ここに読みかけの一冊の本がある。タイトルは最後に紹介する。副題に「横浜アウトサイドストーリー」とある。
帯には
「街を彷徨う白塗りの老娼婦」
「破天荒なブルースマン」の物語とある。
今では老娼婦が「ハマのメリー」でありブルースマンは元ゴールデンカップスのギターリスト「エデイ藩」だと分かっている。時間を行ったり来たりしながら僕が実際付き合った人間も含めて横浜を軸に一つの物語が紡ぎあげられていくのを感じた。
45年ほど前になる。千葉県の市原市という交通刑務所しかない町に住んでいた。休日になるとジャズを聴きに新宿に出るか、街を散策しに横浜に出かけていた。
横浜には漠然とした憧れがあった。ヒップなところとスクェアなところが交錯する街の匂いがあった。日本三大洋食の流れを作った日本郵船の豪華客船が出港する港があり、初めてマティーニを出したホテルニューグランドのバーがある。人でごった返す中華街があり、多分日本で初めてR&BやBluesをやるライブハウスが本牧にあった。そして横浜生まれの作家矢作俊彦がいた。「マイクハマーへ伝言」であったと思う。そこに出てくる実在の場所を自分の目で確かめに歩き回っていた。
シルクホテル、バンドホテル、・・・・ホテルニューグランドには無理して宿泊もした。石造りのホテルは最新のホテルのように豪華ではなかったがやはり重厚な佇まいであった。マッカーサーも上ったであろう階段を踏みしめバーにも入った。マティーニを飲んだ。バーテンダーには若造がかっこつけてマティーニを飲んでいると見透かされていたであろう。
jazz喫茶「ちぐさ」にも行った、ライブハウス「エアージン」では高橋知紀、大徳俊之、望月英明、古沢良次郎がドンチェリーの曲をやっていた。
本牧のロックバーには一人で行く勇気はなかった。その日はゴールデンカップスの残党がライブやっていた。
僕は関内、桜木町、元町辺りを舐めるように歩き回っていた。元町の商店街から石畳の細い階段を上がり右に行くと松坂大輔が出た横浜高校があった。勿論松坂はまだ生まれていない。…‥と思う。ロッテに入団した愛甲が居た高校だと思った。左に行くとフェリス女学院がありその先には外人墓地と港が見えるガ丘公園があった。歩き疲れてある喫茶店に入った。ビックバンドリーダーの「スマイリー小原」の写真が飾られていた。
それから15年経つ。その後金井英人バンドや森山威男バンドで知り合うことになるサックス奏者井上俊彦の家に泊めてもらった。連れていかれてびっくりした。その家を覚えていたからである。階段を上って大きな道路に出て左の一件目の家、フェリス女学院の隣で僕が入った喫茶店も歩いて数分のところであった。井上もその喫茶店にはよく行くとのことでスマイリー小原の妹さんがやっているとの事であった。凄い所に住んでいる。「横浜は中区山の手だけでしてよ・・・」なんては鼻持ちならない事を言う方が住んでいる高級住宅街である。窓を開けるとフェリス女学院のテニスコートが見え「ハーイ」と言いながら優雅にラリーを続ける女子大生のスコートが眩しかった。僕は思い切り深呼吸をした。
45年前に戻る。山下公園の氷川丸の前でぼんやり海を眺めていた。左側のふ頭はカサブランカのリメイク映画石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」のロケ地だったはずである。そして汽笛が鳴るとジャン・ギャバンの映画「望郷」を思い出すのである。そこで不気味な容姿の女性に会ったことを鮮明に覚えている。
我が盟友米木との打ち上げの席の話である。米木が矢作俊彦と話したときのことを話してくれた。僕も矢作俊彦の小説を片手に横浜の街を歩き回った話をした。そして話は「ハマのメリー」に及んだ。その時僕は「ハマのメリー」は知らなかった。だがその容姿の話を聞いた時、45年前にあったその女性のことを思い出した。今でもその女性が「ハマのメリー」かどうかは分からない。今読んでいる本に写真が載っていた。時代の暗部を一人で抱え込んだようなインパクトのある写真であった。そこに感じた感覚は45年前に感じたものと同質であった。
今度は今から23年前に戻る。僕は東京で会社を退職し札幌に戻ってくる前日、米木の家に泊めてもらった。エレキベースに誰かのサインがあった。聞くとルイズルイス加部のサインだそうだ。ゴールデンカップスのベーシストで本のもう一人の主人公エディ藩のダチである。
この本を通して45年の時空を行ったり来たりしながら米木や井上のこと、そして奇妙な繋がりの事に想いを馳せた。
参考図書
「天使はブルースを歌う」山崎洋子