渡航中止勧告

アメリカが日本への渡航中止勧告を出した。米五輪委は渡航中止勧告を受け選手団の派遣を中止すると思いきや「安全な参加を確信」していると声明を出した。
意外な感じがした。選手派遣には渡航が不可欠であるはずだ。アメリカでも言葉のすり替えが流行りつつある。全滅が玉砕、撤退を転進、武器輸出を装備移転、出鱈目をフリー、技術不足を「感性の赴くままに・・・」枚挙にいとまがない。選手派遣は選手移転と言うのかもしれないし日米の五輪組織委員会は水面下で密約が結ばれていたのかもしれない。
丸川五輪担当相も橋本組織委員長も渡航中止勧告は五輪開催に影響はないと明言している。
もう落語の世界だ。「こちとら江戸っ子だい、つまらないことでジタバタするんじゃないや・。矢でも鉄砲でもウィルスでももってきやがれ」
海外選手の行動ルールは明記されている。バブル方式と言う外部との接触を遮断する方式である。百歩譲って効果があるとしよう。だがこれを遂行するためには医療関係者の協力等相当な人的資源、資金を必要とする。それに朝の山のようにこっそり抜け出してキャバクラに行く選手だって何人かいるはずだ。非常事態宣言が延長されようとしている現在資源は一般のコロナ対策に投入すべきと考える。
中止にする最後のチャンスである。
国連のアントニオ・グテーレス事務総長がコロナ禍を「戦時中」との見解を表明した。東京五輪の開催中止につながる可能性が出てきた。
 フランスのラジオ局「RTL」によるとスイス・ローザンヌ大学行政学教授でIOCの要職にもあったジャンルプ・シャプレ氏は「参加者の安全が深刻に脅かされている場合」には開催都市からIOCに対して開催を返上できる規定があると指摘している。その具体例として1940年に開催が決まっていた東京五輪が日中戦争のため日本側から開催を返上した例を挙げている。
日本の現在のコロナ禍が「戦時中」と世界的に認められれば、日本側から開催を中止にできる権利があり賠償金も生じない。
その施策を取らないと言う事は裏に相当な理由があると考えざるを得ない。
付記
昨日狐を見かけた。雑木林などない住宅地の真ん中である。すれ違ってもこちらを一顧だにせず涼しい顔して北に向かって歩いて行った。
ああ、ここはfoxy一方通行だ

妖怪たちの正体

オリンピック自体無限増殖ウィルスの様な物体になっている。そこには人間の着ぐるみを着た妖怪たちがへばりついている。
「五輪の夢(=私の利益)を実現するために誰も(=日本国民)がいくらかの犠牲を払わないといけない」バッハ会長の発言である。完全に日本人を舐めている。普段韓国や中国に居丈高の発言をされ時に立腹する自称愛国者のお歴々は大人しく糞まみれのドイツ人の靴を舐めている。
政権も「国民の安全安心を守ることを最優先に・・・・」とK・ベイシーのApril in Pariの定番フレーズよろしく耳にたこができるほど繰り返す。なぜ菅総理はここまで五輪に執心するのか。いくつか理由はあるのだが「森喜朗元総理の五輪利権を守らないと、党総裁の再選で細田派の支持が得られなくなる」という個人的な動機もあるという。こんな理由で国民の命が後回しにされる。
先日マラソンのテスト大会があると言うので札幌の大通公園の芝が剥がされていた。今は代々木公園で大規模な樹の剪定作業がされている。無観客試合に代わるパブリッック ビューイングの会場設営の為だ。3万5千人規模で電通の企画である。無観客の意味が全くない。居酒屋に休業要請をしたら家飲みの学生からクラスターがでたという事例に近いことになる。
政権内部からまたあほな意見が飛び出した。平井デジタル相が「パンデミック下でのオリンピック開催というモデルを日本が初めて作る」と自慢している。飢饉なのに年貢を取り立てて嬉々としている名和宏のような地頭の顔が思い浮かぶ。蛮行を誇るほどこの国の指導者の倫理観は地に落ちている。
明日5月26日11時からJTBで東京オリンピックツアーが販売される。
無観客じゃないのか。収容人数も発表になっていないはずなのに。「また二階から鼻薬」と言う事なのか
「変人よ」のヒット曲を作曲した五輪真弓が一句作った。
命より金が大事と思いたい
「きん」と読んでも「かね」と読んでも。

オリンピックとワクチン vol4

オリンピックとワクチン vol4
道新の社会面に北海道からのお願いと言う非常事態宣言の大きな広告がある。その上には「緊急事態宣言でも五輪開催」という記事がある。IOCの調整委員長のコーツなる人物が明言している。テスト大会が安全に行われたと言うのである。規模が違う、規模が。大体このコーツ何様のつもりだ。五輪終了後の日本の地獄絵図など眼中にない。ぼったくり男爵も発言している。今が忍耐の時期である・・・・お前から言われたくないわ。
終了後二人は料亭百川で密会するはずである。
「バッハ男爵、こちらが日本からの上納金でございます」と千両箱を差し出す。
「コーツ屋、おぬしも悪やのう」
「男爵様こそ」ハッ、ハッ、ハッ、ハッハ。完
あら、終わってしまった。悪者は水戸黄門に成敗されるのではないのか。こんな水戸黄門見たくない。
あの対策分科会の番犬尾身茂会長でさえ、医者としての良心が痛むのか、開催可否判断にまで踏み込んだ発言をした。
携帯ない高齢男性のワクチン予約状況記事があった。区役所では受け付けていない。携帯電話を持っていないため、職員に案内されて区役所内の公衆電話へ向かった。10円玉を積み上げ、3時間半にわたってかけ続けたが、「全然つながらん。あかんわ」とあった。

オリンピックとワクチンvo3

 

4月半ば橋本聖子五輪担当相の会見は以下のものであった。

「ワクチンは前提としない。ワクチンがなくても安心安全な大会ができるように、準備を進めている段階」

ところが6月1日から五輪の日本代表選手にワクチン優先接種を開始するとの情報がスクープされた。繰り返される嘘の波状攻撃。

五輪選手と役員は選手村で毎日PCR検査を受ける事になっている。現在は東京都都民に一日一万件程度の検査しかできていないのに7万人ともいわれる関係者にPCR検査をすることは常軌を逸している。逆になぜ今できないのかと問いたい。

“ぼったくり男爵”の源氏名がぴったりのバッハ会長はじめ五輪関係者は「14日間の隔離」の免除など入国特権が与えられておりIOC幹部は高級ホテルでの左団扇生活が保障されている。

1泊300万円のオークラやANAコンチネンタルが4万4000円で宿泊できる。差額は東京都が支払う。足りない分は政府が支払う。と言う事は我々が支払っているのである。

五輪観戦に子供たちが動員される。感染危機にさらされるのも心配であるが戦前の精神教育の匂いもするのである。

元アスリートでもあった橋本聖子組織委員長は子供たちにアスリートからの感動を実感してほしいみたいな発言をしている。いつからアスリートは感動を授ける上級人間になったのか。早く走って、遠くに投げて、たくさん点を取れ事に専念すればいいのではないか。感動するしないはこちらの専権事項である。感動は日常生活にだって落ちている。震える手で書いてくれた年賀状、手を引きながら買い物に来る老夫婦、いつも元気に挨拶をくれる八百屋のお姉さんだったりする。

頭の悪いミュージシャンは多いが「枯葉で感動を与えたい」と言う馬鹿野郎にはまだ出会っていない。

 

 

 

ワクチンの行方

 

札幌でもワクチンの接種予約が始まった。案の定初日からパンク状態だ。かかりつけ医には電話がつながらず、集団接種センターへのネット予約は40分で終了した。75歳以上の高齢者だ。一人暮らしの老人にはネット環境そのものがない人だっている。ここでもうある種の選別がされている。共助もされないあなたは自己責任だと言われているに等しい。かかりつけ医につながったとしても半年以内の受診履歴がないとかかりつけ医とは認められず集団接種の方に回されると言う。しばらく顔を出していなかったスナックのボトルが流されるのと訳が違う。

僕は25年病院に行ったことのない健康優良爺だ。お国の厚生事業に負担をかけないようにつつましく生きてきたのに鼻から相手にされないと言う事になる。自分は最初から抽選方式が良いと思っていた。今までもいろいろな給付金の関係でコールセンターに電話をした。あのつながるまでの時間が永遠に思えるくらい長く無駄に感ずる。そんなことなら少し待つから確実な方法にしてくれと思うのである。気が短いのか長いのか良く分からない。

医療者ワクチンの接種も思うように進んでいない。希望者の25%の接種率だ。この業務がまた広告代理店に委託されているのである。情報集約と手配業務が追い付かずワクチンの行き場が決まらない状態になっている。また電通パソナ系の代理店である。こんな業務広告代理店を通す意味があるのか。

政府は7月までに高齢者の接種だけでも終えて実績を見せたいと躍起である。群馬県太田市の状況が話題になっていた。総務省幹部「7月中にワクチン接種を終えてください」と連絡が入った。まだひと箱も届いていないのに無理だと市長が答えると急いでやるので兎に角7月には終えてほしと念を押された。なぜこんなところに総務省が出てくるのか。「おお、わかっているだろうが交付金を握っているのはうちだからな」と恫喝してるのである。大規模接種に自衛隊が駆り出された。自治体の大規模接種に自衛隊が駆り出されたのではなく自治体情報とリンクしない形で防衛省に丸投げされたのである。又思い付きである。朝日新聞AERAと毎日新聞の記者が適当な予約NOでアクセスしたら予約が取れたと言う事である。これを岸防衛大臣が不正な手段により実施したのは本来の接種希望者の機会を奪う悪質な行為として非難した。システムの問題点を指摘されたと思わなくてはならない。今後AKBのコンサートチケットと同様大量の予約券転売が発生するのは火を見るより明らかだ。実弟の岸防衛相がコーナーに追いつめられるのを見て安倍元総理がロープ越しに参戦してきた。記者二人を「妨害愉快犯」と呼び実弟を庇ったのである。恥の上塗りにコーティング加工をかけたことになってしまった。システムの問題指摘と「妨害愉快犯」の違いが分からない人間はネスカフェを飲んではいけない。・・・・と言っても判らないだろうな。

 

 

学徒動員

都知事候補だった弁護士の宇都宮健児氏が35万筆「五輪中止」署名を集めた。中止要請を都庁に提出し記者会見を行った。海外メディアでも取り上げられたがNHK他テレビ局各社は黙殺した。「コロナに打ち勝った証」に開催するのではなく「対コロナの負け幅を抑えたことの証」として中止することが合理的選択と考える。負け幅と言うのは経済指数や国威高揚ではなく具体的は死者数の話である。
1942年のミッドウェイ海戦の敗北時点で負けを認めて講和していれば、310万人の死者は殆ど死なずに済んだ。南方戦線での餓死病死の野垂死も無く横井さんも小野田さんもジャングルで何十年間も隠れる必要もなく東京大空襲も原爆投下も無かった。「負けを認める」ことを拒んだせいでどれだけのものを失ったのかを歴史に学びたい。歴史を学ぶことはセンター試験の点数を上げるためではない。
僕はアメリカが選手団の派遣を拒否して日本政府は渋々中止を決定するのではと思っていた。だがこのままでは中止されないかもしれない。歴史的惨事としての東京五輪が終わった後に「私は開催に個人的に反対だったのだが、とても『中止』を言い出せる空気ではなかった」と責任者たちが口々に言い訳するありさまが目に浮かぶ。敗戦時の政府中枢関係者の態度とダブって見えてくる。
81万人の小中高生が国威高揚の象徴としてオリンピック観戦に駆り出される。深刻な感染危機にさらされるのは必至である。移動は公共交通、不参加は欠席扱いだと言う。さすがに「運動会がだめでオリンピックはいいのか」とクレームがついた。荻生田文科大臣の答弁を聞いた時は椅子から滑り落ちた。
「それでは、運動会開催の可能性を検討します」
本末転倒も甚だしい。
戦争末期、雨の神宮球場を学生服にゲートルをまいた大学生が行進する映像を思い出す。

「スクールデイズ」 ロバート・B・パーカー著

スペンサーと言う私立探偵が活躍するハードボイルド小説でシリーズ化されている。一作目が出てから優に30年は経っていると思う。20作目位までは新刊が出るとすべて読んでいたが一度離れてしまった。この「スクールデイズ」の間に5,6作あるようだ。曖昧な紹介で話を始めるのは心もとないが調べるのが面倒くさい。古今東西有名な私立探偵は多い。ダーシル・ハメットのコンチネンタルオプ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ、ロス・マグドナルドのリュー・アーチャー、ミッキー・スピレーンのマイク・ハマーそして原遼の沢崎。それぞれ個性的だ。マーロウは陰影に富んだ人物として書かれているがスペンサーは分かりやすいキャラクターである。マーロウがT・パーカーだとするとスペンサーはP・ウッズを通り越してバップの大衆化を目指したチャーリー・ベンチュラと言ったほうが良い。深みはないがわかりやすい。スペンサーはそういう探偵だ。現在のような閉塞感の漂う時期にはちゃんと仕事をしてくれる人に会いたくなる。そういったことでこの本を手に取った。
アメリカでは学内での銃撃事件が後を絶たない。「スクールデイズ」もボストン郊外で起きたハイスクールでの銃撃事件が発端である。犯人は最初から分かっている。二人の高校生で投降し自白もしている。謎ときのドキドキ感はない。逮捕された生徒の祖母が「孫は無実」とスペンサーに調査を依頼する。人はみな彼らの行動を動機づけしようとする。スペンサーは何が起こったのかを知りたいと理由だけで奔走する。犯人の親、学校の関係者、警察でさえも忌まわしい事件として葬り去りたいと考えている。事件の裏にある闇の部分が次第にあきらかになっていく。その過程は読んでのお楽しみ。400ページ弱のボリュームだが一日で一気読み。面白い。
ここではスペンサーの事を紹介しようと思う。体は大きい。身長も体重もシリーズのどこかに書いてあったが調べるのが面倒くさい。兎に角大きい。照ノ富士くらい大きい。多分。ヘビー級でボクシングをしていたことが有る。だから強い。強いと言いたいことが言える。「スクールデイズ」でもほとんどヤクザまがいの悪ガキをぼこぼこにしてしまう。おいおい小説とは言えやりすぎではと思う事もある。酒はバトワイザーが好きである。いも美ではない。以前はタバコも吸っていたが「スクールデイズ」では吸っていない。いつ辞めたのか・・・アメリカでも値上がりしたようだから・・・もらい煙草はしていないようである。偉い。探偵としては警官とも関係が良好である。裏組織にもコネがあって情報の収集が早い。と言う事は捜査が早い。ちょっとご都合主義の所があるが読者あっての探偵稼業だ。大目に見よう。今回は登場しなかったが精神科医の彼女がいる。知的で美人でちょっとセクシーだ。キャサリン・ターナーがハマると個人的には思っている。ホークと言う黒人のマブダチもいる。こちらもめっぽう強い。二人いるとランボーとターミネーターがタッグを組んでいるようでどんな悪の巣窟に踏み込んでも安心感がある。探偵小説、ハードボイルド小説と言うのは女性にあまり人気がない。マッチョイズムが横溢していたり逆に一人センチメンタリズムに浸っているからだったりする。だがこのスペンサーシリーズは女性にも受けが良い。登場人物にキャリアを積んだ生き生きとした女性が大勢いてスペンサーが敬意を払っているのがわかる。間違っても「女性がいると捜査が長びく」とは言わない。
数あるシリーズの中で「スクールデイズ」から読むのが良いかどうかは分からない。一作目から読むには数が多すぎる。「初秋」はお勧めできる。

Jazz紳士交遊録vol20 山田玲

山田玲(あきら)の名前を初めて聞いたのは盟友米木康志からであつた。5年前であったと思う。「この前、順子(大西)の所、山田玲とやったんだけれど、あいつ、これから良くなるよ」と言うセリフであった。「良かったよ」ではなく「良くなるよ」であったが米木一流の言い回しである。米木に「良くなるよ」と言われるのは信用保証協会から手形の裏書を貰うようなもので安心である。来てもらう機会を狙っていたが3年前に実現した。その年は若井俊也に54回(だったと思う)演奏してもらった年だ。俊也に自信もって紹介できる若手に来てもらう目標で取り組んだ年であった。その中に山田玲もいた。北島佳乃子、若井俊也で初めて聴いた。ビートがしなやかでスピード感もある・・・といった印象あった。人柄については山田丈造から聞いていた。「可愛い、チンピラと言った感じです」まさにその通りであった。顔が人なつっこい。それにしてもドラムにはチンピラ系が多いのはどうしてだろうか・・・。本田珠也、竹村一哲、伊藤宏樹・・・みんな筋金入りのチンピラだ。チンピラ系にはもう免疫ができているのでワクチンは必要ない。すぐ仲良くなった・・・・と僕は思っているが玲がどう思っているかは聞いていない。玲の会話力を試してみた。玲は鳥取県出身である。「鳥取にはスタバはないけど砂場はあるんだって」「最近スタバもできました」知らなかった。「北海道は交通事故で死ぬ人よりクマに襲われて死ぬ人の方が多いんですって」「それは役立たずの旦那がクマの形相をした奥さんに毎晩いじめられるからだよ」
玲は珠也に習っていたことが有る。玲の宴会芸で「初めてレッスンを受けた時の珠也の物まね」という芸がある。実話なので面白い。
色々なバンドを一緒にやっているドラム、ベースに来てもらうと普段聞いているミュージシャンの演奏が違った局面に行くことが有る。今回は本山禎朗と鹿川暁弓にやってもらった。本山が持ってきた曲がマグロだったとする。マグロは刺身が最高と思っていたがバジルとチャービルを乗せて香草焼きにしてもうまいと気が付くことが有る。そういう聴く側の楽しみを具現化してくれるリズムセクションであった。
米木康志と原大力あるいは米木康志と本田珠也といった日本最高のリズムセクションがある。何十年かしたら俊也と玲もそうなっていると信用保証協会に成り代わって担保する。
ミュージシャンの忘れ物が後を絶たない。CDが一番多いが、譜面、リード、ストラップ、トレーナー、入れ歯。商売道具だったりするので「送ろうか」というとほぼ全員「次回行く時でいいです」と言う。しょうがないので又呼ぶことになる。東京でそう言うマニュアルが出回っているのかもしれない。玲は釣り竿を忘れていった。

マンボNO5のNO4

蔓延防止等特別措置法下に置かれての3日目の金曜日、いきなり緊急事態宣言が出されることになった。コルトレーンチェンジより短いサイクルで変わる政策チェンジではT・フラナガンでなくともついていけない。ライブできる日も今月あと2日。ウィスキーは腐らないがビールは酸っぱくなる。日本酒とビールはブ劣化・ブラザーズなのである。もったいないのでお客さんを返した後シャッターを半分おろし鍵をかけてミュージシャンと反省会と言う名の闇酒場を開店する。地下鉄の最終便も早いのでミュージシャンも11時台には退散する。ライブが終わるのが早いのでいつもより飲まさる。「飲まさる」は北海道特有の言い回しらしいが責任を転嫁する今の政府の真似をしたにすぎない。後かたづけをしていると外が騒々しい。この界隈で営業しているのはlazyとソーラン節をかけて12時過ぎまで開けている居酒屋しかない。パトカーも来ている。蔓延防止等特別措置法でいきなり警察が出てくることはない。そんな世の中になったらG・オーエルの「1984」と同じ監視社会と同じになってしまう。遠巻きで聴くと「仲間内で飲んでいるだけなのにどこが悪い」という店の人間と「いや、けしからん」という自粛警察のいざこざの様だ。こちらも多少の負い目がある。関わり合いにならないようそっと店に帰り息を殺しパトカーが去るのを待った。このご時世。シャッターの前に警官がいると心臓に良くない。クラプトンの「アイ・シャッター・ザ・シェリフ」を掛けてなくてよかった。

2021.5.6-8  16周年第2談

5.6 鹿川暁弓TRIO 鹿川暁弓(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 独自の美意識から異彩を放つ鹿川と東京戦線で活躍する若井と山田との初競演。筆者は鹿川のソロしか聴いたことがなく、必然的にコンボ編成での応酬に関心がいく。以下が演奏曲である。
「In A Sentimental Mood」、「There Is No Greater Love」、「Lonely Woman」、「Hot House」、「Reverie」、「I Hear A Rhapsody」、「Time Waits」、「My Conception」。スタンダードやバップの曲が並んでいるのは少し意外な感じがした。その演奏はソロのときとは異なる印象だ。折角手合わせする相手だからだろうか、押し返すような力強さや冒険心が覗いていたように思う。聴き手がそう思うのだから、本人はスイッチが入りっぱなしだったのだろう。バラードにおいても流れ出す曲においても、彼女を特徴付けるクラシカルなニュアンスを失うことなく作用させていたところに、自身の演奏に向かう姿勢がよく出ていたように思う。なお、鹿川の演奏に狙い目を付ける人をディア・ハンターと言うかどうかは今のところ分かりかねる。 .
5.7 本山3feat.村田千紘  本山禎朗(p)村田千紘(tp) 若井俊也(b)山田玲(ds)
 予定されていた池田篤2daysが事情により延期になってしまい、これは変更プログラムの初日である。実は村田を聴いいたことがない。話によればLBで何度か演奏している田中菜緒子(p)との『村田中』というユニットを中心に活動して来たとのことである。初モノを前にすると気が引き締まるものだが、そんな思いに耽る間もなく、時間制限下の4人編成はスタートを切っていった。最初にG・グライス「In A Night At Tony’s」、急遽客演が決まったとはいえ、原曲のゴキゲンな乗りを一発達成、これだけでおおよそ力量が伝わってくる。A・C・ジョビン「Meditation」の柔らかな冥道感にも味わいがある。我々の良好な助べい根性は、ライブではこんな曲を演って欲しいと願うときがある。その思いが通じたのだろうか「Blue In Green」。選曲も演奏も願ったり叶ったりの素晴らしい出来ばえだ。知名度ほどには聴かれていないと思われるE・マルサリスの「Swing’n At The City」、軽快なミディアム・テンポが気分をほぐす。T・ジョーンズ「Lady Luck」、翌日のトリオ演奏への誘い水か、トランペットが聴きどころの曲にも関わらず、意表を突いて村田レスのトリオ演奏であった。再び村田が入る。LBではあのテナー奏者が何度か採り上げるマイルスの「Baplicity」。初めて聴いたT・シールマンス「For My Lady」、曲の親しみ易さ以上に品を感じさせる。最後は勝手な思い込みではあるがG・グライスの最も有名な「Minority」、これはMajorityが太鼓判を押すだろうアグレッシヴで立派な演奏。少し逸脱を許して頂こう。この国においては、「女性活躍」なる俗な4字を見かけるようになって久しいが、それは男女が同一の地平にいる存在であることよりも、単に男の肩代わりとしての女性像しか期待していないことが透けて見える。村田も前日の鹿川もその音によって、乱暴を働く事なくそれを打ち消していたように思う。いずれ村田の再演があると思うので、その日を楽しみにしたい。
5.8本山揁朗(p)若井俊也(b)山田玲(ds)
 本来フロントにいるべき池田の不在によって、かなりのプレッシャーが掛かっているだろう。池田がいるに匹敵するパフォーマンスを、自らにもリッスナーに対しても納得いく形で求められるからだ。そんなことを思いながらも、このトリオはトリオとしての演るべきことをやっていたと言ってよいのではないか。ほぼ同世代に属しているこの3人は、彼らの音楽意識として透明性を目指すというより、濁り化を残しながらその状態の純度を高めようとしているように思う。彼らがそう思っていないとしても、それはジャズとは何かと問われた時にありうる幾通りかの答えの一つになると思う。面倒な話しを程々にして、この日の演奏曲は、「You&The night&The Music」、「Miles Ahead」、「These Foolish Things」、「Buch&Buch」、「Pensativa」、「We See」、「Fingers In The Window」、「I Remenber April」、「In sentimental Mood」。では、一言づつ。本山は我ここにありに手が届いている。若井の融通無碍なプレイには今回も関心した。山田、音という音を芯で響かせる才腕ドラマーである。
 今般この周年第2弾は、汚れっちまった世の中に今日も悪夢が降りかかる状況下で行われた。言いたい事はそれなりにあるが、今日は50年代のマイルスを聴いて心を鎮めることにする。
(M・Flanagan)