巣籠日記 その8最終章

巣籠日記 その8最終章
5月31日、休業要請期間が今日で終わる。明日から店を開けられる。だが手放しでは喜べない。店は開けても良い。だが裏で不要不急の夜の外出は極力避けましょうと但し書きが付く。ブレーキとアクセルを一緒に踏んでいるようでもあり、こちらをその気にさせといてひらりとたいをかわすやり手のママのようでもある。休業協力支援金の申請をして改めて気が付いたのであるがjazz barと言う対象はないのである。一番近いのはライブハウスになる。カテゴリーは遊興施設等で仲間は覗き劇場、性風俗店、デリヘル、アダルトショップなどである。親が泣くような商売ばかりだ。こちらは文化事業の一翼を担っていると考えているのだが役所とは考えが違うようだ。
とにかく休業期間は一回終わる。でもこれからのほうがlong winding roadなのだ。その点では悲観論者である。だが暗くはならない。秋吉台の鍾乳洞のように一滴一滴、体の中に適当になるように進化してきた部分があるのだろう。ちょっとした嬉しいことが有るとそれだけで一週間は生き延びられる燃費の良い日本車のような走りができる。今日はバイトだったS太からメールが来た。「救済CD買いたいと思います」ただそれだけだ。だが嬉しいのである。ちょっと前にもカンパをも受けた。そこには年長者雇い主でもあった年長者にお金を渡すと言う事で僕のプライドを傷つけるのではないかという気遣いが文面に感じられた。こういう青年がまだ日本にいるという事実が嬉しいのである。最近地下鉄で若い人から席を譲られる事がある。そうか、そういう年なのだ・・・。一駅二駅立っていられないほど体力は衰えてはいないが厚意は受ける事にしている。カンパも同様である。色々な人からカンパを受けた。関係性は様々だ。その人たちから「まだ出来ることが有るだろう」と言われているような気がする。そう思うとまだ頑張れるような気がするのである。パスは必ず人に回す。人は必ずしも自分の為だけには生きてはいない。
そう心に念じながら明日から続くであろう無観客試合に耐えるのだ。

長い間巣籠日記をご愛読いただきありがとうございます。本日が最終回です。のはずです。
もし続巣籠日記とか新巣籠日記の連載が始まったらもう世紀末です。
付記
お願いがあります。トピック欄もご覧ください