ブックレビューのコーナーなのに読んでもいないしまだ買ってもいない。月に二度とジュンク堂を舐めまわすように徘徊している。半日がかりである。勿論購入予定の本が何冊かは有るのであるが新しい本との出会いを求めて歩き回るのである。それは顔見せで客を牽く吉原の赤線地帯を歩くようなものだ。本が私を買って・・・と呟いているのが聞こえてくる時が有る。それが楽しみで本屋に出向くのだ。ネットで買って届けてもらうようなことはしない。その日は上記の「三島由紀夫論」他数冊購入するつもりであった。だが漬物石にもなろうかというそのボリュームに圧倒されてしまった。そして帯に書かれていたそして著者23年にもわたる渾身の力作・・・という推薦文に二の足を踏んでしまう事となる。もう一度三島の主要作品を読み直してから読もうと思った。平野啓一郎は三島の再来と呼ばれた作家である。処女作「日蝕」はこんな文章大学生が書けるの・・・と驚いた記憶が有る。三島の「金閣寺」は暗い吃音を持つ若い修行僧の生活を華麗な文体で表現している。その文体は遺作豊饒の海4部作まで引き継がれている。だが三島は純文学の読者以外の層を意識した中間小説的なものも多く書いている。70年代、10歳年下の大江健三郎が鬱屈した時代に性的なものでしか対抗できない若者の生態を書いて大学生に圧倒的な支持を受けた。その頃には押しも押されもしない文学会の重鎮になっていた三島が嫉妬していたと言う話を聞く。スランプ期にはテレビに出演し演劇や映画に手を染める一方ボディビルで体を鍛え薔薇族というゲイの雑誌の表紙を飾っていた。そして森田必勝という右翼青年と出合う事になる。1970年市ヶ谷自衛隊駐屯地でクーデターを呼びかけ三島と一緒に自決した人物である。この事件は三島事件と呼ばれ昭和の10大事件の一つに数えられている。だが思想的には森田事件と呼ばれるべき事件であった。三島が有名人であったからに過ぎない。「ライトハウスのリー・モーガン」というアルバムが実はベースのラリー・リドレーのリーダー作であったという事実に似ている。戦後三島は一貫して「自分はノンポリである」と言い続けていた。それが森田との出会いによって楯の会に繋がる政治活動として結実していく。森田は三島と初めて会った時「君は私の作品を読んだことが有るかね」と聞かれた。森田は「先生の作品は1冊も読んでおりません」と答えた。三島は下手にフアン的は人物が入会してくるようでは困ると言って森田を褒めたという。だが森田は全作品読破していたのである。1969年三島と東大全共闘の討論の事は以前映画のコーナーで述べたことが有る。その時森田も三島に何かあってはならないと会場に詰めていた。講演で学生に向かって天皇について述べてくれるなら行動を共にしても良いとまで発言している。天皇との近さにおいては三島はエリート意識が有る。何せ学習院を首席で卒業した際天皇から直々銀時計を賜わったことを誇りにしている。11月25日市ヶ谷駐屯地に向かう前「天人五衰」の最終原稿を編集者に渡している。そんな三島の人となりを含め全作品、そして三島の読んだ文献をも読み込み論を展開している。・・・・らしい。何せまだ読んでいない。だがとんでもない労作であることは分かる。平野啓一郎は信頼できる作家である。
話は少し飛ぶ。あるjazz研OBが高校の国語の授業の時村上春樹が三島由紀夫の影響を受けていると教わったと言った。村上春樹はSF.ジエラルド、Tカポーティ、Rチャンドラーの影響下にあり好きな作家はレイモンド・カーバやポール・オースターであることを知っている。僕は以上の事実をもって否定したが妙に引っかかる部分が有った。三島の影響かは分からなかったが日本的な香りがするところが有ったのだ。いつか三島を読み直さなくてはと思っていた。その後「村上春樹隣には三島由紀夫いつもいる」佐藤幹夫著を見つけた。2006年第一版である。その先生はこの本を読んでいたのだろうか。
付記
「みしま」と入力すると最初に「三嶋大輝」と出てきてしまう。それ程三島由紀夫とは遠ざかっていたと言う事である。