嘘みたいな本当の話

「嘘みたいな」本当に起こった話を高橋源一郎と内田樹が選者となって応募総数1500通の中から選りすぐった話をまとめた本がある。これはポール・オースターのnational story projectの日本版の企画だ。ポール・オースターの方にも面白い話は載っているが長い話が多いので「嘘みたいな本当の話」ほうから何話か紹介したい。
出戻りベッド
自分の知り合いは、彼女と別れる時にベッドを彼女にあげたそうです。それから一年後新しい彼女できて、その新しい彼女の部屋に行ったら、前の彼女にあげたはずのベッドがあった。「どうしたの、このベッド」ときいたら、「寿退社した先輩にもらった」。
当人は「彼女は変わったが、ベッドだけは変わらなかった・・・・・」と言っていました
解説
これが本当の回転ベッド

モガといわれた女
近所においしい洋食屋ができたと言い出したので「店の名は」と聞くと「オペン」と答えた。場所が近くなので言ってみると店の名は全く違っていた。ばあさんは「open]の札を店の看板だと思っていた。
解説
groovy時代「グルーピー」様という領収書がたくさんあった。

男は辛抱、女は美貌
二十年ほど前に銭湯にいたばあさんは客の刺青者が短い小指で鼻をほじっているとすっぽりこゆびが入って見えるからか「汚いね!そんな奥まで小指突っ込むんじゃないよ」と叱り刺青者が仲間の分まで買ってやろうと「コーヒー牛乳これだけちょうだい」と言って片手(パー)を出したら、コーヒー牛乳4本とヤクルト1本出しました。
解説
似たジャンルで思い出した話がある。
僕が大学生のときだ。夏休みの時、銭函の北晴合板という工場で深夜のバイトをしたことがある。大型の乾燥機のベルトに木を乗せていく単純作業だ。だが注意を怠るとローラーに手をはさまれる危険もある仕事だ。
主任と呼ばれる人がいた。作業の注意点など説明してくれた。最後に「学生さん注意しないとこうなるよ」と言って左手を見せてくれた。小指と薬指の半分が無かった。
僕がびびったの見て笑いながら「冗談だよ。俺はこうなってから、ここにお世話になっている」
その主任とは休憩時間に時々話をするようになった。
「学生さん、すすきので揉め事に巻き込まれたら『北海の龍』という名を出してみな」と言われた。
幸いその名を出すことも無くここまでやってこれた。

暗証番号
友人が銀行の窓口業務をしていた頃の話。
ある老人がキャシュカードを作りにやってきた。書類をおおかた書いて最後に暗証番号を書く段になって老人は尋ねた。
「これは暗号のようなものですか」
友人は一寸違和感を覚えたが答えた
「ええ、お客様だけがわかる暗号のようなものです。この四つの枠内に書いてください」
老人はしばらく考えた末に言った。
「生まれた年でもよろしいですか」
「ええ、結構です」
枠内に力強く「イノシシ」と書かれていた
暗証番号は訂正が聞かないのではじめからもう一度書き直しになった。

これも最近僕が経験したことなのだが、深夜西28丁目まで行く用事があって北大通りで流しのタクシーを拾った。
帰り二時間ほどしてからまた流しのタクシーを捕まえた。
「北24条でいいですか」と聞かれた。先ほどの運転手さんだった。
僕はこの経験はもう一度だけある。
中学生のとき夜中に高熱を出して18丁目にある救急病院にタクシーで行ったことがある。母親が捕まえてきたタクシーだ。点滴などの処置をしてもらって少しだけ楽になった。帰りも勿論タクシーだ。たまたま手を上げたタクシーは同じ運転手さんだった。この話を母親にしたら50年前のことなのに覚えていた。まだ呆けていないので安心した。

ダイキリ

案内されたカウンター席からは窓越しに夜景が広がっているのが見えた。先ほどから降り出した雨の水滴が窓ガスを滴り落ちてそこにネオンと照明が乱反射して人工的な色彩をかもし出していた。背後からはピアノの音が聞こえてくる。as time as go byだ。センチな恋愛映画カサブランカの中で重要なな役割を持たされた二流企業の係長のような曲だ。
「何になさいますか」
「ダイキリを」
あまり酒にこだわるほうではない。ダイキリもヘミングウエイが愛飲していたと何かの本で知って馬鹿の一つ覚えで頼んでいるに過ぎない。ただ柑橘系の酸味と癖のないラムの組み合わせはキューバの昼下がりに飲むにはもってこいなのだろうとは想像がつく。そしてたぶんこの時間帯から飲むカクテルでもないのだろうとも思った。
時計は11時をちょっと回ったところだ。仕事で宴席をひとつこなしやっと開放されたところだ。
ホテルのバーのいいところは余計な話しをしなくてもいいことだ。出身地を聞かれることないし「巨人勝ちましたよ」と知りたくもない情報を押し売りされることもない。そのために安くはない料金を払っているのだ。
店内には三組の客がいるだけで一人の客は私だけであった。皆一様に小声で話すだけの思慮は持ち合わせているようだ。そして一曲終わるたびに反射的に軽く拍手を送っている。それが返って空虚に店内に反響して音楽を虚しくしていた。グラスが空になるのを見計らってバーテンダーがオーダーを取りに来た。
「よろしければ何かお作りしますか」
「同じものを」
「かしこまりました」
バーテンが小気味よく振るシェイカーの音が一瞬ピアノとシンクロした。
「よろしければ、リクエストも承りますが」
「いえ、音楽はあまり詳しくありませんので」と断った。
今日の商談はまずまずであった。札幌へ進出する足がかりになる可能性は大きい。
バックには淡々とではあるが卑しくはない音色でスタンダード曲が流れている。完全には無視できないその端正さゆえに返って思考を妨げるのだ。
二杯目のダイキリが空になろうという時、その曲が流れてきた。
その曲はスタンダードではない。知っている人間は限られる。私の知人が作曲した曲だからだ。
振り返ってピアノのほうを見たが、一段低い所に置かれていて大きく開かれた蓋が邪魔をしてピアニストは見えなかった。
「演奏が終わったら、ピアニストの方に一杯ご馳走したいのですが呼んでいただくことは可能ですか」とバーテンダーに尋ねた。
「かしこまりました」と答えてまたグラスを丁寧に拭きはじめた。
ピアニストはそれから2曲弾き終わってこちらにやってきた。20代後半と思われる女性であった。黒いニットのアンサンブルに黒のタイトスカート、同色のショートブーツを履いている。髪はきりっとポニーテールに縛り上げシンプルな銀のネックレスをしていた。ほっそりとした体つきではあるが目元には意志の強さを感じさせるものがあった。
「お疲れ様でした。少しお話をさせてもらっても良いですか。何か飲まれますか」
「ありがとうございます、それでは同じものを」
「ダイキリですが、かまわないですか」
「はい」と答えて隣の席に腰を下ろした。
二人分のダイキリを頼んで話を切り出した。
「最後から三曲目の曲、mistyの前の曲ですが、聴いた様な気もするのですが思い出せなくて」
「あの曲ですか、私も知らないのです。と言うよりタイトルが決まっていなかったのかもしれません。母がよく弾いていたものですから」
タバコを取り出し火をつけようとした。三度目を失敗したとき横から細い腕が伸びてきた。
「ありがとう、お母様のお名前を訊いてもいいですか」
「高橋比呂美といいますが、お知り合いですか」
「いいえ、そういう方は知りません。曲も勘違いだったかもしれません。お母様は今でもその曲を弾いているのでしょうか」
「母は昨年なくなりました。癌であっという間でした」
「立ち入ったことをお聞きしました。そろそろ失礼します」
精算を済ましピアニストにチップをと言って少し多めの現金を置いて足早に店を出た。
外はまだ小雨が降っていたが傘はささなかった。タクシーのクラクションが喧騒の中にこだました。

「比呂美、音楽はアマチュアでもできるよ。せっかく俺は外資の一流企業に就職できたんだ。ついてきてくれよ。
「私いけるところまでやってみたいの」
「君の能力ではたどり着くところは近くのコンビにだよ」
比呂美は踵を返すと雨の中をすたすたと逆方向に歩き始めた。
私は呆然と後姿を見送ることしかできなかった。
単なる青春時代によくある口論だと思っていた。その数日後短い手紙が届いた。
それから比呂美に会ったことはない。

ビールvol2

コートに降り積もった粉雪を払ってドアを開けるとまたペンギンがいた。僕はまだペンギンの顔を見分けられないが、ペンギンは人の顔を識別できるらしくあちらから話しかけて来た。
「いつぞやアイス・バーでお会いした方ですかな」
「やはりあなたでしたか」
アイスバーで会ったのが半年前になる。
今は雪祭りの時期で中心街は中国人、韓国人、数人のフインランド人で溢れかえっている。この店はそういう観光産業の恩恵は受けることなくポール・ブレイのソロピアノのように静謐に営業している。
「よろしかったら、隣に座りませんか」
僕は隣に腰掛けた。
「マスター、とりあえずではなくて・・・スーパードライ」
「一寸待ってください、よろしければサントリーモルツを飲んでいただけないですか」
「ですが、ここにはアサヒしかないはずですが」
「今日は、キャンペーンで置いてもらっているのです。なおかつ百円安いのです」
「そうですか。それでは、モルツを下さい」
「そうこなくては」
「今日はお仕事ですか」
「そうです、この時期は北海道地区を重点的に営業しております。北海道地区は営業三課が担当しておりまして私も営業三課係長補佐特命主任という肩書きで活動しております。ここのお店もアサヒしか置いていないのは知っていました。その牙城を切り崩すのが私の使命なのです」
ペンギンの語りがまた熱くなってきた。皮膚から湯気が出ている。おしぼりを使って顔をぬぐっている。お店でだされるおしぼりは手以外拭いてはマナー違反と言うのが常識だがそれがペンギンにも通用するかは微妙なので黙っていた。
ペンギンは話を続けた。
「私はモルツを飲みながら、お客さんにモルツを勧める。すると次に来るお客さんもペンギンと人間が楽しそうにモルツを飲んでいたとすると一缶ぐらい飲んでみようかなと言う気になるのではないですか。それとこれは大事なことですがお店にとっては原価がかからないということなのです。何しろこれはキャンペーンなのですから。サントリーは大きな会社ですからそれぐらいの予算はあるのです。第三課にも営業経費はあるみたいですが、『君はそこまで知らなくていい』と部長に言われました。残念です。私は係長補佐特命主任の名に恥じない職責を果たしたいのですが」

ペンギンはモルツを一口飲んで一呼吸おいた。
「明日、旭川に行きます。旭山動物園のペンギンの行進とタイアップのキャンペーンがあるのです。子供たちにモルツ缶を配るのです。お酒は二十歳からということは知っています。でもその子供たちが10年後、15年後あの時ペンギンさんがくれたビールだと思い出してくれてらどんなに嬉しいでしょう。」
ペンギンはこのキャンペーンを成功裡に導かなくてはならないことを何度も強調した。失敗すると沖縄地区担当にまわされるらしい。
「あそこは、暑いですし、基地もあり危険です」
と言ってビールを飲み干した。

泡盛2

ここに来るのは十年ぶりかな。そうそうあの岩陰でやどかり探したんだっけ。穏やかな海だね。水平線まで比重の違うリキュールを静かに注いだように青の層が分かれている。思い切り深呼吸をした。空の浮かんでいるクロワッサンのような雲を吸い込んでやろうと思った。これが娑婆の空気か・・・・こんなこと女の子が言ったらおかしいかな?
私は羊田メイ。24歳
そうそう、色と紺のボーダーの水着を着てイルカの浮き輪に乗って引っ張ってもらっているのが私。
バーからプールを見ている人がいるでしょう。あの人が私のパパ。
ついつい昔に癖で手を振ってしまうのだけれどこっちの私は見えないんだ。
そう、もう私は死んでいるから。
誰かが思いだしてくれたら年に数回こっちに来ていい事になっているんだ。
バーの方に行ってみよぅと。パパまだ私の方を見ているね。もっと色々あったのにこんなこと思い出しているんだ。
人影が無いプールを見続けているパパに片足の無い女性が「どうかしました」と聞いた。
「いえ、一寸思い出したことがあって」
私も飲んで良いかな。615号室の部屋付けにしておくね。一杯ぐらい多くついていたってわからないよね。
泡盛のソーダ割りか。やっぱり土地のもの飲まないとね。一緒に来た新ちゃんとマー君元気かな。あまりあっちには出る機会が無くて。んーんー。何も怒っていないよ。少しずつ忘れてもらわないと駄目なんだって。
パパと呼んでいるけど実の親子ではないよ。家出同然で出てきた私を拾って使ってくれたと言う感じかな。あのお姉さんは片足が無かったけれど、パパも女の子を小さいとき無くしているので心のジグソーが一個足りなかったの。その、ジグソーの形に私が似ていたのかな・・・
もう行かないと・・・・・・。
本当は駄目なんだけど私が来た証拠残していくね。

テーブルのグラスを倒した。
「すいません」すぐにモップを持ったバーテンダーがやってきた。
テーブルと床を拭いたバーテンダーが「お客様のお品ですか」と床に落ちていたパーラメントのタバコをテーブルのに上に置いた。私はもう一度目を凝らしてプールを見たが、プールサイドにぶつかるかすかな波音だけしか聞こえなかった。

おいしい、ウサギ

ペットのウサギが死んだとそのブログに書いてあった。可愛がっていたペットが死ぬと悲しい。正直あまり近しくない人が亡くなるより悲しい。僕も鳥を飼っていたのでよくわかる。でもそれを差し引いても一寸可笑しかった。そのギターリストのブログを読むのは初めてであった。スケジュールをチェックするのに初めてHPに入った。トップページが南の島の水上コテージだ。全くイメージに合わないのですが・・・・・・・。僕はそのギターリストS木と二度石垣島に行ったことがある。その写真は石垣島ではないが亜熱帯地方のどこかの島だ。ということはあの旅行は僕が思ってたよりもSも楽しんでいたのかもしれない。そしてはじめて読むブログが「ウサギは死んだ」であったのだ。それは「ママが死んだ。太陽のせいだ」ではじまるカミュの異邦人並みに不条理であった。
S木とは長い付き合いだがペットを買っているという話など一度も訊いた事がない。それもウサギですよ。うさぎ・・・。おまけに水上コテージのあとですよ。僕でなくともS木を知っている人間はクスッとなるでしょう。ペットを飼っている人間はある程度の付き合いになればペットの話を一度や二度必ずするものだ。もし僕がウサギを飼っていたら絶対黙ってはおけない。まして女性のお客さんが来ようものなら「俺ウサギ飼っているんだよ。名前・・・ももちゃん。ももちゃんて呼ぶと、折れていた耳をぴんとたてて話し聴いてくれるんだ。かわいいよ」なんて話すに決まっている。「マスターって動物にもやさしいんだー・・・」ということになり好感度が上がるのが目に見えている。
それなのにS木は江戸時代の隠れキリシタンのように隠し通した。本人もちょっと恥ずかしかったのかもしれない。犬、猫おまけしてインコなら言ったのかも知れない。たとえば「トランペッターーは誰好き」と言う話題だったとする。
まず、マイルス、ガレスピー、皆うなずく。C・ブラウンも。そうそう、ハバードも忘れたらだめだよね。と言う流れになる。そこで誰かがクラーク・テリーをあげたら空気は微妙になる。ペット界におけるウサギの存在はクラークテリーに似てると言ったらウサギファンは怒るのだろうか。
このペット話をしているときにピアノのM山もいた。小さい頃「いもり」を飼っていたと言う。これは隠していてもいい。先のトランペッター話でいうとダスコ・ゴイコビッチが好きと言うレベルだからだ。あまり本人になつかなかったらしい。イモリのことは詳しくないが手乗りイモリとかお手をするイモリは訊いたことがないから本人の責任ではないと思う。
その時僕はウサギを飼っている東京の一流ミュージシャンを思い出した。
大石学だ。みんな「へえー」と感心した。
「ウサギ、大石、かの山ー・・・・・」と歌ったらS木が睨んだ。
偶然は続くものでこんな話をしていたら翌日幼稚園東京支部のS名からメールが来た。
「今日、大石さんのライブ聴きに行きます」ということだった。
ウサギを飼っていないかきいてほしかったがよろしく伝えてとだけお願いした。

私の考えそこねたジャズ

2015.5.29 
加藤崇之(g) 佐々木信彦(g) 
 鬼才加藤と好調佐々木の2年ぶりのコラボだ。我々人間の世界には理屈では説明できぬ相性の良し悪しというものがある。初めて二人のDUOを聴いた時に佐々木にとってこの実力者は相性がいいと感じた。加藤の弁を借りれば“縁とは無理に動かなくても出会うものは出会う”と言うことだ。この二人、音のマイルド感を鉛筆に例えると加藤がB、佐々木がHなので、これが両者の掛けあいに濃淡のニュアンスを加える趣となっていた。
演奏曲は「サウダージ」「インナ・センチメンタル・ムード」「ボディー&ソウル」「星影のステラ」「ダーン・ザット・ドリーム」などのスタンダードとオリジナル曲の組み合わせとなっていた。後者は加藤の原体験が旋律へと駆り立てたもので、興味深く聴かせていただいた。「泣いて笑って」は失った女性との偶然の再会とひと時の会話、それが忘れ難たき人生の一瞬になってしまったこと。「歩こうよ」は活気を失いゆく商店街への応援歌、これはシリアス過ぎて筆者には商店街を直視した現実に聴こえるものだった。名曲「皇帝」は、プライドを捨てているように見せてプライドをまとう人々の大真面目と滑稽を大らかに歌い上げる裸の王様の物語だ。演奏が終わってから、この物語は加藤の音楽観と密接な関係があるように思った。例えば、その力量ゆえに的を外すことはないがそれ自体が歯車の狂いはじめになり得ること、演奏への情念がいつの間にかステイタスを得るための野心に変質してしまうこと、これらは割れない瀬戸物のように頑丈だが不自然な裸の王様に過ぎないのではないのか。加藤は人々が翻弄されるあり方に見切りをつけ、演奏において真実のみを採り出すことに賭けているのだ。筆者は考えることを目的にジャズを聴いている訳ではないが、加藤のように天才度が高い演奏家について突き詰めて考えると“嘘みたいな本当の怖い話”になりそうなので、思考のアップデイトは中止とする。ただ、聴いていて確認できたことは、加藤のフィルタを通すと、難しいこともこの日のライブのように心温まる音楽会として十分楽しめるものになるということだ。
ところで、いつも大真面目の側にいるギタリスト佐々木に普段とは違う雰囲気が漂っていた。人生の弦を張り替えたようなこの感じ、何かいいことアローン・トゥギャザー?
(M・Flanagan)

泡盛

僕はうとうとし読んでいた本を落としその音で我に帰った。プールの向こうには水平線まで完璧な水色の海が広がり静かに波を運んできていた。北国生まれなのでこの海の色をなんと呼んで良いかわからなかった。完璧な水色。そうとしか言いようがなかった。プールサイドには甲羅干しをしている客が何人かいるだけであった。先ほどから水面をたたく規則正しいビートが聞こえていた。美しいクロールのフォームであった。その女性は泳ぐのをやめゴーグルをとった。知った顔であった。昨日オプションのマングローブツアーでバスの席が隣り合わせだった女性だった。彼女はいったんプールサイドに腰かけ呼吸を整えているかのようだった。それからプールから上がりこちらにケンケンでやってくる。花柄のワンピースで肌は程よく焼けていた。そして左足の膝から下がなかった。
僕は本に目を戻した。ビーチベッドは僕の隣であった。
「あのーちょっとお話しても良いですか」と彼女が話しかけてきた。
「ええ構いませんが」
「読んでいらっしゃる本はカーソン・マッカラーズの『心は悲しき狩人』ではありませんか」
「ええそうですが」
彼女はごそごそとビーチバックの中を探し一冊の本を取り出した。ペンギンブックの『the heart is a lonely hunter』であった。これが村上春樹の「1984」であったりしたらさほど珍しいことではなかったかもしれない。彼女は下半身に大判のバスタオルをかけた。「周りの人に気を使わせるので・・・・」と独り言のように言った。
「ずいぶん年季の入った洋書ですね」
「そうなんです。学生時代の教科書ですから」
この小説の中身をごくごく簡単に言うと口がきけない主人公のところに色々な人が悩みを話しにやってくる。口がきけないのでずっと話を聞き続けてくれる。だが誰も主人公の話を聞いてくれない。なぜなら彼は口がきけないからだ。彼の名前は象徴的だ。口がきけないのにSinger。要はリゾートホテルのプールサイドで読むような小説ではないと言うことだ。そしてこの小説を何度も読む人がいるとしたら「聞く」事の大事さを知っているような気がした。
僕は運命論者ではないが縁は大事にする。「よかったら。食事前に軽くバーで飲みませんか。」とさそった。

「そうですね、着替えてきますので30分後に・・・」手際よく義足をつけバスローブをはおり宿泊棟に歩いていった。プールサイドにこつこつと言う音が響いた。
シャワーを浴びドット柄のアロハにベージュの棉パン、素足にスリッポンを履いた。
彼女は時間どうりにやってきた。白のvネックのサマーセーターに黒のジョーゼットのパンツを穿いている。言われなければ片足半分ない事などわからないほど動作が優雅であった。
「何、飲みますか」と聞いた
「せっかくの石垣島ですから土地の泡盛を飲みましょう」と彼女は答えた。
たっぷりのレモンを絞って炭酸で割ってもらった。バーの窓はすべて空け放たれており海からの風がかすかに潮の香りを運んできていた。
僕は完璧なクロールができて、左足の半分がなくてプールサイドで『the heart is a lonely hunter』を原書で読む女性がどういう話題を話してくれるのか楽しみであった。
「暑い所では、塩なめながらきついお酒飲みますよね。テキーラみたいに・・・・・泡盛もそういう飲み方するようですね。地元の方は・・・でもこの時間帯は潮の香りを嗅ぎながら割って飲むのが良いかもしれませんね」と彼女が口を開いた。
「チャーチルのドライマティーニの飲み方の話で似たような話ありましたよね」
「ベルモットのにおいを嗅ぎながらジンをストレートで飲むのが究極のドライマティーニだと言う話ですか。それってうなぎ屋の排煙筒の下でご飯を食べるのと似ていますよね」彼女は自分で言って笑った。僕も笑った。出だしは悪くはない。彼女の声には何か人を落ち着かせるものがあった。
「綺麗なクロールのフオームでしたね」
「私中学生まで水泳習っていましたから。泳ぐとまだ左足のキックの感覚を思い出します」
「辛い話をさせてはいませんか」
「私が辛くなるときは私が存在していないかのように振舞われるときです。私がプールから出るときあなたは目をそらして本を読む振りをしました。読んでいる本があの本でなければ私は声をかけないで立ち去ったと思います。
私の水着姿いけてると思うのになあ・・・・・」
「正直、いけてると思いましたよ。でもあなたはなぜそんなに前向きで生きられるのですか」
「16歳で足をなくすと言うのは辛いことです。でも今の私はそのときの自分に会いに行って話しができるのです。そりゃ辛いよね・・・・わかるよ。あなたが私なのだから。17年後完璧なクロールで泳げる自分がいるし、たまたま同じ本を読んでいる人が隣にいてお酒の誘ってくれてSingerさんのように辛抱強く私の話を聞いてくれる。それって素敵じゃないって励ますの。それが一度できると何かあるたび未来の私が出てきて何年後もそんなに悪くないと教えてくれるの」
「いい話ですね」
「もし私に彼氏ができるとしますよね。私はお姫様抱っこしてとせがむの。私重いと聞くの。そんなことないよと言うでしょうね」
「たぶん」
「脚があったらもっと重いわよと言うの。微笑んで頷いてくれたらその人と一緒にやっていける気がするのです」
「その人なら大丈夫かもしれませんね」
プールを見ると娘を乗せたイルカの浮き輪を引っ張る10年前の自分がいた。

カレーライスの偶然

朝起きると無性にカレーが食べたくなった。たぶん今年に入って一度も食べていない。芋と人参はあるがカレー用の肉はない。スーパーに行けばいいのだがそれほどまめではない。今食べたいのはカレールーであって肉ではないと言い聞かせ芋の皮をむき始めた。料理をしているときにラジオは欠かせない。「あまちゃん」の作曲で有名になった大友良英の番組に「カレーライスの歌」でデビューした遠藤賢二が偶然でていた。45周年らしい。僕もこの頃フォークソングをやっていたがこの頃デビューした吉田拓郎、高田渉、加川良そして、遠藤賢二も好きではなかった。だから「カレーライスの歌」を歌ったことはない。もともと本家本元のボブ・ディランが当時は好きでなかったのでその影響を強く受けている人は苦手であった。まだ自分の言葉で歌いたい何かはなかったのでアメリカのフオークを真似ているだけで十分だった。遠藤賢二は「昔のロックグループなんかさ英語がいいか日本語がいいかなんかって不毛な議論してさ。日本語のほうが言いに決まっているジャン。英語の発音気にして歌って何が伝わるの」という。半分はあっていると思う。この日の選曲は四人囃子やヒカシューなど、遠藤本人の曲はかからなかったが今は下手なjazzより好きな自信がある。
カレーも少量作ればいいのだが面倒なのでどうしても何皿分かを作ってしまう。何日かかけてやっと平らげて母の日、一応カネーションなぞ持って実家に行ったらプーンとスパイスの香りがしてくる。カレーだ。
「しばらく作っていなかったから」
僕は朝も食べたがおいしいねと言ってお代わりをした。
「そうかい、いっぱい作ったから帰り持っていきな」と言われた。
もう手が黄土色です。

3days

ゴールデンウイーク恒例となりつつあるT造の3daysのライブが終わった。今年でもう三年目になる。初日は本人の弁ではもう少しで脂が乗る中堅の先輩たちとスターンダード中心に疾風のごとく、二日目は頭の悪いマブダチと8ビートとフアンク系をのりのりに、最終日は札幌の大御所とオリジナルも交えてシリアスにといったところだろうか。初日のMCの「もう少しで脂が乗る」発言には笑ったが最終日の大御所連には『脂が出きった」とは未だ言えないらしい。今年のコンセプトはワンホーンで吹ききると言うことであったが、どのセットでもそれが出ていて気持ちがよかった。三日間トランペットでリーダーでバンドを引っ張ると言うのはさぞかし疲れるのだろうと思うが、
体力的は意味合いだけではなくて気も使うという。せっかくやるからにはお客さんもたくさん来てほしいと言うことで集客にも気を使ってくれていた。演奏する側と場を提供する側が共生していることが再確認できてうれしかった。数年前は楽器はそれなりにうまいがチャライ若者と言った感が否めなかったが、I哲といい、T造といい
大御所に教えてもらうべきことはまだまだあるが確実に成長していてそれを時系列的に見続けていられるのは幸せなことだ。最終日は例によって居酒屋で軽く打ちあがる。
店があって僕がまだ生きていたら来年もやることを確認して3daysの棺桶の蓋を閉めた。
なんまいだ、なんまいだ。
『お愛想お願いします、いくらですか」
『・・・千295円です」
『千円札でなんまいだ」

旦那芸

内田樹の文章に『旦那芸について』と言うのが在った。内田樹はもともと仏文学者で、もと大学教授でもあり自分で合気道の道場も運営している文武両道の方だ。趣味で能を習っている。その能の立場を旦那芸といっている。
自分がそもそもどういう技能を習っていて自分はこの芸能の「地図」のどのあたりに位置しているか、構えて言えば芸能史に於ける己の歴史的役割はなにかと言うことがわかってきたあたりという。こういう自己認知のしかたを「マッピング」と呼び自分自身を含む風景を上空から見下ろしてみるという事である。そうやってみてわかったことがある。それは自分がしているのは「旦那芸」だということらしい。
一人のまともな玄人を育てるためにはその数十倍の『半玄人」が必要でそれは必ずしも弱肉強食ということではない。「自分はその専門家にはなれなかったが、その知識や技芸がどれほど習得に困難でありどれほどの価値があるものかを身をもって知っている人々」が集団的に存在していることが一人の専門家を生かしその専門知を深め、広め、次世代につなげるために不可欠だと言うことだ。
これは僕が普段jazz業界に感じていることと一致する。
『旦那」は『裾野』として芸に関与する人のことである。年に数回」演奏するときの僕はまさに『旦那芸」である。
僕はjazz聴いてる歴は45年、jazzの店もやっている。風貌もラリー・カールトンやマイケル・ブレッカーに似ていないこともない。そうするとさぞかし楽器もうまいのだろうと思われがちだ。ほんとうに困ったことだ。
誰しも10周年にlazyで演奏してもらった演奏家のレベルにはなれない。全員が玄人である必要はない。すばらしい芸を見たときには感服する余裕は持ちたい。
締めの言葉はそのまま引用させてもらう。
私たちの社会は「身の程を知る」という徳目が評価されなくなって久しい。「身のほどを知る」というのは自分が帰属する集団の中で自分が果たす役割を自得するすることである。「身の程を知る人間」は己の存在の意味や重要性を、個人としての達成によってではなく自分が属する集団が成し遂げたことを通じて考慮する。
それができるのが「大人」である。
私たちは「大人」になる仕方を「旦那芸」を研鑽することによって学ぶことができる。
僕もそう思う。
性別に関係なくそういう「半玄人」を店で増やしたいと思って早10年。まだ道遠し。