環境省大臣の失態

水俣病は日本経済成長の負の遺産である。環境と住民の健康を差し出して得た高度成長である。水俣病に認定されたのは3000人、給付金等の政治的決着で落としどころを探ったのが5万人、現在でも認定を求めて話し合いの場がもたれている。その場での出来事である。住民の訴えは3分以内ということが環境省の事務方の間で取り決められていた。「痛い痛い」と言いながら亡くなった妻の話しをする住民がいた。話しは3分で終わらず非情にもマイクのスイッチが切られた。問題はその場に責任者である伊藤環境省大臣が居たにも関わらずということである。伊藤大臣が「最後まで話しを聞こうじゃないか」と発言すれば丸く収まった話しである。ところが伊藤大臣はすたすたと会場を後にした。帰りの新幹線の時間が迫っているという理由からだ。官僚はつつがなくその場を納めるのが仕事である。もし住民にたっぷり話をさせて大臣が新幹線に乗り遅れるようなことになればその懇談を仕切った職員は必ず出世が遅れる。大臣も「話は聞いたからね」という既成事実を作るためだけに現地に赴いているとしか思えない。このことがSNS上で炎上すると伊藤大臣は結局謝罪の為現地に赴くことになる。涙ぐみながらの謝罪会見であったが全く心が動かされない。何のための懇談であったのかという問題に立ち返るべきである。そもそも環境省が設置されたのは水俣病に端を発しているのであるから。この話には必要のないコーダマークまで付いていたのである。熊本県知事が話しを中断されて憤る様子を「つるし上げ」と表現したのである。政治家の前に人間としてどうなの・・・という人物が多すぎる。