雇用規制緩和という罠

自民党総裁選の宴もタケノコの今日この頃である。各候補の出馬表明を聞いていた。まずこの選挙が何のために行われることになったのかを想い出さなくてはならない。裏金問題に対する国民の怒りにどう答えていくかが主眼であったはずだ。石破候補は当初裏金候補は公認しないと発表していたが党内情勢を鑑みトーンダウンしていきこの問題を政策に入れていた候補は誰もいなくなってしまった。と言う事は誰がやっても体質は変わらないと言う事ではあるがその中からでも少しはましな人間に総理になってもらいたいと願わずにはいられない。逆にこれだけはダメだと思う候補がいる。小泉進次郎である。現在の所一番人気である。神輿は軽いほうが良いと言うがその典型である。経済政策では新自由主義傾向をあらわにしている。ライドシェア・・・菅元総理が言い始めた政策であるがこの人は小泉進次郎の後見人になっている。地方の交通機関を補うためと謳っているが大都市でのタクシー業界への参入・・しいては外資の参入をも自由化する政策である。雇用規制緩和・・・聞こえは良いが中身は企業が好きな時従業員の首を切れる政策である。小泉進次郎のこの政策の説明は全く事実に反するものであった。企業が新規事業に参入するとする。4割の人員を企業努力で配置転換したとしても6割は何の保証もなく解雇される。こういうことをなくすためリスキリングによって新規産業に好条件で移ってもらうのが目的とおっしゃる。先ず解雇される事実はない。高度成長期の終身雇用、年功序列が全て用途は思わないがこの施策は労働者の非正規化促進させ今以上の格差社会を産む。自民党への最大の献金者である経団連からの圧力である。以前は人件費の安い東南アジアに会社移しますよ・・と脅していたが相対的円安によってそれもかなわなくなってしまった。其れであれば国内でそういう状況を作ってもらおうじゃないか・・と言う事である。ここで気が付くことが有る。このような規制緩和政策以前にも聞いたことが有る。進次郎の父親小泉純一郎が竹中平蔵と組んで行った郵貯解体をはじめとする自由化である。これはアメリカの意向でもある。付け加えておけば労働を流動化させるリスキリングなるものは現在も行われているが浪人の傘張り程度のスキルでほとんど役に立たない。竹中平蔵がいたパソナの様な人材派遣会社が間に入り公金をチュウチュウしていることは公にされていない。

ハリーパーチ夢見人は残る


既存音楽から全くかけ離れて自分で作った音階と自作楽器でアブソルトリーフリーに演ってた人でここまで演るとユニークなのかどうかもわからないので誰も何も言わなくなってしまいました
8月は7枚 最小記録で全部中古盤 
1 キュアジャズリユニオン UA他
2 ハリーパーチ夢見人は残る
3 エリックワトソントリオ 疲れた天使
4 ハーディガーディ プロトタイプ
5 ジンジャー・ベイカー 見えざる雨
6 アントニオファラオ テイクオンパゾリーニ
7 V.A.O  芸術と娯楽
3,5,6はピアノトリオ 7がビッグバンド 3,4は所謂現代音楽 1は外
by 山の実

相聞歌

前回常連のD口さんの追悼文を書いた。それに呼応したかたちで同じく常連の山の実さんから句が届いた。僕と何往復かのやり取りをした。
過ぎし夜に ジャズ聴く漢あり 夏の果て 
晩夏光 我を過ぎゆく 声があり  山の実
いつまでも雲は流れていくだけで 夏の終わりはさみしすぎるね。 lazy 子規選
夏の夜 酔歩の路地に出口なし 山の実

そういえば出口さんは中原中也の詩の一節を良く口ずさんでいた

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

街角情報室 vol8


堂々と書かれるとついつい見落としてしまうことがある。きれいな薔薇にはとげがある。甘い果物には毒があるということか。僕が学生の頃であるが小樽駅のすぐ左に曲がったところにあった喫茶店はcofeeという看板を堂々と掲げてあった。何か眠気がさめないコーヒーを想像させる


写真では分かりづらいがダブルネックギターである。右がフェンダー左が多分ギブソンである。呉越同舟であるとも言えるしドライバーやらレンチやらなんでもついている三十三間堂の千手観音のような工具を想起させる。この手のギターを買う人間は正妻と妾を同居させる山崎豊子作「華麗なる一族」の万俵大介の様な人間のはずである。

常連の訃報

groovy時代からの常連D口さんが亡くなったと聞いた。74歳僕よりちょっと年上の団塊の世代である。最後に会ったのは10年以上前になるかもしれない。高血圧で酒は止められていたがソフトドリンクを飲みながらでも話をしに来ていた。ちょっと認知症が入っていたのかもしれない。物忘れが多くなっていた。その日も素面で二次会に行き乗ってきた車を忘れて帰ってしまった。groovyには前のマスターN川さんの時代から来ていたが僕の代になってからはほぼ毎日来ている時期が有った。N川さんは北大の中央図書館をバリ封鎖した革マル派の主要メンバーで器物破損その他の罪状で卒業できずアイラー、次にgroovyを経営していた。僕はアイラーの最初の客でありgroovyの最後の客でもある。groovyは中立地帯の様な役目を果たしていて色々な新左翼セクトの人間も出入りしていたがそこで揉めるようなことななかった。勿論出口さんとも・・・。groovyは呉越同舟を絵にかいたような店であった。出口さんは中核派の構成員で三里塚闘争にも参加したことが有ると聞いたが所謂左翼崩れを自慢するような人では決してなかった。笑うと人なっこい童顔の様になるが実に男気に溢れる人でもあった。色々なエピソードがある。24条界隈には当時3人の客引きがいて前川総業の息のかかっている者もいた。出口さんは毎回「いい娘がいるよ」と客引きに会うという。出口さんは「俺は行く店が有る」と断ると客引きは「どこに行く」と聞く。
「GROOVYだ」
「ジャズって顔してないだろう」
「なんだと、この野郎、顔でジャズ聞くのか、この野郎、ボコボコにするぞ」と気色ばった。客引きがすごすごと退散したという。
ある時不良中学生グループのカツアゲにあった。
「おじさん、金貸してくれない」
「取れるものなら取ってみろ」と挑発し先に手を出させてからボコボコにした。
警察が来た。
「旦那さん、正当防衛とはいえちょっとやり過ぎじゃない。鼻曲がっているよ」
groovyのボックス席で飲む団体がいた。話の内容で北区役所の職員だとわかる。カウンターには何人かの常連がいた。出口さんは飲み過ぎてカウンターで潰れていた。奥の客の一人がゲロを吐いた。他の客は何事もなかったかのように話を続けている。僕は「具合の悪いお客さんがいるようなのでそろそろお開きにしたらどうでしょう」と言った。客はボトルを持ち帰っても良いかと聞く。勿論と答えると帰りしなそのボトルをカウンターに叩きつけた。僕も流石に切れて「ふざけんな、この野郎」とカウンターから出た。常連が間に入り一大抗争には発展しなかった。団体客がはけてから出口さんが目を覚ました。「うるさかったけど何かあったのか」と・・・。常連客と出口さんを弄った。「腕に心得があると言っていたけど本当は怖くて寝たふりしていたんじゃないの」
翌日出口さんが来た。北区役所に話をつけに行ってきたという。昨日良心的に経営する札幌市民の飲み屋に多大なる迷惑をかけた職員がいる。探し出して謝罪させろ・・取りあえず責任者だせと凄んだらしい。
その日を境に時々来ていた区役所の何組かのグループは誰も来なくなった。愛すべき人間である。酔うとよくリクエストしていたタイム盤のソニークラークをかけた。

中国領空侵犯への反応

中国の情報収集機が長崎県男女群島沖を飛行し日本の領空を初めて侵犯した。空自基地の管制レーダーの能力を試す意図があるとの見解もあるがただそのためだけであれば敢えて領空内に入らなくても良かったはずだ。その直後中国政府からどの国の領空を侵犯する意図は無いとの声明が発表された。ということは意図的に侵犯したということである。なぜか・・・先月海上護衛艦が中国の領海を航行した。軍艦は安全を害しない限り他国の領海を航行する「無害通航権」が認められている。ただ中国は事前連絡を求めており日本もその約束を守る予定であったが手違いがあり無断航行となってしまった。日本政府の謝罪はなかった。国際条約に準拠しない要求を甘く見ていたのかもしれない。今回はその報復措置といえる。なぜ戦艦で仕返しに来なかったかというと日本は無害通航権を認めているので仕返しにならないからである。犬が庭木にシッコをかけていったので猫をけしかけて玄関にウンチをさせたという感覚に近い。飼い主がちゃんと近所付き合いをしていれば大きな揉め事にはならないはずである。ところが日本政府の見解はいつも通りの由々しき事態と有事を煽るような内容で右寄りの大手新聞社も右へ倣えという論調である。田中角栄が締結した日中友好条約を思い出さなければならない。現在立民党も代表選挙中である。枝野代表候補がこの件に関し中国を北京政府と呼んだのは甚だ外交感覚が乏しいと言わざるを得ない。

池田篤Quartet『OUR STORIES』


 これは池田篤の最新作であるが、最初はいくらか面食らった。喩えていえば長時間と短時間は、ある視点からは同質であると言っているからである。しかし、少しづつその謎が氷解してきたので、ここは一つ力を込めながら本盤を紹介する。池田によれば前作『Free Bird』は、彼が考える”最もジャズらしいジャズ”を希求したものであり、本作では”最も私らしいジャズ”を目指したという。周知のとおり池田は教鞭を執る立場にもあり、そこではジャズ史、より広くは音楽史について公論・持論を展開しているらしい。筆者は池田のLIVEおよび過去の作品群に接することしか出来ないので、そこで何が論じられているは知る由もないが、その一方で前述のように池田の作品作りには明確な動機が働いていることは知ることができる。この作品のモチーフは”人類史(Our Stories)”から”日々の私記(My Stories)”のようなものを含む二重構造になっている。謂わば人類年表の1行目、2行目・・・に思いを馳せつつ、それを見やる今の自分自身が素材となっているのだ。このアルバムで池田は何を射程圏に納めていたのか?ヒトの夜明けに相当する壮大な『Sapiens Suite』に始まりバンドの移動巡業、愛娘、著名な俳人である母上の一句、友人のこと、平和への思いなどがちぎり絵のように一体的に仕上げられている。つまり壮大なこと(長時間)と昨今の周辺事情(短時間)とを音楽的に等価と見なして纏めたのが本作だと言える。いつかのレイジーLIVEで太古のヒトへの関心についてチョコっと語っていたことを思い出しつつ、池田の飛んでる冒険心に繰り返し耳を傾け、筆者も「冒険者たち」の仲間に入れて貰うことにした。最初に4部構成の『Sapiens Suite』が来るのだが、厳かな出だしが蠢く何かを暗示するpart1、そこを起点として目くるめく展開してpart4の完結部に迫っていく。これは猿人からホモ・サピエンスに至る果てしない過程を組曲にしたもので、途方もない旅の始まりから人類が好奇心をもって世界各地に散らばっていくまでの躍動感を提示している。組曲が終わると、あっという間に現在の池田をめぐる冒険に転位していく。本作『OUR STORIES』とはこういう筋書で進行するのである。何度か聴き続けていると『Looking For Bird』という曲が無性に気になってきた。本アルバムの構想を借りて言うと、”Bird”との出会いは演奏家池田にとって原人の時代に該当する。そして幾段階を経た今日の池田はC・パーカーから分派したホモ・サピエンスになっていると読み替えることができる。『Our Stories』と『My Stories』を均衡させたのが本作だというのが筆者の見立てだ。独りよがりに走ってしまったが、この作品には肩肘を張らせるような難解さはなく、寧ろそんなことに手を出さぬ池田の懐の深さを味わえる力みのない力作に仕上がっている。
 何だかんだ結局10回くらい聴いてしまった。いまの池田にボブ・ディランさながら「派手に吹かれて」しまっては困り果てるが、どの演奏においても全くそんなことにはなっていない。池田のアルバム作りの信念は「前作を超えるものを目指す」ということである。もし筆者がCDのオビに1行依頼されていたなら、「またまた池田の最高峰リリースなる!」としただろう。これが誇大広告などと言われる筋合いは何処にアル・ジャロウか。鉄壁のレギュラー・グループによる新たな代表作を是非とも聴いてみて候。
(M・Flanagan)

米騒動

米が品薄とは聞いていたが一袋もないのには流石に驚いた。毎回一粒も無くなってから慌てて買いにく生活で危機管理もへったくれもない。毎年お盆時期には流通の関係で品薄になり新米が出てきて落ち着くという流れになっている。ところが例の地震で生活防衛のおふれが出されマスコミがそれを煽ったためにあっという間の米不足になった。昨年の収穫高は連年並みで消費量も毎年逓減し一人当たり年50キロである。この米不足の根底には政府の農業政策の失政が有ると考える。減反政策を重ね生産量を減らし相対的に価格を引き上げる。稼げる農業を標榜し地域共同体的つながりを破壊し企業利潤法則を適用する。日本のコメは世界に誇れる品質である。前のコメ不足の時タイ米も食べたがフランスで食べる味噌ラーメンくらい拙い。余れば輸出すればいいだけではないか。大体食料の自給率38%は低すぎる。スーパーに行くとわかるのであるが海外の商品で溢れかえっている。防衛費増額の理屈付の為にまことしやかに囁かれている中国との何らかの有事が起こったとしたらまず食料の輸入が途絶える。トマホークが何発あろうとも何の腹の足しにもならないのである。取りあえずあと2週間は我慢しよう。それでも流通しなければ何らかの意図をもって出荷調整をしていると考えざるを得ない。一部では農林中金の巨額損失と関連づける言説もあるが真偽のほどはまだ分からない。

飯森範親JSSO/カンチェリ タンゴの代わりに他

実は今聴いてる音楽の半分以上はクラッシック系で今回紹介するディスクにはジャズの要素はまったくない  この所最近はグルジア改めてジョージアの作曲家ギヤカンチュリにはまってるのだが作家本人は数年前に死去したばかりの現代の音楽家で僕が最初に知ったのはユーリ バシュメットのグバイドゥーリナとのカップリンCD(2002年)でのStyx ステュクス(キリスト教版の三途の川)でショックで呆然とした カンチェリを世に広めたのはGクレーメルとECMだ と言う気がするけど違うのかな?
カンチェリよりも少し前に同じ東欧で同世代のアルヴォペルトが現れ人気となったのだが部分的には似た音形を持つ 宗教的神秘主義ロマンチズムで耳障りのよい響きである、ペルトのECM録音ではヒリアードアンサンブルなどにヤンガルバレクやらKジャレットを加える
ところがカンチェリの場合は安楽に聴いてると突然フォルティシモが襲いかかる 社会主義環境での警報ベルの様なタイミングなのだとも言う? 破断される前の和声や音型も比べてみると少し貧相な音数で短く切れぎれで楽器の構成も妙な形に構成されてる ボーイソプラノやらEベースギター オルガンのテープ等も使用されるがアコーディオンなんかも多い
さて飯森それは無理ですよ範親マエストロの日本センチュリー交響楽団盤は丸山奏のビオラと京都バッハ合唱団の大コーラスを伴う ステュクス とクレーメルのピアソラ集のために作った小品 タンゴの代わりに のオーケストラ版他の3曲である 僕は兎にも角にも日本のオーケストラがカンチェリを演った事が嬉しい 札響もやってくれないかなぁ 武満の小品ばかりでなく…偶然武満の名が出たが先にECMも有った カンチェリの音楽の特徴的な点のひとつに沈黙の扱いがある 音色の出現に先立つ神秘的な沈黙 という言葉遣いをしているらしい 時にあれぇCD止まちゃったのかなぁと思ってしまう瞬間がある がヴォリュームを上げると次にドッカンと来る 耳とオーディオに良くない 音楽と対比されるてるのは沈黙ではなく間なのであるというの事がわかりやすいといえば言えるのかなぁと音楽論的にはケージ流の音の無い人的空間はないと考えるノイズ派は思ったりもした 
世の中には断片的思考とも言うべきものが存在しているしかもその断片性は必ずしも未完もしくは不具である事を意味せず断片相互の組み合わせや対応から汲めどもつきぬ無限の構造を生成させるものなのだ。種村季弘
by 山の実

国分寺より愛をこめて

米木よりカンパをしていただいた方に謝意を伝えたいということでここに全文を掲載する次第である。
「ベース米木康志です。
手術入院し、現在療養中です。

過日、札幌レイジーバード店主吉田 直氏より、お見舞い金の振り込みがありました。

貴重なお金を、私へのお見舞い金としてレイジーバード吉田氏へ預けてくださった皆々様、大変ありがとうございました。

私は来年より演奏活動を始める予定です。レイジーバードへは6月に伺う予定ですので、よろしければ是非いらして下さい。」

米木康志
付記
文章としておかしいところがあったら直してほしいとの依頼があったので編集者の責任でごく一部訂正したがそのままのほうが直立不動で話しているようで良かったかもしれない。来年6月21日大石とのduoを中心に3日ほどスケジュールをもらっている。願わくば支援していただいた皆さんと米木のカンバックを祝いたい。