例えば大阪万博である。大阪にどれだけの経済波及効果があるかを豪語していた。ところが最近は国家事業にすり替わり吉村知事は永田町で有力政治家回り行っている。北新地のホステスが旦那におなかを擦りながら「貴方の子よ。降ろすの・・どうするの」と脅している光景とシンクロする。岸田総理は維新に絶好の貸を作れる場面と捉え「勿論産んで良いよ」と言ってのし袋に警備費と書いてポンと200億渡したのである。これで吉村知事が特に悪びれているよう様子はない。吉村知事だけではない。馬場代表も社会福祉法人乗っ取り事件の疑惑がある。党員には不祥事には枚挙にいとまがない。セクハラ、パワハラ、詐欺、刑事事件何でも有りである。国民の方も何が起きても・・・ああ、維新だからね程度で済まされてしまう。これが共産党員であったならごうごうたる非難の嵐が湧き起こる筈である。維新に論理で立ち向かってもだめだと言う事が薄々わかってきた。ヤクザに暴力反対を訴えている無力感を感ずる。それがどないしたんや・・とすごまれてどすを抜かれるだけである。維新に政治信条などない。美味しそうな肉が有れば牛だろうが鳥だろうがなんでも食っちまう山犬集団である。騙されない事である。高校無償化だって授業料の話であって咎う名目で大目に徴収されるのだ。セット料金無料のガールズバーで1杯2000円の烏龍茶を何倍も飲まれてぼったくられる様なものである「身を切る改革」が政治家ではなく府民の身であることが明らかになってきた