選挙の行方 その3

一昔前、小泉今日子が政治的発言をした際、芸能人は政治に口を出すなと言われてネット上で徹底的に叩かれた。ところがspeedとおニャン子クラブは許されるらしい。今井絵理子と生稲晃子が日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会、日本音楽出版社協会という半ば公的団体から支持を受けて選挙活動を行っている。音楽が権力の顔色を伺ってはいけない。生稲晃子は落選しておニャン子クラブの名を汚したくないとも発言している。名を汚したくないのであれば経歴にそういうことを謳うべきではない。芸能人の出馬を否定する気はないが最低の市民としての矜持をもって立候補してもらいたい。このブログを読んでいる方はjazzを愛する人、その愛を演奏で表現している方と思う。音楽と金、コネを一緒くたにする行為は命取りになる。どうか投票に行き自公維新、国民以外に朝日の様にさわやかな一票を入れていただきたい。Jazzミュージシャンのギャラが上がらない遠因は経済政策にある。

2020.6.25 新生DUOの生電ネットワーク紀行

大石学(p)米木康志(eb)
本年上半期を締めくくる米木週間で聴いた三夜の中からDUOの日に焦点を当てたい。実はこの前日(6/24)にセットされていたのは大石と“そして神戸”の実力派松原絵里(vo)とのデュオであったが、折からの暴風雨により鉄路北上中の大石が函館で足止めを食らうことになってしまったのだ。運良くこの日オフの米木と実力・ユーティリティー兼備の本山によりボーカル・トリオのライブとなった次第である。詳細は割愛させていただくが、ジャズ・ボーカルの王道を行く松原に緊急リリーフ陣が抜群のサポートを見せ、トラトラの奇襲は惚れ惚れするものになったことを伝えておく。さて、本編の主題である大石・米木のDUOについて語って行こう。特筆すべきは米木がエレベで臨んだことである。エレベにはウッドと違った粘着性や浮遊感があり、そこから発出されるグルーヴはこの楽器独自のものである。そうは言っても、アコースティック・ピアノとの組み合わせはどうなんだろうかと訝る思いも無いわけではなかった。なのでかつてのネイティヴ・サンやZEKでしか米木のエレベを聴いたことがない筆者のなかでは期待と躊躇が交錯していたのだった。ところが聴き進むにつれ、エレベは奇を衒ったものではなく、新たな試みとして大石の音楽的意図を拡張したものだという思いが強まっていく。そのことはベースがふんだんにメロディー・ラインを執る構成に見て取ることができる。なんかハマっちゃったなと思った時には、既にこの“生電ネットワーク”紀行は終盤を迎えていた。その終盤を飾ったのが、何度も聴いてきた大石の名曲「peace」だ。この曲に新たな表情を吹き込んだこの新生DUOの象徴をなす演奏だ。私たちは書き損じたときに、紙をクシャっと丸める経験をしている。だが一回二回几帳面に角を合わせて折り畳んでから丸める、そんな大石の人物像が頭をかすめた。彼はひと手間かけることを厭わない演奏家なのだと思うのである。演奏曲はオリジナルで占められていた。何が言いたいのかを問われれば、ピアノは持ち運びの効かないゆえ、マイ楽器による演奏家とは異なる立場を強いられる。従って1台のピアノを巡って演者の個性が露わになってしまうのだ。僅か数音で誰の音か分かることもあれば、そうでない場合もある。大石は分かる側の筆頭株だと思う。ピアノから何か一言もらいたい気分にもなるというものだ。文脈が雑多になってしまったが、かねがね一度負け惜しみを言っておきたいと思っていた。因みに筆者は演奏曲を音楽理論的に解説したりすることはないし、そうする能力もない。それは専門家の役割である。旨い小料理を伝えるのに、高名な産地を並べても旨さを伝えることができないと思っているので安心している。大切なのは舌包鼓の感触を伝えられれば良いと思うのである。ライブとは音の振動をそのように味わうことなのである。軌道をもとに戻してかなり不確かだが演奏曲を紹介する。「今できること」「ロンサム」「カラー」「シリウス」「アンダー・ザ・ムーン」「キリッグ」「7777酔いマン」「ニュー・ライフ」「花曇りのち雨」「目覚め」「ルック・アップ・ワーズ」そしてトドメの「ピース」。
このライブを以て今年もはや半分経過する。ミュージカルの聖地ブロード・ウェイの関係者によれば、上演の75%は失敗に終わるとのことである。上半期の24ナロウ・ウェイはそれに該当していないな。この分だと7月以降も視界良好に違いない。
(M・Flanagan)

選挙の行方 その2

物価高が止まらない。メーカーは選挙期間なので値上げ予告と言う形で自民党に忖度している。そもそもこの物価高はアベノミクスの成果なのである。おいおい何を言う…という方がいると思う。アベノミクスは完全に失敗しているだろう。・・・・これが庶民向けの経済政策だとすれば戦後最低の愚策であるが元々富裕層と大企業向けの政策だと考えると実にうまく行っている。給与は30年間上がらず、企業は460兆の内部留保を蓄える。それを設備投資に向ける訳ではなく自社株を買いあさり株価を上げ株主に恩恵を与える。トリクルダウンはこちらだけに滴る。日銀の金融緩和政策と相まっての円安である。投資は海外での運用となる。政府の子会社と化した日銀は世界の中央銀行が金利の切り上げを実施しインフレを抑えようとする中で一社マイナス金利を続ける。国債残高が1000兆円あるため金利を上げると利払いが発生し破綻するからだ。後は野となれ山となれといった乗りで戦時体制の様に国債を発行し続けハイパーインフレのおかげで借金がチャラになるのを待っている。もはや不況下のインフレでスタグフレーション化している。デフレからの脱却で物価上昇率2%を達成したわけでもないのにお馬鹿なテレビ局が「アベノミクス物価上昇2%を達成しました」と提灯放送を流す。物価が上がれば消費税は増加する。ただこの税金、何度も言うが社会保障には回っていない。先週のNHK日曜討論で茂木幹事長が「消費税を減税すると社会保障費を3%削らなければならない」と真っ赤な嘘をついた。NHKテレビで放送されると正しいことを言われている気になる効果を狙ったものだ。維新の吉村知事が何のコロナ対策もせずテレビに出ずっぱりになって支持率を稼いでいるのと同じである。岸田総理も当初新しい政策を出したが今は安倍総理の顔を伺う政策しか出せなくなっている。いつもニコニコしているし前の二人がひどすぎたので相対的に良く見えるが中身は一緒である。キャバレーのフロアマネージャーが使う手口である。ブスな子を二人付ける。お客さんは女の子変えてよ・・・と言うはずである。その子がニコニコしていれば綺麗に見えて思わず指名してしまい「ドンペリ1本」と言う事になってしまう。今回はそういう飲み方は控えてほしい。この選挙は思いのほか重要であると考えている。今年以上の夏がもう来ないとしたらあまりにも寂しい。
どうか選挙に行って自公、維新、国民以外に投票していただきたい。

選挙の行方 その1

新聞各社、テレビ局は選挙戦前半であるにもかかわらず与党安定多数の論調である。選挙など行っても無駄と言っているに等しい。どうか投票に行っていただきたい。そして自民公明、維新、国民以外の政党を選んでいただきたい。どの政党の政策も気に入らない所はある。日本を少しでも住みやすい国にしたいと思うならば鼻をつまんで前記の5党以外を選んでいただきたい。消費税を減税すると社会保障費が3割減るなどと言うのは嘘っぱちである。国民を恫喝しているに過ぎない。僕は年金受給者であるが消費税とは無関係に減額されている。俺にもっとよこせと言いたいわけではない。ちゃんとした政策を選択すればもう少しましな世の中になるはずである。
生稲あきこという元アイドルが東京都で立候補していて当選有力らしい。政策アンケート調査24項目無回答で憲法改正だけ賛成である。こんなおバカさんを国会に送り込んでよいのか。国民の見識が問われている。このブログを読んでいる方はlazyのライブに来てくれたことが有る方だと思う。先週の大石学と米木康志のduoは久々満席であった。リスナーの方が見識のある方だという証明である。これがドレミも判らない演奏者のライブが満席になったとしてもそういうお客さんに支えられるjazz barはやりたくない。僕には選挙も同じことのように思える。

男と女3部作

フランスの名優ジャンルイ・トランテニァンが亡くなった。91歳であった。ダバダ・シャバダバダ・シャバダバダの主題歌で始まる「男と女」が代表作である。この映画が札幌に来た時、主演のジャンルイ・トランテニァンとアヌーク・エーメの巨大看板が須貝劇場にかかっていた。キャッチコピーは今でもよく覚えている。「この映画を恋人同士で見たら帰りに貴方たちは必ず接吻をするでしょう」とあった。多分中学1年生であった吉田少年はもう少し大きくなったら必ずこの映画を二人で見て接吻とやらを経験して見るのだと誓いを立てたのだった。それから苦節…年。クロード・ルルーシュ監督の映像が美しく大人の恋物語が素敵だった。印象に残っているセリフがある。ホテルのレストランで二人で食事をする場面だ。オーダーを取り終わって下がるギャルソンを呼び戻す。「あと何を」「部屋を一つ」こんなしゃれたやり取りをしてみたいものだ。頼んだ料理も一品だけでフランス料理をオードブルから始まり魚頼んで、肉頼んで白ワイン頼んで赤ワイン頼んで・・・と思っていたが裏切られた。
「男と女Ⅱ」も制作された。1作が当たったので柳の下の泥鰌を狙ったような低劣なものではない。結局一緒にならなかった二人だが人生のある部分で微妙に繋がっている。ジャンルイ・トランテニァンには若い彼女がいる。そして彼女はアヌークエーメに嫉妬しジャンルイ・トランテニァンと砂漠で心中しようとする。女心の浅はかさと砂漠の残酷さがつづら折りになって描写されてる。映像がまた美しい。二人を必死で探すアヌークエーメ・・・。
処女作から53年後「男と女Ⅲ 人生最良の日々」が撮られた。ジャンルイ・トランテニァンは認知症を患い施設に入っている。彼の息子がアヌークエーメを探し出し連れてくる。だが昔の彼女だとは分からない。だが素敵なのはそこからだ。また恋をし始めるのである。「まだ君に恋してる」坂本冬美が流れ始める。嘘である。例のダバダ・シャバダバダ・シャバダバダ・ダバダバダ・・・が流れている。恋は若者の特権ではない。年老いても二人が素敵に描かれている。フランスの文化の違いを感ずる。
クロード・ルルーシュ監督は自分の作品の所謂本歌取りのような作品を良く作る。「男と女の詩」という作品がある。これは「男と女」3作とは直接は関係ない。宝石強盗を働いたリノベンチュラが刑務所で服役している。恩赦がでて出所し昔の彼女に会いに行くと言う設定である。だがこの恩赦は未解決の宝石強盗事件を解決するためのおとり捜査なのである。娯楽の映画鑑賞で刑務所で「男と女」を見ている時呼び出され恩赦を告げられる。刑務所から出た時にはあの音楽が頭から離れない。
娑婆・ダバダ娑婆ダバダ

エアコン

今年も暑くなると言う事で故障していたエアコンを早めに取り換えた。幸いと言おうか暑い日は訪れず今まで使う日はなかった。昨日ミュージシャンの希望で今年初めて動かした。昨年の猛暑下ライブに来てくれていた常連の人から拍手が起きた。6月15日の事である。Lazyで働いていた友恵の命日にあたる。数年前まである時期になると深夜エアコンが勝手に動き出す現象が続いたことが有る。この事はお客さんが気味悪がるといけないのであまり言ってはいない。ある霊感が強いというお客さんがここでは何かを感ずる・・・と言っていたのも思い出した。僕はああ・やっぱり友恵来ていたのだ・・・と思っていた。本当にlazyに戻ってきたかったのだと思う。まだ、私の事覚えているよね‥と言ってエアコンを悪戯していたのだと思う。
店で二日続けて「ちょっとした」事件が起きてそのことが原因で心のバランスを崩してしまった。絶対店に戻るからね。待っててパパ・・・と言うメールが時々来た。メールが打てるほど体調が良い時に。友恵は僕の事をパパと呼んだ。あだ名である。昨今のパパ活のような新語もある。誤解されるので人前では辞めてほしいと言ったが友恵は頑としてパパと呼び続けマスターと呼ぶことは一度もなかった。若い愛人出来て良いねと揶揄されたこともある。友恵が心に傷のある子だとは聞いていた。だが「ちょっとした」ことがそれほどまでの引き金になるとは想像できなかった。僕にも責任があるので辛抱強く回復するのを待った。生活保護の手続きに同行し月何回かの心療内科への通院にも付き合った。時々人前で暴れられることもあり必死で抑えたことも何度もある。薬を飲むと何事もなかったように穏やかになる。そしてケロッとして「ごめんね。おなかすいちゃった」と言うのである。少なくとも信用されている実感はあった。僕は本当に人を守ってあげたいと思ったのは友恵が最初だったのかもしれない。15年前の6月15日の午前4時半、友恵が設定まで全部やってくれたガラケー携帯に着信があった。その事に気が付いたのは15日の午後であった。電話をかけたが出ることはなかった。体調が良くない時は電話に出ないこともよくあることではあった。翌日知らない方から固定電話に電話がかかってきた。「友恵の父です」と切り出した。山梨県にいらっしゃると言う事は聞いていた。「友恵が亡くなりました」と言う言葉を聴いた時は頭の中にキーンという通奏音が鳴りだした。「いつですか」と聞くのがやっとであった。「15日の5時頃です」と聞いた時には言葉を失った。あの電話に出れてさえいれば・・・・と思うとしばらく何も手につかない日が続いた。僕もそこそこの年齢である。肉親や親しかったミュージシャンの死に直面してきた。だが友恵の死に異質なものを感じた。26歳で命を絶った子にまだ人の為に優しくなれる余力が残っていることを教えてもらった。
石垣島の砂浜で半分居眠りをしながら村上春樹の小説を読んでいる僕の傍らでせっせと小さなヤドカリを取っている友恵の姿を今でも思い出す。
もう一度エアコンを動かしに来てくれないかな・・・。

コロナと学園祭

三年ぶりの北大祭りに行ってきた。Lazyでバイトをやっている部長Uの挨拶で始まった。初めて経験する学園祭を開催できる喜びに溢れる挨拶であった。学祭に近くなったある日部員から今年はコロナ対策で入場制限をするという話を聞いた。マックス3000人で希望者はネット予約が必要でそろそろ締め切りになると脅された。まあ、自分でもできないことないだろうが部員kに全日朝一から行くと言う事で三日分予約してもらった。開催日の前日実行委員会から予約確認のメールが届いた。予約番号、注意事項が列記されていた。身分証明書を持参すること、滞在時間は3時間、指定された門から入場すること・・・かなり厳密にチェックをする感が漂う文面であった。入場できる門と時間が指定されていた。北8条の正門であった。Jazz研の演奏場所は北18条の教養棟。僕は北24条に住んでいるので演奏場所を横目で見ながら正門まで南下しなくてはならない。そして又18条まで歩く。そこそこの運動量だ。正門をくぐると受付があった。入場のチェックを受けている。長蛇の列ではないがスマホと免許書を出して待っていた。受付が終わると制限時間の書いてあるリボンを渡された。最大3時間の滞留時間である。見ているとそこを素通りして入る人間も居る。最初は関係者なのだろうと思っていた。演奏会場に着くと部長のUが出てきてスタッフ証を首にかけてくれた。「見回りもあるのでこれが有れば3時間を超えても大丈夫です」との事だった。見回りと言う言葉にゲシュタポの様な密告社会の匂いを感じた。なぜこんなことを長々と書いているかと言うとある種の疑問が湧いてきたからだ。帰る時18条口から出たがスタッフは誰もいない。帰った人数は把握できていないという事である。残りの二日間は22条の獣医学部の入り口に行ってみた。誰もいない。普通にそこから入った。覆面パトカーが茂みから出てきて検挙されることも無かった。善意の住人が犬の散歩やらジョギングやらでどんどん構内に入ってくる。実行委員会の入場数制限は「やっている感の演出」であったのだ。オリンピック時の政府のザル水際対策を想い出した。実行委員会は大学当局からコロナ対策はどうすると聞かれたはずである。その対策がこの方法であったのである。北大は政府から言われて独自の基準を作り部活なども制限していた。密を抑えるのか人流を抑えるのかはっきりしない対策が政府、大学とリレーされた。それを学生たちが見逃すわけがない。ああ、あの程度でいいのね・・・と思う筈である。学生たちを責める気は毛頭ないがこういう手口を覚えて社会に出ることを危惧するのである。
老婆心からである。
「老婆は一日にして成らず」

腹立ち日記vol21 年金通知

年金機構から年金通知が届いた。年金減額通知である。支給額そのものが又減っているし控除されている介護保険料と国民年金負担額は増えている。支給額は物価スライド制で昨年までのデフレスパイラルと賃金上昇率にリンクしている。賃金上昇率はOECD国の中で最下位である。雇用形態を非正規労働者に変えてきた付けである。収入は減り、社会保険料は上がり、物価も上がり続けている。日銀の黒田総裁が「国民も値上げに適応してきたのではないか」と発言した。馬鹿も休み休み言ってほしい。あなたの誤った金融政策のせいで何でこちらがヒイヒイ言って生活しなければならないのか・・・。
僕は20年会社員として働いた。社会保険料は会社と個人がほぼ同率で積み立ててきた。それでも支給額は雀の涙ほどである。国民年金だけの人は想像に難くない。若者にもジジババの為に社会保険料を払いたくないでしょう・・・と言って分断を図る。日本はいつからこんなに国民に優しくない国になったのか。そうです。中森明菜も歌っている。「坊ちゃんA」が上座に座りだしてからである。桜問題もまだ解明されていない所に新しい事実が判明した。サントリーが数年にわたり飲み物を無償提供していたのである。サントリーもビールをはじめとする酒類の値上げを発表している。総理にはただでふるまうが国民には「苦い汁」は吸わせないと言う事だ。折しも第三のビールの税率を上げるあげないで議論されていた時期とぴったり重なる。開高健が草葉の陰で泣いている。

街角情報室vol6

店に来る時の事だ。一羽のカラスが小枝らしき物を咥えて追い越していった。かなりの低空飛行である。ある電柱に舞い降りた。しばらく小首を傾げ思慮しているように見えた。するとそのカラスは向きを変えると隣の電柱に飛んで行った。そこには作りかけの巣があった。どうやら電柱を間違ったらしい。僕はしばらくその巣を見上げていた。一瞬カラスと目があったように思えた。「カア」と一声鳴くとカラスは舞い降りてきて僕の頭近くを掠めていく。「何見てんだよ、カラスだって間違えるんだよ。団地住まいのお前らだって酔っぱらって隣の家のインターホーン、ピンポーンと鳴らしたことあるだろうよ。みっともないから言いふらすなよ」と言ったのだと思う。
同じようなことを経験したことが有る。北大jazz研の定期演奏会を聴きに行った時の事だ。ステージの転換時にウトウトしていると「海老蔵」と呼んで僕の頭を叩く人間が居た。海老蔵の様な頭をした部員がいるのだ。僕も海老蔵と結果的には同じような頭になっている。僕は振り向くと「海老蔵はそこだよ」と指さし教えてあげた。間違えた部員は一瞬固まると「カア、カア」といって立ち去った。たぶん「すいません、申し負けありません」と言ったのだと思う。

物価高を憂う

物価高を憂う
毎日スーパーに行っている。店で使う物と自宅用の食材を購入するためだ。僕は外食をほとんどしないし出来合いの惣菜も買わない。一日二食一から料理する。ちゃんと食べて寝れば大体健康と言う宗教を信仰しているからだ。それで色々なものがどんどん値上がりしているのが手に取るようにわかる。昔から値上がりしないのは卵とjazzミュージシャンのギャラだけと言われている。いや、道内の鳥インフルの影響で卵でさえ値上がりしている。秋刀魚が高級魚に変身しイカゲソがその足全部にシャネルのストッキングをはいているかのような値段で店頭に並んでいる。(因みにイカをフランス語で言うとasijepon。蛸はasi hapon)新聞には明日から値上がりするものの品名が列記されている。そして折からのウクライナの戦争。原材料の高騰も始まっている。消費者に価格を転嫁できない中小企業は苦しい。賃上げは見送られその従業員の生活はじり貧である。アベノミックスを援護射撃するために日銀は低金利政策を続行し物価上昇2%目指しデフレスパイラルから脱却するとした。これが全く違う状況で成立してしまった。デフレからは脱却できず不況下のインフレ・・・もはやスタグフレーションである。
だがこの状況は日本の経済政策の誤りによるところがある。アベノミクスの矢のうちの一本。異次元の金融緩和政策。先進国が金利を上げていく中で日本だけが低金利のままである。上げられないのである。上げると500兆を超える国債の利払いが発生し経済破綻が顕在化してしまう。元々株価維持のための低金利政策が日本経済の命取りになっている。何のための株価維持か・・・好景気を装うためである。だがその取扱高の60%が海外投資家によるものである。収益の60%を海外に移転しているだけである。安倍元総理は最近も「日銀は政府の子会社」と言う発言をして物議を醸し出している。国債の償還期限が来たら紙幣を刷ればよい・・・と堂々とアホな意見を開陳している。一国の総理が経済学のイロハさえ知らない。ドミソも知らないでジャイアントステップをやるようなものだ。
金利を上げないと良いこともあると黒田総裁も発言している。円安基調になり輸出産業には好材料だ。トヨタは過去最高の高決算を迎えている。しかし輸出産業のGDPに占める割合は10%程度である。輸入食材は値上がりするか見るからに小さくなっている。毎日スーパーに行っていると判る。国会で黒田日銀総裁に「スーパーに行ったことが有るか」と質問した議員がいた。答弁が「かつてスーパーと言うところにも行ったことはある」であった。もはや殿様である。庶民感覚など分かるはずもないだろう。
岸田総理の「新しい資本主義」も馬脚を現している。当初分配論の要素もあったが今は完全に自己責任論に変質している。「所得倍増計画」は「資産所得倍増プラン」であって金のない人には関係ない。「金のある人は自己責任で株にでも投資して増やしてください。手っ取り早い方法には競馬。競艇もあります。いずれ大阪にカジノもできます。一瞬で10倍になることもあります。運が良ければ・・・・お金の無い方・・・はそうですね・・・自己責任で何とかしてください。まず無駄をなくしてください。Jazzのライブなど生産性のないものにはかかわらないでください・・煙草は辞めてください。少なくとももらい煙草でしのいでください」と言う事になる
円安株高はシャブの注射を打ち続けるようなものだ。ちょっと前に外食産業の社長が「田舎から出てきた娘を薬漬けにする」発言でマスコミから叩かれていた。日銀や政府が国民をシャブ中にするのはお目こぼしになるようだ。