ひまわり

まずこの投稿文の筆者岡田真弓さんを紹介しておく。この名前で阪神タイガースを思い出した人は我々の年齢に近いか代の阪神ファンであるはずだ。岡田さんは社会人ボーカリストで時々lazyでも歌ってもらっている。あるライブの打ち上げで話題が映画の話になった。僕も往年の映画マニアである。何か映画に関するエッセイを書いてほしいと依頼したのが半年前のことではなかったか。別に締め切りがある依頼ではないが、2月末くらいには・・・との返答であった。そして今日2月28日原稿が届いた。岡田さんが信頼できる人であることがこんなところからもうかがえる。

以下 文責岡田真弓
映画「ひまわり」は「自転車泥棒」や「ミラノの奇蹟」などの作品を生み出したヴィットリオ・デ・シーカ監督の晩年の名作である。
 冒頭のひまわり畑のシーンはあまりにも有名である。地平線まで広がる、一面の、風に揺れるひまわりの花。ひまわりは日に向かって咲く花のイメージだが、映し出されるひまわりの花は下向き加減で、各々揺れている。そこにあの哀愁を帯びたヘンリー・マンシーニのテーマ曲が流れると、ひまわりの明るいイメージはそこには無い。
 そして、映画が進行していく中で、その鮮やかな黄色のひまわりが咲く場所が、酷寒の雪原であり、夥しい数の兵士が行き倒れ、死体となって埋まっている場所である事が分かる。
 敵兵が追ってくる中、兵士たちがふらふらになりながら生き延びようと雪原を歩いていくシーンはほとんど白黒で描かれるのだが、ロシア兵との戦いの個所だけ、赤い旗がたなびき、そこで戦う兵士や逃げ惑う兵士らを赤い旗越しに描く。それは沢山の血がそこで流されていることを想起させる映像となる。
 戦争の最中に出会って結ばれたジョバンナとアントニオ。その幸せも束の間に、アントニオはロシア戦線に駆り出され、行方不明者となって、ジョバンナの下には戻ってこない。
 アントニオはこの雪原で死にかけ、地元の娘に助けられ、そして彼女と家庭を持つことに・・・そうとは知らず何年も夫を待ち続けるジョバンナ。ここに戦争がもたらす悲劇が潜む。
 この映画は至る所で私の心を締め付けるのであるが、とくにそれを感じるのは、行方不明の夫をやっと捜し当てた場面と最後のアントニオと再会する場面だ。このシーンはジョバンナ役のソフィア・ローレンとアントニオ役のマルチェロ・マストロヤンニの演技が光るが、特にソフィア・ローレンの演技は圧巻だ。ようやく見つけたアントニオの家、その高鳴る気持ちを抑えた演技で滲み出す。だが、そこに妻らしき女と子供、家の中のベッドにある二つの枕を見せつけられ、泣き崩れるジョバンナ・・・絶望と悲しみと嫉妬がない交ぜになった感情を見事に伝える演技だ。アントニオが仕事から帰って来る列車が来て、アントニオの姿を見て、再び絶望と悲しみと嫉妬が沸き上がり、アントニオが下りた列車に飛び乗り去るのである。これは、凄い演出としか言いようがない。また、複雑な感情の襞を演じ分けられるソフィア・ローレンの演技力もすごい。この凄さは、最後の場面でも同じように現れる。
 立ち去ったジョバンナを忘れられず、今度はアントニオがイタリアに彼女を捜しに行く・・・ジョバンナが捜し続けていたのとはちょうど逆である。ようやく彼女の居場所を突き止めるが、ジョバンナに頑なに拒まれる。だが、その熱意に押され、再会。アントニオが来る前に、髪を整えイヤリングをする。そのイヤリングは結婚した時に彼がプレゼントしたものだ。ずっと大切に持っていた事がさりげなく分かるシーンだ。切ない。アントニオが来る時、突然激しい雷となる。それは戦争中の砲撃の連想させる音であり、二人はまだ、まるで戦争の最中にいるとでもいいたげに。停電になり、暗闇の中での再会。ジョバンナは暗いけど、私達にはこの方がいいと言う。アントニオは、暗闇の中で語る。これもまた出会った頃の灯火管制を彷彿させる演出。戦争は実にひどいものだ、残酷だと。そして、どうしてこんな事にという・・・アントニオの言葉が重く響く。
 ロウソクの灯りに映し出される二人の顔、頭には白いものが交じり、年月が経ったことを感じさせる。一緒に行こうというアントニオの言葉にジョバンナも心が動きかけるが、そこに赤ん坊の泣き声が・・・お互い、もう元には戻れない現実を突き付けられた時、明かりがつく。見事な演出だ。
 相手を深く思う気持ちを、二人の抑えた演技と会話で表現し、暗闇の中に浮かび上がらせる手法に見る者は惹きつけられてしまう。
 とどめは、子供の名前を「アントニオ」だと聞いて、「「ぼくの名前を?」と聞くところだ。すかさず、否定するように聖アントニオから取ったと言う。女の最後の意地なのか、いや、アントニオに未練を残させないための訣別の一言なのか。アントニオは最後にジョバンナに毛皮を渡す。出征した時に毛皮を持って帰って来ると約束したことを覚えていたのだ・・・ジョバンナは気持ちを抑えきれず、アントニオに抱きつく。
 イヤリング、雷、暗闇、赤ん坊の泣き声、毛皮という細やかなカットの中に、絶えず揺れ動く、二人の複雑な感情の襞が描出されている。
 ミラノ駅での別れ。列車からジョバンナを見つめるアントニオの顔とそれを見送るジョバンナの顔。深い絶望と悲しみを湛えた二人の顔は、出征する時の列車を見送る愛に溢れた、それとは全く違う。その対比が見事だ。そして、この映画では列車が重要なファクターとなっている。「終着駅」を手掛けたデ・シーカ監督ならではの視点だ。
 最後は、またひまわりの花のクローズアップ。そこに映し出されるひまわりは、まるで深い悲しみを背負った人間の顔に見えてくる。そして、そこが、今のウクライナの地である事を知れば、なお一層深い悲しみに襲われる。
 戦争は起きているときも、それが終わってもなお悲劇を生み出し続けているのだと思い知らされる。
 戦争の殺戮シーンや、残酷な場面は一切ないにもかかわらず、美しい音楽と映像によって、戦争の残酷さを伝えてくる。何度見ても、色褪せず、心を鷲掴みにされる。不朽の名作だ。
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「ひまわり」の主題曲は中本マリさんの愛唱曲であることは知られているが臼庭潤の愛奏曲でもあったのだ。マリさんが歌ってくれた時亡くなった臼庭のことを思い出しこみあげてくるものがあったことを思い出した。

  

12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実―vol4

イスラーム世界は日本人にとってはなじみのない地域であり、ラマダーン月の断食や女性がまとうヴェール、一夫多妻制の維持といったともすると異質に映るかもしれない文化から、旧時代・前近代的な集団のように映るかもしれない。そしてそれを助長するのが、アラブの春以降活動を激化させてきたイスラーム国(IS)であるのかもしれない。しかし、そういった表面的な印象に左右されるのはいささか短絡的である。現在のイスラーム世界がイスラーム教という暗黒に包まれた世界であるとみなすのであれば、上述したようにヨーロッパ世界もキリスト教という暗黒に包まれた時代を送っていたのである。そしてヨーロッパの暗黒に解き放たれた光こそが、イスラーム世界によってもたらされた最先端の数理科学なのだ。思えば、理系諸君ら一般人が科学者として想起する人物は、古代ギリシア時代あるいは16世紀のコペルニクスおよびガリレオ以降の人物に終始するはずである。つまり、その約1600年間、ヨーロッパに科学者と呼べるような数理科学のエキスパートは、管見の限りでは見られないということである。そうしたヨーロッパの暗黒の時代に、イスラーム世界では医学者イブン・スィーナー、数学者フワーリズミー、哲学者イブン・ルシュドといった世界最先端の科学者たちが知の営みを発展させていた。科学の営みは人から人によって受け継がれるものであり、そしてそれは理系諸君が最もよく知るところであるはずだ。にもかかわらず、筆者の周囲に群がる理系学徒たちは、ヨーロッパにおけるギリシア科学と近代科学の1600年以上にもわたる断絶を蔑ろにして、現代の科学の絶対的優位性を語ろうとする。筆者はこうした状況を前に嘲笑を避けられない。木を見て森を見ず。単なる体系や分野、大学で習った程度の浅い知識にとどまらず、その学問が成立したコンテクストや人類の営みといったより広い視点から科学を眺めてこそ、その神秘に気付くことができるのではないだろうか。完
by 梅津尚生
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浅学でイスラムの科学の歴史の事は零の発見くらいしか知らないが色々なせめぎあいが有ったことは想像に難くない。イスラムとキリスト教社会・・・現在も分断の要因となったりする。世の中もっと小さな区分が分断の要因たりえる。レオナルドダヴィンチの時代、理系も文系も無かった。学際的に刺激し合い芸術、科学の広い領域での成果が百花繚乱であった。jazz研の皆さん学問の分野でも仲良くやってくださいね。余談であるが日本のイスラム研究者で中田考という先生がいる。イスラムで「貴方が好きです」と言われたときのニュアンスは「バナナが好きです」位の重みと思ったほうが良いと言う事である。

12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実―vol3

7世紀初頭に産声を上げたイスラームは、630年のメッカ奪回後に聖戦(ジハード)を展開し、瞬く間にイラン、コーカサス、エジプトを征服した。ヘレニズム時代に流布されたギリシア科学が、イスラーム世界に吸収された瞬間である。そして、12世紀ルネサンスのもう一つの大きな布石が、711年のイベリア半島(アンダルス)の征服である。このアンダルスの征服は、イスラーム勢力がアラビア語を解するキリスト教徒(モサラベ)を内包することを可能にしたのである。イスラーム世界に吸収されたギリシア科学は9世紀のアラビア=ルネサンスによってイスラーム科学へと変貌し、バグダードに建てられた「知恵の館」で様々な学者たちがその科学を発展させていくことになる。有名な例を紹介する。足におできができたとする。中世ヨーロッパの医師は「神の御業」という極めて非科学的・超次元的な理屈をつけて、足を切断することを以って治療となしていた。しかし、同時期のイスラーム世界においては、おできの原因をリンパ節の炎症とする診断術、手術を行うための麻酔術がすでに確立されており、足をむやみに切断することなく、これを完治させていたという。現在世界の中心を謳うヨーロッパと、彼らによって世界の周縁と見なされているイスラーム世界の間に、これほど大きな科学力の差があったことを知るものはそう多くはないであろう。(歴史を知らない理系諸君にはぜひその不十分過ぎる現状認識を改めてほしいものだ。)そして運命の12世紀を迎える。12世紀は温暖化の時代で、シトー修道会の「大開墾時代」に代表されるようにヨーロッパ世界の拡大の時期と一般に言われる。その典型例が、東方のパレスチナ地方で展開された十字軍である。そして、これは意外に知られていないが、十字軍と同時期に大きな進展を見せたのが、イベリア半島で展開されたレコンキスタ(再征服運動)である。レコンキスタの進展は両者の対立を促進したと多くのものが考えるであろう。しかし、この再征服は逆説的に両者の関係を密接にした。イベリア半島における政治・文化・学問の中心であったトレドという街がキリスト教徒によって1086年に征服されたことで、言語を超えた学問の伝播が起こった。これこそが12世紀ルネサンスである。その翻訳は非常に興味深いものであるので、一例を紹介する。まず、アラビア語とスペイン語(当時はカスティーリャ語)に精通するキリスト教徒(上述したモサラベ)が、アラビア語の文章の意味をスペイン語で読み上げる。そしてスペイン語とラテン語に精通したカトリック修道士が聞き取ったスペイン語の意味をラテン語で記述する。つまりスペイン語を媒介として、2人のバイリンガルがアラビア語からラテン語へ書物を次々に翻訳していったのだという。この時にヨーロッパ世界にもたらされたのが、アルカリやアルコールといったアラビア語起源の名詞であり、これが現代の科学にまで残る用語として定着していることからも、イスラーム科学が現代の数理科学の土台となっていることは疑う余地はないだろう。by梅津尚生
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真面目な話の腰を揉むエピソードを紹介する。時々エホバの証人とかモルモン教の勧誘に出会うことが有る。仏教徒であると断っても日本人は大抵そう言うと知っているので引き下がらない。特効薬がある。「イスラム原理主義者である」と言うと割とすんなり引き下がる。「711年。スペインでイスラムとキリスト教が文化交流が始まった。もう少し話してみないか」と粘られることはまあ、ない。

12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実― vol2

。論理学、政治学、形而上学、文学、倫理学など様々な学問に広く精通した彼は、まさに万学の祖にほかならなかった。そして、ここで登場するもう一人のキーパーソンが、かの有名な大王アレクサンド文献史学において人類が科学的営みを開始した最古の記録は、紀元前6世紀のギリシアのタレスであるとされている。奴隷制を基盤に置くギリシアのポリス社会において、労働を行わない成年男性たちは暇を持て余していた。ポリスの開放的な空間と有り余る時間から生まれたのが学問であり、こうした余暇を表すギリシア語のスコレー σχολείο から派生した言葉こそが、学校schoolであるというのはよく知られているだろう。そして紀元前4世紀に、万学の祖の呼び声高いアリストテレスが登場するロス3世(アレクサンドロス大王)である。彼は成人まではアリストテレスを教育係に付けていたこともあった。アレクサンドロスはギリシアの有力ポリスが位置するバルカン半島の北東の位置する一田舎であったマケドニアから、わずか10年で、南はアナトリア・コーカサス・エジプト、西はイラン・北西インドに至るまでの大帝国を築き上げた。彼が遠征を始めた紀元前334年から、その最後の後継王朝であるエジプトのプトレマイオス朝が滅亡する(紀元後31年)までの約300年間はヘレニズム時代と呼ばれており、ギリシアの諸文化が複数の地域にまたがって栄えた時代として知られている。例えば、「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」、「サモトラケのニケ」といったギリシア彫刻をご存じの方も多いかもしれないが、これらはヘレニズム期の文化である。アリストテレスによって大成されたギリシアの自然科学も、当然この時期にエジプト・アナトリア・イランに流布されることになる。これこそ、12世紀ルネサンスの大きな布石であるのだ。
Master’s comment notice
まさに歴史に学べ・・・である。暇な奴に金を与えて好きにさせれば素晴らしい科学成果、芸術が生まれる確率は高い。今の大学は研究補助金を貰うために膨大さ申請書をかかされ、成果を出さない研究はすぐ補助金を削られる。その結果学問は空洞化する。

12世紀ルネサンス ―文明の十字路の真実―vol1

12世紀ルネサンス
―文明の十字路の真実―

新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、日本のみならず世界各地で用いられたアルコール除菌と次亜塩素酸ナトリウム。後者はアルカリ性であるが、どちらも除菌効果を持つものとして一世を風靡した。そして今、夏の夜空を見上げれば夏の大三角が空を飾る。その3星のひとつにはアルタイルという星があるだろう。余談ではあるが、筆者の星座は牡牛座、そのα星はアルデバランである。
アルコール、アルカリ、アルタイル、アルデバラン、数学科の者であれば代数学を表すアルジェブラをも想起することもあるかもしれない。
数理科学の用語にこれほど「アル」から始まる単語が多いのはほかでもない、これらが全てアラビア語からの借用語だからである。ではなぜ、アラビア語の単語が西洋語の中に違和感なく混じっているのだろうか。これを知るには、およそ1300年以上に渡る人類の神秘と、その結晶である「12世紀ルネサンス」を語らねばならない。そしてその結末に、我々はイスラーム世界が周縁ではなく、まさしく世界の中心であったことに気付かされるのである。
by梅津尚生
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バイトの梅津にイスラムの世界観についてシリーズで教えてもらっている。「12世紀ルネサンス」は大作なので連載で紹介する。先進国の中ではフランスが日本と価値観が一番違うと言われる。イスラムはその1周遅れくらい違う気がする。例えばグラスが割れたとする。イスラムでは「割れる運命であった」と結論付けられる。この論理を梅津がバイト中に使うのではないかと危惧している。

イブン・ハルドゥーンの歴史理論と日本社会の未来

大学生ながら、今の社会の在り方をふと考えさせられるような時がある。バブルの崩壊から30と余年、留まるところを知らない景気の降下により社会人の給料は下がり続け、60年前には毎年10%を超えていた経済成長率は近年では1%を切ることも珍しくはない。戦後の著しい経済成長から円高不況を経てバブル景気へ。そしてその崩壊後の30余年にわたる不景気は、若者たちの社会認識にどのような変化をもたらしたのであろうか。未だ社会に出ていない一学生である筆者であるからこそ、自分がこれから参画し形成していくことになるであろう日本社会について、ある歴史理論を紹介しながら考えてみたいと思う。
14世紀のチュニジアで、イブン・ハルドゥーンという人物が歴史家・社会学者として活躍した。彼の生まれた当時のチュニジアは戦国時代で、異なるイデオロギーを持った諸王朝が興亡する騒乱の渦中で、彼は政治家・歴史家・裁判官などの様々な立場で活躍した。そんな彼の代表著書と言えば、全4巻にわたる『歴史序説』である。この中で登場する「王朝の4世代理論」を今回は取り上げたい。

イブン・ハルドゥーンは王朝の形成に欠かせない要素として「アサビーヤ」という概念を紹介する。アサビーヤとは日本語にすると「連帯意識」と訳される語であり、端的に言えば社会的な結束力を指す言葉である。ハルドゥーンは、強力な王朝は君主あるいは何らかのイデオロギーに対する強力なアサビーヤを有しており、王朝が崩壊するときはこのアサビーヤが失われるときであると語る。また、強力なアサビーヤを持つのは農村や砂漠の人々たちであると言う。こうした場所では人々は過酷な自然と戦う必要があるため、農作業や移動のためにしばしば連帯し、その意識が醸成される。しかしひとたび王朝を形成してしまえば、彼らは農村を捨て都市に住むことになる。都市に住んでしまうと、人々は農村よりもはるかに楽で金銭的および文化的に豊かな生活を享受するようになるため、人々は堕落し、自己中心的な生活を送るようになり、アサビーヤは弱体化する。こうしてかつての強力なアサビーヤが失われた王朝は、より強力なアサビーヤを持った王朝によって滅ぼされる。このサイクルによって歴史は繰り返されるとハルドゥーンは説く。
しかし最も興味深いのはそこから導き出される「王朝の4世代理論」である。第1世代は王朝建設者の世代であり、前述の内容から彼らには強力なアサビーヤが存在している。第2世代では政局や経済が安定期を迎えることから都市の繁栄や文化の熟成などが見られ、一般的に最盛期と題される時代を迎える。安定した生活や他国に対する優位を実感することで、第2世代たちには愛国心という名のより強力なアサビーヤが生まれるという。しかし第3世代になると、先代の繁栄の維持という名目のために上昇志向が失われ、自己の生活の安定を図るために社会は保守化する。その結果として集団としての存続という意識は薄れ、次第に社会は自己中心的な個々人の集合体と化し、国家は弱体化を始める。第4世代になると、政局の不安定さから更なる自己の安定を求めるようになり社会は分裂。結果、より強力なアサビーヤを持つ別な王朝に滅ぼされる。これが「王朝の4世代理論」の概説である。

筆者は現在22歳、戦後第3世代の人間である。思えば、高度経済成長期やバブル経済といった日本の経済的栄華を現出したのは戦後第1世代の人々であった。現在社会を支えるのは1970年代に生まれた戦後第2世代。彼らは先代社会の栄華を継承しようとしてきた。政府が経済政策、教育制度などにおいて保守的であるのは、これらが高度成長期に形成されたものであり、これらのいわゆる保守的な政策によって第1世代が栄華を現出したことを経験しているからであろう。
しかしそんな彼らも50代後半に差し掛かり、いよいよ世代交代が近づいている。ハルドゥーンの理論に従うのならば、国家が傾くのは第3世代、すなわち我々の時代においてである。戦後の第1世代および第2世代が守ろうとしている保守的な社会は、高度成長期の時代的文脈に即してこそ意味を持つ。21世紀の幕開けから四半世紀、時代も大きく変わった。ハルドゥーンがいう第3世代時代の王朝衰退は、こうした時代の変化に目を向けず保守的な政策を維持し続けようとした政府と、時代の変化を肌で感じながらも懸命に生きようとした市民たちとの間の些細にして重大な摩擦に原因があるのではないだろうか。そうだとするのならば、我々に求められているのは過去の栄光に裏付けられた保守的政策の賛美ではない。新しい時代の到来を素直に受け入れ、恐れず、目の前の問題に対して柔軟な姿勢で対応していくことであろう。
By U N
Master’s comment notice
時々jazz研の学生にそれぞれの専門分野の講義を受けている。全く知らない分野程楽しい。イブン・ハルドゥーンの名前を55年振りに想い出した。現在学問が危機に瀕している。論文数は減り続けすぐ換金可能なパチンコ屋の景品的な学問が優遇されている。長期的な視点に立って日本そして世界を見て欲しいと思う。歴史に学ぶことはいつの時代にも有効である。本筋には全く関係ないが「アサビーヤ」という単語を見ると「アサヒビール」に見えてしまうのは職業病の一種なのだろうか。