ティーシヨット

一枚の写真がある。ハンチングを被った男がティーシヨットをした直後の瞬間だ。観客はボールの行方を見つめている。その中に右手でクラブを支えながら球筋を追っているパナマ帽をかぶった一人の男がいる。
場所はワシントン郊外の超名門クラブ「バーニング・ツリー・カントリークラブ」
1957年6月19日とある。
ティーショットをした男は岸信介。パナマ帽をかぶった男はアイゼンハワーである。
この一打が今も尾を引く日米関係をスタートさせる神話になるのである。
岸は旅の疲れなど微塵も見せずこの日最高のショットをした。アイゼンハワーは記者に「ゴルフだけは気の合う人間とやらなければ・・・」と言ったという。岸はアイゼンハワーのお眼鏡にかなったという事だ。日米安保条約が結ばれる二年六ヵ月前である。
日本に戻った岸は親友の藤山愛一郎を外務大臣に据え安保改正の責任者にする。
藤山は三項目の密約にサインをし安保改正にこぎつける。岸は改定の手柄の部分だけを自分で頂き密約の影の部分は藤山に押し付ける。それは岸が満州国の経営に携わっていた時に会得した政治哲学である。
「政治資金は濾過したものを貰え」自分は手を汚さないという事である。
そしてこの密約書は日米関係のご神体のように北米局長の金庫に眠っており総理、外務大臣が変わるたび事務次官が内容を説明をするのである。ところがこの書類が改竄されているという事が判明する。
まず情報が共有されていない。付け加えて総理であっても密約書なんて𠮷原の遊女の起請程度と言う認識である。思わず落語の「三枚起請」を思い出してしまう。
この時の外務官僚の対応の悪さが慣例化してしまう。昨今の防衛省、国土交通省の公文書の廃棄、改竄のルーツはここにある。
安倍総理は岸信介の孫である。
トランプとゴルフをプレイしたがる理由がよくわかる。