なんとなく その9

1969年は社会的にも大きな変動があった時年代だ。明確に反攻に値する存在があって音楽もそれを反映していた。日本でもシンガーソングライターなる人達が大勢輩出した時代でもあった。岡林信康、高田渡、吉田拓郎・・・唯一苦手にしている音楽群である。当時は嫌いという事でほとんど無視して「嫌い」の意味を考えたことはなかったが今なら説明できる。基本的に『芸」になっていないものは受け付けないのである。ボブ・ディランは苦手だけどジョーン・バエズはすんなり入ってくるというと分かってもらえるかもしれない。勿論ボブ・ディランに関しては今はそんなことはない。ボブ・ディラン全詩集なる本を持っていてノーベル文学賞を受賞したのを機に読み直したが未だによくわからん。でも好きである。
この年ライブデビューもしている。sing outの定演でCSN&Yの「青い目のジュディー」と「cary on」を札幌市民会館でやった。写真が残っている。テンガロンハットを被ってサファリスーツを着ている。この服は修学旅行の時新宿伊勢丹で買ってきたものだ。当時最先端のファッションで「さすが、東京帰りはちがうなあ・・・・」と揶揄われていた。カントリーロックの雰囲気を演出したかったのだと思う。
演奏後ロックミュージシャンを気取りたくて舞台の袖で初めて煙草を吸った。眩暈がした。「おー、マリファナだ、マリファナだ、」と思った
学園祭ではビートルズをやり、卒業生を送る会では「花はどこへ行った」や「コットン・フィールズ」の様なフォークソングもまだやっていた。この時も市民会館だった。このころの方が度胸があったのだと思う。心臓にも頭にも毛が生えていた良き時代だ。