今月も色々な分野で亡くなった人がいる。三人の故人に追悼の辞を捧げたい。
チャーリー・ワッツを初めて聴いたのは中学三年生の時である。ステレオとレコードを持っている同級生の家でだった。ブルースに影響された泥臭いサウンドにはまだ馴染めず一緒に聴かせてもらった綺麗なハーモーニーのPPMの方が気に入ったのを覚えている。ロックを聴くようになってもストーンズは僕の中ではビートルズの後塵を拝していた。ジャズを聴くようになりルーツのブルーを聴くようになった。ジャズとは違う枝にはR&Bがありその先にストーンズがいた。つまみ食いではあるが一通りは聴いているアルバム「刺青の男」にS・ロリンズが参加していたので驚いたが、あれはジャズ好きのチャーリー・ワッツの思い入れであった。ジャズ好きが高じてジャズのアルバムまで作ってしまった。経済は回さなくてはいけない。プール付きの豪邸を購入するより金の使い方が良い。派手なフロントの二人をしっかり支えている仕事ぶりに敬意を払っている。合掌
日本が政治的に変動している時期にジャン・ポール・ベルモンドがゴダールと一緒にやって来た。「気違いピエロ」「勝手にしやがれ」は何度見たことか分からない。あの焦燥感と諦念感の意味を今も探っている。ベルモンドは演技も素晴らしいがアクションシーンでもスタントマンを使わず全部自分でやっていた。千葉真一のような側面もあった。そう、千葉真一も亡くなった。個人的には優しさが滲み出ているクロード・ルルーシュ監督の「ライオンと呼ばれた男」とアランドロンと張り合った「ボルサリーノ」が好きである。合掌
自民党総裁選の真っただ中、岸田候補が「新自由主義」を転換させる経済政策を一応打ち出した。「一応」としたのは筋金入りの風見鶏なので選挙情勢によってはその旗を降ろす可能性があるからだ。その新自由主義的な経済政策が席巻したのは小泉純一郎内閣時代、蔵相を務めた竹中平蔵の提唱であった。それに真っ向から異議を唱えた人物がいた。経済評論家の内橋克人である。市場原理主義と規制改革の行きつく先を見据えていた。圧倒的な格差を前にも自分の立ち位置は揺らがなかった。「匠の時代」という著書がある。高度成長期を支えた無名の技術者の姿を足を使って取材した労作だ。競争と効率だけではない共生社会の考え方に共鳴する。
立教大教授金子勝氏が朝日新聞に追悼記事を書いている。学者から見た功績を知りたい方はそちらも読んでいただきたい。合掌