池田篤を聴いて思い出したこと

池田篤の3daysが終わった。演奏内容もさることながら今回は感慨深いことがあった。池田篤はレベル3の肺癌で片肺は摘出している。今回のツァーの前にうれしい知らせがあった。影が消え、もう定期検診に行かなくてもよくなった言う事だ。一時期はもう聞けなくなるのではと覚悟していた。奇跡に近いことだと思っている。その代りと言っては変な言い方だが池田が敬愛していたピアニスト辛島文雄が今年の二月に亡くなった。亡くなる10日前にも一緒に演奏し演奏の途中で流石に力尽きてステージを降りたという事だ。先輩の辛島が池田に命の灯を譲ってくれたのではないか・・・・・・。辛島にささげた曲が三曲あった。どの曲にも万感の思いがこもっていた。
池田のサックスを聴き続けて30年ほどになる。まだ22,3歳の頃だった。どちらを先に聞いたが忘れたが、池田芳夫4かイースタシア オーケストラ」で聴いたのが最初になる。当時から圧倒的な技術力であった。すぐ連絡を取って毎月クリニックとライブをやる企画をニューヨークに行く90年までやり続けた。廃刊になったスイングジャーナルの別冊でjazz人名事典と言う冊子があってミュージシャンの住所、電話番号が載っていた。個人情報保護法などない時期だ。多分最初は手紙を書いたのだと思う。池田は口数が多い方ではないが聞いたことには親切に答えてくれる。今回の学生とのセッションも終わってから質問をする学生がいなかった。せっかくの機会なのにもったいないことだと思う。今の池田は超一流の技術力に人間味の深さが加わり、なおかつ死にぞこないの凄みも加わり本当に高いレベルで演奏をし続けている。
15年ほど前のことになる。ベースの米木と池田がいた。米木が池田にぼそっと「池田もやっとやりたいことが演奏力に追いついてきたよな」
「そうなんです」
こういう時は素人の出る幕ではない。