もぎりよ 今夜も有難う

「夜霧世今夜も有難う」の誤植ではないのかと思った人は映画に詳しい。今は個性派の女優で売れている片桐はいりのエッセイである。劇団員時代に名画座のもぎりをしていた頃の思い出が綴られている。巣籠対策に買ってきた本が一冊だけ読み残して今読んでいる。最後に映画館に行ったのは10年ほど前になるのではないか。あのシネコンプレックスの全席指定、入れ替え制についていけなくて行っていない。昔は映画が身近にあった。と言うより映画が娯楽の王様であったのだ。家にテレビが来たのは東京オリンピックの1964年。近所に所謂三番館と言って全国をドサ回りしてきた昔の映画を子供の小遣いで見られる金額で映していたのだ。フイルムはこき使われた非正規働者のように疲れており所謂「雨が降る」状態になっていた。ザアザアと音がしていたのを今でも覚えている。高校生になると定番のデートコースは喫茶店でコーヒーを飲みながら話をして映画館に行き帰りにあわよくば手などを握る以外思いつかなかった。lazyがある24条界隈にも映画館が三軒あって名画座も一軒あった。大学の頃ぼくは会員になっていた。確か年会費1万で見放題、リクエストも受け付けていた。この頃は映画館とjazz喫茶の往復でお日様に当たる暇はなかった。年300本は見ていた時期だ。しゃべる内容、ファッションすべて映画が先生だった。片桐のエッセイにも書いてあるが当時の映画館は独特の雰囲気があった。途中の出入りも自由であったので外回りの営業員が仮眠に来ている事もあれば同性愛者が伴侶を求めて来ている事もあった。ある映画館のあるエリアはそういう人たちの出会いの場であると知ったのはだいぶ後の事だ。こんなにガラガラなのになんで隣に座るのだろうと思ったことが何回かあった。僕は差別意識はないがやはり女性、そう・・どちらかと言うとぽっちゃりで・・目は・・とりあえずそんなことはどうでも良い・・のほうが好きです。
商業映画館では幕間にソフトクリームを売りに来るおばちゃんがいて映画館をはしごすると一日二回そのおばちゃんに会うことがあった。
当時札幌には名画座が三軒あった。僕が店をやる前ライブの主催をやるようになった頃チラシを持って行った。同じ文化を支えているという意識があったのだろう、快く置かせてくれた。
この時期自分の所も火の車であるが映画館も大変なのだろうと思う。休業補償のカテゴリーはライブハスは覗き劇場と同じであるが個人的には名画座と杯かわしていると思っている。