21周年のお知らせのコンテンツのアクセス数が120回を超えたところで満を持して周年記念ライブスケジュールを掲載した。翌日ドキドキしながら予約状況を確認したら延べ人数で9名であった。まあ、良しとしよう。HPの統計情報が取れるようになって2カ月程であるがアクセス数は大体予想通りであった。バズることもないしアクセス数の多寡によって一喜一憂する事もないが多少Youtuberの心境が理解できた。Youtuberにとっては視聴回数が承認欲求を満たしてくれる基準であり金の卵を産む鶏なのだ。それは時として真偽のほども関係ない世界になったりもする。ネット上には糞情報で溢れかえっている。時々陰謀論的情報を信じ込んでいる学生を見かける。情報源がSNSだけだとすると再生回数が多い情報に影響されやすくなるのだ。ショート動画や文字数の少ない旧ツイッターの情報だけに接していると集中力が欠如してくる。映画を早送りしポップスのギターソロを飛ばして聞く行為はその作品の価値を半減させる。自分でも最近集中力が衰えてきていると実感することが有る。本を一気読みできなくなったのは視力の衰えだけではないようだ
カテゴリー: As times as go by日記
As time goes by日記 3月25日
三嶋のベースソロライブが昨日終わった。集客しづらい演奏形態であったので予め学生のベース奏者に撒き餌をしておいた。何とかかっこはつくとは思っていた。ところが前日くらいに一般客の予約が結構入りほぼ満席状態になった。三嶋が何回か来ているうちにできた縁がつながったのかもしれない。演奏内容も予想を遥かに超える内容であったと思う。初めて来た時に辛辣な意見を言ったのを覚えているので今回の演奏は嬉しい限りであった。こういうイベントがあるとご褒美と称して翌日は自分に怠惰な一日を送ることを許してしまう。尻に火が付いている状態なのに焼けても尻程度だ・・と思ってしまう怠け者なのである。そういう人間は組織のくびきにつながれていた方が良い仕事をする。高邁な政治思想など持ち合わせていなかったが権威主義的なものには反抗する若さだけは持ち合わせていた。大した牙ではないがスッカリ丸く矯正され「私会社の為お国の為死ぬ覚悟であります」と言って最後の勤務地となった東京経理財務本部に赴いたのが30年前である。その年の3月20日地下鉄サリン事件があった。事務所は銀座2丁目にあったので事件発生当時、事務市内では何やらざわついた雰囲気が支配してていた。部下が有楽町駅前で配布されていた号外を持ってきた。地下鉄でサリンが撒かれたとあった。仕事、通勤で地下鉄丸ノ内線や銀座線を利用するものも多くいたので全員の安否を確認する指示が出た。札幌からも安否確認の電話が鳴りやまなかった。今はあの事件の意味するところ、何故防げなかったのかなど考える余裕がある。だがあの時点では被害を受けた方を慮る余裕などなく会社更生法の適用を申請した会社の生き残りのために奔走していた・・・と言えばまだかっこがつくが実際はその役目から外された。戦力外通告を受けたプロ野球選手の様であった。解雇されるわけではないので消化試合の守備要員のような仕事はあったがプライドが許さない。やめる口実を探していた。サリン事件もその一つに利用された。こんな街にはいたくない。