くリリースされることになっている。これに合わせて、11月に再び鈴木がやって来る。北区役所に転入届を出す勢いの長期企画であるらしい。皆さん「幸運」に巡り会うべく聴きに来てみなはれ。
(M・Flanagan)

2023.8.4-5 竹村一哲 BANDの”もはや彼らは”

井上 銘(g)魚返明未(p)三嶋大輝(b)竹村一哲(ds)
 これは北海道ツアーの締め括りライブである。先行の道東2カ所(釧路、帯広)でも大盛況だったことを事前に聞いた。その勢いよろしくLB4度目の来演を迎えた。「いい演奏出来そうな店ですね」、初演のときの井上銘の一言を思い出す。以後、井上の予感が的中して今回に至っている。このバンド、芸能界的な次元では井上がセンターに君臨しているが、それは適切とは言えない。実体的には夫々が存在感を譲らない4人編成だからだ。魚返も三嶋も別建てでLBライブを重ねているので、その実力は実証済みだ。こう言ってしまうと、結論が見えてしまいそうだが、お墨付きも折り紙も付いている連中だから止むを得まい。では、完成状態で発展を止めないBANDを聴こう。まずは演奏曲を紹介する。「WE」、「The Lost Queen」、「Shinning Blue」、「Twilight」、「神のみぞ知る」、「Normal Temperature」、「妄想歩く」、「Chicken Rock」、「R M」、「悲しい青空」、「Spiral Dance」、「A」、「Mozu」、「No」、その他Non Title曲だった。大半が各自のオリジナルで占められている。最近は三嶋も曲作りに意欲をみせていて、今回も2曲提供している。失礼ながら彼は割とウラオモテのない一本気な人物だと思っていたのだが、曲想もタイトルも条理に収まらないものとなっており、ヒトの特性である矛盾を抱え込むことが垣間見ることがでる。知られざる三嶋の一面が妙に嬉しい。三嶋に寄り道してしまったので、ファンを代弁して他のメンバーにも触れておく必要があるだろう。井上は伝統を押さえた上でのスタイリシュなギター・ワークに抜群の冴えをみせ、何よりクライマックスに向かう演奏の創り方に圧倒される。魚返はリリカルな演奏に傑出する一方、何処まで行ってしまうか予測を超えた芸術的肉体労働のピアニストだ。そしてリーダーの一哲、例えば自曲の「Shinning Blue」での長尺ソロでは、打音の連鎖がいつしか物語の世界へと越境し、そのスティックによる筋書は我々の胸を打ずには置かない。改めて晴らしい。全てを聴き終えると、唐突に戦後10年余りの経済白書において我が国の再生宣言した「もはや戦後ではない」の一行を思い出していた。その誘因は少々安っぽいが「もはや彼らは若手ではない」と感じたことだ。一般論として若いというだけでそれに酔いしれてしまうことは、誰もが経験することだ。彼らは演奏家としてそれを完全に撃破して見せている。そう、”もはや彼らは”これからの我が国ジャズ・シーンを切り開く中核的な位置に足を踏み入れているのだ。こういうスリリングな局面に出会うと、私たちは一哲BANDの次回を楽しみにしたい気持ちが募る。ただ、今は過剰に美化することを控えよう。そうしなければ、次の楽しみを失いかねないからだ。
(M・Flanagan)

2023.6.25 「Under The Moon」リリース・ライブ

大石学(p) 米木康志(eb)
 最新作を引っ提げた記念ライブである。これは大石によるアコピとエレベによるDUO企画だが、出自をオルガン弾きとする大石がこの楽器の低音部を見つめ直して、米木とのエレベによるコラボを持ち掛けたのが事の始まりだそうだ。実はこの青写真の現像作業は昨年からが開始されている。レイジーで恒例となっている6月のこのDUOもその意図をもとにしていた。それがこのコラボの第1回目のワクチン摂取となっていて、今回は前回の感染対策を程よく身に受け入れながら聴き進めることが出来た。「Under The Moon」とは録音した「月下草舎」というペンションの名に由来していると思われるが、それは大石の人脈由来の命名であり、そこに捧げたものと考えてよいたろう。というのも大石は演奏の場を提供する関係各位に自曲を以て一礼を表することを厭わないと伝え聞く。その律義さが勢い余って一か所3曲も提供していることがあるそうだ。何やら曲数争いが激化しそうな不穏な空気も漂うが、今回は満を持してレイジーの看板娘「いも美」をモチーフにした曲を店に劣らぬ品格を以て演奏した。筆者は現時点で「Under The Moon」を聴いていないのでアルバムに踏み込めないが、この曲が収録されていることだけはしっかり確認した。大石のMCからアルバム収録曲のほか、過去と近作を織り交ぜていたようである。ほぼ大石のオリジナルである。これまで大石の演奏を何度も聴いているが、彼は一貫して透明なものをもっと透明にしようとしているのではないかという印象を受ける。その姿は清々しいなどと云うよりも格闘に近い。それが筆者が思う大石ワールドだ。演奏曲の紹介に移ろう。過去に何度か共演した高野雅絵氏を鎮魂する「Melanchly」、お好みのスコッチ・ウイスキーに寄せた「Talisker」、前述した看板娘の「E More Me(いも美to Mr yoshida)」と二つの飲酒癖モノが続く。その酔い覚ましのような大石宅に咲く花「Color」、ブルース作品の多くない大石が名古屋の店に捧げた「Blues For Lamp」、倦怠感が燻る様子を綴ったような「花曇りのち雨」、米木のオリジナルでベース・ソロをフィーチャーしたシリアスな「Sirius」、闘病中のキースと先ごろ他界したゲイリーに捧げた「k・J&G・P」、鬱蒼とした時の流れを美的に構成した「Heavenly Blue」と「雨音」、かつてのアルバムからのタイトル曲「Nebula」。そして最後に待ち構えるのはあの曲、「Peace」だ。この曲を初めて聴いてから20年くらい経つ。幾度となく聴き、その都度感動を共にしてきた。かつて米木にこの曲をどういう思いで演奏しているのかを訊いたことがある。大石の演奏に込められた祈りを感じながら演っているよと言っていた。その一言を噛みしめている内に、悠久の名曲は渾身の演奏で締めくくられて行ったのだった。
(M・Flanagan)

2023.4.6-8 祝19周年記念LIVE

かねがねハクエイのLIVEを聴いてみたいと思っていたので、それが周年記念の大催しで実現したのは大いに喜ばしい。しかもトリオでの初日は米木、珠也との共演、翌二日間はそこにレジェンドの峰さんが加わるカルテットである。ハクエイと峰さんは両者とも多分4年ぶりくらいの来演と期間が空いたことも気分をプッシュしてくれた。話は変わるが、去年が17周年で今年が19周年になっている。18周年がないのだ。真相はよく分からないので、今回は2年分の気迫で臨んだということを正解としておこう。何よりこのキング達を結集ならしめたのがその気迫の現だ。つまり納得のキングをコールしたのだと一旦ショボく締めておく。
<4.6トリオ キム・ハクエイ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)>
 総じて短めのイントロからテーマに入るパターンにはなっていないので、何が始まっていくのだろうかと思わせる。眺望するとそんな感じで進行していった。オリジナル以外は、あらかじめ曲名が紹介されないので、聴いている途中で「あっ」ということになる。そこから圧巻のインタープレイに突入するのだが、このレベルになると握る我が手の汗も上質になった気にさせられる。またハクエイの曲はどうかというと、彼がイメージしているものとそれを旋律に落とすことにかけては、抜きん出たものを感じる。タイトルをつけてから、曲作りをしているのではないかと想像するが、どうだろうか。では簡単に演奏曲を紹介する。MCは僅かだったのが、それを手懸かりにそして後は当てずっぽうにしよう。まずは「Solar」、実はマイルス作ではないかも知れないとコメントされた深淵なる「Solar」、オリジナルで重厚感タップリの「Gardens By The Bay」、コルトレーンの「Some Other Blues」、身も心も分解させられる「Body&Soul」、既知の者が初対面であるかのようにフレッシュな「Have You Met Miss Jones」、オリジナルの「Fish Market」は小樽の三角市場のようなサカナ臭はなく、多分架空の何処かと思わせる。続く2曲もオリジナル、最初の「Sleep Walking」は夢から覚めぬまま彷徨い歩いてしまった実体験を曲にしたもので、その危うさを映し出していて怪しげだ。次の「Late Fall」における三者の熱量と所どころのエキゾチズムには少々陶然とさせられっちまった。ここで一段落といきたい「Old Folks」ではあったが、一息つけるものではなかったな。最後はショーターを偲ぶ「Foot Prints」。アンコールはオリジナル「Open The Green Door」、扉の向こうに何があるのか?珠也のドラムは「皆んな気をつけろよ」と警告しているようでもあった。全11曲、ピアノ・トリオとしては異例の長時間に及んだが、それは時計が言っているだけのことで、短くすら感じられたのだった。
<4.7-8カルテット 峰厚介(ts)キム・ハクエイ(p)米木康志(b)本田珠也(ds)>
 そこにいるだけで存在感がある。峰さんのことだ。’70年代の峰さんのことを思い浮かべていた。既にその頃から50年を数える。尋常ならざる音楽精神のタフさが秘められているだろうことは創造に難くない。筆者のような一般人は体力と精神力の下降は相関してしまうばかりか、そもそもチューニングが狂いっぱなしの人生がチラついてしまう。よって、そこは見て見ぬふりをしなくてはいけない。それはさておき、実在する特別の巨人が凡人の目の前に座しておられることに集中しよう。カルテットでの二日間は、ほぼMCレスで余計なもの?は徹底して排除されていた。選曲はスタンダードとハクエイのオリジナルで占められていが、一部の重複曲も別演奏になっていて、JAZZのエッセンスが凝縮されたものになっていたと言える。敢えて触れておきたい。二日目の終盤に「Django」が演奏された。過去にプーさん(菊地雅章氏)と峰さんによるDUOの名演があり、即座にそれが頭をよぎってブルッときた。懐の深い音色に吸い込まれていったのだと思う。後で分かったことだが、この選曲は珠也の提案によるものだったらしい。曲によってハクエイが容赦なくアップテンポのカウントを出したりすることもあったが、峰さんは泰然自若、どの音域でも太く鋭くそしてノリの大きい歌心で例えようもなく素晴らしい演奏に仕上げていった。どうやも筆者は「このLIVEを聴きに来て本当によかった」ということを言いたいらしい。演奏曲は「Beatrice」、「I Want To Talk About You」、「Turn Arround」、「Sleep Walking」、「Body&Soul」、「In Your Own Sweet Way」、「Django」,「Offer Refused」、「Orgy」など。春の祭典は終了したが、LB史に残るLIVEが、また一つ加わった。
 昨今では、何とかの”壁”という言葉が定着している。数年に亘って才気あふれる若手・中堅の演奏を大いに楽しませて貰っている。今回のLIVE3日間で巨人の壁があるかも知れないと感じた。さて、来年は何周年記念になるのだろうか?カウント蔑視はマズイよね。
(M・Flanagan)

2023.3.10-11 松島・池田Quintet 『夢で逢いましょう』

松島啓之(tp)池田篤(as)田中菜緒子(p)若井俊也(b)柳沼佑育(ds) 
本文のイントロは私ごとから。このLIVEの数日前、夢に池田が出てきた。誰にも思い当たる節があるだろうが、夢という夢は何者かに追い詰められるような後味の良くないものが多く、それで目を覚ましたりするものだ。先日の夢では池田が古臭い大衆食堂のようなところにいて、確か彼に声かけしようとするあたりで終わったが、ニンマリできるものである。このあやふや短編動画は池田の預かり知らぬことではあるが、助走がついてしまったので、LIVEで最高の演奏をしてもらわねばならぬと思ったのだった。さて、ここからは現実に帰ろう。最近の池田の話によれば「今は若い頃のようには吹けないが、音楽は間違いなく向上していると感じている」という境地にあるそうだ。多くの池田ファンもそう感じているに違いなく、それは”吹けない”のではなく”老けない”のだと言葉を遊ばせたくなる。筆者としては、局所・難所を疾風のごとく駆け抜けてきた池田が終焉したとは思っておらず、それは”Warm”感が強まる境地に引き継がれているのだと思っている。ではこの日のLIVEではどうだったのか。まず鍵を握るのは松島だとしておこう。いつものことながら、初めて聴いたときの鮮烈な印象に呼び戻してくれる。つまり毎回新しいのだ。彼には「Treasure」というオリジナルがあるが、ぞれを地でいくように大判・小判ザックザクだ。松島の音には光源が仕込まれているようであり、更に突出したバランス感覚、ニュアンスの多彩さがその輝きに拍車をかけている。しかも呆れんばかりに無尽だ。その鍵を握る松島に対し、鍵を預けた池田はどんな図面を引いてくれるだろうか。もちろん池田は力ずくで扉をこじ開けるようなエラーを犯さないことは分かっている。二日間池田を聴いていて、体感的に固まってしまうことはなく、ずっと目尻が緩みを帯びていたような気がする。後でその理由を考えてみたが、踏み込み切れない。仕方ないので今現在の思いを残しておくことにする。それは池田がテンポの如何に関わらず、どの曲もラブ・ソングとして演奏していたのではないかということである。では何に対するラブ・ソングなのか?それは自身の音楽に対してであり、聴きに来る者たちに対してである。物語性に富んでいるとしても、ラブ・ソングを男女関係に限定するのは誤りだ。その関係は、一方の気遣いがいつの間にか過剰な干渉に転じ始め、両者の均衡は一気に失われて、典型的な結果に至ってしまう。音楽は均衡の不整を求めてはいない。筆者が池田式図面から探し当てたのは彼の隠された鍵としての”Warm”な音であり、それがラブ・ソングとして聴こえていたのだろう。ラブ・ソングとは攻め過ぎることなく、守り過ぎることのないところに見いだされる究極の調和なのだろうか。今回、ラブ・ソングという鍵ワードが頭から離れず、思わぬ方向に舵を切ってしまったが、LIVE終了後に松島と池田による出色の調和をそっくり家に持ち帰りたい気分になっていた。こういうことなら、次回もまずは「夢で逢いましょう」といきたいな。演奏曲は「Take Your Pick」、「Serenity」、「In A Sentimental Mood」、「Cup Bearers」、「Fee-Fi-Fo-Fun」、「Fly Little Bird Fly」、「Embraceable You」、「Crazeology」、「Fasta Mojo」、「My Heart Stood Still」、「You Don’t Know What Love Is」、「Eiderdown」、「On The Trail」,「It’s Easy To Remember」、「Be Bop」、「Ease It」。
 なお、リズム・セクションを務めた3人は、この前日、田中菜緒子トリオとしてひと山作っていった。彼らはQuintetにおいても堅実かつ意欲的な演奏で見事に貢献した。この3人に対し近々やって来るドラマーのセリフを借りて一言付け加えておこう。「また来てやるからな」。
(M・Flanagan)

2023.2.17-18  鈴木央紹4&3 秘伝の『My Shining Hour』

鈴木央紹(ts)渡辺翔太(p)若井俊也(b)竹村一哲(ds) *二日目はドラム・レスのTrio
 今回のLIVEについては結構前から知っていたので、待ちに待ったという胸中だ。当初の予定では二日間ともカルテットだったのだが、同行するはずの山田玲が都合により欠演となったため、代わりに竹村一哲が参加することになった。災い転じて福となったのである。それはさておき、鈴木のLIVEを振り返ってみると、スランダードや準スランダードがよく採り上げられている。このことは一面ファン・サービスでありながら、そこには明確に別の意味合いがあると考えてよいだろう。少しばかり余談から本筋に向かって行こうか。私たちにはお好みの曲というのがあって、色々な演奏家や編成で聴いて楽しんできたに違いない。個人的には例えば”Whisper Not” が収録されているレコードを見つけては、持ち帰って聴き比べていたことがある。そこには何度聴いても唸らされるものもあれば、年がら年中コロッケを食わされているような飽きのくるものもあった。同じ楽曲から感じられるこの差は一体何なんだろう。必然的に演奏とはそしてそこに生ずる差をどうう思うのかと襲いいかかってくる。原曲と演奏家の関係から何が視えるだろうか。一般に物事の辻褄に納得することを「理解」すると言うだろう。これと似て非なる「解釈」するという想像力に属する次元のことがある。ここでようやく鈴木についての手がかりまで辿どりついたかも知しれない。「理解」は横並びにつなぎ合わせても成立しそうだが、「解釈」は深化する方向に進路をとらざるを得ないように思う。彼は原曲に敬意を払うことを最も大切にしている。そこから繰り返し原曲の未来像を引き出そうとしているに違いないのだ。鈴木にとって「解釈」の徹底が演奏することであり、聴き手が同一曲に飽きがこない理由はそこにある。だから彼にとって”All The Things You Are”はいつも新曲なのだ。今回も能書き許さぬ演奏集となったのだが、それは鈴木の突出した「解釈」力にあると結論づけよう。やれやれ、いつも楽しみにしている彼のバラードの聴き応えは格別だったことを付け加えておきたい。では演奏曲を紹介する。まずカルテット。「I Love You」、イントロ早押しクイズなら”キラー・ジョー”と言ってしまいそうな「Along Came Betty」。照れくさいが20ほど若かったら惚れっぽい男を演じてみたくなるような「Be My Love」、モードでない方の「Milestones」、「Reflections」、「Like Someone In Love」。三曲続けて翔太作品「Color Of Numbers」「Pure Lucks In Bear’s House」「かなめ」、初見で譜面に噛り付いてしまったと鈴木は後で微笑んでいたが、実際これらは脅威のパフォーマンスといえるものだった。次はトリオ、「Long Ago&Far Away」、G・グライスの「Social Call」、「I Love You Porgy」、「Four」、「Sweet Lorraine」、「Autumn Leaves」、「It’s Easy To Remember」、「I Should Care」、「Bye Bye Blackbird」。古くも新しい名曲のフルコースだ。
 よく江戸の時代からつぎ足し続けて200ウン十年、守り続けた秘伝のタレなどという老舗の看板セリフを見聞きする。筆者は鈴木のLIVEを聴いて僅か10年余りでしかないが、秘伝の生聴きが底をつかぬよう、毎年つぎ足しつぎ足し、いや紹たし紹たし聴き漏らさないよう心がけている。そしてこの二日間、秘伝のひと時にどっぷり浸かった。思わずタレのラベルをボレロから『My Shining Hour』に書きかえておいた。
 なお、この前日となる2.16には渡辺翔太Trio(翔太、俊也、一哲)のLIVEがあり、聴く機会の少なかった翔太の演奏に三夜向き合えたのは収穫だ。彼の演奏個性が確かめられたのだ。曲目を添えておく。「歩く」「But Beautiful」「金曜の静寂」「かなめ」「We See」「Tones For Joan’s Bones」「Lullaby」「Equinox」「Body&Soul」「Smile」「Her Marmalade」。
(M・Flanagan)

2022年 レイジー・バード・ウォッチング

<前半戦>
 今年の序盤は記録的大雪との戦に敗れ、腰が制御不能の危険な関係の状態になって、丸1カ月くらい聴き逃しのブランクを作ってしまった。確か年始は楠井のトリオで好スタート切ったかに思われたが、まさに腰砕けとなったのが悔やまれる。自分の実生活LIVEはほどほどにする。その後、2月の中頃から復調し、何とか松島のLIVE(ts岡、ds原が参加の5tet)に間に合ったので、この時のことはよく覚えている。松島の突き抜ける演奏は湿布よりマインドの復活に効き目があったと実感したものだ。引き続き原は残り古典派LaCordaと共演した際に、演奏の外でショパン(Chpin)をチョピン、バッハ(Bach)をバッチとくすぐっていたのが年末の現時点では懐かしい。原はプレイも喋りも痛快。次に地元札幌の青年?将校本山が奇しくも2.26にソロ・アルバム「As it is」のリリース記念LIVEを挙行、このアルバムをもとに入魂のSoloを聴かせてくれた。因みに本山は札幌ジャズ酒場放浪記なる配信活動を斎藤里奈とともに実行し、ライブ環境の側面支援に努めたことを付記しておく。3月にはLBの血行改善に欠くことのできぬ重要構成員の鈴木央紹が登場(ds西村)、例によって聴き流しを許さぬ重厚然とした演奏を残していった。一気に融雪が進む。そして4月には17周年記念。久し振りの本田珠也企画だ。ピアノはOwl-Wing-Record を主宰し、貴重な音楽記録を後世に残さんと精力を注ぐ荒武、ベースは巨匠米木によるトリオとtb後藤篤が加わったカルテットのセッティング。リーダーは荒武が務めたように思うが、これだけの個性が揃うとムダ口を叩いている場合ではないとういうLIVEの見本。5月は壺阪健人トリオ(b三嶋、ds西村)。外見的には壺阪と他の2人は家柄が違うなと口が滑りそうになるが、人は見た目で判断してはならないという普遍的な教えに立ち返らねばならない。演奏が始まると繊細かつ大胆に後ろと巻きつき合う壺阪をジックリ聴くことができた。年の折り返しとなる6月、この月恒例の大石なのだが、交通トラブルで1日のみとなった。共演者の米木はエレベで望んだのだが、ウッドでのDUOとは異なる空気間感を確認できた。(いずれCD録音するらしい)。蛇足だが、何やらこの頃から「コロナ禍の中、お越し頂きまして・・・」という型通りのMCがなくなっていったように思う。今のB・ディランなら「時代は変わる」ではなく「時代を変える」と言うかどうか。
<後半戦>
 7月になると九州を拠点に活動するピアノの奥村和彦(b安藤昇、ds伊藤宏樹)がおよそ10年振りに来演、前回と同様に不動の力強さだった。なお、同行したVo.西田千穂は個性豊かな歌唱を披露した。カラだと思っていた財布に何枚か入っていた時のような思わぬ嬉しさ。国土の狭い日本の裾野の広さを感じたものである。この月の中頃に山田玲率いるKijime Collectiveに番が回ってきた。この連中の勢いは誰にも止められない。初聴きのtp広瀬、ts高橋の2管圧巻、充足感。帰り間際にCDとTシャツの押し売り被害に遇ってしまった。アキラは中々の商売人だ。数日後に鈴木央紹の長期戦、この日に合わせてワクチン摂取の日をズラして大正解だ。筆者が板前ならこんな切れ味の包丁を手放すまいよ。月末に本山と按田(fl)を聴いてみた。持ち替えではなくフルート1本ということに興味を持ったからなのだが、何やら心が清められた、知らんけど。8月は盆のド真ん中にカニBAND。予定の8人が一人増え二人増えそして11人。あまりの賑わいに地獄の釜の蓋がガタガタswingしてたな。加勢で参加し、カウンター内につけた丈造のソロは短かったが惚れ惚れさせるものがあった。月の終わりに加藤友彦トリオがやって来た。トリオの翌日から何と松島と鈴木が加わる。切り札二枚が投入されると盛り上がり系の演奏の熱気は破格レベルに達した。折角新調したLBクーラーが効いていなかったような気がした。それを気遣うかのような「Skylark」は心に沁みた。この両雄はダブル王手を掛けて譲らず、そのまま9月に突入して行ったのだった。そして時は10月、1年をマラソンに例えれば35キロを過ぎて一番キツイ頃合だ。吸水ポイントで真っ先に手を伸ばしたのが(Jazzの)LUNAだ。珍しくも今年はこれが初登場。2日間1曲も被らせずに全うし、女の意地が淀みなしに伝わって来た。これはb若井俊也とp田中奈緒子による初トリオで組まれたものだったが、若井は最早多言を要しないとして、特筆すべきは田中の歌バンの上手さだ。LUNAがいつかまたこのトリオで演りたいと漏らしたのも頷ける。いよいよ晩秋にはようやく池田篤に出番が回ってきた。この時は本山がリーダーとなってb楠井、ds原という垂涎の編成。出演回数では米木に二馬身ぐらい差を付けられているとは云え、池田は堂々の単独2位に付けている。近頃は振興勢力の追い上げがあるとはいえ。池田はLB年譜の要所を占めてきた誉高きプレイヤーであることに揺るぎはない。思い入れが先行してしまったが、一つだけ言うと本山の愛奏曲「Fingers In The Wind」の池田はこの曲に新たな命を吹き込んだといっていい。強く印象に残る。11月は珠也4daysと.Pushの駅伝形式で、タスキ渡しを魚返が担うという 豪華リレーとなった。魚返は間違いなく重要な位置にいる。そして最終12月。大口・米木DUO。ここに見えるのは築かれてきた壁の高さであり、怠りなく手入れされた庭園の佇まいだ。息つく間もなくLUNAの百変化ショー、特命任務を完遂するアビリティーに喝采するしかないな。締めくくりは郷土の至宝竹村一哲が率いるBAND(井上銘g、魚返明未p、三島大輝b)。都合3度目になるが、これを聴かずに年を越すことは出来ない。メンバー同士がその場で驚き合うような圧倒的パフォーマンスだ。同世代の密集した能力が創り出す絶大なる成果を観てしまった。このLIVEを聴いて日が浅いせいもあるが、一哲BANDを聴けただけでも2022年は良い年だったと思えるほどのインパクトだった。
 ところで私たちは「何色が好きですか」とは言うけれど「色は好きですか」とは問わない。しかし、「どんな音楽が好きですか」も「音楽は好きですか」も成り立つように思う。筆者は「生演奏が好きです」とだけ言っておこうと思う。何はともあれ、今年も様々な編成のLIVEに恵まれ、語り継ぐべきLIVEにも出逢えた。2003年もまたそういう「生演奏」に巡り逢えることを願って止まない。
(M・Flanagan)

2022.12.15-16 LUNA のMagicai Mistely Tour

これは世界中の歌をさすらう異色の無国籍シンガーLUNAを追った2日間のドキュメントである。初日の1ステはブラジルもの、2ステは昭和歌謡という誰にも理解できないカップリング。2日目は大西洋を行ったり来たりの英米Unpluged Rock。いま私たちがいるのは、「サンパウロ郡北の酒場24番地第6区」という架空の地なのだ。
12.15 ブラジル&昭和歌謡 LUNA(Vo)古舘賢治(g、Vo)板橋夏美(tb)
外は寒いが中は温暖だ。ブラジルものは音をほのぼのと包む雰囲気という先入観が付き纏う。しかし、歌詞のあらましを聞くと男女の出会いとスレ違いをテーマとする内容が多いようだ。あの国から惚れっぽい情操を取っ払うと、文化が成り立たないのかも知れない。それはそうと、ポルトガル語は皆目分からないのだが、筆者はVocalを楽器として聴いているので気にしていない。かつて洋楽が勢いよく入って来た時代に歌詞は分からなくても、これいいなぁと思ったことが原点になっているのだと思う。意味の分からない異言語の歌を受け入れられるのは、音楽が超文化圏的に世界流通する希なる特殊性を内在させているとしか言いようがない。筆者の中ではインストもVocalも殆ど同じと言ってよく、ただ刺激のされ方が違うだけなのである。その違いの秘密は単純に肉声と特定できる。そして今回も楽器としてのVocalを大いに楽しませて頂いた。例えば、1曲目の「Cigarra」という曲で、ブラジルではセミが“シシシッシッシ・・・”という擬音になるそうだが、我が国では“ミィーン・ミィーン”である。この違いを一本道に繋いでいるのが楽器としてのVocalなのかも知れないと思うのだ。他の曲は「fotografia」「falando de amor」「bridges」「samurai」「ponta de areia」。そして2次会は北の24番地、昭和歌謡へと突入して行く。好いた惚れたのブラジルから恨みつらみを心情の核とする世界へ転換だ。多くの場合、この世界は情緒の汲み上げ手腕によって出来不出来が決定される。それもそうだが、定めある歌唱時間を重苦しさだけで埋め尽くしてはいけない。曲順的にjazzならバラードのタイミングに昭和歌謡では肩の凝らないものをハメ込む軽重相殺の工夫が必要とされる。北の酒場でもそれは実践された。では曲順。まず「天城越え」。普通、お通しは軽めの一品なのだが、これは背筋が凍る恐ろしいサービスだ。お口直しにポップな「ルビーの指輪」、北国もの2連発「雪国」「北酒場」。松田聖子の「瑠璃色の地球」(初めて聴きました)。M&Bの「ダンシング・オールナイト」、バイオリニストの高嶋ちさ子がこの曲を歌いすぎて喉をツブしたと言っていたので要注意だ。そして最後は隆盛を極めた北方漁業への郷愁「石狩挽歌」。あっという間の長旅だった。
12.16 Unpluged Rock
LUNA(vo)町田拓哉(g、Vo)古舘賢治(g、Vo)
 会場は第6区に移った。このトリオ、3度目の取り合わせだから正直に言おう。完成度がますます高まっている。ギターの腕達者ぶりは周知のとおり出色なのだが、最大のセールス・ポイントはハモリ。いま述べた完成度ウップはこのハモリのことを言っている。3者の息が測ったように揃っていて耳が全く疲れないのだ。ところで、筆者がRockを聴いていたのは若い時なので、そのラインに乗ってないと聴く機会の無かった曲になる。Rockの場合、大半がオリジナルを演るので、バンドと曲は一体的なものだった。B・ディランが「枯葉」をカバーすようなことは後々の潮流だ。従って個人の記憶としてRockはバンドと曲がセットになっている。この3人Unplugedにバトンを渡したLoud Three&LUNAの演奏の時から、Rockの遺産を今日の現役プレイヤーが扱うとどうなるのだろうかという思いがあった。実際、聴いてみると面倒なことはなく、ストレートに懐かしさが蘇って来たのだった。これはクリームやツェッペリンがリアル・タイムだった者の宿命だ。この日のUnplugedは騒音防止条例に引っか掛かることのないアコースティックを基調としているが、前任バンドと受け止め方は何ら変わりない。そしてRockの名曲にはそのバンドが消滅しても生き残っていく生命力があると思わされるのである。過去のリアル・タイムの宿命であったものが、時を移した現在のリアル・タイムの特典に切り替わったのだと思う。多分、この3人は”懐かしさ頼みで聴いてもらっては困るよ”と言っているのだろう。そこまで言うのなら、次回は新たなハモリ曲を出して来る覚悟ができているのだろう。演奏曲は「Jumpin’ Jack Flash」「Sunshine Of Your Love」「Will You Still Love Me Tomorrow」「Angie」「Dust In The Window」「Down By The River」「Nowhere Man」「Who’s Loving You」「The Long &Winding Road」「Forever Young」「Honkey Tonk Woman」「Hotel California」「Blowin’ In The Wind」。
 無事に世界のカム・トゥ・トラベルが終わった。盛りだくさんで決めの1行が浮かばない。遮二無二締めるとしよう。モンキーズの「恋の終列車(Last Train To ClarksVille)」を歌うカサンドラ・ウイルソンンには意表を突かれたが、LUNAはその上をいったかも。
(M.Flanagan)

2022.12.10 極上の男たちのDUO

大口純一郎(p)米木康志(b) 
一般論として人は年を重ねるとともに話がクドくなる。寄る年波に従って謙虚に自分を過小評価すれば良いものを、それとは逆に虚勢を張るように作用する傾向が強まる。かく申し上げるのは、少しばかりクドい話をさせて頂くからだ。筆者が育った時代はパソコンやネットはおろか電卓すらなかった。そうした時代あるいはそれ以前に制作された音楽作品が不朽の名盤を輩出してきたのは何故なのか。現代の技術進歩と音楽的成果は無関係なのか。面倒話になってきたが、すぐ終わるのでご容赦を。前置きとして、技術は一方的に進歩し必ず便利になるが、人の精神はこのことと歩調を共にすることはないと言っておこう。最新の機器を使いこなしていても、泣き笑いその他の精神反応を起こしてしまう理由は太古から何ら変わっていない。すると人の精神営為には何が残されているのかという問題に行き着く。このことを今回のLIVEと関連付けてみると、人の精神営為に残されているのは、殆ど磨くとか掘り下げるということの他に余地がないのだと考えてよいかも知れないと思うのだ。私たちはよく「緩み無き演奏」という言い方を耳にするが、それは聴き流しを許さない演奏のことを言っている。このDUOの演奏に当てハメて言うと、安全装置を外して演奏に向き合っているから、聴き手はいつ何が起こるか分かりかねて、聴き流すことを許してくれはしない。それは修辞を凝らしながら本質論一本に打って出る冷静な論客の語り口のようでもある。ここにはムキ出しの過激さのようなものがないことによって、逆に荘厳さが引き出されているようにみえる。説得力のある演奏とはこういうことであると思わされるのだ。前述した磨くこと掘り下げることを両者と第4コーナーを併走する気分で代弁させていただく。こう言っているようだ。「目差すはゴールじゃなくて通過点だよ」、どうやら止まったままでいることがないらしいのだ。演奏曲は「Minor Choral」「(W・ショータの古い曲)」「Let’s Call This」「I Should Care」「Moments Notice」「Ugly Beauty」「Mr . Sims」「Sopa de Aio」「Don’t Explain」「Ode to J.S. Buch」「I Love You Porgy」。
このDUOは“極道の妻(おんな)たち”の岩下志麻的な任侠セリフの凄みとは趣を異にする。しかし、突きつけてくる隠れた切迫感の凄みは“極上の男たち”による至高の振る舞いであると確信する。このたび私どもにおいて、駄洒落精神は磨かれもせず掘り下げられもせず、財津一郎的に「悲し〜ぃ」。
(M.Flanagan)