イマジン

家に帰りラジオをつけるとジョンレノンの曲がずっと流れていた。ジョンレノンの命日だったのだ。
1980年12月8日。ニューヨークの自宅アパート「ダコタハウス」前でマーク・チャップマンなる男に射殺された。
当時複雑な気持ちでニュースを聞いたのを覚えている。当時ジョンレノン好きですかと聞けれたとすると大好きよ言うわけではない・・・・ちょっと苦手かなと答えたのではないかと思う。単に僕がjazzにのめりこんでいたからという事ではない。オノヨーコと一緒になつてからの「愛と平和」思想、左翼系の活動がなにか「ごっこ」に見えてしょうがなかったのである。。レノンが一声上げれば何万にもの人が集まってくる。当時の大統領レーガンも警戒はしていた。ただ歌そのものが行動の引き金にはなかなかならない。「ノールウェジアン・ウッド」とは何かと聞かれた時のレノンが答えている「何か曖昧模糊とした感情だ」と。
僕は自分が苦手なものをその理由だけで貶めたりはしない。曲は好きだが行動が・・・・と言う言い方になってしまう。オノヨーコと二人で裸でベッドに入って抗議しても全く別の意味でベッドに入る阿保な若者を再生産するだけではないのか。
ただその曖昧模糊とした何かが多くのフアンを呼びよせ殺人者も呼び寄せてしまったと感じた。チャップマンなる人物がレノンの狂信者だったり左翼的な思想の持ち主だったり、逆に右翼的な人間だったりしたら話は少しは分かるのである。だからCIA陰謀説と言うのも浮上していた。CIAがチャップマンを洗脳し犯行に至らせたというのである。はっきりしたことは今もわからない。
オノヨーコはチャップマンを狂人として片付けその事について語りがらない。
チャップマンはJDサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を小脇に抱えていたという。
この小説の主人公コーフィールドも世の中の曖昧模糊としたものに苛立っていた。

参考図書
「誰がジョンレノンを殺したか」フエントン・ブレスラー著
「ライ麦畑で捕まえて」JDサリンジャー著