12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実― vol2

。論理学、政治学、形而上学、文学、倫理学など様々な学問に広く精通した彼は、まさに万学の祖にほかならなかった。そして、ここで登場するもう一人のキーパーソンが、かの有名な大王アレクサンド文献史学において人類が科学的営みを開始した最古の記録は、紀元前6世紀のギリシアのタレスであるとされている。奴隷制を基盤に置くギリシアのポリス社会において、労働を行わない成年男性たちは暇を持て余していた。ポリスの開放的な空間と有り余る時間から生まれたのが学問であり、こうした余暇を表すギリシア語のスコレー σχολείο から派生した言葉こそが、学校schoolであるというのはよく知られているだろう。そして紀元前4世紀に、万学の祖の呼び声高いアリストテレスが登場するロス3世(アレクサンドロス大王)である。彼は成人まではアリストテレスを教育係に付けていたこともあった。アレクサンドロスはギリシアの有力ポリスが位置するバルカン半島の北東の位置する一田舎であったマケドニアから、わずか10年で、南はアナトリア・コーカサス・エジプト、西はイラン・北西インドに至るまでの大帝国を築き上げた。彼が遠征を始めた紀元前334年から、その最後の後継王朝であるエジプトのプトレマイオス朝が滅亡する(紀元後31年)までの約300年間はヘレニズム時代と呼ばれており、ギリシアの諸文化が複数の地域にまたがって栄えた時代として知られている。例えば、「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」、「サモトラケのニケ」といったギリシア彫刻をご存じの方も多いかもしれないが、これらはヘレニズム期の文化である。アリストテレスによって大成されたギリシアの自然科学も、当然この時期にエジプト・アナトリア・イランに流布されることになる。これこそ、12世紀ルネサンスの大きな布石であるのだ。
Master’s comment notice
まさに歴史に学べ・・・である。暇な奴に金を与えて好きにさせれば素晴らしい科学成果、芸術が生まれる確率は高い。今の大学は研究補助金を貰うために膨大さ申請書をかかされ、成果を出さない研究はすぐ補助金を削られる。その結果学問は空洞化する。