jazz紳士交遊録vol4

僕は「赤い糸」で結ばれるという現象を信じるタイプである。昨日、松島が帰り今日はセッション。この日は僕にとって伝票整理したり、HPのスケジュールを更新する事務作業の日であった。
最初に客がピアニストの井上祐一であった。東京では松島とも演奏する同世代の演奏家である。lazyでも2年前に松島と共演してもらった。幸い今日のセッションは参加者が少なく、井上のピアノをたっぷりと聞く事が出来た。学生の頃から知っているが若いころはビ・バップ一筋、ほかの要素を入れることを毛嫌いしている感があった。50歳過ぎて演奏は一回りも、二回りも大きくなっている。そして、まず人間味が出てきた。しばらくぶりという事でもあるのでお土産を持ってセッションに来た。僕はお土産に弱い。お土産を持ってくる奴に悪いやつはいない・・・・と思いたい。
近況をざっと聞いた。一昨日向井滋春と演奏したという事である。最近またレコードがきける環境になった。何千枚もある中からトニー木庭と言うドラマーのリーダーアルバムを引っ張り出してきた。トニー木庭のドラムは向井グルプで一度だけ聞いたことがある。まだ10代であった。圧倒的なエネルギーと切れのいいリズムに打ちのめされた。こんな縁もあるのである。
井上は大友義夫さんは体調せいかツァーに行かなくなったとも言っていた。前回の交遊録で書いた[left alone]の大友さんである。
大友さんには申し訳ないが1週間で2回も思い出すことは20年ほどなかった。
まだ「赤い糸」で結ばれた人が出てくるかもしれない。今日は新調した下着で店に行こうと思う。

2019.11.15 松島啓之4 

松島啓之(tp)本山禎朗(p)柳 真也(b)伊藤宏樹(ds)
 ジャズ喫茶に通っていたころを思い出す。店側は特定の楽器編成に偏らないことを選択基準にしていたので、色々な演奏に接することが出来た。レコード店でも見かけないものも結構かかっていた。その記憶をぼんやり纏めると、管楽器は華だなぁということになるかも知れない。レコちゃん(レコードを選ぶバイトさん)が持ってきたものを、店主がその適否を決定するのだが、ああいう光景は懐かしいものだ。広範な盤選択の中でバップは暗黙のリクエストを受けるかのように、ターンテーブルに乗っていた。誰かが音楽には二種類あって、“聴いたことのある音楽”と“聴いたことのない音楽”だと言っていた。この分類は、あることに関しての体験や知見があったかどうかの区分に過ぎず、音楽の分類である必要はない。ジャズ喫茶の客は満足度を高めようと“また聴きたい”あるいは“聴いたことが無いのを聴きたい”という動機で、足を運ぶ回数を重ねていくことになるので、先の変な分類に当てはまる一面もある。前置きが長くなったが、ご存知のとおり今日演奏する松島は何度も来演しているが、それは回を重ねるに値する演奏をしてきたことの証左である。そして何といってもバップ感溢れる演奏が彼の聴きどころだ。バップというのは、リズムやコード進行の細分化等々で解説されるが、音楽的定義や分析は専門家に任せるとして、筆者風情には音から汗がほとばしり出る音楽であるというだけで事足りる。その世界を目の前で体現してくれるのが松島なのである。当夜も今日的バップを熱帯的に味わうことができたのであった。演奏曲は、松島の「ジャスト・ビコーズ」、「マイルス・アヘッド」、ガレスピー「And then she stepped」、「Peace」、B・パウエル「Oblivion」、ミュージカルBye, Bye Birdieから「A lot of livin’ to do」、松島「トレジャー」、P・チェンバースの「Ease it」、松島「リトル・ソング」、ドーハム「Lotus Blossom」、「オール・ザ・シングス・ユーアー」。この傑出したトランペッターの共演者の今日について一言。ここのところ本山の充実ぶりには目を見張る。“いよいよ来たな”と声を掛けたくなる演奏だ。柳の得意分野は外交である。成る程、どこのどんな相手にもケチのつく対応はしない。嘘っ気のない伊藤は今日も火中の栗を率先して拾いに行く気合がフル回転だ。
 ジャイアント・バッパーの熱い16文キック炸裂。松島や、なう松島や、いい松島や。三景Very・Much.
(M・Flanagan)

jazz紳士交遊録vol3

長いイントロから始まる。角川映画で「キャバレー」と言うのがあって野村宏伸が主役のsaxプレイヤーを演じていた。テーマ曲が「left alone」で野村が吹くシーンがあった。運指がでたらめでがっかりした記憶がある。「愛情物語」の主役タイロン・パワーはピアニストの役をするにあたって一年間他の仕事を一切入れずピアノの練習に励んだという。それが役作りに生きている。ピアノを弾くシーンではそのままの音を使えるレベルであったが、サントラではカーメン・キチャバレロが吹き替えをやっている。「キャバレー」では勿論吹き替えで大友義夫が吹いている。大友義夫は僕がライブハウスで聴いた最初の東京のプレイヤーであった。艶やかなアルトの音色で「男が女を愛する時」は死ぬほど聞いた。
先週峰厚介さんに来て貰っていた。若々しい演奏で有ったが年齢を重ねないと表現できない何かもあって素晴らしかった。峰さんは若いころalt saxを吹いていてマル・ウォルドロンとアルバムも残している。勿論「leftlone」も演奏している。随分前峰さんと「キャバレー」の話になった。本家本元とやっている人のところへ話がいかなかったのか聞いてみた。
「僕の所へ来たよ。断ったら大友君のところへ行ったんだよ」
やっぱりと思った。
峰さんは愛する臼庭潤の師匠でもある。時々洒落を言う。
右手をぶらぶらさせて「こういうトランペッター知ってる?」と聞く。僕はすぐわかったが何人か外すと嬉しそうに目を細めて言うのである。「フレディ・ハバード・・・・・・・震える手ハバード」
峰さんが言うから笑うのである。
レパートリーに「アール・デコ」と言う曲がある。作曲者はオーネット・コールマンの盟友、ドンチェリーだ。共演者に聞いたのであるが。これを峰さんは「ドンサクランボ作曲。アールデコ」と紹介する時があるらしい。あまりにもそのままなので何も言えなくなる。
洒落は臼庭にちゃんと習うべきだったかもしれない。

jazz紳士交遊録vol2

昨日からtpの松島啓之に来てもらっている。北海道は2日前まで穏やかな天候が続いていた。ところが昨日から真冬並みの寒波が訪れ暴風警報がでた。幸い飛行機は定時に到着しライブ初日はつつがなく終わった。冬の嵐である。札幌には偽の「嵐」も来ていてホテルが取れなかった。一週間前やっとキャンセル待ちで松島の部屋を確保できた。毎回「嵐」には泣かされる。早く活動休止してほしい。
何故かトランペッターとは縁がなかった。だいたいトランペッター自体少ない。一流は数えるほどだ。池田篤に相談した。松島を薦められた。プレイは知っている。問題は人柄だ。危険負担して来てもらっても嫌な奴だったら打ち上げが楽しくない。池田曰「暗くどっぷり飲むタイプです」という事だった。実際会うと暗いと言うより穏やかと言った方が適切かと思う。
松島のことを説明するのに「熱帯jazz楽団」や「ルパンティック6」の名前を出さざるを得ないのだが普段やっている音楽はど真ん中の直球勝負と言った種類である。トランぺットがjazzを牽引していたあのハードバップ全盛の手に汗握る音楽の直系である。
東京のミュージシャンには時々お願いして学生ともやってもらっている。学生の人気投票では松島が一番人気である。その偉ぶらない人柄の故だ。大きな声では言えないが最低人気はT也だ。理由は「怖いです」だ。まあ。しょうがないか・・・・・
一に松島、ニに・ロッソと言う位置は僕の中でしばらく動きそうもない。
まだライブ三日ある。ぜひ松島のビューンと言う剛速球を体感してほしい。

jazz紳士交遊録

あと一か月半で令和元年が終わるが30年前は平成元年が終わるころでもあった。ラジオをつけると平成元年のヒット曲の特集をやっていた。ほとんど知らない曲であったがプリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」だけは知っていた。プリプリがデビューする一年前だと思う。僕はブッキングした板橋文夫Gと全道を1週間ほど旅したことがある。ベースは伊野信義さんであった。グラスなどを割った時に使う定番フレーズ。
「私弁償します」
「いいの、いいの、ブライアン・イーノ信義」の井野信義さんである。
伊野さんは実に真摯な人柄で打ち上げの所謂芸事の話は苦手だと言っていた。
メンバーとは離れた所で静かに飲んでいる井野さんに音楽的な質問をいくつかぶつけたことを覚えている。
井野さんの高校の後輩にあたる渡辺加津美のハーモニセンス。
そして当時ジャーナリズム界では評判の良かったJJ.spirits(峰厚介、佐藤充彦、井野信義、富樫雅彦)の僕の印象。
どの曲も忙しく聴こえ、ゆったりした感じがない。井野さんはこの素人めが・・・・・とは言わず説明してくれた。峰さん以外は皆リズムが早いという事であった。伊野さんは「俺は早いけど、トーサ(充彦さん)はもっと早いんだよ」と言っていた。100M走でピストルがなる前にもう5メートルくらい走っている感じだ。
話はどういう経緯でプリプリの話になったのかは覚えていない。デビュー半年前にベーシスト候補をマネージャーが連れてきて「この子を半年で弾けるようにしてください」と言われたそうである。どのレベルで弾けるというかは相手に預けて取り敢えず教えたそうである。結果は武道館コンサートまでの順風満帆の活動でになった。
半年で驚いてはいけない。若井俊也はベースを弾き始めて3ヶ月でプロになっていたし村上ポンタさんはドラムを買って二週間後には「赤い鳥」のオーディションを受けに行った
ツァーの終わりに井野さんはミンガスのあるレコードを探していると言っていた。
僕はカセットに録音して送ってあげた。まだyou tubeなどない時代である。丁寧な返信ハガキが来た。

2019.11.9 峰 厚介 Mr.Monster

峰厚介(ts)中島弘恵(p)秋田祐二(b)小山彰太(ds)
 峰さんは昨年の年明け以来だ。その日のことを思い出しながら、今後どれくらい、峰さんの生に接することが出来るのだろうかという思いに駆られ、手に取るまま数枚のアルバムを聴いた。ささやかに助走付けをしてから会場に向かった。これまでギリギリまでスコア・チェックするといった厳しい演奏姿勢の峰さんを何度か目撃してきたが、この日のレジェンドは柔和な雰囲気を漂わせていた。時間を押すことなく開演を迎えた。おおよその流れに沿ってみよう。1回目はW・ショーターの逸品「LIMBO」にて開始、中島の「セカンド・ステップ」は次に踏み出す一歩というよりは二の足を踏むとした方が相応しいような曲想。次は峰さんのオリジナル2曲。公演先をひっそり去る時の心情のような「アフター・ザ・チェック・アウト」。聴く側は哀愁のバラッドにチェック・イン。昨年リリースしたアルバムのタイトル曲「バンブー・グローヴ」、パワフルな魅力にぐいぐい引き込まれる。これぞワンホーン・カルテットの醍醐味。2回目は、最近休筆から復活を遂げた時事評論家がタイトルを付けたという中島の「ガンボズ・ステップ」、S・リバースのメロディアスな佳曲「Beatrice」、彰太さんの「月とスッポンティニアスな夢」はタイトルとは逆に深海を彷徨してるような不思議な曲。最後は中島の「スリー・ヒルズ」で、終局の聴かせどころに巻き込んでいった。アンコールはD・チェリーの「Art・Deco」。
峰さんは十代から夜の営業の生バンド需要がある世界で身をもって腕を磨いてきた人だ。そういう出自は、今では縮小過程に入っているのだと思う。現代という時代は、ネットで幾らでも音楽情報を手にすることができるので、土埃をかぶらなくても、ソコソコの考古学者になれるかも知れないような怪しい陰が貼り付いている。とはいえ、最近の台頭著しい若手ミュージシャンたちは、そうした懸念を払拭してくれていることも知っている。彼らは、峰さんをはじめとする偉人たちの描いてきた軌跡をきちんと視野に収めているのだろう。それにしても、ワイルドさありデリケートさあり、そこを自在に往還する風格は、わが国JAZZの覇権を握る演奏家の威容そのものだ。当然の帰結と云おうか、峰ウチでは済まされず、バッサリやられたことのこの快感。今なお湧き出すエナジーによって、Mr.Monsterは今日も峰ブランドをクリエイティヴに更新し続けているのである。
(M・Flanagan)

腹立ち日記vol15

腹が立つのが分かっているがどれだけ政権が劣化しているのかを見届けるためにできるだけ国会中継を聴いている。先日もひどい発言が続いた。安倍首相、英語民間試験に関する文書について質問する今井雅人議員を氏を指差し「(文書は)あなたが作ったんじゃないの?」と不規則発言。謝罪を求める今井氏に対し見苦しい言い訳に終始。それでも棚橋委員長は首相を擁護。その翌日立憲民主党の議員の質問時に「共産党」と野次る。共産党と言う名称を「テロリスト」かのように使う。二重の意味で酷い。
この方先日も地球俯瞰外交だか半分遊びの外遊をアセアン諸国でしてきましたよね。10月に消費税が上がった途端、アセアン諸国への出資倍増。海外バラマキは累計60兆円を突破した。

パトリオット

トランプ大統領が環境基準を決めたパリ協定からの脱退を決めた。一部の鉄鋼関係、自動車関連の労働者から拍手をもって迎い入れられている。支持率も40%を下らない。地球の寿命があと何億年あるかはわからないがトランプ大統領はその寿命を確実に数十年縮めることになるだろう。何十年もたばこを吸い続けた人間がいまさら辞めても寿命には大した影響は出ないだろうと考えるのに似ているかもしれない。「アメリカを守る」・・・・一見美しく響く言葉である。それは愛する者を命懸けで守ると言って悪(これが絶対悪かどうかはわからない)と闘うケビン・コスナーやメル・ギブソン主演のハリウッド映画を彷彿させる。アメリカではこの種の思想がある支持率をもって受け入れられる。簡単な事実を忘れている。アメリカも地球の一部である。
日本はどうか。
「区民を守る」と言ってホームレスの避難を断った区職員。正確には「区民ではない」と言って断ったのだが守ったのは区民ではなく「自分の立場」である。これはトップの安倍総理が日本すら守っていないことの反映である。大は国家レベル、いろいろな所属する組織レベルに分断され、小は個人のレベルまで分断されていく過程が目に浮かぶ。
仏・マクロン大統領の演説が世界から注目を浴びた。
「古い悪魔が再び現れつつあり…ナショナリズムは裏切りです。それは自分さえよければ他者などどうでもよいという考え…倫理観を抹殺する」

トランプ大統領などに対して向けられたものだろうが、一番、安倍首相に当てはまってると思う。

文化の日

11月3日文化の日である。文化の日は僕に文集のことを思い出させる。60年ほど前の事である。小学校で文化の日近くなると必ず作文を書かせられる。優秀作が掲載され全児童に配られる。1948年初めて「文化の日」と言う祝日になった。その前は明治天皇の誕生日として祝っていたと薄ら聞いたことがある。二年前のこの日に「日本憲法」が公布された。「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」と制定された。当時の小学校レベルだと文化と直結するものと言えば作文だったのであろう。だが小学生で文章にしたくなること感動的な事など頻繁に起こらない。寺田寅彦ではないのだから日常生活の「ちょっと」したことなど上手く文章にできるはずがない。当然苦痛になる。僕は数年、同じ題材で年飼っていた小鳥の事を描いた。先生から「主題を変えるように」とは言われなかった。反論は用意していた。「先生、コルトレーンは毎回マイ・フェバリット・シングスをやっていますがあれは良いのですか」先生は困るはずだ。僕もコルトレーンと同様同じことを書いていると上達して文集に載ったことがある。当時は「文化」と言う語がパワーワードであった。文化包丁、文化住宅、文化焚き付け・・・・文化が付くとワンランク上と言う雰囲気を醸し出していた。今で言うと「プレミアム」だろううか・・・・プレミアム商品券みたいな。時代によって流行る言葉が変わっていく。
話は変わる。文化の日はソ連の人工衛星スプートニク2号がライカ犬を乗せて地球の軌道を回った日でもあることを知った。スプートニクの話が出てくると僕は村上春樹の「スプートニクの恋人」を思い出さずにはいられない。
主人公の二人が文学の話をしている。一人の女の子はジャック・ケルアックに心酔している。もう一人はケルアックは名前程度しか知らない。その人って「スプートニクの」と言うくだりがある。「ビートニク」と「スプートニク」を勘違いしているのである。この下りが妙に可笑しい。そしてこの種の勘違いはよくあるのである。
「憧れのハワイ航路」と言う昭和歌謡がある。これを「憧れのホイコウロー」と言った人がいた。
スプートニクスの成功によってソ連は宇宙開発ではアメリカに一歩先んじ、スプートニクスというグループサウンズが「霧のカレリア」と言う曲を大ヒットさせた。
僕は黛ジュンのヒット曲「恋のハレルヤ」と「霧のカレリア」を間違える文化の日

腹立ち日記vol14

菅原一秀経産相に続き河井克行法相も辞任した。
「計算高い人が辞任したらしいな」
「ほう、そうかい」
一週間に二人である。荻生田光一文科相も首が危ないと思ったのか民間検定試験の導入を簡単に延期してしまった。前者二人は追及から逃れるために辞任したに過ぎない。辞任すれば説明を避けられるという風習はいつからできたのか。安倍総理も任命責任は私にあると言いながら真相究明は何もしていない。国民をスティーブ愚弄するマンもいい加減にしてほしい。
スキャンダル、失政をすべて隠蔽。ハービー深コックなモラル崩壊に陥っている。馬鹿馬鹿しくて政治に無関心になる気持ちもわかる。だがちょっと待ってほしい。そうなると敵の思うつぼである。党派は関係ない。人としてタッド駄目ロンである。ジャズもロックもサルサも演歌もない。糞は糞である