山田洋次監督の映画を見る時いつもある種の気恥ずかしさを感じる。それは「幸せの黄色いハンカチ」でも寅さんシリーズでも今回見た「家族」でも同じである。ある家族像が提示されそれを取り囲む密接な地域共同体が有り、時に壊れそうになる家族も災難、不幸を乗り越え絆を深めていく。悪者は出てこない。家族像は横暴ではないが典型的家父長制でありそれを支える妻は甲斐甲斐しく夫、義父に使える。今の時代ではミソジニー問題で引っかかるかもしれない。その役は倍賞千恵子が演じている。これは典型的な昭和の家庭像で多かれ少なかれこれに似ている。我が吉田家も母親は倍賞千恵子ほどきれいではないが映画に描かれている家庭と相似形である。だから気恥ずかしいのである。テレビが我が家に来た頃アメリカのホームドラマを見てびっくりした。台所には箪笥の大きさの冷蔵庫がありダディは会社に行くとき「ハニー、行ってくるよ」といってキッスをするのである。弁当はもっていっていないようだ。全然うちと違うと子供心に思った。憧れは持ったが気恥ずかしさは無かった。遠い世界のことであると思っていた。「家族」は長崎の離党に住む5人家族が北海道の中標津に知人の酪農業を手伝うため移住する話である。未開の根釧台地を艱難辛苦を経験しながら開拓する映画と思いきや中標津に到着するまでのストーリーが8割占めるロードムービーになっていた。時代設定は1970年。長崎空港から中標津空港まで飛行機で行くはずもなく船、列車を乗り継いで行くのである。これは老人、幼子を連れて行くのは一大事業である。実際赤ちゃんは途中で病気になり命を落としてしまう。車窓から見える風景が当時を象徴している。途中夫の弟の所に寄る。広島県の福山市に住んでおり大手の化学工業会社に務めている。勤務している工場が映し出された。工場の中をバスが走っていると倍賞千恵子が驚くのである。高度成長期の日本の姿である。この時代設定より少し遅れているが僕も最初の勤務地千葉市に行った時社宅のある市原市まで湾岸道路を走った際途切れることなく続いているコンビナートに驚きこれが日本の経済を支えているのだと実感した。今も大阪で万博が開催されているが1970年も大阪万博の年でありこの家族も会場まで足を運び外から太陽の党を眺めている。日本が世界に復興した証を見せられる機会でもあったのだ。新幹線の車内の事である。長旅で疲れて寝ている夫婦を義父役の笠智衆が起こすのである。「富士山が見えるよ」同じことを経験したことがある。高校の修学旅行のことである。札幌を夕方出発し鈍行列車、連絡船、鈍行列車を乗り継ぎ東京で新幹線に乗り継いだ。若いとは言えほとんど寝ないで東京まで来たので新幹線の快適さと相まって寝ていたら「富士山が見える。富士山だよ」と起こすおせっかいな奴がいたのである。
物語は根釧台地が緑に覆われる6月で終わるのであるがこれはこの家族がこの地で上手くやっていけることを暗示している。山田洋次監督の映画はたとえばヒッチコックの映画の様に不安を残して終わることはない。だからちょっと気恥ずかしくても見るのである。