長嶋茂雄の明暗

長嶋茂雄が亡くなった。大手新聞は一面でこの記事を取り上げた。同日韓国では大統領選挙もあった。日本学術会議の法人化法が通過しそうでもあり米騒動も起きている。このマスメディアの在り方が今の時代を象徴している。子供の頃は例に漏れず巨人ファンであったが特に長嶋が好きと言う事も無かった。どちらかと言うと王貞治の方が好きであった。小学生の時一度だけ巨人戦を見に行ったことが有る。対戦相手は覚えていない。V9の頃で藤田が投げ王、長嶋、広岡もいた。席がセンターであったので内野の守備陣は米粒くらいにしか見えなかったがカーンと言う打撃音は鮮明に聴こえてきた。長嶋がゴロをさばき王に送球するスピードには子供ながらに驚いた。だが長嶋のフアンにはならなかった。その理由が分かった時が有った。長嶋が現役を引退する時である。「我が巨人軍は永遠に不滅です」というあのセリフも聞いた時である。ある種の危険な香がするのである。久保正雄と言う人物がいる。東日貿易の創業者であり政商でもある。戦後インドネシア賠償ビジネスで巨万の財をなした。スカルノ大統領にデビ夫人を紹介した人間でもある。久保は長嶋の親代わりで結婚式に参列し一茂の名付け親でもあった。この人脈の流れで長嶋は安岡正篤という右翼のドンに心酔していた。安岡は玉音放送の原稿に手を入れた人物として知られている。安岡正篤の座右の銘に「六然訓」と言うのが有る。清原が自打球を当て骨折した時監督だった長嶋は清原を見舞いそのギブスに六然訓の一説「失意泰然」と書いたという。清原がその意味を理解したかは甚だ疑問である。長嶋は公の場で当時勢力の有った社会党が政権を取ったら野球が無くなると発言していた。長嶋がどの思想に傾倒しようが自由であるが、ある種の勢力に利用されていたことをマスコミは一切報じないのは倫理にもとる。