ノーベル賞と国家権力

日本に生まれただけの真鍋淑郎氏がノーベル賞を受賞した。今前世界が直面している気候変動の予測モデルを発案した。日本に生まれただけのカズオイシグロがノーベル文学賞を取った時も日本人がノーベル賞を受賞したと報道された。国籍は日本ではない。日本人になった白鵬が年寄りになった時モンゴル出身といわれ細かい注文を付けられる。その根底にあるものは何か・・・・。皇室問題、難民冷遇にも通ずる日本人純潔思想を感ずるのである。
真鍋氏は言う日本での研究は気を使いすぎる・・・と。ここ最近ノーベル賞を受賞する日本国籍人(変な日本語だがしょうがない)も研究拠点を海外に求める。
日本国内ではすぐ金儲けに繋がる成果を得られない研究は冷遇される。感染症が爆発してからワクチンを開発する国になり下がってしまった。ネイチャーに発表される論文数も年々減ってきている。意欲のある研究者は海外に出ていかざるを得ない。教育研究は国家の根幹をなすものである。人材移転がどれだけの損失になるか気が付くべきである。大学が社会に出る予備校化し経済界の意向に左右される傾向にある。一番勉学に励む時期に就活に一年以上割かれる。当然レベルも下がる。学者も政府の顔色を伺う忖度学者ばかりになってしまう。日本学術会議任命問題にも通ずる問題である。
「ドクトルジバゴ」と言う映画がある。「アラビアのロレンス」と同じ監督デビット・リーンの作品である。ロシア革命時期の人間模様を描いた超大作である。語りどころ満載の映画であるがそれはいずれシネマレビューのコーナーに回すとして原作が描かれた当時の状況を述べてみたい。作者はパステルナーク。ノーベル文学賞を受賞した。冷戦下のソビエトで革命時期のロシアの内情を描いたとしたら発禁カイロは免れない。だが「決して戸は開けないでください」と言われると開けたくなる「鶴の恩返し」状態になり本は読み継がれた。その裏ではCIAがパステルナークにノーベル賞を取らせるべく暗躍していたという。概して禁止するより好きにさせたほうが良い結果になるものだ。パステルナークへの当局からの締め付けは厳しく授賞式に出席した場合には家族の安全は保障しないと脅された。結局パステルナークは出席を諦めた。その賞金も本人には一ルーブルも渡ることなく特許許可局国庫局(書くのは簡単だ)に収められた。

飛ぶ教室

タイトルは本の名前ではない。作家の高橋源一郎が司会のラジオ番組である。その中で毎週一冊本を紹介してくれる。先週紹介された本のタイトルは覚えきれなかった。内容は興味深く覚えているので紹介したい。第二次大戦下、戦地の兵士に本を贈る活動について記した本であった。当時ドイツではナチスの思想に反する書籍は焼き払う焚書運動が活発化しつつあった。宣伝相ゲッペルスの指導による。それに対しアメリカはどのような対策を取ったか・・・・
「我が闘争」や優勢思想を賛美する書籍を排除することもできたがそうはならなかった。敵が焼くならこちらは読まそう・・と言う事になった。一大キャンペーンの元全国から膨大な数の本が集められた。そしてそれらが戦地の若い兵士に届けられた。マーク・トウェインが人気だったという。退却あるいは脱出際、武器雑嚢を廃棄しても良いという命令が出た時も本だけをポケットにねじ込んだ兵士が多かったと聞く。死んでもラッパは放しませんという日本の軍隊では想像だにできない。当時はルーズベルトの民主党政権下であった。共和党から自党に不利になるような本は送らないようにしてほしいと要望が出た。それに対しジャーナリズムが「そんな細かいことに拘っている時か、敵はほかにいる」と論陣を張り政党を押し切った。当時のアメリカマスコミは健全に機能している。今の日本の忖度報道を見るにつけ隔世の感がある。
戦争は連合国軍の勝利で終わった。復員兵は優先的に大学に入学できる制度があり驚くべきことに在籍していた学生より押しなべて成績が良かったと言う。若い兵士はリタ・ヘイワースやジョー・スタッフオードのノスタルジックボイスで故郷に思いをはせてもいたが読書で知的好奇心も失わなかった。当時の政府が戦後の在り方まで熟慮したうえでの政策であった。知識は国を支える共通資本である。そして読書はその入り口になり得る。

タイトルは本の名前ではない。作家の高橋源一郎が司会のラジオ番組である。その中で毎週一冊本を紹介してくれる。先週紹介された本のタイトルは覚えきれなかった。内容は興味深く覚えているので紹介したい。第二次大戦下、戦地の兵士に本を贈る活動について記した本であった。当時ドイツではナチスの思想に反する書籍は焼き払う焚書運動が活発化しつつあった。宣伝相ゲッペルスの指導による。それに対しアメリカはどのような対策を取ったか・・・・
「我が闘争」や優勢思想を賛美する書籍を排除することもできたがそうはならなかった。敵が焼くならこちらは読まそう・・と言う事になった。一大キャンペーンの元全国から膨大な数の本が集められた。そしてそれらが戦地の若い兵士に届けられた。マーク・トウェインが人気だったという。退却あるいは脱出際、武器雑嚢を廃棄しても良いという命令が出た時も本だけをポケットにねじ込んだ兵士が多かったと聞く。死んでもラッパは放しませんという日本の軍隊では想像だにできない。当時はルーズベルトの民主党政権下であった。共和党から自党に不利になるような本は送らないようにしてほしいと要望が出た。それに対しジャーナリズムが「そんな細かいことに拘っている時か、敵はほかにいる」と論陣を張り政党を押し切った。当時のアメリカマスコミは健全に機能している。今の日本の忖度報道を見るにつけ隔世の感がある。
戦争は連合国軍の勝利で終わった。復員兵は優先的に大学に入学できる制度があり驚くべきことに在籍していた学生より押しなべて成績が良かったと言う。若い兵士はリタ・ヘイワースやジョー・スタッフオードのノスタルジックボイスで故郷に思いをはせてもいたが読書で知的好奇心も失わなかった。当時の政府が戦後の在り方まで熟慮したうえでの政策であった。知識は国を支える共通資本である。そして読書はその入り口になり得る。

新腹立ち日記 忘却篇

「忘却とは忘れ去ること也・・忘れえずして・・・」と言うナレーションで始まる連続テレビ小説があった。その時間帯になると銭湯がガラガラになったという。「君の名は・・」である。日本の金メダルラッシュで東京オリンピックが終わった。終わったのは競技であり残務整理はこれからである。柔道の金メダリストの名前を上げられるだろうか。僕は一人も言えない。残った負債の処理の仕方についてこれからこっそり話されるはずである。そして最後には我々の所にジョーカーが回ってくるのである。どういう名の税金になるかは分からない。だがファッションショーと同じで服だけ替わりモデルは一緒である。新内閣のメンバーが発表になった。五輪担当相もいる。堀内詔子という方だ。ワクチン担当大臣も兼務しているので五輪の方はほとんど話題にならない。汚点は名もない難民のように闇から闇へと葬り去られてしまうだろう。札幌は冬季五輪にエントリーしている。検証結果だけは国民に提示してほしい。「まあ終わったことは、それとして又札幌でパッと盛り上がりましょうや」と言うのは止めにしてもらいたい。
前デジタル担当相の名はまだ記憶にあるかもしれない。平井氏である。「デジタル武士道」なる珍説を開陳した人である。NTTから過度の接待を受けた。ところが公になると後から割り勘にしたから問題ないと言い出した。この論理が通用するなら万引きもばれたら後から支払えば問題なくなる。こういう輩も一定の期間を置くと一線に復帰するから注意しなくてはならない。今の閣僚党役員にも禊議員が何人もいる。まず甘利幹事長。刑事訴追をうけながら睡眠障害を理由に国会では一切説明責任を果たさなかった。下着泥棒疑惑で取り調べを受けた人物までいる。この国ではヤクザの手打ちのように「終わったことは水に流そうや」というしきたりが蔓延している。
ライブでもある。毎回同じことができなくても許される。残念ながら僕は覚えている。

アマリヤ・ロドリゲス ファドの女王

岸田文雄新総裁が誕生した。生簀の中のボスを決める戦いではあったがまあ予想通りのコード進行であった。気にくわない質問には答えず「次の質問どうぞ」と繰り返したり市民団体からの質問には開封さえしないで返却する河野太郎や極右思想の持主の高市早苗でなくて取りあえずよかったと思ったのもつかの間・・・。その組閣の要職の人選を見るとがっかりしてしまう。I got rhythmのコード進行を借りたoleoの様な内閣である。はっきりいえば第4次安倍政権である。Oleoならまだ許せるが「俺俺」と次の機会を狙っているのが安倍前総理と言うシナリオが現実味を帯びてきた。岸田氏は割と普通が分かる人と思っていたが実力ない人が総裁になるとこういう人事dindiをせざるを得ないかと思うとジョビンでなくとも失望する。2016年に大臣室で現金を授受した疑いがあり政治資金規正法違反で刑事告発され閣僚を辞任した甘利氏が幹事長。アンマリヤ・ロドリゲス・・・ヘドの女王。戦争好きの高市前総務相が政調会長。このポストは自民党の政策・法案の責任者である。と言う事は選択的夫婦別姓も同性婚もご破算と言う事である。女系天皇ももちろんない。麻生財務大臣は副総理で残り、河野太郎氏は広報部長と言う降格人事で第二の石破茂のように干されていく。「干され・フェリシアーノ」
岸田新総裁の新自由主義を見直すという方針は地味だが大改革である。小泉政権時に竹中平蔵が提唱し安倍菅政権の保守派と右派の共通思想になっているからだ。「数十兆円規模の経済対策」株主と従業員の配分格差、税制見直し、教育のベーシックサービス、介護士や看護師の給料引き上げなどは、野党の政策とおなじである。と言う事は衆議院選挙をにらんでの争点つぶしと言えるかもしれない。そうすると今回の総裁選の意義が見えてくる。誰を選挙の顔にするかという事である。自民党はそういう事に老獪である。
投票率が上がらなければ意外と苦戦するのではないかと心配している。

2021.9.24-25  鈴木央紹3 Groove Struttin’ !

鈴木央紹(Sax)宮川純(H.Org)原大力(ds)
レイジーでは幾度も素晴らしい演奏に巡り逢っているが、今回3年連続となるこのハモンド・オルガン入りは他になく、稀少さなどという次元を超えて、初聴き時に筆者の体感メーターの針が右往左往していたのを思い出す。それは以後も変わりはない。では、トリオ・サウンドを思う存分味わうこととしよう。予め演奏曲を紹介しておこう。「Solar」、「No Moon At All」、「Babbles,Bangles&beeds」、「Dolphin Dance」、「Detour Ahead」、「My Heart Stoods Still」、「If I Should Loose You」、「Love Walked In」、「How Long Has This Been Going On」、「You’d So Nice To Come Home To」、「The Ruby&The Pearl」、「The Favourite」、「Some Other Time」、「So In Love」and「All Of Me」。中には知らない曲もあるが構いはしない。聴いた後で、唐突に思い出したことがある、“ジャズに名演有りあり、されど名曲なし”という誰が言ったか知らないが、相当前に発せられたセリフである。“名曲なし”については歴史的事実に反するが、“名演あり”については日々発現している。従って、そのセリフの半分は妥当性を失っていない。いったい何処から何処までがジャズなのかという問いがあるとすれば、”演“が感じられるかどうかに尽きると言ってよさそうだ。裏を返してそれ以外はジャズあらずといえば言い過ぎか。トリオの話に戻どそう。肝心のこのトリオの聴きどころについてである。バンマスの鈴木については何度もレポートして来たので、何度も類似したことを述べてきたのだと思う。それは名盤は何度聴いても飽きないことと似ている。手短に言うと、彼の演奏は兎に角捉え方の大きさにある。これは実力者たちの共通域であるが、そこにおいて鈴木を決定づけているのは、圧倒的なニュアンスの多彩さである。街場の風景によれば、鈴木食堂に行列ができるのは、丹念に仕込まれた下味をベースに多種多様な具材が”瞬時に“出てきてしまうところにある。形容語は過去に使い果たしてしまったが、毎度々々凄いと言うより他ない。さて、オルガンの宮川だが、その演奏を耳にしたことのない人も多いかと思う。いきなり天才幅肌と言うのも興ざめだけれども、元々はアコースティックの演奏家がハモンドに執着しているのは、優れて本人望むところとこの楽器と相性の良さによるものだろう。その演奏に対するこちら側は絶対鈍感に陥らないよう気を付けておけば、それだけで彼のグルーブを満喫できるのである。そして御大の原、この人は例によってドラマーの役割意識とドラムスの音がそっくり連動しているので、気持ちの良いい音を叩き出す才において人後に落ちない。勿論、この気持ちの良さは、トリオのサウンド展開において隠れもしないのである。(ナイショ話だが、とても蓬莱の定食で胃もたれを引きずっていたとは思えない。)演奏が終わってから耳をそばだてていると、“You’d be so~”と“All of me”は、歌で取り上げられることも多く、私たちは割と構えないで聴いていることの多い曲だが、プロにとって難曲に位置づけられるのだそうである。素人としては聞かなかった振りをしておく。結局この鈴木央紹トリオ、ヴァリュアブルだ。
 これから少々広報的なことを申し上げる。今年の追い込みラインナップは重鎮はもとより、中堅・若手のスゴ腕がライブ・スケジュールに掲げられている。ベースでは楠井、若井にまとまった日が用意されているようだ。また、ドラムも鮮度の西村匠平、札幌のプライド竹村一哲、そして筆者が隠れファンを自認している小松伸之も来る。おっと、鈴木の再登場もある、壷坂も来る。例年以上に冬支度が後手に回りそうだ。なお、標題は、ソニー・クラークのマスト盤から拝借。鈴木トリオのGrooveがStruttin’、少々誇らしげに歩いているぐらいのことだ。あのジャケットの足運びのように。
(M・Flanagan)

メルカリとメルケル

「世の中は澄むと濁るで大違い刷毛に毛があり、禿にけがなし」と言う戯れ歌を想い出した記事があった
高市早苗議員の著書『美しく、強く、成長する国へ』が未使用新品を含め大量にメルカリに出品されている。この手の事は良くある。安倍晋三のヨイショ本がアマゾン売り上げNO1になったこともある。そして支持者に配られほとんど読まれずにメルカリに流れる。金がある陣営は特定の本を爆買いしアマゾンや大手書店のランキングを操作する。本屋に行くと判るのだがその手の本が平積で目に付くところに配置されている。今の様な選挙間近になると金がある陣営の不自然な規模の広告を目にする。何となくその陣営が有利である様なデジャブ現象に陥らせる。公共電波を使っての自民党総裁選の報道も、もはや宣伝である。
自民党総裁選の勝者が国会で首班指名されるだろう。それをメディアが軽々に「次の首相を事実上決める自民党総裁選」と報じることの「既成事実」感、刷り込み効果こそ政権側の術中。その「不自然さ」に気づけるかどうかが、知性だと思う。
2005年に首相に就任以来、16年在任したメルケル。16年首相をやっても、不正や権力私物化の話が全然出てこない。これが「先進国の首相」。身内優遇やりたい放題の日本の現首相や前首相とは潔癖さが全く違う。世の中は澄むと濁るで大違いとはこのことだ。
著作物がメルカリに流れることなどないメルケルは35年間言論の自由の無い東ドイツで育った。だから人一倍自由に議論を出来る場を大切にしている。河野太郎議員のようにツイッターをブロックすることも無い。科学者でもあったので専門的知見に基づいた政策を打ちだす。緊急事態宣言が9月で一応終わる。なんか良く分からないが感染者数が減ったからである。良く分からない理由で減ったので又増えるかもしれない・・・と言う事で北海道の時短はまだ続くようだ。お御籤ひいて決めてるのかと言いたい。
昔「監督があほやから野球できへん」と言った阪神の選手がいたが我々もそろそろ「総理があほやから生活できないべやー」と声を上げても良いのではないか。
僕もマスターがアホやから仕事ができないとミュージシャンやバイトから言われないようにそれなりに努力はしている。それなりに・・・

新腹立ち日記 撮り鉄編

昼のバラエティー番組で共産党の綱領に関してデマを流したコメンテイターがいる。この八代なる人物は現在弁護士で元裁判官である。こんな人間に裁かれると思うと鳥肌が立つ。日本共産党が暴力革命を放棄したから、それに幻滅して革命路線を続けた一群の人々が「新左翼」と呼ばれた、という歴史的事実をまず認識しなくてはならない。
虚偽発言の言い訳に閣議決定を持ち出し権威を利用し虚偽発言を補強している。自民党が共産党の綱領を閣議決定するとしたらジェリコがlazyのブッキングをするに等しい。
共産・山添拓議員が、昨年11月、秩父鉄道の線路内に許可なく立ち入った疑いで書類送検された。この山添議員鉄道の写真が趣味のいわゆる「撮り鉄」である。
公安は共産党を70年監視し、この微罪を突き止めた。なぜか10か月沈黙し、満を持してひるおび問題発言後、衆院選前に書類送検である。明かに悪意がある。こんな数秒の行為の監視に人的資源を投入しているとしたら費用の面でも問題である。
地域ネタで申し訳ないが店の有る24条の西3丁目の交差点はある時間まで右折禁止である。週何日かはパトカーが張っていて結構釣れる穴場になっている。もう少し有意義なやることないのかねと思う。
山添議員は微罪であるがちゃんと謝罪している。本人ツィッターより
「2020年11月3日、休日を利用して趣味の鉄道写真を撮りに行った際に、長瀞町の秩父鉄道の線路を横断したことが、埼玉県警秩父警察署から軽犯罪法違反であるとの指摘を受け、本年9月16日付で送検した旨の連絡を受けました。軽率な行為だったと反省しています。」
現場の写真も見たが板が渡されていて地域の人も横断しているしそこに板を渡した人も御咎めは無しである。こういう「私設踏切」は全国何万か所もある。
テレビは党首選の候補者に無料で公的電波を通して自己宣伝させているし、新聞も三面まで同じ話題だ。この際高市候補がディープパープル好きという情報はいらない。野党にも喋らせないと不公平である。僕は道新を購読しているが「野党は埋没している」という論調で語る。「埋没させているのは誰なんやい・・・責任者出てこい」と叫びたくなる。
立民・枝野代表が報道を皮肉っていた「自民は多様、野党だとバラバラ」と

2021.9.14-15  LUNA女気の初秋夜曲

 LUNAによると、9月は10本のLIVEが流れたのだという。本文に目を置く各位はご承知のことと思うが、恒例となっているこの月の北海道ツアー(本編)もその流れに飲み込まれたのである。従って番外編も行き場を失うはずであったが、尻尾だけは再生することとなった。これはLUNAの女気を結晶させた本編なき変異型LIVEのドキュメントである。
9.14 Unpluged Rock Again  LUNA(Vo)町田拓哉(g、Vo)古館賢治(g、Vo)
今年の4月、これまで積み重ねてきたRock-Loud路線がショパンの事情によりUnplugedに切り替わったが、予想に増して好評を博したことは記憶に新しい。そしてその第2弾がここに実現したのである。前回は初競演とは思えぬ調和のとれたパフォーマンスを残していったが、今回は夕暮れに霞む“Loud”を尻目に“Unpluged”は満を持して綿密に電子連絡を交換し合ったとのことである。演奏曲は、「Long train running」(ドゥービー・ブラザーズ)、「NewYork state of mind」(B・ジョエル)、「Sunshine of your love」(クリーム)、「Old love」(クラプトン)、「Little wing」(ジミヘン)、「Forever young」(ディラン)、「Redemption song」(B・マーリー)、「Knocking on heaven’s dooe」(ディラン)、「The waight」(ザ・バンド)、「Imagine」(レノン)、「Nowhere man」(ザ・ビートルズ)、「Natural woman」(A・フランクリン)、「You’ve gatta friend」(k・キング)。個人的には1970年代後半くらいまでしかRockを聴いていないが、本日の演目の多くをリアルタイムで聴いていた。ということは、それらの曲は風雪に耐えて来たということができる。ただオリジナルの大半がソリッドのギターであったのに対し、“Unpluged”はアコギなので、異なった趣へと導いてくれる。しかも腕前を徒に見せびらかせない大人の立ち振る舞いが三者のバランスを絶妙なものとしていて、ジックリと聞いていられるのだ。加えてハモりを大の好物とするLUNAの期待に応えて余りある野郎どもの喉が何とも味わい深い。“洗練”という言い方が似合うこのコラボはまた有りそうであり、そう有って欲しいものだ。
9.15 日本の歌ブラジルの歌
LUNA(Vo)(Vo)古館賢治(g、Vo)板橋夏美(tb,Vo)
標題は前宣伝のコピーだが、全体としては“ほぼブラジル”である。まずはそれらの曲目から見ておこう。「晩歌」、「folas secas」、「corcovado」、「samurai」、「時よ」、「felicidade」「beijo partido」、「intil pasagem」、「romaria」、「行かないで」、「equilibrista」、「四季」、「panta de areia」、「chega de saudade」。ブラジルもの精通している人は、ニンマリするのだろうが、筆者にはほとんど何のことか分からない。いくつかは聴いたことがあるような気がする。だが知っているか知らないかを基準にすると音楽は部分化されて広がりようがない。そもそも音楽が世界化するのは、何度も引用されるエリントンの「音楽には好ましいものとそうでないものの二種類しかない」のであって、これは普遍的認識といっていい。従って知らないことに臆することはない。エリントンの音楽観を持ち出したのには理由がある。9月3日の本編は幻となってしまったが、これが実現していたら、エリントン特集だったのである。このこと自体は残念と言うより他ないが、私たちは何であっても聴いている間はその曲その歌を楽しんでいるだけでよいと思うのだ。ただ今回楽しむことを可能にしたのは、知らないもの伝えきるLUNAの力量によるものと言い切っておくが、それをサポートした女殺しの古館Voiceと添い寝されているような板橋の心地よい音色がこの日を大いに盛り立てていたのを忘れるべきではない。
翌日、所有しているボサノバもののなかから3枚ほど立て続けに聴いた。持っていても曲名は殆ど知らないことに気付かされたが、LIVEで助走がついているのですぅっと入ってくるのを感じた。ところがである、期せずして次の1枚はコルトレーンのヴィレッジバンガード・ライブを選んでしまった。音楽はどこからも繋がってしまうといという真実の前では、一貫性のない選択など些細なことである。やはり私たちはエリントンの音楽観から逃れることは出来ない。
最後に複数の実行犯が絡んだらしいハプニングについて伝えておきたい。LUNAはこの10日ほど前に迎えた誕生日を一人三角座りしながら夜に涙をぬぐっていたそうである。二日目のセカンド1曲目の最中に、何処からか不規則にカチッカチッという音が聞こえてきた。この曲の目終了に合わせてそれは起こったのだ。バースデイ・ケーキの進呈だ。年の数を大きく下回るロウソクの本数ではあったが、点火に手こずったそのカチッカチッが今も耳に残っている。
(M・Flanagan)

新腹立ち日記

腹に一物、背中に荷物。腹を立てると体に悪い。わかっちゃいるけどやめられない。止めてくれるなおっかさん。言わねばならぬ。「イワンの馬鹿」はトルストイ。言わねばなら・・・・ぬ~~~~。
ニュースの冒頭はここ最近、自民党総裁選の話題である。その後に野党の共闘の話題が小さく載る。新聞の一面も同様である。「総裁選の最中野党埋没観ある」などの表現もあったりする。埋没させているのは誰かと言いたい。野党4党が衆議院選挙で共闘するとの表明はもう少し大きく取り上げられてよい。野党党首も選挙に負けたら辞任するぐらいの気概を表明してほしい。史上最低の総裁選である。公約も差別化を図るために「ちょっと口紅変えてみました」程度の代物である。この10年のこんな住みづらい国にした安倍政治の総括が全くない。立憲民主党の枝野代表が総裁選中にこれを行うと言う。報道陣もこれくらいはちゃんと取り上げてほしい。民放で共産党の事を「暴力革命を目指している党」と発言したコメンテーターがいた。安倍総理の子飼いの人物であるが本人の謝罪は当然であるがテレビ局も謝罪すべき内容である。他の野党も他岸の火事とは考えないで意見表明をしてほしかった。
非常事態宣言がまた延長になり菅総理の会見があった。最後の花道を作るべく自分で赤い絨毯を引くかのごとき自画自賛の内容で見苦しい。コロナ対策に専念すると言ったのだから証明してほしい。無い知恵を絞ってもしょうがない。国会を開き野党の知恵も借りるべきである。

ライブ持続化CDR販売vol8 Luna

毎年秋にLunaの北海道ツァーがある。その後残ってもらって何日かlazyでやってもらっている。ところが今年は緊急事態宣言が延長となり半年以上前から仕込んだツァー自体中止になってしまった。悲劇の歌姫である。だが店独自の企画はそのまま続行することとした。緊急事態宣言下では多少なりとも休業補償金が出る。店も長い間、砂上の楼閣状態だがそれを一部上場企業のように内部留保とはせずミュージシャンの交流の場の維持に使いたいと思っている。
ライブに来ていただくと言う事は感染のリスクがゼロでないと言う事は重々承知している。来ていただけない方の為にライブCDRを販売する。ご購入いただくことでご支援を承りたい。
対象 9月14日Luna with新型‘s(アンプラグド ロック)
   9月15日Luna with 古舘賢治&板橋夏美(日本の歌、ブラジルの歌)
料金 予約ライブチャージ代
購入方法 HPのライブ予約欄よりお申込みいただき下記の口座に9月18日迄お振込みください。
北洋銀行 札幌駅南口支店 普通 口座番号3624418 名義ヨシダ ナオシ
郵送致しますのでご住所もお知らせください。
家内手工業生産による受注生産になりますので多少お時間かかりますことを予めご了承ください。