2017.7.7 池田「いる」の証明

池田篤(as)壼坂健登(p)若井俊也(b)伊藤宏樹(ds)
 冒頭から脱線してみよう。最近、金銭の授受が「あったか・なかったか」という政治ネタで『悪魔の証明』なる言葉を耳にすることがあるのではないだろうか。これは「ない」ことを証明する難関の話だ。それを拝借すると、我が国に世界的なアルト・プレイヤーが「いない」ことを証明しようとすると、全国のアルト・プレイヤーをつぶさに聴いて回らねばならず、証明は不可能になってしまう。一方、世界的アルト・プレイヤーが「いる」ことを証明するのは余りに容易だ。池田を連れてくれば証明を果たしたことになるからだ。ひと月ほど前に池田の25年くらい前の演奏を聴いてみたが、そこには既に確立された池田が「いた」。従って時を遡っても「いない」ことを証明する必要はなく、全国行脚の難を逃れることができた。
 それはさて置き、池田はレポートしづらい演奏家の一人である。ソロからビッグバンドまで広範な活動を行き来していて、特に、五十代になってからは圧巻のパフォーマンスを繰り広げていると言い切ってしまうと、それから先に進めそうになくなるからだ。つまり、池田クラスになると凄さレベルの再確認という聴き方で静止してしまいそうになるのだが、池田自身には静止せざる時の無常さが襲い掛かっていた。前回(昨年12月)と今回のライブの間に、あの辛島文雄さんが生涯を閉じたのだ。このライブにおいて池田は、辛島さんに捧げるオリジナル数曲を演奏した。Jazz人生賛歌「イッツ・ウェイ・オブ・ライフ」、亡くなる10日前が最後の共演になったという追憶の「ラスト・セット」。池田のコメントがなければ、含みを持たない1曲ずつという聴き方になったかも知れない。だが、いや応なく捧げられた1曲ずつとして聴くことになった。生前に辛島さんから“難曲なので演るなら自分のバンドで演ってくれ”と言われたらしい「スパイシ-・アイランド」は渾身のレクイエムとして我々の耳に焼き付けておくべき演奏であった。ライブが甚だ深刻な雰囲気だったように思われるだろうが、これは筆者の“印象操作”であって、実際は今日のジャズ・シーンの最前線を走りゆく『池田「いる」の証明』ライブだったのだ。計画中のLB殿堂入りミュージシャンに池田を外すわけにはいくまい。
 メンバーのことに少し触れてみよう。初めて聴くピアノの壼坂は、若干22歳の若者とのことであるが、相当弾きこんでいる腕前である。しかし、それよりも、バンドの中にピアノを乗せていく役割意識を楽しんでいる様子が伝わって来たのが嬉しく、可能性を秘めた逸材。ベースの若井はLBで大関の地位にスピード出世したことは周知のとおりであるが、回を重ねるごとに“大関の名に恥じぬ”演奏が頼もしい。地元24区選出の伊藤はこのメンバーに熱くならない訳には行かない。ある曲でドラムソロが収まらなくなる一幕があり、演奏展開に暗雲が立ち込めた時、池田がそっと絡み始めてこの両者による繋ぎの流れに持ち込まれたのはハプニングではあったが、これも“ライブだけの特権”だ。
 冒頭の『悪魔の証明』に戻るが、LBに悪魔が「いる」か「いないか」を問われれば、「いる」派の圧勝に違いない。一体誰のことだろうか?自分のことかもと慌てる人物を安心させるために、それはJAZZという人格を持った音楽であると纏めておこう。
(M・Flanagan)