12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実―vol3

7世紀初頭に産声を上げたイスラームは、630年のメッカ奪回後に聖戦(ジハード)を展開し、瞬く間にイラン、コーカサス、エジプトを征服した。ヘレニズム時代に流布されたギリシア科学が、イスラーム世界に吸収された瞬間である。そして、12世紀ルネサンスのもう一つの大きな布石が、711年のイベリア半島(アンダルス)の征服である。このアンダルスの征服は、イスラーム勢力がアラビア語を解するキリスト教徒(モサラベ)を内包することを可能にしたのである。イスラーム世界に吸収されたギリシア科学は9世紀のアラビア=ルネサンスによってイスラーム科学へと変貌し、バグダードに建てられた「知恵の館」で様々な学者たちがその科学を発展させていくことになる。有名な例を紹介する。足におできができたとする。中世ヨーロッパの医師は「神の御業」という極めて非科学的・超次元的な理屈をつけて、足を切断することを以って治療となしていた。しかし、同時期のイスラーム世界においては、おできの原因をリンパ節の炎症とする診断術、手術を行うための麻酔術がすでに確立されており、足をむやみに切断することなく、これを完治させていたという。現在世界の中心を謳うヨーロッパと、彼らによって世界の周縁と見なされているイスラーム世界の間に、これほど大きな科学力の差があったことを知るものはそう多くはないであろう。(歴史を知らない理系諸君にはぜひその不十分過ぎる現状認識を改めてほしいものだ。)そして運命の12世紀を迎える。12世紀は温暖化の時代で、シトー修道会の「大開墾時代」に代表されるようにヨーロッパ世界の拡大の時期と一般に言われる。その典型例が、東方のパレスチナ地方で展開された十字軍である。そして、これは意外に知られていないが、十字軍と同時期に大きな進展を見せたのが、イベリア半島で展開されたレコンキスタ(再征服運動)である。レコンキスタの進展は両者の対立を促進したと多くのものが考えるであろう。しかし、この再征服は逆説的に両者の関係を密接にした。イベリア半島における政治・文化・学問の中心であったトレドという街がキリスト教徒によって1086年に征服されたことで、言語を超えた学問の伝播が起こった。これこそが12世紀ルネサンスである。その翻訳は非常に興味深いものであるので、一例を紹介する。まず、アラビア語とスペイン語(当時はカスティーリャ語)に精通するキリスト教徒(上述したモサラベ)が、アラビア語の文章の意味をスペイン語で読み上げる。そしてスペイン語とラテン語に精通したカトリック修道士が聞き取ったスペイン語の意味をラテン語で記述する。つまりスペイン語を媒介として、2人のバイリンガルがアラビア語からラテン語へ書物を次々に翻訳していったのだという。この時にヨーロッパ世界にもたらされたのが、アルカリやアルコールといったアラビア語起源の名詞であり、これが現代の科学にまで残る用語として定着していることからも、イスラーム科学が現代の数理科学の土台となっていることは疑う余地はないだろう。by梅津尚生
Master’s comment notice
真面目な話の腰を揉むエピソードを紹介する。時々エホバの証人とかモルモン教の勧誘に出会うことが有る。仏教徒であると断っても日本人は大抵そう言うと知っているので引き下がらない。特効薬がある。「イスラム原理主義者である」と言うと割とすんなり引き下がる。「711年。スペインでイスラムとキリスト教が文化交流が始まった。もう少し話してみないか」と粘られることはまあ、ない。