jazz紳士交遊録vol2

昨日からtpの松島啓之に来てもらっている。北海道は2日前まで穏やかな天候が続いていた。ところが昨日から真冬並みの寒波が訪れ暴風警報がでた。幸い飛行機は定時に到着しライブ初日はつつがなく終わった。冬の嵐である。札幌には偽の「嵐」も来ていてホテルが取れなかった。一週間前やっとキャンセル待ちで松島の部屋を確保できた。毎回「嵐」には泣かされる。早く活動休止してほしい。
何故かトランペッターとは縁がなかった。だいたいトランペッター自体少ない。一流は数えるほどだ。池田篤に相談した。松島を薦められた。プレイは知っている。問題は人柄だ。危険負担して来てもらっても嫌な奴だったら打ち上げが楽しくない。池田曰「暗くどっぷり飲むタイプです」という事だった。実際会うと暗いと言うより穏やかと言った方が適切かと思う。
松島のことを説明するのに「熱帯jazz楽団」や「ルパンティック6」の名前を出さざるを得ないのだが普段やっている音楽はど真ん中の直球勝負と言った種類である。トランぺットがjazzを牽引していたあのハードバップ全盛の手に汗握る音楽の直系である。
東京のミュージシャンには時々お願いして学生ともやってもらっている。学生の人気投票では松島が一番人気である。その偉ぶらない人柄の故だ。大きな声では言えないが最低人気はT也だ。理由は「怖いです」だ。まあ。しょうがないか・・・・・
一に松島、ニに・ロッソと言う位置は僕の中でしばらく動きそうもない。
まだライブ三日ある。ぜひ松島のビューンと言う剛速球を体感してほしい。

jazz紳士交遊録

あと一か月半で令和元年が終わるが30年前は平成元年が終わるころでもあった。ラジオをつけると平成元年のヒット曲の特集をやっていた。ほとんど知らない曲であったがプリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」だけは知っていた。プリプリがデビューする一年前だと思う。僕はブッキングした板橋文夫Gと全道を1週間ほど旅したことがある。ベースは伊野信義さんであった。グラスなどを割った時に使う定番フレーズ。
「私弁償します」
「いいの、いいの、ブライアン・イーノ信義」の井野信義さんである。
伊野さんは実に真摯な人柄で打ち上げの所謂芸事の話は苦手だと言っていた。
メンバーとは離れた所で静かに飲んでいる井野さんに音楽的な質問をいくつかぶつけたことを覚えている。
井野さんの高校の後輩にあたる渡辺加津美のハーモニセンス。
そして当時ジャーナリズム界では評判の良かったJJ.spirits(峰厚介、佐藤充彦、井野信義、富樫雅彦)の僕の印象。
どの曲も忙しく聴こえ、ゆったりした感じがない。井野さんはこの素人めが・・・・・とは言わず説明してくれた。峰さん以外は皆リズムが早いという事であった。伊野さんは「俺は早いけど、トーサ(充彦さん)はもっと早いんだよ」と言っていた。100M走でピストルがなる前にもう5メートルくらい走っている感じだ。
話はどういう経緯でプリプリの話になったのかは覚えていない。デビュー半年前にベーシスト候補をマネージャーが連れてきて「この子を半年で弾けるようにしてください」と言われたそうである。どのレベルで弾けるというかは相手に預けて取り敢えず教えたそうである。結果は武道館コンサートまでの順風満帆の活動でになった。
半年で驚いてはいけない。若井俊也はベースを弾き始めて3ヶ月でプロになっていたし村上ポンタさんはドラムを買って二週間後には「赤い鳥」のオーディションを受けに行った
ツァーの終わりに井野さんはミンガスのあるレコードを探していると言っていた。
僕はカセットに録音して送ってあげた。まだyou tubeなどない時代である。丁寧な返信ハガキが来た。

2019.11.9 峰 厚介 Mr.Monster

峰厚介(ts)中島弘恵(p)秋田祐二(b)小山彰太(ds)
 峰さんは昨年の年明け以来だ。その日のことを思い出しながら、今後どれくらい、峰さんの生に接することが出来るのだろうかという思いに駆られ、手に取るまま数枚のアルバムを聴いた。ささやかに助走付けをしてから会場に向かった。これまでギリギリまでスコア・チェックするといった厳しい演奏姿勢の峰さんを何度か目撃してきたが、この日のレジェンドは柔和な雰囲気を漂わせていた。時間を押すことなく開演を迎えた。おおよその流れに沿ってみよう。1回目はW・ショーターの逸品「LIMBO」にて開始、中島の「セカンド・ステップ」は次に踏み出す一歩というよりは二の足を踏むとした方が相応しいような曲想。次は峰さんのオリジナル2曲。公演先をひっそり去る時の心情のような「アフター・ザ・チェック・アウト」。聴く側は哀愁のバラッドにチェック・イン。昨年リリースしたアルバムのタイトル曲「バンブー・グローヴ」、パワフルな魅力にぐいぐい引き込まれる。これぞワンホーン・カルテットの醍醐味。2回目は、最近休筆から復活を遂げた時事評論家がタイトルを付けたという中島の「ガンボズ・ステップ」、S・リバースのメロディアスな佳曲「Beatrice」、彰太さんの「月とスッポンティニアスな夢」はタイトルとは逆に深海を彷徨してるような不思議な曲。最後は中島の「スリー・ヒルズ」で、終局の聴かせどころに巻き込んでいった。アンコールはD・チェリーの「Art・Deco」。
峰さんは十代から夜の営業の生バンド需要がある世界で身をもって腕を磨いてきた人だ。そういう出自は、今では縮小過程に入っているのだと思う。現代という時代は、ネットで幾らでも音楽情報を手にすることができるので、土埃をかぶらなくても、ソコソコの考古学者になれるかも知れないような怪しい陰が貼り付いている。とはいえ、最近の台頭著しい若手ミュージシャンたちは、そうした懸念を払拭してくれていることも知っている。彼らは、峰さんをはじめとする偉人たちの描いてきた軌跡をきちんと視野に収めているのだろう。それにしても、ワイルドさありデリケートさあり、そこを自在に往還する風格は、わが国JAZZの覇権を握る演奏家の威容そのものだ。当然の帰結と云おうか、峰ウチでは済まされず、バッサリやられたことのこの快感。今なお湧き出すエナジーによって、Mr.Monsterは今日も峰ブランドをクリエイティヴに更新し続けているのである。
(M・Flanagan)

腹立ち日記vol15

腹が立つのが分かっているがどれだけ政権が劣化しているのかを見届けるためにできるだけ国会中継を聴いている。先日もひどい発言が続いた。安倍首相、英語民間試験に関する文書について質問する今井雅人議員を氏を指差し「(文書は)あなたが作ったんじゃないの?」と不規則発言。謝罪を求める今井氏に対し見苦しい言い訳に終始。それでも棚橋委員長は首相を擁護。その翌日立憲民主党の議員の質問時に「共産党」と野次る。共産党と言う名称を「テロリスト」かのように使う。二重の意味で酷い。
この方先日も地球俯瞰外交だか半分遊びの外遊をアセアン諸国でしてきましたよね。10月に消費税が上がった途端、アセアン諸国への出資倍増。海外バラマキは累計60兆円を突破した。

パトリオット

トランプ大統領が環境基準を決めたパリ協定からの脱退を決めた。一部の鉄鋼関係、自動車関連の労働者から拍手をもって迎い入れられている。支持率も40%を下らない。地球の寿命があと何億年あるかはわからないがトランプ大統領はその寿命を確実に数十年縮めることになるだろう。何十年もたばこを吸い続けた人間がいまさら辞めても寿命には大した影響は出ないだろうと考えるのに似ているかもしれない。「アメリカを守る」・・・・一見美しく響く言葉である。それは愛する者を命懸けで守ると言って悪(これが絶対悪かどうかはわからない)と闘うケビン・コスナーやメル・ギブソン主演のハリウッド映画を彷彿させる。アメリカではこの種の思想がある支持率をもって受け入れられる。簡単な事実を忘れている。アメリカも地球の一部である。
日本はどうか。
「区民を守る」と言ってホームレスの避難を断った区職員。正確には「区民ではない」と言って断ったのだが守ったのは区民ではなく「自分の立場」である。これはトップの安倍総理が日本すら守っていないことの反映である。大は国家レベル、いろいろな所属する組織レベルに分断され、小は個人のレベルまで分断されていく過程が目に浮かぶ。
仏・マクロン大統領の演説が世界から注目を浴びた。
「古い悪魔が再び現れつつあり…ナショナリズムは裏切りです。それは自分さえよければ他者などどうでもよいという考え…倫理観を抹殺する」

トランプ大統領などに対して向けられたものだろうが、一番、安倍首相に当てはまってると思う。

文化の日

11月3日文化の日である。文化の日は僕に文集のことを思い出させる。60年ほど前の事である。小学校で文化の日近くなると必ず作文を書かせられる。優秀作が掲載され全児童に配られる。1948年初めて「文化の日」と言う祝日になった。その前は明治天皇の誕生日として祝っていたと薄ら聞いたことがある。二年前のこの日に「日本憲法」が公布された。「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」と制定された。当時の小学校レベルだと文化と直結するものと言えば作文だったのであろう。だが小学生で文章にしたくなること感動的な事など頻繁に起こらない。寺田寅彦ではないのだから日常生活の「ちょっと」したことなど上手く文章にできるはずがない。当然苦痛になる。僕は数年、同じ題材で年飼っていた小鳥の事を描いた。先生から「主題を変えるように」とは言われなかった。反論は用意していた。「先生、コルトレーンは毎回マイ・フェバリット・シングスをやっていますがあれは良いのですか」先生は困るはずだ。僕もコルトレーンと同様同じことを書いていると上達して文集に載ったことがある。当時は「文化」と言う語がパワーワードであった。文化包丁、文化住宅、文化焚き付け・・・・文化が付くとワンランク上と言う雰囲気を醸し出していた。今で言うと「プレミアム」だろううか・・・・プレミアム商品券みたいな。時代によって流行る言葉が変わっていく。
話は変わる。文化の日はソ連の人工衛星スプートニク2号がライカ犬を乗せて地球の軌道を回った日でもあることを知った。スプートニクの話が出てくると僕は村上春樹の「スプートニクの恋人」を思い出さずにはいられない。
主人公の二人が文学の話をしている。一人の女の子はジャック・ケルアックに心酔している。もう一人はケルアックは名前程度しか知らない。その人って「スプートニクの」と言うくだりがある。「ビートニク」と「スプートニク」を勘違いしているのである。この下りが妙に可笑しい。そしてこの種の勘違いはよくあるのである。
「憧れのハワイ航路」と言う昭和歌謡がある。これを「憧れのホイコウロー」と言った人がいた。
スプートニクスの成功によってソ連は宇宙開発ではアメリカに一歩先んじ、スプートニクスというグループサウンズが「霧のカレリア」と言う曲を大ヒットさせた。
僕は黛ジュンのヒット曲「恋のハレルヤ」と「霧のカレリア」を間違える文化の日

腹立ち日記vol14

菅原一秀経産相に続き河井克行法相も辞任した。
「計算高い人が辞任したらしいな」
「ほう、そうかい」
一週間に二人である。荻生田光一文科相も首が危ないと思ったのか民間検定試験の導入を簡単に延期してしまった。前者二人は追及から逃れるために辞任したに過ぎない。辞任すれば説明を避けられるという風習はいつからできたのか。安倍総理も任命責任は私にあると言いながら真相究明は何もしていない。国民をスティーブ愚弄するマンもいい加減にしてほしい。
スキャンダル、失政をすべて隠蔽。ハービー深コックなモラル崩壊に陥っている。馬鹿馬鹿しくて政治に無関心になる気持ちもわかる。だがちょっと待ってほしい。そうなると敵の思うつぼである。党派は関係ない。人としてタッド駄目ロンである。ジャズもロックもサルサも演歌もない。糞は糞である

腹立ち日記vol13

今回は総務省に物申す。電波行政の監督官庁として放送業界ににらみを利かし現政権を援護射撃している。
高市早苗総務大臣が16年2月衆議院予算委員会で政治的に不公平な報道を繰り返した場合電波停止もありうると答弁をした。だが不公平とは何だろうか。自民党の政策はこうです,立憲民主はこうですと横並びにすることが公平だとは思わない。政策のカタログ販売が使命ではないのだから。社会で共有されているある種の正義にかなっているかどうかが問題なのだ。その地味だが力のある官庁が血税の無駄遣いの宝庫だ。18億使ったサイバー攻撃対策システムは2年で廃止。2000億投資した住基カードは普及率55%で廃止。マイナンバーカードは初期費用2700億、年間維持費300億で普及率13%、今年度の予算2100億要求。僕は両方のカードとも持っていないが何ら生活に支障はない。何とか年金貰える年まで生き延びたが雀の涙程度の金額から介護保険等が天引きされている。昔コロンビアトップ・ライトの漫才で厚生省とは厚かましく生きて省みない役所と言う落ちがあったが実感として感じる。ああ、今回は総務省だった。厚生省よ首を洗って待っておれ。
追伸
書いているうちに色々なことを思い出してくる。jazz barのオヤジの公平な報道とは何かという問題である。lazz barは官庁ではないので何を言ってもヘイトスピーチ以外は法に抵触することはない。音楽について語るにあたって僕もある種の倫理観は持って言っているつもりであるが「営業妨害」だの「傷つく」だの言われると舌に苔が生えてくるのである。この問題はまた機会を見てじっくりと・・・・・。
吉本隆明の詩の一節を思い出した。
「僕が真実を口にすると、世界が凍る」

選挙続報

またブログを更新しているが7月21日の選挙の時点でしばらく止まっていた。何人かの方から「毎回読んでいる」とか「体調が悪いのか」とか励ましやら安否確認の連絡をいただいた。主な原因は長期にわたる家の前の道路工事でまともに寝られない日が続いていたせいだ。店が遅くなるとどうせ帰っても寝られないと思い店で仮眠をとる生活になり生活のリズムが狂ってしまった。
改憲勢力が2/3を超えなかったことに安堵してと文章が終わっている。
その後対韓関係、対中関係が微妙に動き出した。そしてそのことが安倍政権が考える憲法問題をあぶり出している。嫌中言説が抑え込まれ嫌韓言説が目につきだしたのである。民主体制より強権体制の方が望ましいと考えだしたのである。そういう勢力にとっては「改憲」は「非民主化」とほぼ同義語である。それと市場経済の組み合わせで中国の様な9回裏逆転満塁ホームランでの勝利を現政権は夢見ているようだ。
もう日本は身の丈の生活でいいです。
この「身の丈」の使い方はあっていると思うがどうでしょう

目撃者

近所のスーパーに買い物に行っていた。スーパーの係員と思しき人が来店者の自転車の籠の中をチェックしていた。その係員二人は店内に入るとある老夫人に「お話があります。一緒に来てください」と事務所の方に連れ去った。万引きである。そして、その老婦人はある常連客の母親であった。常連客は数年前に病死したと風の噂で聞いた。我儘し放題であったが憎めないに人間でもあった。子供の頃から食事は自分だけ好きなメニューで家族とは違うものを食べていたと豪語していた。母親も嬉々としてそうしていたという。その常連客が40歳ころだったと思う。よく僕の店の前で待っていて「今日、行くと思いますので渡してください」とデパートで買ってきた総菜を渡された。一つは僕にという事であった。その常連客Xは飲みすぎると翌日遅刻して叱責されるという行為を繰り返していた。危ないと思う日はモーニングコールを掛けるというチャージは含まれないサービスもしていた。Xはある時からパタッと来なくなった。会社を首になったという噂を聞いた。最後に来た時には杖をついてきた。二年間家から一歩も出なかったから足が弱ったとのことだ。タバコは母親に買いに行かせたという。
「今日は付けでいい」
「いいよ」来るのは最後と言う予感がした。
ボウモアを何杯か飲んでタクシーで帰っていった。
亡くなったと聞いた時はいたたまれなくなった。
溺愛した息子が亡くなったせいかは判らないが生きる指針を失った母親の姿を目撃してしまったのはもっと居た堪れなかった。