初笑い

出来るだけ酉年にかけて
(1)
古今亭志ん生の落語に「弥次郎」というネタがある。法螺話の連続で息をつかせない。
「北海道じゃカモを捕るのに鉄砲はいらないそうだな。」
「どうやるんだい」
「鎌があればいいそうだぜ」
「嘘いえ。できっこないぜ」
「何せ北海道はさむいところだ。湖のそばで鴨が降りてくるのを待つ。足が着くや否や湖が凍ってしまう。鴨は動けなくなっえしまう。そこを見計らって鎌で刈るっていう寸法だ」
「それは簡単だな」
「だから鴨猟が終わると湖面に何本ものカモの足が残っているらしいぜ。それが春になるっていうとそこからまた鴨が生えてくる」
(2)
亡くなった父親は農家の出で僕が子供の頃鶏を絞めた話を聞かされた。
「鶏は卵を提供してくれる大事な生き物だ。だが寿命がある。食べてあげるんだ。首を刎ねて地面に置くとコケコッコーと鳴きながら走り回るんだ」
子供ながら鳴きながら走るのは嘘だろうと分かったがコケコッコーと鳴くのは雄で卵は産まないという事までかけているのに気が付くまで随分かかった。
(3)
年末地下鉄で大阪生まれらしいおばちゃんが紅白歌合戦の話をしていた。
「知らんけど、ことしのトリは嵐らしいな」
「ちやう、ちやう、来年の干支がトリや」
「じゃ、トリの前はなんや」
「嵐の前の静けさ・・・いうやろ、工藤静香あたりやないんか、しらんけど」
(4)
あまり親子どんぶりは食べない。子供の頃ダスティ・ホフマンの主演映画「卒業」が好きであった。訳知りの顔の奴がああいうのを「親子どんぶり」というんだという解説を聞いたからなのかもしれない。

2017年新年のご挨拶

昨年は所属事務所の問題からグループ解散という結論に至り、また覚せい剤使用という過ちを犯し、盛り土問題を報告を怠るという数々のご迷惑をおかけしたことをこの場をお借りしてまずお詫びいたします。それにもかかわらず所属事務所であるlazy birdも何とか持ちこたえ、私自身も生き延びることができました。支えてくださった皆々様に御礼申し上げます。今年の抱負は何かとお尋ねになるかもしれない。私の答えは昨年と同じだ。
「何とか持ちこたえて、生き延びること」ここ数年、これしかない。幸い体も階段から転げ落ちた時の足の痛みだけでここ20年パブロンゴールドで直る程度の風邪しかひかない。これは、イエス様か、お釈迦様かわからないがも少し長生きして誰かのために働きなさいという事の為に授けてくれたギフトだろうと思っている。私の歳で誰かの役に立てれるという実感は精神衛生上かなりのポイントだ。いいライブを増やしたいと思うと必ずジレンマに陥るので愛情をもって聴けるライブか、どうだ、これで文句あるかというライブを増やしたい。

日ロ問題 part2

北海道が大雪で交通が麻痺した日、ロシアでは年末のプーチンの記者会見があった。全世界から記者が1400人、会見時間は4時間。質問内容には日本に関することと北方領土問題に関する事は一切なかったという小さな記事が道新にでていた。これは全世界が北方領土領土に関しては聞くまでもないと思っているいう事の証明だ。それを安倍首相は元島民の手紙をプーチンが読んでくれたと情に訴えて偉大な一歩だと嘯く。福島では今も汚染水が海に垂れ流されているのに完全にコントールされていると発言したのと同様だ。

廃線

北海道の赤字路線が廃線も視野に検討されていたところ鵡川と様似間の廃止が伝達された。復旧に年間13億の負担が自治体に求められる。自治体にはそんな余裕がないから廃線やむなしかという事になる。日高線に限らず赤字路線を切り捨てていけば鉄路は北海道には残らなくなる。ここで根本的な疑問が残る。鉄道は営利事業であっていいのかということだ。憲法二五条の「健康で文化的な最低限度生活を営む権利」に交通手段確保という事は入ってこないのか。国の義務に国民間の平等を守るということがあるはずだ。僕は札幌という大都市に住んでいるので交通の不便さはあまり感じることはないが遠隔地の不便さを補償する義務が国にあるのではないか。今北方領土が話題になっている。相当額の投資がロシアとの関係性の中で行われることになるはずだ。まだ北海道になる前の北方領土にだ。その前に北海道も国土だという事を思い出してほしい。旧国鉄が分割民営化された時にこういうシナリオは見えていたはずなのにそういう政権を選んでしまった。

日ロ問題

序章
ある知識人が日中関係について新聞か雑誌に論説文を書いていた。それがよく当たるという事で外務省の高官が中国にどういうコネクションが有って情報源が何なのかを尋ねに来たという。その U氏は毎日新聞ですと言ったらその公務員はすごすごと帰ったという。大きな流れは毎日新聞だろうが朝日新聞、道新、赤旗であろうが読み解けるという。これは大本営発表の記事を掲載してしているだけではないという時代であることだけは前提としている。そういうことができるのだと思った。取りあえず新聞を隅から隅まで読んでみようと思った。今までは見出しだけざっと読みあとは興味ある記事だけ読んである程度たまったらゴミ袋と交換していた。新聞もまじめに読むと結構時間がかかる。職業がら二日酔いのこともある。そういう時は活字など読みたくはない。そうこうしているうちに半年分の新聞がたまってしまった。これを読み切るまでは新刊の本は買わないと軽く心に誓ったが、やはり本の誘惑には勝てず,特高の目をかいくぐり定休日様に数冊の本を買う。日曜日に清原から譲ってもらったシャブを静脈にうち徹夜で読みふける。読み終わると明日からまた新聞を読む生活だとやる気のないサラリーマンのようにため息が出た。ところが現在の状況が分かった上で過去の新聞を読むと微妙な状況が見えてきたりする。まとめて読むと論調が変わってきたりすることにも気が付いたりする。面白い。そうこうしているうちのたまっている新聞が12月8日なくなった。尚且つ10日は資源回収車が来る日だ。ゴミ袋は足りている。ポケットティッシュを貰おう。新聞を読むだけで世界情勢がわかるかを試す時が来た。
予想
安倍首相にしても秋田犬をプレゼントするだけで二島が戻ってくるとは思っていないだろうが経済協力を対話の糸口としてことさら強調するだろうとは思っていた。たいしてプーチンは棚からの牡丹餅はありがたくいただくだろうが領土問題の話になれば安全保障の話しを出しやんわり断るだろうと思っていた。共同記者会見を聞いていた。産経新聞社の記者が領土問題の質問をした所、急に気色ばんでぴしゃりと抑えつけたように聞こえた。ロシア人二人の記者のプーチンへの質問は一人は「シリア問題」でもう一人は温泉と好きな日本食に関する事であった。ああー、相手にされていないと思った。
終章
「ラインの仮橋」というフランス映画がある。その地域は戦争のたびごとにフランスになったりドイツになったりする。逆から考えると領土問題解決の一番手っ取り早い方法は戦争ということになる。ロシアはそういうことを知っている。実際バルト三国の圧力をかけクリミアには軍隊を派遣する国である。そういうやり手のママに貢いだところで
チラッと胸ぐらいは触らせてくれるだろうが絶対に部屋には入れてくれない。「今日は、ダメな日なの、わかるでしょう。もう少し待ってね。」とじらされるだけだ。旧島民の方の平均年齢はは80歳を超えている。問題は10年、20年で片が付くとは思われない。当事者が少なくなれば戦争の記憶と一緒で領土問題も風化していく。残るのは経済協力という名目の中で伸びた経済指標だけという事になりはしないだろうか。経済がまわればどうとでもなると思っている人ですから、安倍さんは。

スピーチ

ラジオでスピーチに関する特集をやっていた。リスナーからいろいろな体験談が届く。結婚式の来賓の乾杯の前の長いスピーチでグラスを持つ手がだるくなった経験は皆あるだろうと思う。20分、30分と長さだけコルトレーン並で中身はヤマハ音楽教室風書き譜丸暗記だったりする。これは一か所詰まると頭真っ白になるなるパターンだ。僕も一度だけ見かけたことがあるが途中でフレーズを忘れてしなったのだろう。しどろもどろで話がおわってしまった。ところが席に戻ったら思い出したのだろう、次の人が話をしているのにマイクを奪って「これだけはしべらせてください」と言ってサビの一番いいフレーズを話し出した。その方は宝石会社の社長で「君たちはまだ磨かれていない原石ですが二人で磨きあってダイヤのような家庭を作ってください」という内容であった。まばらな拍手が起きた。余りに唐突な行動であったので30年も前のことなのに覚えている。僕もパーティの司会やら結婚式の祝辞、葬儀の弔辞、宣戦布告、スーパーの呼び込み等一通りやらせてもらったが何となくコツらしきものが分かってきた。いい話にしようとしないことだ。先日lazyに来ていた池田篤がよく言っていたが「xxxxは上手く見せ様としています」これがなかなか難しい。禿のかつら、ブスの厚化粧のごとし。
話を戻す。この放送の中でボブ・ディランのノーベル賞受賞のスピーチに触れていた。ディランは自分の作品をシェークスピアにたとえて話していた。文豪とは正反対の人としてとらえている。シェークスピアは自分の作品を文学と考えたことはないだろう。舞台で上演されることを前提にそこに関わる人を意識していたに違いない。ディランも自分の作品も文学と考えたことはなく受賞の話を聞いたとき戸惑ってしまったという。長年の生活感からの積み上げが作品に投影されているに過ぎない。かっこいい!

北大が危ない

予算が5年間で5億削られると新聞で読んだ。これは新規教員を雇わず自然減に任すと同時に非常勤講師の首切りが行われ成果を上げる分野に予算を重点配分するという事を意味する。防衛省の研究予算も獲得した。企業との共同研究の記事もよく目にする。北大は全国でも一二を争うキャンバス面積を有する。それを有効利用しようという話が持ち上がり果てはファイターズドームを敷地内に建設する案まで浮上している。バカも休み休みにしてほしい。あの広々としたキャンパスが学生の志に影響しないはずがない。大体教育に効率を持ち込むのは筋違いだ。例えば一単位とるのに半分講義に出るのと全く出ないでとるのとでは後者の方が効率的だという話になり目先の実利に鼻が利く学生を再生生産するに過ぎなくなる。僕はjazz研の学生を通して10年ほど定点観察をしているが極端な効率主義に流れていないので救われる。この問題は北大に限ったことではないと思うが取り敢えず身近な学校なので気になる。これは政府のグローバル主義という名の金持ちがより金持ちになるしくみを学生のうちから植え付けるのに寄与している。ある程度経済成長して人口が減少する国はGDPは伸び悩むのが当たり前で経済成長率という幻想に重みを置くのはやめてもらいたい。昔売れていた女優が何度も整形をして若作りをしているようで見苦しい。美しく年を重ねる吉永小百合を見習ってほしい。

ブラック企業

今長時間の残業による過労死が問題になっている。40数年前新卒で入った時のことを思い出した。研修が終わって札幌に戻って来ると「死のロード」が始まった。残業時間が月200時間を超えることが半年間続く。勿論休みなど一切ない。三日に一度着替えを取りに自宅に戻る程度で会社に寝泊まりする。仮眠するといってもベッドがあるわけでなく応接用のソファーを早い者勝ちで奪い合う。それにあぶれるとリノリュウムの床にカーペットの切れ端を敷いてホームレスのように横になる。ああ、畳の上で寝たいと真剣に思った。酒には寛容な会社で女子社員が帰ると取り敢えず今日も頑張ろうとビールで乾杯になる。僕は経理でコンピュータが帳票類を打ち出すまで時々数時間手が空いたりする。仮眠とってもいいと許可が出たりする。倉庫に行くと見本商品の羽毛布団があった。背に腹は代えられぬ。商品のうえで寝た。今でもあの快眠感は覚えている。朝方遠くに「おーい。吉田」と呼ぶ上司の声が聞こえた。一人当たりの売上高業界一とかいう触れ込みであったが今考えると人使いが荒い会社だったというだけなのだが当時は何か自分たちが有能であるかのように錯覚していた。勿論それが会社の戦略なのだが。そんな生活が続いても上司にも会社にも恨みはなかった。新規事業を立ち上げるということはそういうことだと思っていたし、いずれトンネルは抜けることは想像できたので耐えられた。そうは言ってもたまに家に帰ってもコルトレーンを聴く心の余裕はなくピンクキャバレーで憂さを晴らすのが関の山だった。ネットで書き込みがされているように今の若いもんは二桁の残業時間にも耐えられんのかという事を言いたいのではない。企業組織というものは程度の差はあれそういうものだと思って付き合ったほうが良い。それでも辛いなら相性が悪いという事なので辞めた方が得策だ。僕は適当な性格なので・・・・・(今はそう思っているが当時はまだ組織の抑制力があったので自分はまじめだと思っていた)なんとかもった。人使いも荒いし最後は会社更生法適用も受けた会社の金繰りもやったので今の儲からないライブハウスを何とかやるのにも妙に役に立っている。

オージーブーム

昨日ここ2か月で5人目になるオーストラリア人が来店した。ニセコ、倶知安はオーストラリア景気に沸いているがlazyもその恩恵をほんのちょっとだけ頂いてる。だがアベノミクスのトリクルダウンでは断じてない。カナダに帰ったマークがlazyのことを英語で紹介してくれているからだ。僕はいつもウォルシングマチルダを歌って歓迎している。オーストラリアでは国歌より有名な曲だ。このことはオーストラリアに音楽を習いに行ったキム・ハクエイから聞いた。昨日来てくれたジェイムスにオーストライリアで一番有名なjazzミュージシャンはハクエイがjazzを習っていたマイク・ノックだろと聞いたがその人は知らないといわれた。フラメンコギターも好きだということでパコ・デルシアやビンセント・アミーゴの話で盛り上がった。好きなjazzミュージシャンはキース・ジャレットで好きなスタンダードはwaveだという。ライブを終えたwaveを弾ける東区のキース・ジャレットことM山がいたので日豪親善のために1曲弾いてもらった。そう言えば前回新婚旅行で来たオーストラリアのカップルが来た時もM山がいてダラー・ブランドの「ウエディング」弾いてやってくれとお願いしたがレパートリーにないといわれた。2度あることは3度ある。「ウォルシングマチルダ」と「ウエデイング」はレパトリーに入れておいたほうがいい。マークにはあらためて感謝している。お中元にオジービーフのしぐれ煮を送ろうと思っている。

参院選

参院選の結果を暗澹たる気持ちで眺めていたらやはりやって来た.「改憲を国民的議論の俎上に載せて・・・・」
選挙中は封印していたドスをさっそく抜いて見せた。背中に入れ墨をしょっている人間は背広着て髪を七三に分けようがやくざはやくざに変わりはない。まず「お試し改憲」で様子をみて本隊がやって来る。経済、経済といい経済がうまく回れば大体のことは人は忘れるとよんでいる。金がないのがつらいのは事実だ。だがどこかの大臣が福島県民に「所詮金目でしょう」といったセリフに象徴されるのが安倍政権の国民観だ。我々を馬鹿にするのもほどほどにしてほしい。仏のfaceもthree timeだ。これからの最悪のシナリオはどこかで、紛争に自衛隊が巻き込まれマスコミもこぞって「この死をむだにしていいのか」といいだす。既成事実ができてしまえば後は「国家緊急事態」といってしまえばどうとでもなる。
今回の選挙は政策論もかみ合わないまま与党の結果圧勝に終わってしまった。確かに投票したくなる政党がなかったかもしれない。ただ安倍晋三を首相の座から引きずり下ろす結果にできなかったのは今後の日本の将来に暗い影を投げかけていると思えてならない。