Count Basie『Basie In London』

名盤・迷盤・想い出盤
 Big Bandものは滅多に聴かない。その理由は嫌いだからではない。アンプのボリュームを一つ二つ上げないとそのダイナミズムが伝わってこないからだ。到底一般住宅の手に負えない。加えてこうした環境問題とBig Bandを生で聴く機会が乏しいのが主たる理由になるだろう。しかし、宝の持ち腐れも勿体ないというもの。今回”Duke”にしようか迷った挙句、”Count”にした。家庭用の標準ボリームを少し上向きにして『Basie In London』に臨んでみた。いきなり来るではないか。カンサス・ジャズを特徴づけるリフ・アンサンブル満載の「Jumpin’ At The Wood Side」だ。この1曲だけでも一枚持っている価値はある。よくベイシーのピアノは最小音数の最大スイングと言われる。これはO・ピーターソンのように音数を駆使して豪快にスイングする演奏家と対照的にみえる。一体どういうことなんだろう。私たちは”ひと手間かける”という言い方をすることがある。”増やす”行為を惜しまなければ、料理がワン・ランク・アップするというような時にだ。ピーターソンはそれを演っているのだと思う。であれば、ベイシーの演奏の説明が付きにくくなる。この際、考え方をひっくり返しみよう。ベイシーにとって”ひと手間かける”とは”増やす”ことではなく”減らす”ことに向き合うことなのではではないかと。ベイシーはそうやって自らのピアノ演奏に余白を生み出し、その余白に他のメンバーを入り込ませて、思う存分彼らの演奏力を引き出せるよう、バンド・リーダーとしての構想力を働かせていたのではないだろうか。このオーケストラのエキサイティングな演奏の原動力はやはりベイシーなのだ。アルバムの話しに戻ろう。ここにはスリルばかりではなく、くつろぎもある。その立役者がミスター・リズムことフレディー・グリーンのギターだ。この刻みの何と心地のよいことか。もう一つ、3曲ほどジョー・ウイリアムスの熱唱が収められている。この人はその後のソウル・ミュージックなどジャンルを越えてボーカル界に影響を与えたのではないかと思わせるが、どうだろうか。最後に恐縮だが私的な話をさせていただく。40年前の1983年5月20日に札幌にやって来たベイシー・オーケストラを観に行くという貴重な機会があった。手元にあるその時のパンフレットに日時が記載してある。高齢のベイシーが、ステージの袖からピアノの位置までミニ・バイクに乗って移動するユーモラスな姿を思い出す。そして遠くからではあったが、皆さんがよく知るベイシーの笑顔をこの目に焼き付けた。その後1年を経ずしてご本人は天に召された。。ベイシー爺さんのあの笑顔は、筆者の重要無形文化財となっている。
(Jazz放談員)
master’s comment notice
牛さんが選んでくれたLPを聴き直している。これは昔Jazz喫茶に行ってマスターの選曲に身を委ねる行為に似ている。あるストーリーを想定して選んでいるはずだからである。ブラスの大波の去った後に残るベイシーのピアノが真珠の様に美しい。ビックバンドの楽しみどころはもう一つある。ブラスの大群に大見え切って張り合うソニー・ペインのドラムスである。さながら歌舞伎の弁慶である。今は休止しているが僕が主催しているJazz幼稚園と言うワークショップが有った。そこに今は室蘭にいるS原というドラムがいた。S原は出したテンポと全く違うテンポで叩き始めるので「カウント蔑視」と呼ばれていた。