銀シャリの漫才が好きである。聞きながら寝落ちすることに快楽を求めている。だが銀シャリと言う言葉を聞くと今のコメ不足の事が頭をよぎるのである。米高騰の裏には長年の政府の政策と流通形態の複雑さがパズルの様に絡み合っているのであるが今回はその事には触れない。日本人が米を腹いっぱい食べられない事の文化的な意味を探ってみたい。小学校の時代、給食はアメリカの政策の押し付けで毎日パンと脱脂粉乳で米は一切出なかった。だが子供の頃自宅で米以外の主食を食べた記憶がない。コシヒカリの様な上質の米ではなかったと思うが腹いっぱい食べられればそれで満足していた。味噌汁とおかずも魚とお浸し佃煮、其れと当時安かったのでクジラのベーコンが毎日のように食卓に上っていた。其のせいで今でもクジラのベーコンが苦手であるが・・・。子供はみんな振りかけの「のりたま」があれば米が主食でありおかずでもあった。金持ちとそうでない層の間にも米に関しては格差がなかった。親戚の家でご飯を食べさせてもらうとうちとは違う味がすると薄っすらわかるのである。この蓄積が日本人の食文化を支えていると思うのである。だが戦前は全国で米が腹いっぱい食べられる状況にはなかった。今は北海道でも米が栽培されているが血のにじむような品種改良が行われている。この知的財産を放棄していいのであろうか。昭和初期東北地方では稲作は実験的段階で有って頻繁に飢饉が起きそれが米騒動を引き起こし2・26事件にも繋がっていった。もっとさかのぼれば森鴎外が軍医を務めていた頃海軍では白米は脚気の原因になるとして麦飯が出されていたが陸軍では銀シャリが出されていた。鴎外は脚気の原因はウイルスであると主張して譲らなかったがその裏には兵隊たちに銀シャリを食べさせてやりたかったとの親心が有った。
ブルボン王朝では王様と庶民は食べるものには格段の差があるが日本では食文化はそのようには発展しては来なかった。殿様も「秋刀魚は目黒に限る」とおっしゃっている。