折しもウクライナ戦争が勃発中にこの本と出合った。作者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチはウクライナ生まれ国立ベラルーシ大学を卒業している。我々がロシア文学について語る時、例えばドストエフスキー、トルストイ、ゴーゴリ、ソルジェニーツィン・・・国籍はと聞かれると口ごもってしまう。正直に言うと何か関係あるの・・と言う事である。因みにゴーゴリはウクライナ生まれである。日本の北海道の住人にとってウクライナとベラルーシの違いは栃木と群馬の違い程度であった。そういう意味でマイノリティーである。第2次世界大戦では両国民ともソビエト軍として戦っている。この本は女性の作者がソ連軍の兵士として従軍した女性のインタビューを元に書かれている。ここでまず驚くのがその軍務が多岐にわたっている事である。衛生兵や兵站の補給係りなら想像に難くないが狙撃兵、機関銃討手、攻撃砲隊長、戦車隊員となると日本的発想では追い付かない。日本で戦争は男性が行いは女性は銃後の支えが仕事である。ここでこの本のタイトルが重要性を帯びてくる。「戦争は女の顔をしていない」・・・・戦争文学で女性が主役になることはほとんどない。そういう意味で女性もマイノリティーに属する。マイノリティーであるウクライナ人が戦争文学ではマイノリティーである女性の性別を背負ってマイノリティーである女性兵士の事を書いているという構図になっている。そうすると戦争の違った側面があぶり出されるのである。延べ500人以上の女性の回答だけが墓地に並ぶ無数の墓名碑の様に佇んでいる。著者がどう質問したかは書かれていない。ここに掲載されている話に至るまでのイントロが有ったはずである。すべてカットされてテーマから入る。500ページのボリュームであるが一気に読む必要はない。一日2.3人の無名戦士の話を聴くだけで良い。戦争文学の傑作・・・例えば大岡昇平の「野火」等を読むと「もうわかりましたから、勘弁してください」という気持ちになることが有る。この本を読んでもそうゆう感情は湧いてこない。戦争期であっても日常や楽しいことだってあるという事実が散りばめられている。