てくるジョーカーである。トランプのジョーカーは何にでもなれるので最強のカードである。映画でのジョーカーは何も持たないからバットマンにとって最強の敵なのである。ここでホアキン・フェニック演ずるジョーカーは「格差と貧困」の象徴になっている。トッド・フィリップ監督作品である。70年生まれの監督は70年代のアメリカ映画「タクシードライバー」や「セルピコ」へのオマージューを散りばめながら重苦しい主題に笑いを散りばめている。主役のアーサーはピエロのバイトをしながら認知症の母親の介護をしている。スタンダップコメディアンを目指しているのだが全く面白くない。僕のジョークの方が面白い。ローバート・デニーロ演ずるトークショウの司会者マレー・フランクリンに憧れている。デニーロはかつて自分が演じた「キングオブコメディ」へのオマージュをシナリオを読んだ時点で感じ取り引き受けたという。アーサーがトークショウのゲストの真似をするシーンは「タクシードライバー」でデニーロが鏡の前で芝居をするシーンそのものである。「タクシードライバー」のスコセッシ監督が脚本に参加していることを知った。
ロケーションはゴッサムシティとなっているが街並みはゴミ山積のニューヨークである。81年清掃局のストによって2週間ゴミ収集がなかった事実をもとにしている。
ピエロの格好をしたアーサーは地下鉄で絡まれ3人を射殺してしまう。其の3人はゴッサムシティを仕切るボスのトーマス・ウェインの部下であった。アーサーは母親の手紙から自分はウエインの子供ではないかと思い彼に会いに行く。ところが彼から出自の真実を知らされる。養子であり母親の同棲者から虐待を受け、ある瞬間笑いが止まらなくなる精神疾患にかかってしまう。自分は笑うが人は笑ってくれないピエロのなんとアイロニカルな存在か・・・。カーソン・マッカラーズの小説で「心は優しき狩人」という小説がある。その主人公が「シンガー」と追う名前であるが口がきけない事を想い出した。この事実を知ったアーサーは寝ている母親をまくらで窒息死させてしまう。このシーンはフランス映画「ベティ・ブルー」に酷似している。
この瞬間アーサーは何も失うものがないジョーカーになった。アーサーはマレーから番組出演依頼を受ける。彼のライブを番組で放映したところ反響が有ったと言事であるが、内実は「すべった」所をマレーが弄って笑いを取っているに過ぎないのであった。
町ではピエロが上流階級に鉄槌下したと喧騒な雰囲気になっている。
「一つジョークはどうだい。社会に見捨てられた精神疾患のある孤独な男をコケにするとどうなるか知ってるかい」と言ってアーサーは番組本場中マレーを射殺してしまう。警察に取り押さえられるがその護送中事故にあいパトーカーから暴徒と化した市民に車から救出される。そして市民から歓喜を持って迎えられ、ヒーローになるのである。
バックにはクリームの名曲「White room」が流れている。
決して日の届かない白い部屋で孤独に何かを待ち続けている・・・・
この映画が封切られるときアメリカでは暴動が起きるのではと警察が出動したという。トランプ大統領支持者が国会議事堂を占拠した事件と本質は同じである。
もう一人のアーサーが近くにもいるはずである。