このアルバムを聴いて、短期間のうちに音楽遊泳した。ことの発端は本作がスタンダード曲のコード進行をもとに池田が新たな旋律を乗せるというコンセプトにある。こうした”替え歌”と称される曲作りは珍しいことではないにせよ、特異なのはその手法を徹底する形で1枚に纏められてるいることにある。このことによって池田が作った曲ごとに原曲は何だろうという思考回路が作動してしまったのである。これは十分予想できたことであるが、どうも快適な座り心地が得られていない感じを伴うものであった。腑に落ちぬままCDプレイヤーの「▷」を何度か押していると、原曲のことが気にならなくなっていったのである。聴けば聴くほど池田が作くった旋律と原曲のコード進行との関連が後方に引いてしまったようなのだ。この辺りまで来て、本作は池田の演奏蓄積と貯め込んだ曲作りのアイディアが一つのアルバムに凝縮されたことだけ押さえておけばよく、それ以上のことは必用ないという思いに至った。その途端、本作は筆者にとって原曲から独立した池田のオリジナル最新作『Taste Of Tears』となったのである。これで手打ちだ。このアルバムには円熟の自作を悠然と奏でる池田がいる。じっくり聴き込んで頂きたい。
ここで近ごろ頻繁に見聞きする用語を使わせていただくと、このアルバムで池田はスタンダードのコード・チェンジと”ディール”したのだろう。だが池田に自己優位を目的とするような狡猾さはない。あるのは伝統に敬意を表し、その純度の高さを維持する彼の意思の強さである。かくして池田が工夫心を注ぎ込んだ『Taste Of Tears』は、いたずらに刺激を煽ることのない正統な意欲作になったのである。いま本文を締めるに当たって聴き直しているが、どうしたことか、再び原曲が気になってきた。このままだと、ひと月先は一体どんな聴き方になっているのか予測不能だ。そのひと月先にはレイジーの周年記念ライブが開催される。名だたるあの人この人、その中に『Taste Of Tears』のクリエイター池田が参加している。
(M・Flanagan)