国会演説の反応

ウクライナのゼレンスキー大統領が国会で演説した。今の日本であればこの演説がどう利用されるか予想がついた。
自民党の山東昭子議員が「命を顧みず祖国のために戦う勇気に感動した」とウクライナ人を絶賛した。国の為に命を顧みない行為が賞賛される。何かこんなことが有ったなあと・・・と思い出す。先の戦争で命を落として英霊と言うキャッチコピーを付けられた日本の若者達の事である。
ウクライナの軍人や市民が戦う動機を「祖国の為」と言う乱雑な括りで総括し「国家体制ために戦う図式」を美化礼賛する。そして9条改憲、緊急事態条項導入へと暴走させようする意図が見え隠れする。グランド・ファンク・レイルロードに熱狂したのは60年代末期で終わりにしたい。ウクライナ人が血を流しても国を守ると言う決意は単なる愛国心ではなくもっと高い理念なのだと思う。ロシアから苦労して勝ち取った自由と民主主義への限りない愛着のはずだ。我々には実感しづらいが想像力を働かせるのはジャズに限ったことではない事だけは言っておきたい。
付記
マンボウが終わり通常営業に戻った。前からお客さんは少ないので客足が戻らないという表現は気休めなのかもしれない。周りの店も閉める時間が早い。そんな中4月初めより17週記念のライブを敢行する。今年は一番付き合いの古い米木と珠也のコンビネーションを満喫する企画にした。感染状況は予断を許さない状況だと思うが音楽を聴くだけならあまり危険だとは思えないので軽くお勧めしたい。

ウラジーミルの印象

ウクライナ問題全般を語るだけの見識は持ち合わせていない。只嘗てのプーチンは政治家としてはかなりのやり手であるとの印象を持っている。「やり手」と言う意味はいい目に出るか、悪い目に出るかは保証しない。勿論今回は最悪の目である。だが絶対権力を手にしてからは一気に無能になってしまった。さもありなんだ。ちょっと脅せば何でも手に入ることになれば有能である必要はないからだ。落語に「目黒の秋刀魚」と言うネタがある。初めて庶民の味、秋刀魚を食した殿様がもう一匹食べたくなって家来にその準備時間を与えるために「もう一度、後ろを向いていようか・・・」と言った話である。ウクライナのゼレンスキー大統領は秋刀魚は用意しなかったと言う事である。
ロシアが行っている行為は紛れもない侵略であるが大義名分は「親ロシア派住民」の保護である。このセリフは1939年ポーランドに侵攻するときの大義名分「白ロシア人とウクライナ人の保護」と同じフレーズを平行移調したものである。
プーチンの事を「ウラジーミル」と呼ぶとパーカーの事を「チャーリー」と呼ぶくらい違和感がある。そしてどうしてもあの人の事を想い出してしまう。
「ウラジーミル。君と僕は同じ未来を見ている。…ゴールまでウラジーミル。駆けて駆け、駆け抜けようではありませんか」
晋三君である。27回会談して北方4島に3000億プレゼントしている。確か秋田犬も進呈している。合計3000億4万5000円になるはずだ。2014年のクリミア併合時には安倍政権は北方領土問題でプーチンと交渉しているつもりであったので経済制裁には加わらなかった。今回岸田政権は経済制裁に加わった。国際社会は日本は北方領土を諦めたとみなす。せめて秋田犬だけでも返還してもらおう。
僕は音感が良くないので「ウラジミール、共に駆け抜けよう」に聴こえたが「共に抜け駆けよう」だったのだと思う。ウクライナ侵攻があった日、晋三君は民放に出演し支援者からウラジーミルと友人だったら侵攻を止めるよう助言してくれとの依頼が多数あったと嬉々として喋っていたとの事である。
プーチンはああ見えて洒落者である。お洒落な人間は見えないところに金をかける。
「裏地、見る・・・」
金がかかるとこは脅せばよい
付記
You tubeライブハウス放浪記に取り上げてもらった。その際多くの方からカンパを頂いたようである。製作者より先週頂いた。お名前をお一人づつ挙げるのは控えさせていただくがこの場をお借りして御礼を述べさせていただきたい。
ありがとうございました。
松島&岡クインテットのライブがマンボウに加え大雪で大打撃。メンバーの帰りの航空券繰り替え費用の一部に充当させていただきます。尚、火野正平氏は気を良くし「もう一本取ろうや」と言ってくれているが製作者は今回限りで・・・と言う事であった

冬季オリンピックの印象

大手新聞社の一面記事は全てオリンピック関連である。スポーツ新聞かと言いたい。これは全世界に他の問題よりスポーツが大事という間違ったメッセージを与える。現在国会も会期中であるがテレビもラジオもオリンピック中継である。ラジオでフイギアの中継を聴いてもイメージが掴めない。羽生選手が4回転半ジャンプ失敗しても犬が三回回ってワンと鳴く程度にしか伝わらない。せめてラジオくらいは国会中継を放送してほしい。コロナ対策を含め自分たちの生活がどうなるかが審議されているのである。下らない議論もあるがそれも含めて国民として知っておきたい。札幌は折からの大雪で除雪が追い付かない。そういう中大通り公園のオリンピックのモニュメントだけはすぐさま掘り起こされたと聞く。市民にアンケートも取ると言うがそれが開催の是非に反映されることはない。形作りである。開催費用は算出されているが一度決まってしまえば東京オリンピックの例にもれずマツコ・デラックスの様に膨らんでしまうはずである。その負債はオレオのコード進行の様に回りまわって札幌市民にソロが回ってくるのである。市民団体から札幌オリンピック反対署名が回ってきた。あのIOC委員や甘い汁に群がる中抜き業者を肥え太らせることには断固反対なので署名した。決してウインタースポーツが嫌いなわけではない。道産子なのでスキーもスケートも腕に覚えがある。大蔵山シャンツェのランディングバーンも、札幌オリンピックの女子大回転コースも富良野のWカップコースも滑ったことが有る。Jazzギターよりははるかに上手い。話がコースを外れた。フィニッシュさせる。ジャンプスーツ問題やスケートの審判肩入れ問題は運営方法の問題なのでいろいろ疑問はあるがここで論評するのは控える。気になることは選手の精神性の在り方である。メダルを逃した選手が詫びを入れる。今回の高梨沙羅選手の様に本人は何の落ち度もなく素晴らしいジャンプをした。だが謝るのである。東京オリンピックマラソン銅メダリスト、円谷幸喜選手は重圧に耐えかねて自ら命を絶った。戦後日本は民主化された。ところが個人は対等ではなく「集団と秩序への貢献」で評価される風潮が残っている。それが一部、スポーツ選手のDNAに組み込まれている。日の丸背負ってウイニングランするのは日の丸の鉢巻きを締めて敵艦に突っ込むのと裏表の関係に見えてしょうがない。
高梨沙羅、そしてこれからも出るであろう第二、第三の高梨沙羅を小野田少尉にしてはならない。
付記
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マンボウ日記 vol3

折からの大雪で自宅は階段の所だけは雪掻きしないとならない。サボると段差が見えなくなりスキーのゲレンデ状態になる。以前にその状態で凍ってしまい氷壁を這って登るような姿勢で出入りしていたことが有る。ところが最近は店に行く時間にはコンクリートが出るくらい綺麗に雪掻きがされているのである。共有部分は全くなく僕しか使わない階段がである。あまりに綺麗で気持ちが悪くなるくらいだ。誰かの恩返しかもしれないが鶴や亀を助けた記憶はない。
店の方は路面店なので入り口前は自分でやらなければならない。腰痛を庇いながらいやいややっている。積み上げた雪で道路からは店のドアーは見えない。歩道は寸断され歩行者はつるつるの車道を歩かなくてはならない。歩きなれた道は曇った眼鏡で歩くよりも裸眼でゆっくり歩く方が安全だ。一昨年滑って転んでノートパソコンをダメにした。今日はライブがある。少なくとも演奏者は来るので日本語のリハビリの日になる。近所の店も途中から戦線離脱し休業する店が増えている。マンボウにドカ雪、JRは二日間一本も動いていない。休みたくもなる。
演奏中除雪が入った。こんなことなら雪山を道路の方に崩しておくのだったと後悔する。除雪作業を眺めていると道路の向こうに4人の人影が見えた。腕章をして手にはバインダーを持っている。時短の調査員だ。ワンクルーに一度は見回りに来る。店内を見られると面倒だ。音を消してシャッターを閉める。息を殺してゲシュタポの去るのを待った。アンネの気持ちが良く分かる。幸い除雪・レッドマン中だったのでこちら側には渡って来られないので助かった。
昨日大石学からメールが来た。米木が貞夫さんとホールでタキシード姿で演奏している動画があるから面白いので見るようにとの事だ。回線がつながりづらく次回にチェックすることにした。皆さんからよくこんな通信環境でパソコン動かしてますね・・・と言われるがそういうところは気が長い。こちとら屯田兵の末裔だ。臥薪嘗胆、欲しがりません勝つまでは・・・である。TPの松島から電話が入った。16日からのライブの移動、ホテルの確認である。JRは14日から全線開通の予定である。こういう事は心配してもきりがない。Que sera seraである。
東京でも札幌でも身近に感染者出ているがお互いに流れ弾に当たらないね・・・と笑い合う。まだその余裕がある

マスク論争

高梨沙羅の失格問題の是非が問われている間にあの問題が再燃している。2020年4月安倍晋三総理は全世帯に布マスクを配布すると表明した。その経費260億。ところが作りすぎて8200万枚の保管費が6億。廃棄費用が6000万である。ところが有効活用できないかと言う意見が安倍サイドから出てきた。雑巾やらカイワレ大根の苗床などの活用案が出てきた。こういう事を恥の上塗りと呼ぶのだ。
国会の場でも議論されていた。提案型野党を自称する維新の会はマスク5枚で産着1着作れるとサンプルまで見せて自慢していた。戦時中の物資がない時に座布団で防空頭巾を作ったのとはわけが違う。提案型とはこの程度か・・・。失点は最小限に抑えるのが国民への義務ではないのか。側面から政権を擁護している。
再配布の希望を募ったところ2億8000万枚の申請があり厚生省は調整に追われている。このコロナ対策で猫の手やムカデの足も借りたい時に職員は泣きながら敗戦処理の仕事をしている。再配布にはまだ10億掛かると言う。それで不足している抗原検査キットどれだけ準備できるのだ。 
安倍総理に近い議員が「ただなので貰っておけ」と恫喝し自治体担当者もそれでは「・・・・枚くらい貰っておきましょうか」との軽いノリで引き受けたところも有ると言う。ところが当の安倍総理は恥じるどころか「もっと早くやってもらえると良かった」などと在庫一掃セールにご満悦である。
茨城県では6万枚の希望を出した。土浦市は公共施設でマスクを忘れた市民の為に配ると言う。そんなアホな市民が何千人もいるとは思えない。大半は備蓄目的である。「びーちく」と言う言葉は何となく胡散臭い。倉庫の場所が移動しただけでほとぼりが冷めたころに結局廃棄と言う事になるのではないか。その際移動費、保管費、廃棄費用がすべてかかることは言うまでもない。
安倍総理は稀にみるバカ殿である。
まだこうした発言が許される社会ではあるが。
ロシアンジョークがある
「フルシショフは馬鹿である」と発言した市民がKGBに検挙された。市民は係員に「罪状は侮辱罪か」と聞いた。職員は答える「いや、違う。国家機密漏洩罪である」

マンボウ日記 vol2

マンボウ体制になって10日ほどになる。覚悟はしていたが客足は全く途絶えている。先週は金曜日までお客さんは2人である。一日二人ではない。通してて二人である。折しも大雪、真冬日の連続。虚しく灯油だけが減っていく。2月2日燃料油高騰に対する政府対策の広報が新聞に全面広告で載っていた。小売価格の高騰を避けるための制度で価格を下げる制度ではないと明言している。店と家のタンクを満タンにするとびっくりする金額になる。大体この制度石油元売り業者の5000万の政治券献金に対する見返りの要素が強い。ピート・シーガーは歌うであろう「金はどこへ行った」小売価格には全く反映されていない。土曜日はそこそこ人が来た。結構な差し入れもあったので大宴会になってしまう。それはそれで気をもむところである。近い所での感染の話も聞くようになった。演奏だけを聴いているだけならあまり問題は無いと考えるがこのジャズ関係者の「ええじゃないか、えじゃないか」体質が問題ありとは思うのである。コロナ対策のワクチン接種よりもこの「バカチン対策」のワクチンを打ったほうが有効である。僕も尾身茂会長の様に率先して打つつもりでいる。本当にわかっちゃいるけどやめられない・・・である。
僕自身店が人との接触の出島である。それ以外イエズス会宣教師のように禁欲的な生活を営んである。酒も飲まずタバコも吸わずひたすら求道的な読書に没頭しているのである。ところがあの「打ち上げ」という儀式が始まった途端その仮面が剥がされるのである。
おお神よ・・・禿げた子羊を救いたまえ

婚約破棄

映画「卒業」のラストシーンである。キャサリン・ロス演ずるエレンに対する愛情を確信したベン(ダスティ・ホフマン)は結婚を阻止するために式会場の教会に向かう。途中運悪くガス欠になる。ベンはそこから式場に向かって激走するのである。間に合うか・・・ベン・・。着いた時には式はもう始まっていた。ベンは二階のガラス越しに「エレン・・・エレン」と叫ぶのである。気が付いたエレンも「ベン」と叫び周りの家族を押しのけて教会を脱出する。二人はたまたま来たバスに乗り込む。満面の笑顔である。映画的にはめでたしめでたしで終わる。
だが現実的に残された新郎はいい面の皮である。
そんなことを思い起こさせる会見があった。立憲の泉代表が「参院選は共産党との連携を白紙に戻す」と発表したのである。公党同士の取り決めを一方的に破棄した。先の衆議院選で象徴的な選挙区があった。東京8区である。共産党候補が野党共闘の名のもとに立候補を取り下げ立憲の吉田はるみ候補が幸勝し大物議員石原伸晃氏を引きずり下ろすことができたのである。
泉健太氏は野党第一党を引っ張る器ではない。実際維新にその座を奪われつつある。本当に信義にもとる行為をしてくれたものだ。無銭飲食と変わりない。
政治の世界でもjazz界でもこういう行為をするものは許せない。
それにしても参院選は困ったことになる。

我が逃走 vol2

「ヒットラー発言」の件で維新の会、馬場信幸共同代表が菅直人氏の事務所を訪ね謝罪を要求したという。菅氏は橋下徹氏と維新の会の関係を尋ねると創業者であるが現在は全く無関係と答えた。党と無関係な橋本氏の件で代表が抗議に来ること自体論外である。橋下徹氏は維新の隠れオーナー社長でありながら公式には民間人の扱いであるのでテレビ局は放送法第4条の政治的公平性を気にする事無く「客寄せパンダ」に利用し視聴率を稼いでいる。維新もマスコミへの登場回数で大衆への浸透を図っている。どっちもどっちである。時代劇で言えば「越後屋そなたは悪よのう」「お代官様こそ」ははははは・・・コマーシャル。後は水戸黄門の出番を待てばよい。だが現実には我々市民が裁かなくてはならない。ミュージシャンもコンビニ従業員も家政婦も見た、黄門である。
今日2月2日の予算委員会で維新の足立康史議員が質問に立っていた。この問題を立憲に謝罪する様政府に求めていた。筋違いも甚だしい。この議員自身のツイッターで「立民は北朝鮮の工作員そういわれても仕方ないよね」と呟いている。ついでに紹介するなら
馬場信幸維新の共同代表
「立憲民主党は日本に絶対必要ない。」
松尾翔太党員
「共産党はきちがいだから放置しているだけ」と発信している。こうなると醜いとしか言いようがない。
重ねて言うがナチスやヒトラーが行ったのは「ホロコースト」だけではない。初期段階では共産党への不当な攻撃を政治利用し、周到な宣伝(プロパガンダ)手法を駆使して大衆を扇動した。
それらの点で維新になぞらえるのは正当な論評と考える。
維新の戦略を侮ってはいけない。自民と維新が組む世の中など想像したくないがそれこそ悪代官と越後屋がタッグを組むようなものだ。

我が逃走

元総理菅直人氏が維新のオーナー隠れ社長、橋下徹氏を「ヒトラーのようだ」と発言して物議を醸し出している。維新から立憲の泉健太代表に抗議文が届けられた。ところが泉代表は個人のツイッター上の事なので党としては関与しないとした。元々根拠のない言いがかりである。堂々と対峙してほしかった。この代表就任時から提案型国会審議を目指すといいながら世論が対峙型も求めていると見るや方針を変える。何事も丸く収めようとの姿勢が見え見えだ。逃げをうっては人心は離れていく。あなたがきれいな女性で彼氏と歩いているとする。その時ガラの悪いチンピラ風情が絡んできた。もし彼氏が逃げたとしたらその彼氏を信用するであろうか。ただあなたの美貌がそれほどではないとしたら政府の女性活躍推進法を思い出し、彼と一緒に戦うべきである。ヒトラーでさえ「我が闘争」なのであるから・・・。
菅氏は橋本氏をアウシッビッツに何百万にも送り込んだヒトラーに例えているわけではない。
その初期の弁舌、大衆の人心のとらえ方の手法に於いて類似点があると主張しているのである。勿論許容できないものとしてである。以前麻生太郎氏がナチスの政治手法を真似るのは有効だ・・と発言し石原慎太郎氏も「橋下徹氏は若いころのヒトラー」と発言している。両氏とも誉め言葉として使っていた。この時はあまり大きな問題になったとは記憶していない。
橋下徹氏は大阪市長時代、全職員に対して思想調査を行った人間である。だがマスメディアと市民の反応は鈍かった。今日の支持政党の世論調査で維新が立憲民主党を抜き第2党になっていた。日経新聞の調査なので話8割としても危険な兆候である。全体主義的な政治家が現れどんどん勢力を伸ばしているのにマスメディアでは警報もならない。橋本氏はヒトラーに例えるのは国際法上でも問題があると嘯いている。実際今のフランスではコロナ政策に反発しているフランス国民がマクロン大統領をヒトラーに見立てた看板を持って盛んにデモを行っているが国際的に問題になったとは聞いていない。
次の発言は菅氏を評した橋本氏のものである。
「民主国家の政権は期限付きのある種の独裁だという本質の理解がなければ政権も獲れないしそれを運営することもできない。この本質の理解がなかったからあんなマニフェストを作り消費税増税をやって有権者から見放されたことをまだ分かっていないの?」
相変わらず民主主義に関するデマを流し続けている。維新関係の人物はマスコミへの露出度が高い。混乱期の人心掌握手法はナチのゲッペルスのそれである。
民主主義の本質は決定前の議論であり、勝った者が支配する独裁ではない。
ヒトラー的政治家をヒトラー的と批判できないと、ヒトラー的政治家の再発を防止することは出来ない。
相田和弘というノンフィクションの映像作家がいる。
相田氏は橋下氏と維新の台頭、そして第二次安倍政権樹立の流れを評して、「熱狂なきファシズム」と呼んだ。じわじわ、こそこそ、低温火傷のようにゆっくりと進んでいく全体主義。それは現在でも進行中で、どんどん重篤化していく。そしてコロナ禍で一気に進んだ感があるという。
付記
おすすめ本
「熱狂なきファシズム」相田和弘
去年の秋まで4丁目角に蔦屋があった。そこにはミニシアターのコーナーがあって相田監督のDVDもまとめて展示されていた。他の店は味噌も糞も一緒で探すだけでめげる。見つけたら是非見てもらいたい。

マンボウ日記 vol1

マンボウになって5日目である。ミュージシャンでライブを休みたいという者はいなかった。と言う事で店は開けている。二時間黙って音楽を聴くとことが感染拡大の根源だとは思わないからだ。ライブの無い日も一応店には来ている。お客さんが来ることを期待して開けているわけではない。雪掻きとパソコンを使う事務作業の為である。何せ自宅にはネット環境が整っていない。ずいぶん前に解約してしまった。何もしたくない時ついつい「あれ」の動画を見てしまうからだ。「あれ」を見だすときりがない。それでなくとも残されている時間はそんなに多くないのに晩節を「あれ」に費やすのは馬鹿げている。抑止力は自分の道徳心だけである。
「あれ」は大衆の嗜好に合わせて次々と新兵器が出てくる。それに対抗するのは莫大な費用が掛かる。敵基地攻撃能力を常備するのに次から次へと武器を買わされている今の日本を見るようである。「あれ」に出てくるおもちゃも北朝鮮が打ち上げているミサイルも大人のおもちゃに見えてしょうがない。
2月の半ば、東京から松島啓之、岡淳、原大力を迎えて延べ8日間の「あれ」をやる。ついつい「あれ」と言ってしまった。隠す必要はない。ライブである。東京にいても札幌に居てもリスクは同じである。移動によって感染拡大のお先棒をほんのちょっと担いでいる自覚はある。半年前に考えた企画である。共演を心待ちにしている札幌のミュージシャンもいる。お客さんは少ないであろうがやることにした。店の寿命を延ばすことを考えるのならやらないほうが良いに決まっている。だが延命装置を付けたような生き方したくないのでついついやってしまう。そういう意味では「あれ」を見てしまうのと似ているかもしれない。