原節子の真実 石井妙子著

まず原節子が最近まで生きていたと言う事実に驚く。42歳で銀幕を去ってそれから50年、ほとんど人前に出ることなく鎌倉の自宅で隠遁生活を送っていた。一線から身を引いた時期と小津監督が亡くなった時期が近いのでその事を関連付けた噂が流布され僕もそう信じていた。原節子は112本の映画に出演しているらしいが僕が見た原節子はほとんど小津監督の作品の中だけである。演じている役回りは献身的な母親だったり娘であったりする。最近「シネマレビュー」の「秋日和」でも書いたが主題と原節子の役回りが似通っていたりするので混乱することが有る。原節子自身も「同じ役回り」について不満を持っていたことを知った。僕にとっては驚愕の事実だ。強い師弟愛で結ばれていると思っていた。原節子の自薦の映画の中に小津の映画は入ってこない。その事を知っただけでもこの本を読んでよかったと思う。原節子には熊谷久虎という映画監督の義理の兄がいる。作風は黒澤明の様であるが才能は向こうの方が二枚も三枚も上だ。だが原節子はこの監督を評価し身内としても助けようとする。原節子は内面からにじみ出る演技を極めそれにふさわしい代表作を求め続けた女優であったことが分かる。だがこの業界に在りがちなことであるが看板スターになるとそのイメージを崩す役はやらせがらない。原節子は勿論美人であるけれどもそれだけではない聖母的な慈愛に満ちた美しさを秘めている。それを最初に見抜いたのはドイツのアーノルド・ファンク監督だ。昭和12年日独の合作映画「新しき土」でスター女優になる。当時のナチ宣伝相のゲッペルスとの記念写真もある。ファンク監督は言う「私が美人だと思った女優は二人だけだ」一人は原節子、もう一人はレニ・リーフェンシュタールだ。レニは女優から監督に転身しヒットラーの庇護下でベルリンオリンピックの記録映画を撮った人物である。原節子の目指す女優はイングリット・バーグマンである。I・バーグマンは単なる美人女優ではなくロマンスから活劇、コメディまでこなせる。原節子はそういうところに憧れていたのだ。そういえば二人は美しさの質が同じだ。
人は見かけによらないと言う事が良くあるが原節子の場合、見かけ通りだ。清楚なイメージ通り私生活も質素、人の輪の中に積極的に入っていくタイプではなかったが後輩の女優からは一番信頼されていた。あれくらいのスター女優になれば撮影所に会社の車で送り迎えもあったろうにいつも一人で電車で通っていた。以前テレビに日活のスター女優浅丘ルリ子が対談番組に出ていた。いつも撮影所には車で通っていたので国電の切符の買い方が分からなかった話を披露していた。人間の深みの違いを感じた。本田珠也というスタードラマーがいる。札幌に来てもらう時に後で清算するので航空券を自分で手配してほしいと言うと恥ずかしそうに「買い方が分からない」と言った。またドアを蹴破られると困るので「浅丘ルリ子か・・!」とは突っ込まなかった。話がアウトしてしまった。調性をB♭に戻す。
色々なエピソード満載で全部紹介すると原本より厚くなりそうな予感がするので辞めにするが原節子を語ることによって女優の在り方、映画産業の盛衰過程、日本の歴史まで取り込んでいるノンフィクションで実に読みごたえがある。最後に一つだけエピソードを紹介する。
引退してから生涯一度だけマスコミの取材を受けたことが有る。昭和20年米軍少佐が中国で一枚の日の丸を拾った。そこには家族、知人の寄せ書きがあり、持ち主は「正久君」と言う事だけしか分からない。ただそこには原節子のサインがあった。少佐はその日の丸を持ち主の家族に返すべく調査を報知新聞依頼した。新聞社は原節子に知人に正久と言う人物がいないか尋ねた。原節子の答えはそういうサインは何百枚としているので記憶がないと言う事であった。なぜ取材に応じたのか・・・。自分のブロマイドをポケットに入れ戦地に赴きそこで命を落としたかもしれない兵士たちへの最低の礼儀を通したのだと思う。