これは筆者がJazzを聴き始めた’70年代中期にリリースされ、わりかし話題となっていたと記憶している。さて、’70年代の空気は’60年代の余熱を引きずっていて、所謂モダン・ジャズや更に硬派なものが好まれる空気が充満していた。「会話厳禁」などと張り紙されているジャズ喫茶も散見された。巷には主張をばらまく語り手もいて、未熟者には口を挟む余地はなかったが、密かに参考にさせて貰っていた。他方この時期はフュージョンの勃興とも重なり、アコースティックとエレクトリックが交差するカオス繚乱の時代となっていた。今回の選定盤はCTIというレーベルのもので、当時このレーベルはややフュージョン寄りの企画ものを矢継ぎ早に発表していた。誤認を恐れずに言えば、腕達者なミュージシャンを組み合わせて、ひと儲けをネラっているような作品が多く、いま一つ腰の入った感じがしない印象があった。「アランフェス」という有名楽曲を持ち込んだ本作もその路線に沿ったものだったのかも知れない。しかし内容は充実していて、頻繁に聴いていた。加えて運よく来日したJ・ホール・トリオをナマ聴きできたことと、その時に本盤のタイトル曲が演奏されたことは想い出を色濃いものとした。こうした経過の助けもあってホールの作品を長年に亘り聴き続けることになっていったのである。本作にはC・ベイカー(tp)とホールとは非常に相性の良いP・デスモンド(as)が参加していて、さり気ないが実に効果的に絡み合っており聴きどころを演出している。それとは別に、とりわけ筆者はローランド・ハナ(p)の演奏に魅かれてしまい、その後、ハナのライブ(ジョルジュ・ムラーツ(b)とのデュオ)に足を運んだりするほどになっていった。物語は簡単には終わらない。そのおよそ10年後(’87年)くらいにLBマスターが関与したスーパー・ジャズ・トリオの一員としてハナが参加したコンサート(@道新会館)に行くことへと繋がったのである。放っておけばバラバラに終わりかねないPieceが思い掛けず新たなカタチを組み立ててくれた。それは偶然の成行きによるものであったかも知れないが、半分は恣意的に選択した必然のような気もする。本論に戻すが、この選定盤でのホールはどうだろう。いま聴き直してみて”まろやかな音色の達人”と片付けてしまうには余りに奥が深い。このギタリストはソロもバッキングも絶妙なほど無駄がないが、若い時はそれを読み切れていなかったように思う。バツの悪い話だが、街角の論客に惑わされたり聴き込み不足もあったろうが、今はそれら余分な荷物を下して本アルバムに向かうことができるようになってきたかなと感じている。彼の演奏は概して大げさではないが、そのフレーズは磨き抜かれていて、とりわけ心を動かされるのは彼の感受性と音が濃密に対応していることを思い知らされる瞬間だ。聴き手にとってはホールの技巧を一旦忘れて、その表現力を感じとることが遥かに重要だと思う。因みにここにはホール夫人が提供した趣味のいい曲(Answer Is Yes)が収録されており、筆者の”お気に入りに”格納してある。今回この名匠が残した数ある名盤の中から本盤選定の決め手となったのは何か。最近当ホーム・ページで拝見する”若き日の音楽広場”流に言わせて頂けば、これは我が青春の1枚であることに他ならないからである。
(JAZZ放談員)
master’s comment notice
このアルバムを選ぶことになった前振りを牛さんが書いてくれている。先日長沼タツルと斎藤里菜のduoがあった。アンコールでalone togetherを演奏したのだがタツルがJ・ホールとR・カーターのアルバムのことをしゃべった。それが牛さんの記憶のアーカイブに火をつけたようだ。牛さんはその昔学園祭にJ・ホールトリオを呼んだ経験がある。勿論本物である。