グレンモランジ

札幌の6月にしては異常に寒い。外は降りやまぬ雨はないというセリフが嘘のように一昼夜音もたてずに降り続いている。外では回転しない客待ちのタクシーが無駄に排気ガスを吐き出し、運転手は負け続ける野球球団の選手のように戦意を喪失した顔つきで時計を気にしながら煙草を燻らせている。客のいない店内は余計寒々しくこの季節としては珍しくストーブを点けざるを得なかった。周りのスナックのカラオケも鳴りを潜め、冷蔵庫のブーンという音が通奏低音のように小さく鳴り続けている。いつもより小さくかけているアート・ファーマーのフリューゲルホーンが雨音をじゃましないように静謐に流れている。こういう日の新聞の占い欄は妙に当たる。金運は最低だった。「出費を抑えて辛抱」か。舌打ちしたくなる内容だ。まあ今日はどこにも寄らず帰ろうと思った。愛情運は最高で「最愛の人に愛されている事が分かる日」と有った。かみさんと別れた俺には関係のない話だが・・・・・・。
客商売をしているとゲン担ぎでついつい金運だけは見てしまう。今日は早めに閉めようと思っていた矢先その女は入ってきた。肩まできっちり切りそろえられた黒髪。青と白のボーダーのTシャツの上に黒いパーカーを着ている。赤いスリムなパンツにヨーロッパ地図を極彩色で塗り分けたような賑やかなスニーカーを履いていた。カウンターの真ん中に座るとピースを取り出しマッチで火をつけた。カウンター越しに見るとマッチ棒が載るほど長い睫毛でゆったり来ているパーカー越しでもわかる大きな胸だった。化粧はほとんどしていないようだが男好きのする顔立ちであった。30歳代半ばであろうか・・・・・。カウンターに出しっぱなしになっていたグレン・モランジを指差し「寒いから、ストレートで。マスターも何か飲んで」完全な為口であった。一部上場企業の秘書課勤務でないことは確かだ。
「じゃ、ビールもらいます」
「この寒いのに」
「じゃんけんと一緒で最初はグウから」
「とりあえず、ビールってやつ?」
「そうともいうね」
「私の同僚でマレーシアから来た娘、皆、とりあえずビール、とりあえずビールっていうから『とりあえず』はビールの会社だと思っていたみたい」
「その娘は『月極駐車場』は全国チェーンの駐車場会社だと思っているよ」
「え!。違うの」
「冗談だよね」
「冗談だよ、でも私パーだから時々そんなことも知らないのかと本当に思われるみたい」
俺はライブハウスとはいえ一応客商売に分類される業種を営んでいる割には愛想が悪いといわれる。特に明らかに年下の人間にオーダーであっても為口をきかれると頭に血が上ってしまう。でもその娘には腹が立たなかった。むしろおおらかさを感じた。
「このウィスキー、何ていうの」
「グレン・モランジ。スコットランドのシングルモルトだよ」
「なめらかな味だね。品がある。オードリ・ヘップバーンみたい」と言ってグラスをゆっくり回した。
「私、大雑把だから・・・・。最北端の農家が自家用に作ったどぶろくに似てるよ言われた。このウィスキーとは全然違うみたい」
俺は思わず笑った。その娘も笑った。
「ワァンコの事聞かせて」その娘は唐突に話題を変えた。
「ワァンコ・・・・・・。俺は猫は飼ったことはあるが犬は詳しくないな」
「犬じゃないよれっきとした人間。顔がチャウチャウ犬がほっかぶりしたような感じなので、『ワァンコ』私がつけたの。本名南原敏英、ここでギターを弾いたことがあると自慢してた」
南原と言う名前だけでは思い出さなかったかもしれないが、弾く時の表情がチャウチャウ犬がほっかぶりしたようなギタリストがいた。数年見ていないと思う。一本調子ではあるがやりたいことは十分伝わるステージだった事を思い出した。何でもできるが、どれも香港の裏通りにある土産物屋で売っているバッタ物のブランド品の様なギターとは違っていた。ただ全国レベルで通用する演奏家だとは思えなかった。そう、自家用どぶろくのように。
「思い出したよ。南原・・・。しばらく見ないけど知り合い?」
「付き合っているの」くぐもった声で言い直した「付き合っていたよ」八分音符一個くらいの間があった。
「別れたの」俺は成り行き上聞いた。若いやつの好いた、腫れたのの話はコンビニの数より多い。でも聞いてやるのは料金に含まれている。
「微妙」と言って涙目になった。
「もう、意識ないんだ。でもまだ、話できる時期ここでライブやったんだとワァンコ何度も自慢していた。時々様子見に行っているよ。手握りながら私がずっと話しかけるだけ。付き合っている感じはもうしない」
外はとうとう本格的な雨模様になってきた。それにテンポを合わせるかのようにその娘の涙も大粒になっていた。
「マスターにはギター褒められた事ないと言っていたけど私には言いたいことが分かったの。私jazzはよくわからないけど・・・・・。ワァンコのギター本当はどうだったの。教えてそれ聞きたくて田舎から出てきたの」
俺はゆっくりタバコを一本フィルターに火が回りそうになるまで吸った。
「いいギターだったよ。長くやっていたら東京でも通用するギターリストになっていたよ」
「本当に!私の耳イヤリングつけるだけの耳でなかったんだね」
「そうだね、ウサギの耳くらい繊細なんだよ」
グラスにモランジを足してあげた
「店のおごりだよ」
「いいよ。お金はあるんだ。店暇だったんでしょう」
俺はくわえ煙草で手を振った。
「ところで南原は天秤座?」
「そうだけどどうして」
新聞の愛情運の占いも当たっていたのだ。

メドック

私がその男にあったのは二度目になる。最初は都心のスターバックスの昼下がり。店内は混雑していて私はテーブルにぶつかり彼のコーヒーをこぼしてしまった。私は詫びを言いハンカチでテーブルを拭き、「代わりをお持ちしましょう」と申し出たが丁重に断られた。「俺、大きいサイズ頼んじゃって、これ以上飲むと夜寝れなくなっちゃうんで、」男の足元にはギターケースが置いてあり、右手がなかった。私はもう一度丁寧に謝り店を出た。
片手のギターリスト・・・・・・頭にはてなマークがいくつも出てきたがそんな些細なことはすぐ忘れてしまった。同僚の亜由美に連れられて六本木のジャズクラブに行ったときその男はカウンターにいた。ピアノの横にギタースタンドに立てられてギターがあった。使い込まれた風体で私の会社の役員よりは貫禄があった。何と呼んだらいいのだろうか・・・・・頭の部分にGibsonと書いてあった。
「亜由美、今日はピアノトリオじゃなかったっけ」
「そうよ、なぜ」
「ギター、置いてある、誰かゲストで入るの」
「ああ、あれ・・・カウンターの隅に片腕の人が見えるでしょう。あの人、村津さんていうんだけど昔ギターリストだったんだって。マスター言っていた。凄かったらしいよ」と亜由美は小声で言った。
「メンバーの麦本さんが俺たちのサウンドをギターに叩き込んでやるから置いておけと言ったんですって」
「弾くの?」
「まさか」と私の二の腕を軽くたたいた。
一部が終わった。私が知っている曲も何曲かあった。透明感のあるサウンドだが冷たくはない。無駄に盛り上がるわけでもないが刺激的でもある。
「三人が信頼しあっているのが空気感でわかるよね、亜由美」
「ちょっと、香奈いつから通になったの」
給料も入ったことだし二人で相談してメドックの赤ワインをボトルで入れた。赤ワインの渋みが二人をちょっとだけ猥雑にさせた。
「あの村津さんって子供助けるために自分が事故に巻き込まれて片腕失ってしまったんだって」
「自分の子供ならそうするかもね」
「他人の子なんですって」
「じゃー、何倍も立派じゃない」
「でもミュージシャン仲間からは村津は大馬鹿野郎だって言われているらしいの」
「なんでなのよ」私は納得がいかなかった。
「助けたのは人間の子じゃないの、犬の子、それも雑種」
私のワインを飲む手が思わず止まった。しげしげと村津さんを見てしまった。ラルフローレンの様な品の良いスーツに明るいグレイにあうピンクのドットのタイをしめ、右手の袖は丁寧に折りたたまれピンでとめられていた。頭には白いものが混じり始めている。五十歳ぐらいであろうか。顔は木彫りの仏像のように穏やかである。
ベースの麦本さんが村津さんのところに行った。
「村津、商売は如何だい」
「損保の代理店は過当競争で大変ですが、昔の仲間が助けてくれています」
「村津、最後の曲はいれよ」
「麦本さん、手がないですから」と言って右手のスーツの袖をぶらぶらさせた。麦本さんは笑いながら「これと、ここはあるんだろう」と言って左手で胸を二回たたいた。最後の曲になった。
「仲間を紹介します。ギター、村津彦一」年配の人はやんやの拍手を送っていた。半数の客はざわついていた。曲はベラ・クルーズと紹介された。村津さんはアンプもつながないギターを左手だけで弾いている。私は耳を澄ました。いや、心を澄ました。何かの導線で村津さんと直接結ばれているかのようにパルスを感じた。私自身が奏でられているような気がした。
「香奈、どうしたの。飲みすぎた?」
演奏が終わった。「村津、俺は感じたよ」と言って麦本さんは左手で少々ぎこちないが、それでもがっしり村津さんと握手をした。私も村津さんのところに駆け寄った。
「以前、スタバでコーヒーを倒したことがあります。今日お会いするのは二度目です」
「ごめん、コーヒーを倒す子は月百人はいるから覚えていないなー」
「いいんです。その時コーヒは弁償できなかったのですが、ワインはいかがですか」
「ありがとう、ワインは頂くよ」
「先ほどの曲、村津さんの歌が聞こえたように感じました」
「そう、僕は弾いていないよ。それは君自身の歌だよ、たぶん」といって微笑みながらワインを口にした

時事トライアード vol2

松島啓之の渾身の5dsysが終わった。唇も切れよと吹いてくれた松島に感動した。ライブレポーターの牛さんがショパンの事情で来れなかった為自分がライブレポートを書かなくてはと思っていたのだが、巷では日本の将来の方向性を決めることがコッソリ採決された。今回はそのことを怒りをもって言っておきたい。共謀罪が衆議院を通過した。テレビ放送すらない、NHKは相撲放送を放映していた。幹部職員に忖度するよう指示があったのは見え見えだ。僕も相撲ファンだがこんな時は稀勢の里より重大なことがあるでしょうと言いたい。そうこうしているうちイギリスで自爆テロがあった。勿論イギリスには共謀罪がある。なお監視カメラの数は世界有数を誇る。という事は共謀罪など体張ってテロをする人間にとっては全く無力であるという事だ。。殺人罪があっても殺人件数は減らないし、風営法があっても売春はなくならない。ヤマハ音楽教室に通ってもjazzの本質などわかるはずもない。増毛剤で禿が減ったという話も聞かない。魂胆を見抜かなくてはいけない。音楽もそういう動きには意外に無力である。C.ミンガス」が「フォーバース知事の寓話」吹き込もうが、CSN&Yが「オハイオ」を歌おうが、レノンが「イマジン」で愛を訴えようが支配階級にとっては良いガス抜きとしか思われていない。日本がアメリカの属国だからといってjazzミュージシャンもRockerも文化的に自分は安泰だと思わない方が良い。1969年ウッドストックでジミヘンがアメリカ国歌をデフオルメして演奏した。その二番煎じで日本でも「君が代」をデストーションを利かせて演奏する頭の悪いロックグループがいた。この法案が通ればそういう行為は解釈によってはクーデターと思われてもおかしくない。伝統芸能の落語でさえ戦争に傾きだしたとき廓話、艶笑話は不謹慎であると禁止されていた事を忘れてはいけない。

2017.5.12-13  JAZZ緩みなきもの

本田珠也(ds)守谷美由貴(as)須川崇志(b)石田衛(p)
本田珠也はわが国屈指の多忙なMusicianである。その彼はLBの年間計画に欠かせない演奏家として毎年ブッキングされており、それだけも讃辞に値すると思っている。例年は重鎮との共演を堪能させて貰っているが、今回は世代を下げた気鋭の布陣であることが興味をそそる。と、知った風なことを言ったものの、筆者はこのバンドについて詳しくない。ネットで予備情報を仕入れる手もあるが、即席の手掛かりは返って邪魔な縛りになるので、情報過疎の方がいいと決め込んでいる。そんな訳で、この度、守谷と須川を初めて聴く。それは、ちょっとした異変の始まりでもあった。守屋は華奢な(失礼)感じの外見とは裏腹に、数曲提供された自身の曲想は骨太である。演奏もそれに同調するかのように奔放で思い切りの良さがあり、バラードでの歌わせ方も自らのものだ。ここで筆者の予断でもある今どき流行りの女流サックスという思い込みは崩壊、気付くのが遅れれば人類の半分を敵に回すところであった。外見に限れば須川もやっと外泊許可を得た入院患者のような細身であるが、音の芯は屈することの無い硬質さがあり、又、技巧の超絶さも兼ね備えていて、ジャズ本流のみならず実験的音楽も消化済といった聴きどころ満載のベーシストだ。ピアノの石田は一度聴いて辣腕ぶりが耳に残っているが、今回も華麗に引き締まったソロに加え、スキのない絶妙のバッキンングは聴き逃すべからずであった。こうした個性の群れを率いているのが珠也である。群れと言っても、彼は野生の動物集団のリーダーと違って、強権的に仕切ることをしない。本田珠也の音楽は、約束事を最小限に留めながら、その場で最大限の音楽創りを決行するところに真髄がある。この音楽には、標準拍子であろうが変拍子であろうがあまり関係ない。父・竹廣氏が残したメッセージ、「地に響くように!」=DOWN・TO・EARTHがあるのみなのだ。今回、珠也のドラムソロから感じたことを付け加えたい。それは、音が音から脱出して生き物のように動いていた、ということである。
演奏曲は、「ハーベスト・ムーン*」、守屋のイニシャルと思われる「M’s ジレンマ*」、「リップリング」(竹廣氏)、「タック・ボックス*」、「クール・アイズ」(竹廣氏)、「ノー・モア・ブルース」(ACJ)、「ワンス・アッポンナ・タイム*」、「スフィンクス」(O・コールマン)、「ブルー・プラン」(峰さん)、「ラブ・アンド・マリッジ」(j・v・ヒューゼン)、「ディープ・リバー」(ゴスペル)、「レッド・カーペット」(A・ペッパー)、「ファースト・アウェイ*」、かつて臼庭と死ぬほど練習したという「ソング・オブ・ザ・ジェット」(ACJ)、珠也の祖父が作曲し、感動極まる演奏となった「宮古高校校歌」など。(*印は守屋のオリジナル)
5月ライブ・スケジュールに、『本田珠也の一番やりたいグループ、“一切の緩みなし”』とコメントが付されていたことと、2日とも演奏されたのはオーネット・コールマンの曲だったことを足して2で割った結果、標題を「JAZZ緩みなきもの」とさせて頂いた。
札幌で一番キレイな店(珠也の弁)で再び、DOWN・TO・EARTHを聴く日が楽しみだ。
(M・Flanagan)

街角情報室vol2

1
祝日に国旗を掲揚している家を見ることは少なくなった。昔はタクシーもサイドミラーの横に小さな国旗を立てて流していた。大型連休中、一軒だけ国旗を掲揚している家があった。組の事務所だ。昭和の日にはあった。なぜか憲法記念日にもあった。みどりの日は記憶が定かではない。こどもの日にはなかった。組関係の人は国旗を掲揚する日は選んでいるという事だ。表現の自由は守られなくてはならない。
2
以前ピンクフラミンゴのパー子が亡くなったという事を書いた。もしかしたらペーもいたのだろうかと思ったのだが、
その一ヶ月になくなっていたとう記事を見た。あの世でおしどり夫婦になっていることだろう。

時事トライアード vol1

まず共謀罪の審議が始まってから国会中継がない。どういう圧力がかかったのか、あるいはNHK幹部が政権の意思を忖度したのかは分からないが、審議の過程をちゃんと見せてほしい。それとも、もう情報保護法に引っかかるのですか。27日の共謀罪の質疑である。「花見と下見の違いは」訊かれて金田法相は「ビールーを持っていれば花見、双眼鏡とメモ帳を持っていたら下見」と答えた。「座布団一枚」と言いたいところだが残念ながら笑点ではない。桜の下でメモを取っていたら、嫌疑をかけられた時点で一般人ではないので共謀罪の対象になりえる。あとは警察の匙加減一つ。
数年前のことである。店の帰り、警察官に呼び止められて職務質問を受けたことがある。北24条界隈、時々変な輩が出没する。その日は包丁をもってウロウロしてる男がいるという通報を受けたという事であった。午前2時ころであったと思う。「今まで何をしていた」「仕事です」「どこで」店が見えるところだったので「あそこが、店です」と指さした。屋号、住所、連絡先を聞かれた。荷物を調べさせてもらっていいかと言う。断ってもよかったのだが後ろめたいこともなかったので捜査を受けた。形作りの検査であった。その時カッターナイフを所持していたが見つからなかったので面倒なことにはならなかった。
こんな法案が通ってしまえば、僕の様な事例でもしょっ引かれる可能性が出てくる。
29日北朝鮮がミサイルを発射した。本当に日本に飛んで来たら着弾している数分後東京メトロが運転を止めた。今まで何発発射しても運転など見合わせたことは一度もない。政府に指示されてのパフォーマンスだろうが政権は真面目に国民の安全を考えていない。考えていたらこの時期に閣僚が何人も外遊はしない。北朝鮮の脅威を政局運営に利用している。

Sunny

今週の火曜日jazz研時代にバイトをしていたF本が来た。ライブの時は時々来てくれるが何もない時は珍しい。
「会社で何か嫌なことでもあったのか」と洒落のつもりで聞くと「今日はリー君の命日なんです」と言う。そうか4月25日だったんだと思い出した。リーというのはF本の後輩でパット・マルチノばりのギターを弾く才能のある学生だった。リーというのは愛称でリー・リトナーにギターを習ったことがあるらしい。初めて会ったときは生意気な奴だと思った。F本もそう思ったらしいが直接口に出すことはなかったらしい。僕は懲らしめる機会を虎視眈々と狙っていた。その機会がやってきた。毎年12月の定期演奏会にお付き合いで広告を出している。リーがlazyの担当になった。広告協賛金の集金の日、リーは丸腰でやってきた。ポスターも、パンフレットも招待券も領収書も持たずに金だけ取りに来たのだ。僕は怒鳴りつけて出直してこいと言った。集金の時の説明は聞いていないといった。その時の副部長がF本だった。先日聞いたのだが広告協賛金をお願いするときの注意点は説明会を開いて教えているのだがその時リーは来なかったらしい。改めてF本から謝罪を受けた。社会人になればわかるがそんな営業をすれば即刻取引先を失うことになる。一度怒鳴ってしまうと気が楽になり打ち上げでは「お前、うまいと思っているんだろう」と時々絡んだ。一度プロの前座をさせたことがある。その時は生意気なリーが緊張しているのが分かった。曲もプロの能力試すような曲ではなく得意中の得意な曲を持ってきた。可愛いやつだと思った。僕も多少ギターをいじるので時々ギター談義をした。忘年会ではロックもわかるギターが3人いたので僕も参加してツェペリンリフの生ブラインドテストもした。jazz研なので誰も当たらなかった。リーも楽しそうだった。F本も「そんなこともありましたね」と当時のことを思い出した。
一年間休学して復学するとき併せて復帰ライブさせてほしいと言ってきた。僕は本当に良かった思ったのを覚えている。そんな矢先の突然の訃報だった。寄しくもリーが復帰ライブをやる予定だった4月29日、昼夜、関係のあった学生、社会人がそれぞれライブをやる事になっている。
「何かの縁だよな、F本」
「そうですね」F本はいつものように穏やかに返事をした。

失言問題

今村元復興大臣の発言が色々なメディアで大失言という事で取り上げられている。だがこの発言は現政権の本音が出てしまったと考えた方が良い。被害金額を25兆円という金額の多寡で測り、原発をできるだけ首都圏に被害が及ばない地方に造り、基地を沖縄に負担させ、地方の鉄道網は寸断しておきながら、リニア構想をぶち上げる。カジノで現ナマを稼ぐ。オリンピックなど一部の業者と首都圏しか潤わない企画で経済成長率を稼ぐ。資本は集中させた方が効率的だ。人口減少化傾向にあるときは経済成長率は必ず落ちる。国民一人一人の生活水準を上げるよりは一部の大企業に数字を稼いでもらった方が見かけの数値は整う。皆で少し貧乏になる覚悟でいいのではないだろうか。

私、プロレスの味方です

まだテレビが普及していない55年位前、最高の楽しみは金曜日の8時のプロレス中継だった。近所にいる伯父の家に毎週プロレス中継を見に行っていた。力道山がルーテーズやブラッシーを空手チョツプでマットに沈めるのを嬉々として見ていた。僕以外は皆大人で「アメリカやっつけろ」とかいう声援も聞こえた。まだ戦争に負けたという事実が納得できないお大人が高度成長期になりつつある恩恵で購入できたテレビを見ながら韓国籍の力道山がアメリカのレスラーをやっつけるのを日本人として楽しみにしているねじ曲がった時代でもあった。スポンーは三菱電機で番組は巨大な三菱のロゴ円形広告塔を映し出すところから始まる。レスラーが紹介されると紙吹雪がマットに舞い散る。それを三菱の掃除機が残さず吸い上げる。大人たちは僕に「あれは、三菱の掃除機を買わせるためなんだぞ」と教えてくれた。少年は掃除機など興味ないので「ふーん」と答えた。東京勤務だった時事務所は銀座2丁目にあっていわゆる銀ブラをしている時あの三菱の広告塔を見つけた。ここにあったんだとしばらく立ち尽くした。急に力道山のことを思い出し、暴漢に刺された場所ラテンクォータというキャバレーを探そうと思った。つたない記憶を頼りに確か銀座松屋の近くのはず・・・・・・と路地をくまなく歩いたが見つけることはできなかった。僕がプロレスの味方だった頃の話だ。今も敵ではない。なにせ上は格闘技居酒屋で礼儀正しレスラーの人がオーナーだ。ご近所付き合いもある。下手なことは言えない。
タイトルを書いたら色々なことが浮かんできてイントロが長くなってしまった。プロレスのことを書きたかったわけではない。テーマは短い。村松友視の「私、プロレスの味方です」の中に次の一節がある
「ちゃんと見る者は、ちゃんと戦う者とは完全に互角である」音楽に置き換えてみる
「ちゃんと聴く者は、ちゃんと演奏する者と完全に互角である」
そう信じて言葉と音の分水嶺を探すべく格闘するのである。ちゃんと聴いていない人の言葉はすぐわかる。勿論語彙力のことを言ってるわけではない。

北朝鮮問題

一触即発に見えた北朝鮮問題だが今考えるとある筋道が見える。勿論緊張状態にあることには変わりないが・・・。しりあに巡航ミサイルミサイルを撃ち込んだ日、トランプは習近平と会談をしている。いくつかの軍事作戦の了解をとったはずだ。そして北朝鮮に圧力をかけるよう要請をした。中国はあからさまにはアメリカを非難しなかった。見返りは何だったのか。経済問題だったのだろう。以前トランプは中国を為替操作国と呼んでいた。巨額の貿易赤字を抱えているからだ。ごく最近為替操作国という表現が紙面から消えている。アメリカとチキンレースをしながら北朝鮮は考えたはずである。人民に虚勢を張りつつ、アメリカと中国に少し反省しているメッセージを出す方法を。それが最後に失敗したミサイルを旧型にしておくという選択しではなかったのか。アメリカは原子力空母ゆっくり航行させ北朝鮮に頭を冷やさせている。次のメッセージを待っていたらペンス副大統領が日本に到着するその日に「拉致問題はもう存在しない」と言ってきた。

不正経理

今東芝が巨額損金をどう穴埋めするか問題になっているが、発端は国策に踊らされた原発部門の巨額赤字をどう隠すかだった。赤字が続けば銀行が資金を引き揚げる。死に体になっているのに元気溌剌な振りをするのに似ている。誤魔化している間に状況が好転するのを待つ。なぜそのようなことをするのか。勿論つぶれたら自分の生活が困るという事がある。自分のボスの指示には逆らえない。そしてそういう状態が恒常化していき罪悪感が無くなっていく。株式会社であれば原理的には株主のために働いているという事になるのであるがそういう感覚には程遠い。国体を護持するために負け戦と分かっていても戦い続ける帝国陸軍の感覚に近い。司馬遼太郎が言った「鬼胎」という造語の方がより近いかもしれない。シガニー・ウィーバーに宿ったエイリアンのようなの分からないものが心に宿る。東芝の内部事情は知らないが不正経理の感覚はそういったものに近い。同僚をだまし、監査法人をだまし、銀行だまし。本社をだます。そういう経理のプロをだまし続けられることが能力のある経理マンであると錯覚してしまう。僕が20年務めた会社はいつしかそういう風に変質していった。そこそこの規模の会社は年間単位の予算があり、それが月、週、一日まで分けられている。その予算のプレッシャーは営業部門にかけられる。メンツがあるので予算がいかないときは色々な方法があるが架空売り上げを計上してしまう。経理の仕事はそういうことを正す月光仮面の様な部署だとぺいぺいの頃は思っていた。ある営業課の不正売り上げを見つけ上司に報告した。その時の答えが意外だった。「いいんだ、させておけ、あそこは予算がいっていないからな、あそこがいかないと店の予算が達成されない。店長に恥をかかす」
少しだけ組織の力学が分かってきた。
営業がもう鼻血も出ないようになった時が本当の経理の出番になる。黄金のペンを右手に持ち悪魔のように細心に数字を加工していく。出来上がった損益計算書と貸借対照表はプロが見抜けないほどの贋作に仕上がっている。そういうことを続けていても必ず綻びが出る。資金が不足するからだ。銀行への返済と本社への支払いは滞らせるわけにはいかない。不正がばれてしまうからだ。どうするか。弱小の仕入れ先の支払いを遅らすことから始まる。「システムの不具合で‥‥」と何度言い訳をしたか。小さな会社はうちの支払いが遅れると死活問題だ。担当の営業課から連絡が来る「あそこ本当に困っているから払ってくれない」と。「それでは、私のところに直接来させてください。その代りいい仕入れ条件引き出してください」みたいな話になる。そのうち弾薬も尽きてくる。上からは後1000万何とかしてくれとくる。まさか偽札をするわけにもいかないし、でも方法はあるもので困ると浮かんでくるものだ。ここからは有料サイトになるが、まだ公表できない。
僕の勤めていた会社は負債1兆2000億あり会社更生法の適用を受けた。その記者会見は7時のNHKのニュースでも流れた。僕はその年本社の経理財務本部に転勤を命じられた。銀行に少しでも借金の額を減額してもらう事、そのためにこれからのリストラ案を作成する事が主な業務の部署である。財務に詳しい人員が不足していた。一人亡くなり二人入院中だという事だ。勿論過労が原因だ。僕は経理畑の人間ではあるが財務のスペシャリストではない。「あいつは、器用だからなんとかするだろう」というのが上司の考えであった。僕はジャイアント・ステップを弾かされた時のトミー・フラナガンのように拙い仕事ぶりであった。そんな大変な時期にも元上司は「本社どこまで気が付いている」と毎日探りを入れてくる。本社の上司も「君はもう札幌の人間ではないのだから、ぜんぶしゃべりなさい」とくる。ゾルゲの様な二重スパイの生活だ。
もはやこれまでと思い辞表を出した。最初の不正を見逃してから15年たっている。

街角情報室

1.カレー汚れの専用コース付き洗濯機
パナソニックのインド現地法人が同国で初めてカレー汚れ専用の洗浄コースを搭載した洗濯機の販売を開始した。同社はインド料理研究家に依頼しインド全地域のカレーを研究しターメリック、チリなどカレーに含まれる成分を分析して衣服についたカレーを落とすのに最適な水温や水流、洗濯時間の組合せを見つけ出したらしい。
日本では販売の予定はないという。ここでいくつか疑問がわく。カレーって専用コースを作るほど汚れが落ちづらかったっけ?インド人は専用コース必要なほどカレー食べるの下手なのだろうか?日本の洗濯機にはなぜ醤油汚れ専用コースがついていないのだろうか?それとも醤油汚れコースは車でいうエアーバックのように標準装備なのだろうか。インドでも白物家電は一通り揃い、新規の需要は難しい時期に入ってきているのだろうと思う。
僕は洗濯は詳しくないが、一番汚れが落としにくいのは血痕だと思う。返り血汚れ専用コースが付いていると組事務所の需要があるのではないだろうか。ただ共謀罪が成立するとこの洗濯機を買っただけで捕まる可能性がある。国会の審議の行方に注目!
2パー子死ぬ
円山動物園のパー子が死んだという記事が載っていた。14歳以上とあり年齢も大雑把であった。この動物はモモイロペリカン。桃色とついているばかりにパー子と名付けられてしまった。番でいれば雄はぺーとなったのであろうがその記事はなかった。
モモイロペリカンはスペインからロシアにわたる渡り鳥でその途中で保護されたらしい
パー子・デ・ロシア
3.ラーメンと寿司の店
ラーメンと寿司が謳い文句の店を見つけた。とりあえず日本人が好きな食べ物を一遍に食べられるという売りなのだろうと思うが食べ合わせが良くなさそうだ。偏見だろうか。窓に貼ってある日替わり定食にはカレーもあるらしく半ラーメント半カレーというメニユーもあった。僕はラーメンもカレーも寿司も好きだが「明日死ぬ」と分かったらいっぺんに食べるかもしれないが普段は良いかな・・・・・・・・・。将棋棋士に藤井猛九段という人がいる。振り飛車のスペシャリストで「自分の振り飛車は鰻屋の鰻です」と言っていたことを思い出した。
4コーヒーサーバー
以前にも書いたことがあるが店に入る前近くのコンビニでコーヒを買う。それがかなりの頻度でコーヒーが安下宿雨漏りのように落ちてきてカップに入らない事がある。先日もまた遭った。目の前に店長がいたので「又漏っています」というと手際よく直しもう一杯分落とし「大盛りにしておきます」と言って渡してくれた。翌日行くとたまたま接客が店長だった。僕はその日また同じことが起きたら今まで買ったことはないが宝くじを買おうと思っていた。店長はレジカウンターから出てきてコーヒーがで終わるまで心配そうに見ていた。店長は「安心しました」と言い僕は宝くじを買うチャンスを失った。

夢の話

「転換期を生きる君たちへ」(中高生に伝えておきたい大切な事)という書籍がある。日本の識者11人が執筆していて最近出版された。だから転換期とは今のことになる。著者が今の中高生をどのレベルと考えているかにも温度差が有って面白かった。流石にこれはわからないだろうという内容のものもあったが、編者の考えで注文を付けなかったらしい。一番難しいかったタイトルは「戦後入門」加藤典洋著。僕はこの人の「敗戦後論」他数冊読んでいるのでここに書かれていることは理解できたが、それは僕が大人だからではない。そのことに関して考えたことがあるからだ。若い時に考える習慣をつけておかないと汚水が駄々漏れなのに完全にコントロールされているとか、、戦闘行為を銃撃戦と言い換える嘘を許してしまうことになる。小田嶋隆が書いている「13歳のハードワーク」の中に(職業あるいは夢についてあれこれ)という項目がある。「夢を持ちなさい」とか「自分の夢に向かって突き進みなさい」とか言われた経験があるだろうと思う。僕は中学生までは親戚のおばさんに「直ちゃん何になりたいの」と聞かれるときは「まだわからないです」と答えていた。ところが学校の作文となるとそうはいかない。「夢」を書かないといけない。
10年前父親が亡くなって母親が身の回りのものを整理していたら「こんなものが出てきたよ」と言って見せてくれた。「僕の夢」という中学一年の時の作文だった。僕はその時、読まなくとも内容は覚えていた。嘘を書いたのを知っているからだ。船員かサーカスの団員になって世界中を回りたいと書いたはずだ。後半の方はまんざら嘘ではない.『兼高かおる世界の旅」というテレビ番組があって毎週JALの飛行機、(JALですよ、バニラなんかではなくて)で世界中を旅している。その紀行番組の影響で取り敢えず世界中回れそうな職業という事で船員かサーカス団員と書いたのだ。大体「自分の夢」を書けと言っても夢と職業がリンクしていない。それに周りには会社員と大工とか左官屋の職人、あとは商売を営んでいる人と一人のヤクザしかいない。海外特派員とかjazz barのオーナーという発想は全くない。
でも先生の立場としては夢をもっと社会に貢献させるようなものに繋げてほしくて出題したのに多少難ありという事で親の元に送られたのであろう。
その頃は夢などなくても楽しかったので将来のことなど考えもしなかった。早く夢を持つという事は自分に負荷をかける事でもあるのではっきりするまで待った方がいいと小田嶋隆も書いていた。
では、「今の夢は」と聞かれるとする、もう後戻りはできないので今の生活のクオリティがもうちょっと上がればいいと答えるぐらいしかおみ浮かばない。
質の高い演奏の回数が増え、それを共に語れるお客さんが増え、愛人と会える回数が増え、もう駄目だと分かったら消えるように亡くなりたい。

カルバドス

野崎はそのバアーのドアーを開けた。中は思ったよりカジュアルな造りであった。壁の色はディープブルー、テーブルはメタリックシルバー。これで天井の配管が剥き出しであればNY風であったのにカウンターの一枚いたが妙にアンバランスであった。マスターは白髪混じりの50台半ばに見えたが、オックスフォード織りの白い釦ダウンシャツを普通に着こなしているのが様になっていてこの商売を長くやっていると思った。
この店の近くまで来た事が一度だけある。
野崎はある女性の素行調査を請け負っていた。
木内美佐、44歳、専業主婦。子供は二人、長男15歳、長女12歳。週に一度書道を教えにカルチュアースクールに行っている。写真では男好きのする容姿ではないが品が感じられる典型的な中流階級の上位にランクされる奥様といったところだ。一年前に転勤で故郷に戻ってきた。
依頼者は夫ということになるが「妻が妙に明るいんです」という。まあ。地元に戻ってきてほっとしているとだと野崎は思うのだがそんな事を言ってはこの商売上がったりだ。考え様によってはいちばん簡単で見入りの良いケースだからだ。
もうその仕事の報告書は提出してある。依頼人がほっとするような、予想どおり通常の主婦と変わりない行動パター-ンであった。あるいは支払った金額に見合わないありきたりの報告書ということでも有ったのかもしれない。
この日、野崎はこの店の近くのパチンコ店で不正行為をする人物の監視という仕事を請け負っていた。この世で一番醜い音を8時間聞き続けて感性が麻痺しているのがわかった。身についた自衛本能の防御服を脱ぎ捨てる為にこの店に寄ってみた。
音量は小さ目とはいいがたいが今まで聞いていた雑音に比べると鼓膜の震え方の質が違うと感じた。
ジャケットが飾ってあった。サックス奏者が牛乳を飲んでいるあまりセンスがいいとはいえない代物であったが音色は絹ごし豆腐のように滑らかであった。スタン・ゲッツと描いてあった。
野崎の遊び心が頭をもたげてきた。「この音楽に合うものを下さい」
マスターは一瞬考えたが「これはどうでしょう」といってカルバドスを勧めた。
「では、それをストレートで」と注文した。昔「ガス燈」という古い映画で主役のイングリット・バーグマンが着付け薬の替わりに飲まされていたのを思い出した。まだ洋酒が普及していなかった時代に、ましてリンゴブランディーなどというものの味も価値もわからない学生時代のことだ。
ブランデーグラスではなく足長のストレートグラスで出てきた。
「あまりもったいぶって飲む酒ではないので」
客は学生風の二人組みが一組だけだった
「だからこのコードにはフリジァンが合うんじやないの」
「でもこの音はアボイドだぜ」
野崎には何の話をしているのかわからなかった。
カルバドスを口に放り込んだ。滑らかだが甘酸っぱい所がある。それが辛うじて野崎が残している青臭い所を刺激してくる。マスターがすり寄って来た。「私は音楽理論の話しが苦手で」
「カルバドスはどうです」
「疲れているときの細胞に沁みていくのがわかりますね」
「映画でイングリット・バーグマンが飲んでいた時の様にですか、ガス燈でしたっけ・・・」マスターは野崎の事を同世代と踏んで話し掛けてきている。自分より10歳ぐらい上かと思っていたが40台半ばなのかもしれない。
「あの映画のストーリーは思い出せないのに気付け薬に使うカルバドスという酒はどういうものなのだろうということは気になるんですよね」野崎も頷いた。
「バーグマンはもっと気丈な性格の役の方はまりますね」
「カサブランカとかですか」と聞いて同じ物をもう一杯頼んだ。
「ああいうことはここでも起きますか」
「あんな事が起きるなら、もうとっくに宝くじに当たっていますよ」といって顔を崩した。野崎もつられて笑った。
「男が愛する女の為に危険を冒して何かをする事は日常でも有りますよね。女が愛しているのは他の男であっても何かをする男の映画も多いですよね。ですが男は女が愛しているのは自分と知った上でその女と夫の為に危険を冒して何かをやり遂げるというのは途方もないことですよね」
「そうですね。無償の行為ですものね」
「絶対勝たない牝馬の馬券を買いつづけるような」
「あるいは、儲からないJazz barをつづける行為とも似ているかもしれませんね」野崎のセリフにマスターは笑った。
レコードを変えた。四人目の客が来た。
「美佐、しばらくぶり」
「Xさん、元気だった」マスターの名前は聞き取れなかった。
「大政翼賛会婦人部会の帰りかい」
「又、馬鹿にして・・・・」と言いながら幻滅という顔をして見せようとしたが上手くいっていない様に見えた。御互いの近況を確かめるようなありふれた会話が続いた。女性は時々「まだタバコ吸っているの」とか「体の調子はどうなの」とか母親が息子に諭すような物言いになった。マスターは「はいはい」といった感じで真剣に答えているとは思えなかったが顔は和んでいた。
野崎は思い出した。半年前に素行調査でもけさせてもらった木内美佐であった。勿論まじかで見るのは初めてであった。上気した顔の肌つやには張りが合ったし、その年の専業主婦としては溌剌として見えた。
「子供は大きくなったの」
『下は12歳、上は・・・・・14歳になったわよ』最後の方にちょっとした間があった様に思えた。野崎は長男は15歳ではと思った。
一瞬二人の空虚な視線が天井のライトの所で交錯した。
『長男は生意気よ。しゅうさんみたいに口が悪いから』上目使いでマスターを見た。
「じゃー、警官か取り立て屋に向いているね」グラスを拭きながら目はあわせなかった。
美佐は30分もいなかった。「シンデレラだから・・・」といって11頃店を出た。

あの日、美佐は同窓会か何かの流れで仲間の一人とこの店に寄った。店を一緒に出てきた二人は帰る方向が違ったのであろう別々のタクシーを捕まえた。友人の車が出た後美佐は店に戻った。忘れ物でも取りに戻ったのであろうと思った。時間が少し長いと考えたが大した事とは思わなかった。

勿論報告書にはそんな事は書いてはいない。それでよかったと思っている。
野崎は人生のB面ばかり聴かされるような仕事をしていると言っていい。
B面にはあまり聴きたくない曲も入っているものだ。
野崎はカルバドスを口の中で転がしながらよく聴いた「レフト・アローン」のB面はどんな曲が入っていただろうと考えていた。

マティーニ

店には客がまだ二,3人しかいなかった。リハーサルが終わったのであろう、ミュージシャンらしき人物が店の片隅で談笑していた。その中にその娘はいた。くわえタバコで譜面を見ていた。一瞬目があった様に感じた。誰かに似ていると思った。
このjazz barに来るのは初めてであった。仕事で全国を回るが、仕事の区切りがついた時は知らない店で知らないミュージシャンの演奏を聴く事にしている。
たいがいは「ああ、こういうミュージシャンは10倍上手いのが東京にいたなあ・・・」と里心を起こさせるものであったが稀に宝石の原石を思わせるものも在った。
同じ味のものを食べたければ全国チェーンのファーストフードの店に行けばいい。上手いものを食べたければ冒険は必要だ。
マティーニを頼んだ。初めて飲んだ学生時代にはまずいと思った。何でこんな飲み物がカクテルの王様なのだと訝った。はなからジンなどスコッチのシングルモルトに比べたら十両と横綱の違いほどある。
何かを混ぜるということは生のままで飲む以上の何かがあるということなのだろう。
チャーチルが「最高のドライマティーニはベルモットの瓶を眺めながらジンをストレートで飲む事だ」と言った。だがこの話は眉唾物だ。チャーチルはアララットと言うロシアのブランディーを愛飲していたからだ。第二次世界大戦後、和平交渉に臨んだチャーチルが「ロシアにもまともな酒があった」と喜んだ逸話が残っている。そのチャーチルでさえマティーニについた語りたくなるらしい。
ジンと僅かなベルモット、数滴のビターズ、香水のように吹きかけるレモンピ-ル。それがバーテンダーの腕で無限の味になる。それがこちらの体調やら気分の組み合わせでその都度違った印象になる。
演奏が始まった。
まあ、定番のミディアムテンポで聴きなれた曲で始まった。悪くないピアノトリオだが何か足りない。若いバーテンダーが作ったこのマティーニのように・・・・。技術ではない何か、もっと本質的なものが欠けている。
次の曲が紹介された。オリジナルらしい。身構えてしまった。
マティーニに以降誕生した凡百のカクテル、酒メーカーが開発するシュシュのリキュールが出るたびに考えられるレシピ。それは無数の代理コード進行で構成される楽曲。レシピだけ難しくなって印象がないカクテル。そんなオリジナルが無数に創られ、こちらの鼓膜をこじ開けようとする。
ピアノのアルペジオが始まった。執拗に繰り返される音列。呪術的なものが人間のものになる前の自然そのものを想起させるものであった。
舞い散る粉雪が月光に照らされた時に見せる様々な色合いだ。行ったこともない北欧の湖が脳裏に浮かんだ。
その時このピアニストが若い頃のマリーネ・ディトリヒに似ていることを思い出した。
意志の強そうなくわえ煙草。
曲の色合いが変わっていった。竹林を微かに騒がせる驟雨のような音。めくるめくトランジット・・・ここは京都なのか。マティーニの味が変わった。均一に混ざり合っているものが表情が変わることがある。
曲のメロディーと言うより万華鏡のように変わる音色が印象的だった。それがマティーニの味を微妙に変化させたのかもしれない。
ステージを終えたピアニストがカウンターに移動してきた。席が隣り合わせになった。
黒のニットのワンピースに同色のレギンズ、ゴールドのトライアングルのようなイアリングをつけてブルーのスカーフを首にあしらっている。殆どモノトーンなのに色彩感覚の鋭さを感じた。
「良かったら一杯どうですか」
「ありがとうございます。何を飲んでいるのですか」
「マティーニ」
「ここのは美味しいですか」
「あなたの演奏中にワンランク上がりましたよ」
「じゃ、私もマティーニ」若いマスターが軽く頷いた。
「マティーニ頼むお客さんっていろいろ注文がうるさいって聞いたけどお客さんは違うのですか」
「私は注文をつけない。ここみたいに若いバーテンダーに言っても無駄だし、年配のバーテンダーは黙っていても出てくる。素人は変な注文はつけないほうがいい。あなたもbody&soulをアップテンポでと注文されたらこいつ音楽知らないと思うでしょう」
「こいつとは思わないでしょうが、中途半端にjazz知っていると思うでしょうね」
彼女のマティーニが来た。
「このオリーブどうすればいいのかいつも迷います」
「ああ、それは次の人も使うからそのまま返すと喜ばれる」
ピアニストは笑った。笑うと大人びた立ち振る舞いの陰に隠れていた幼い部分が出てくる。20代前半なのかもしれない。
「あなたは絵が好きじゃありませんか」
「はい、でもなぜわかりました」
「あなたのピアノ・・・・・・・いや私は人相見が趣味だから」
その娘は小首をかしげた。
最後のマティーニを飲み干した。

週一度は母親の様子を見に実家に行っている。「何かいるものあるかい」と尋ねると昔は仏壇のお供え物と言われることが多かったが、最近は「おいしいもの」と言われることが多くなった。近くに新鮮な食材を扱うスーパーがないせいもある。僕の足なら往復30分弱のところを母親は杖を付き付き2時間以上かけて買い物に行っている。それで物が良くなければ年寄りだからこそ腹が立つのだろう。具体的に「すき焼き」が食べたいと言われたこともあった。でもおいしいものの代表は寿司なのであろう。体が思うように動かなくなってからは僕が行くと「寿司の出前頼んだから」というセリフが多くなった。寿司といっても回転すしのデリバリーだ。母親は「このマグロあまりおいしくないね」と文句をつけながら食べている。僕もあまりおいしいとは思わないのだが「そんなことないよ、おいしいよ」というと「そうかね」と言いながらゆっくりと一貫、一貫食べていく。「おいしいマグロ食べたいね」と言うセリフは何回か聞いたことがある。今度美味しいものと言われたら店の近くの寿司屋の折と決めていた。
ご主人にお土産でもっていく主旨を伝えるといいもの入れておきますと言ってくれた。僕が店終わるころ折を取りに行くとご主人が「トロ一貫サービスしておきましたから」と言った。とりあえずその時はそういったように聞こえた。
翌日寿司折ぶら下げて実家に行った。帰りしな「トロ一貫サービスしてくれたみたいだよ」というと「もう少し後で食べるけどちょっと開けてみていいかい」という。
どうぞというと旧国鉄職員が指先確認をするように「これ、カニだよね。これはイクラ・・・・、トロはどれかね・・・・」と確認しだした。
僕はもう時間なので行くよというと「ああ、お金お金、」いつものことだがいくら要らないといっても効かない。ポケットにねじ込んでくるのでいつも千円だけもらっている。するとその日は「こんないいお寿司千円で買えないでしょう」といって二千円くれた。下世話な話だが一番いいところお願いします、と言ったのでその倍くらいはかかっている。
翌日美味しかったかと聞くと「おいしかったよ。でもトロはなかったと思うよ。それとかぞえたら11貫あったよ」
そうか、ご主人はトロがないので一貫おまけしてくれたのだとその時分かった。
母親は繰り言のように「今度こそ、おいしい鮪食べたいね」といった。

2017.3.31-4.1  Another Standards

若井俊也(b)赤坂拓也(p)西村匠平(ds)
LBの直近blogは「四月は残酷な月だ」というTSエリオットの詩集「荒地」の引用から書き始められている。4月とは3月のリバウンドが襲う放心の月という主旨である。偶然にも今回のライブは3月と4月をまたぐ日程となっていた。若井に限るとここ数年来聴く機会に恵まれており、その可能性に強く惹かれているが、赤坂と西村そしてこのトリオは初めてだ。
何の予備情報もなく聴き始めることになった。最初は確かC・ポーターの曲だったと思うが、瞬時に感じたのはバランスの良さだ。これは彼らが等しく昭和の終期に誕生しているという同世代的共鳴によるものではない。三者対等のインタープレイを追求する意識が明確に内在化されているからだ。聞くところによると、彼らは必ず後日反省会を行っているという。ピアノ・トリオの自己検証を重要な音楽活動としているのだ。語れば理屈っぽくなるが、そうした真摯な姿勢がサウンドに転化されていることが確かめられる。彼らは腕の立つ連中であるが、引き出しの多様さに依拠せず、むしろ感性の赴くままに演奏する方向に進むことを狙っているのではないかと思う。そこにしか無いグルーブ感を筆者は受け取ることができた。演奏曲は、「サマー・ナイト」「ハウ・マイ・ハート・シングス」「ローンズ」「コルコバード」「エブリシング・マスト・チェンジ」「アイ・ミーン・ユー」「ベリー・アーリー」「リトル・サンフラワー」「オレンジ・ワズ・ザ・カラー・オブ・ハー・ドレス」「ジス・ワンズ・フォー・バド」「フォーカス・セカス」など。ピアノが唸り声を出さないという意味で、“Another Standards”と云っておく。
結局、“残酷さ”は後退し、ご機嫌な“I remember April”をゲット。4月1日、嘘はない。
(M・Flanagan)
あああ

北朝鮮ミサイル発射問題

北朝鮮が米中韓日の包囲網を揺さぶる為にミサイル発射テスト頻繁に行っている。トランプは軍事行動も含めすべてが選択肢だと北朝鮮を恫喝している。子分である安倍首相はその姿勢を高く評価している。おいらのバックにには強い兄貴がいるんだぜというチンピラやくざ宜しく息巻いているだけで本当にミサイルが日本国土に飛んでくるとは思っていない節がある。それでなければ怖くて原発など再稼働できないはずだ。そうこうしているうちにトランプはシリアに巡航ミサイルを打ち込んでしまった。もうやくざの出入りを見ているようだ。北朝鮮にだって何をするかわからない。安倍首相は籠池理事長を見捨てておきながら、自分だけは安泰だと思っている。それはこれだけアメリカのために日本国土と日本国民の安全を提供しているのだから大目に見てくださいよ親分という事なのだろうと思う。

マルガリータ

海からの風がオープンカフェの扇風機を静かに回している。月は水平線の上にアップリケのように張り付いて見えた。周りは静かとはいいがたいがそれがかえって私を落ち着かせた。多分この席だ。
父と二人でここに来たのは三年前だ。父は随分嫌がった。娘と二人で、ましてタイなど行きたくないと・・・・・・。私はリフレッシュ休暇を消化をしなければならないとか現地の友達に会いたいとか色々噓をついて父を連れてきた。
父は一緒に歩いて恥かしいという外見ではない。前髪に多少見える白髪がお洒落染めに見えるぐらいだ。同世代の中年の中では上位にはいるかもしれない。ただ少女時代は御多分に漏れず存在自体が疎ましく思っていた。親権も私が微妙な年齢なので母親の方がいいのではと主張したのも父だった。母は経済力を理由に拒否したらしい。父が母と別れるときに「俺は自分のことは自分でする。お前も自分のことは自分でしろ」とだけ言った。
父はレストランを経営している。だから家であまり顔を合わせる時間がない。それがいがみ合いを減らしていたのかもしれない。プーケットを選んだのは一度来たことがあって案内できる自信があったからだ。
「お父様がちゃんと日常生活を送れるのはあと一年くらいと思ってください」と先生に言われたのはひと月前だ。
親孝行のまねごとをしたいと思ったのではない。日常生活でない中で父を見たいと思った。
日中はプールサイドで本を読み、肌が熱くなると水牛のように水に入った。私の選んだオプションツァーにも文句を言わずついてきた。ホテルで知り合った香港在住のイギリス人とテーブルを共にすることがあった。流暢ではないが意思疎通ができるくらい英語を話せるのだと初めて知った。旅の最後の日「今日はおしゃれしてバーに行くぞ。お前もドレスを用意しろ」言われた。
気温は高いがヤシの葉をくすぐる海風が心地よかった。波が白亜の砂を海に持ち帰る音まで聞こえた。父は「今日はお前のおごりだ」と言ってマルガリータを三杯飲んだ。考えると父が家だ飲んでいるのを見たことがない。「俺は生粋の酒飲みではないから家では飲まないんだ」と答えた。そして料理人らしくカクテルの味ではなく「いい塩を使っている」とスノースタイルの塩をほめた。
「そろそろ部屋にもどるか」
「そうね」
長い通路は熱帯植物を取り囲むように右に左に曲がっていた。その途中父は足を止めた。そしてオーソン・ウエルズの様な落ち着いた声で聴いてきた。
「俺はいつまでもつ」
私は何も言えず父の腕をとった。父は何も言わずゆっくり歩きだした。バージンロード歩く父親のように。
波の音が一瞬大きくなった。

珍本

朝起きるとラジオをつけ、聞いているふりをしながら二度寝するのが慣例になってきている。NHKのすっぴんという番組に時々面白いコーナーがある。今日はそこに珍本評論家なる人が出ていて世界中の変な本を紹介していた。1.「放置自転車写真集」よく見かける自転車置き場の放置自転車からタイヤの溶けかかったお岩の様なおどろおどろしいものまであるという事だ。放置自転車自体珍しくはないので「24条美人ママ写真集」よりは被写体には困らないはずだ。2.「放置買い物カーゴ写真集」買い物カーゴとはスーパーにあるあれだ。僕も人生で一度だけ放置買い物カーゴを見たことがある。これは、被写体自体探すのがかなりむづかしいのでないか。これは還暦越え女性美人ピアニストを探すより難しい。どちらにしろ写真を撮る人、それを出版する人、それを買う人、みんなすごい。踊るアフロに、見るアフロ、同じ阿保なら踊らにゃ損、孫という感じだろうか。3.「円周率一万桁」3.1415・・・・・のあれです。この本は僕も見たことがある。本当に延々と数字が続いているだけ。落語でネズミが米蔵に入って米粒を一個づつもってくる話くらい長い。あるいは、コルトレーン・イン・ジャパンのジミー・ギャリソンのソロ位・・・・・・。4.「素数一万個」これは明らかに3の二番煎じだ。コルトレーンの亡霊におびえるエーゾー・ローレンスのごとし。3は村上春樹の「騎士団長殺し」ほどではないがそこそこ売れたらしい。客層は絶対誤植を見つけてやるといったストイックな人か「こんな変な本があるんだぜ」と受けを狙う層に二分されるらしい。
5.「月間円周率」毎月3月14日発売。定価314円。客層は絶対誤植を見つけてやるといったストイックな人か「こんな変な本があるんだぜ」と受けを狙う層に二分されるらしい。5、「国会図書館の実務となんとか」半分寝ながらなので正確なタイトルが分からない。出版した書籍は必ず一部国会図書館に寄贈しなければならないという決まりがあって保管するときは表紙をとることになっているらしい。それで表紙だけの本を作ったり、帯だけの本を作ったりして国会図書館の対応をルポした本だ。ちなみに表紙だけの本は中身は白紙の紙が数枚入っているだけなので表紙をとるとただのメモ用紙と変わりないので保管は拒否されたという事だ。
僕が持っている珍本に「新しい世界地図」(世界日本語的珍地名)というのがある。世界の実在の地名で日本語にすると可笑しいものをジャンル別にまとめている本だ。無難なところで「病気&怪我マップ」を見ると。
ケガシュカ(カナダ)フーシン(中国)ホッサ(フインランド)イガン(マレーシア)オクスリー(オーストラリア)イタイー(ブラジル)等々実際の地図帳に場所を示している。行こうと思えばツアーができる。その1はやはりエロマップになっている。ここに掲載できて比較的有名なのはスケべニンゲン(オランダ)後は書けません。
購入したい人のために・・・アートンより刊行¥1200

荒地

「四月は残酷な月だ」TSエリオットの詩集、「荒地」はこの一節からはじまる。三月が終わると詩の内容と一切関係ないのだがこの一節を思い出してしまう。三月が忙しくもあり、大変でもあるのだが周年記念ライブやら、長年見続けてきた学生の卒業ライブもありこの時期にしか会えないお客さんも来て毎日が竜宮城状態。いも美の海でおぼれ続け玉手箱も開けないのに髭が真っ白になり世の中の動きに取り残される。新聞がたまり、ごみがたまり、洗濯物がたまり、藤原の鎌足、たまらないの現金のみ。そんな喧噪な三月が去り、新入社員の様な四月がやってくる。四月は別れの季節でもある。何人かの学生が全国に散り、僕が主催するワークショップjazz幼稚園のメンバーも二人転勤になってしまった。四月も何日か過ぎると店も僕も急に落ち着きを取り戻し真面目になってしまう。なんて馬鹿な飲み方をしたのだろうと思い出させる四月は残酷だ。

2017.3.10-11  LUNA 特許申請のラウドな行方

2017.3.10-11  LUNA 特許申請のラウドな行方
LUNA (Vo)with 一哲Loud3竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
 2016年7月、店主自ら業界の掟破りなROCK・LIVEを企てたところ、これが思わぬ反響を巻き起こしたのだった。この現象は潜在的にロック・ファンの多さを物語るものではあるが、実際はローカル・ニュースでLUNAのロック乱入事件として話題を集めたことによる。そしてこの一件が、世間の好奇心を誘うとともに特許申請という前代未聞の展開につながって行くのだ。今回のライブ2日間は、『ジャズの店』レイジーバード開店12周年記念のファイナルであり、なお且つ、特許申請の第2次審査と位置づけられている。
 では、2夜まとめて審査会場へ、いざ。長いギター・ソロから静かにベースが絡み、“いったい何やるんだ?とその時、“ガ・ガ・ガ・ガッ”に対し“ウォー” 名曲中の名曲「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」、初めて聴いたブロンディーのメロディアスな「マリア」、これを待っていたのだ「ホンキー・トンク・ウイメン」(2日目はtp山田丈造が飛び入り)、ジャニスのブッちぎり3連発「ムーブ・オーバー」、「クライ・ベイビー」、「メルセデス・ベンツ」、ZEP「ホール・ロッタ・ラブ」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンもの「リトル・ウィング」、「ファイアー」、B・ディランの枯れゆく人生エレジー「フォエバー・ヤング」、そこからヤング・ジェネレーションへの劇的な再生を賭けた「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、この辺でLUNAはエネルギーの大量消費に耐えられず充電バラードを挿入、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)と「オープン・アームス」(ジャーニー)。そしてダブル天国の1曲目はLUNAの師範級リコーダ゙入り「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、2曲目は「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」、日本語の良さが際立つ「イッツ・ノット・ア・スポットライト」、「朝日のあたる家」、もう2、3曲あったかも知れない。特許申請に対する審査基準は(1)ミュジシャンの暴発度、(2)客席の騒乱度、僅か二つのラウ度である。(1)については前回を上回るものであったとの認識で一致。(2)については信頼筋ではないが、“イェー回数”100回超が過半数割れしたとの報告が寄せられている。審査員からはこの克服が指摘されたそうだが、願わくば筆者の喉のガラガラを行間から聞きとって欲しい。なお、選曲に当たって、一部のファンが密かに事前にリクエストするといったインサイダー取引が横行したらしいので、ROCK的透明性を強く求める声もあったようである。
 今回のライブには、我らが臼庭潤の幼馴染みである岩本氏が横浜から駆けつけておられた。2日にわたって場内の火に油を注いだのは、“どんぐりの竹輪パン”を爆食いした彼の功績によるところ大であることを付け加えておきたい。この9月LUNAは副業のジャズで道内ツアーを行うらしい。そんなことよりROCK最終審査のラウドな日を早く決めてくれぇぃ!
(M・Flanagan)

2017.3.2 12周年キム・ハクエイ北海道トリオ

キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
ここ10年ほどは、雑誌はもとよりCDも滅多に購入していない。例外的にライブだけは楽もうと言ったところなので、時折、ミュージシャンが行商的に持ち込んだCDを弾みで買うことがある程度だ。こうした事情もあってキム・ハクエイの音を初めて聴いたのは、筆者の情報源であるLBライブにおいてであり、昨年2月のことだった。その印象は“不思議な新鮮さ”だったのを思い出す。それは、これまで聴いたことのない音があったという意味合いである。これにくすぐられると再び聴いてみようかという気になってしまうのが善良なる悪い癖である。この日の演奏曲(*印はハクエイ作品)は、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「*コールド・エンジン」、「オールサ・ザ・シングス・ユー・アー」、「ブルー・イン・グリーン~ソーラー」、「*ニュー・タウン」、「*デレイド・ソリューション」、「*ホワイト・フォレスト」など。ハクエイのオリジナルに特徴的なのは独自のエキゾチズムが横溢していることだ。“不思議な新鮮さ”と先述したのはこのことを指している。不遇の鬼才レニー・トリスターノを思わせる地を這うような長いフレーズも神秘性を漂わす効果を高めている。かつて未知との遭遇という映画があったが、そのJAZZ版を欲している人には個性豊かなキム・ハクエイがお薦めだ。12周年の初日を終えて、彼のピアノをより多くの人に聴いて貰うためにも、この先もライブの機会があることを願う。因みに、北海道トリオとは三人とも北海道育ちという事実に基づいている。
2017.3.3 12周年鈴木央紹With北海道トリオ
鈴木央紹(ts)キム・ハクエイ(p)米木康志(b)竹村一哲(ds)
2日目は大物が一枚加わったカルテット編成。その鈴木は11周年にも客演しているほかLBでは(ということは我が国の音楽シーンでは)上席Musicianに君臨している。例によって鈴木は平然と演奏している。この光景に騙されないためには、目を閉じて聴く必要がある。すると素通りできない難所が連続していることが分かってくる。これが世にいう鈴木の高度進行というヤツだ。余談になるが、ピアノのハンク・ジョーンズが頭の中に譜面2千曲ぐらいが入っていると言っていたが、鈴木は歌謡曲を含めると1万曲くらいは知っているとあっさり風に豪語していた。真偽の程はともかく、殆ど耳がデータ・ベース化していて、本当かも知れないと思わせるところがこの人物の恐ろしいところだ。鈴木とハクエイは共演歴があるらしいので、互いの演奏の筋は読めていると思われるが、実際聴いてみると過去の延長というよりは現時点の真向う勝負となっており、ライブ=正に生きた音楽の醍醐味を感ずる。演奏曲は、前日演奏したハクエイのオリジナルから数曲ピック・アップ、唯一曲名が紹介された懐かしいC・ロイドの「フォレスト・フラワー」、イントロから長いアドリブが繰り広げられ最後にテーマが顔を覗かせる「アイ・ディドゥント・ノー・ホワット・タイム・イット・ワズ」、極上のバーラード「アイ・ソート・アバウト・ユー」、一番の聴きどころとなった鈴木の演奏力が全開する最終曲(曲名を思い出せない!)等々。そしてアンコールはLBで「いも美も心も」と翻訳されている名曲「Body&Soul」。
今年の記念ライブでLBは「12」を単位の基礎とする鉛筆のように一区切りをつけた。芯の先がますます尖鋭になっていくことを期待して止まない。
(M・Flanagan)

とりつくしま

死んだあなたに、「とりつくしま係」が問いかける。この世に未練はありませんかあるなら何かモノになって戻ることができますよ・・・・・・・と。人はいろいろなものになって戻ってくる。そんな切なくて暖かさがにじみでている東直子の短編小説集が「とりつくしま」だ。
その中の「日記」の一部分をラジオ朗読で聞いた。涙が出そうになった。
僕は妻希美子の日記になって戻ってくる。日記は僕への手紙そのものであった。希美子の心のそばにいられることを喜んでいた。ところがある日恋人がいることがつづられる。僕が亡くなってから支えてくれた人らしい。その人と一緒になるらしい。
ここから原文のまま。
そのことを、今日決めました。今まで見守ってくれてありがとう。光さんへのこの日記、今日で最後にします。新しい家には持っていけないので明日の朝庭で焼いてしまいますね。
僕は驚いた。
余りのショックでしばらく何も考えられなくなった。
中略
朝の光を存分に浴びた希美子はとてもきれいだ。迷いを吹っ切って、凛としている。希美子は僕を手に取るとじっと見つめた。そして、眉を微かに下げてほほ笑んだ。
僕は永遠に君の最初の夫だよ。
希美子にそう言いたかった。
僕は希美子に抱きしめられた。
抱きしめられたまま、希美子が日記を書いていた部屋から初めて出て、庭に降りた。庭には僕たちの手紙を収めたあの箱が置いてあった。
希美子は、箱この結んでいるリボンの下に僕を挟み込んだ。僕の胸に赤い十字が」飾られた。空を見上げていると、希美子の手から枯葉がさわさわと大量に降ってきた。
枯葉は、しばらくすると赤い炎に変わった。希美子が火をつけたのだ。
炎はすぐに僕に燃え移り、リボンを焼き払った。解放された僕は、一枚一枚めくれ上がりながら燃えていった。
僕の下では僕らの手紙が燃えている。僕と君が交わしたたくさんの言葉が燃えていく。煙になっていく。
炎がゆれている。ゆれている。
僕は遠のいていく意識の中で、炎向こうにいるへ最後の言葉を思った。

おめでとう。

「とりつくしま」東直子著 ちくま文庫より

蛇足
良い話で終わらせておけばいいものをパーティジョークを思い出した。
マリリン・モンロー主演映画で「7年目の浮気」というのがある。歩道でスカートがめくれ上がるあの有名なシーンがある映画だ。その映画の中でモンローが洒落たセリフを言っている。
「私の部屋はクーラーがないのでパンテイを冷蔵庫で冷やしてあるの」
その映画を見ていた男Mはあのパンティになりたいと思った。朝起きるとその男Mはパンティに変身していた。
冷蔵庫は少し寒いがモンローが帰ってくるまでと思い辛抱強く待ち続けた。
扉が開いたモンローではなかった。風采の上がらない中年男であった。コソ泥だ。食物を失敬しようと思ったのであろう。その男は見逃してくれるものと思っていたが、コソ泥には女装癖があったのだ。Mはコソ泥のぽけっとにねじこまれた。

短命

新聞の片隅に面白い記事を見かけた。それを読むと逆説的な意味で「短命」という落語を思い出してしまった。僕は小さんの語り口が好きだが、あらすじはこういった内容だ。老舗の呉服問屋にすこぶる器量の良い一人娘がいる。親は後継ぎも必要なので婿養子をとる。商売は番頭、手代で切り盛りしているので娘夫婦は店のことには一切手を染めなくてもよい。商売も順風満帆でお金も何一つ不自由しない。ところが時を経ずして婿養子が亡くなってしまう。親は娘が不憫で今度は頑強な婿養子を探して夫婦にさせる。ところがこの婿も亡くなってしまう。その葬式に行ってきた熊さんがご隠居を訪ねてくる。
「ご隠居、あそこの店は何かあるですかい。二人も続けて短命で亡くなるってのは」
「熊、考えてみなさい。娘夫婦は店のことは何もしなくてもよい。お金は有り余るほどある。一日中離れで二人きりだ。何もすることがない。『あなた、いっぱい召し上がる』てなことになる。酌をする手は抜けるように白い。顔を上げると飛び切りの美人だ思わず手と手が触れる。周りには誰もいない。短命でも可笑しくはないだろう」
「ご隠居そこのところがわからねぇ。手と手が触れて誰もいない。なんで短命なんですかい」
「熊、それだから無粋と言われるんだぜ。一日中二人きりだ。やることは何もない。娘は飛び切りの別嬪だ。手と手が触れる。こりゃ短命だろう」
「それじゃあ、なんですかい。触れたのは手と手だけではないという事ですかい」
さげは小さんの落語を聞いてほしい。
新聞の記事の見出しはこうだ。
「86人妻帯の93歳男性死去」
ナイジェリアの話だ。86人の妻を持つムハマド・ベロさんが86人の妻に看取られながら93歳で亡くなったという。
ペロさんをめぐっては宗教裁判所が2008年、86人もの女性と結婚するのはイスラム法違反と訴えていた。宗教上許される4人を除く82人と離婚するよう命じた。しかし、妻86人全員と子供170人中20人が抗議のデモを行い判決は取り下げられた。
凄い!
なんで短命でないのだろう?

ロミオとジュリエット part2

ロミオとジュリエット part2
朝日新聞販売所の駐車場にその二人はいた。前出のロミオとジュリエットだ。丁度僕がそばを通るとき握り合っていた手を放し「はいこれ・・・・」といってジュリエットはロミオに包みを渡した。バレンタインデーであったのだ。義理チョコであるはずがない。まだ若いので賄賂と本命チョコはコッソリ渡すものだという日本古来の伝統をしらないらしい。
僕は初めてチョコレートをもらった半世紀前のことを思い出した。
昼休みが終わろうとする頃「吉田君、先生国語準備室で呼んでるよ」とKに言われた。僕はなんだろうと思いながらだるそうに席を立った。廊下の角を曲がったところにKがいた。「先生が呼んでいると言うのは嘘。はい、これ」といって包みを渡された。僕が唖然としているうちにKは何も言わずに階段を走り下りて行った。
Kの髪の香りが微かに残っていた。
バレンタインデーという風習があるのだと後から知った。

バレンタインデーの日,学生のライブもあったので今年は4個頂いた。
4個の義理チョコ。
夜霧、4義理よ今夜もありがとう♪歌「石原裕次郎」

建国記念日

最近祝日に国旗を立てる家は少なくなってきた。店に行く間に一軒だけ建国記念日に国旗を立てていた。ヤクザの事務所である。でもすべての祝日に国旗を立てている訳ではない。「子供の日」とか「敬老に日」に旗はない。組のイメージが損なわれるからだ。では組員の考える国家とはどの種の国家であるのか問うてみたい。
1領土
2国家体制
3国民の命と生活環境
今の政権でも「国」という言葉がこの三種類の形の中を都合のいい方に自在に行き来して国民を困惑させている。
やくざはメンツを大事にする。組長を頂点とする組織2のイメージを守るため組員の3は保証されない。でも時に抗争が長引くと手打と称して「シマ」1を分け合う。
「愛国」というと戦前の国体を保持するという古いバージョンに結び付き、国民一人一人を大事にする戦後民主主義をだいじにする「愛国」を生み出し辛くなっている。

ロミオとジュリエット

最近気になる高校生のカップルがいる。気が付いたのは去年の夏ぐらいからだ。僕が店に行く6時前後近くの公園でおでこを突き合わせて手を握り合いながら話してる制服姿の二人がいる。僕が前を通っても腹一杯インパラの肉を食べたつがいのライオンのように動じない。その二人がこの水道も凍結する時期に地下鉄の出入り口付近の事が多いのだが、しっかり手を握り合い女の子は男の子の胸におでこをくっ付け、男の子はその頭の上に自分の頭を重ねて多分数時間ずっと話をしている。人通りが多くても気にしている様子は全くない。完全に二人の世界に入っている。一日二度会うこともある。スーパーに行くとスーパーの前にいる。コンビニに行くとコンビニの前に移動している。ポーズは一緒だ。トレンディードラマに出てくるポーズなのかもしれないが僕は知らない。横を通り過ぎるとき話がチラッと聞こえた。学校であったことを話していた。
「ロミオ。鎌倉幕府が成立したのは昔は1192年だったんだって」
「ジュリエット、日本史とってるんだ。僕は世界史だからその辺は詳しくないんだ」
「パパが言っていた。いい国作ろう鎌倉幕府って語呂合わせで覚えたんだって」
「そうなんだ」
「でも源頼朝は知っているでしょう」
「ジンギスカンのチェーン店作った人のお兄さんでしょ」
「そうそう、ロミオ詳しいんじゃん、頼朝公は江戸時代には庶民の間では人気があったんだって知ってた?」
「そうなんだ」
「今でいう、サーカス小屋みたいなところで頼朝公のしゃれこうべを見せる小屋があったんだって」
「そうなんだ、なんで」
「頼朝公はたいそう頭の大きい方だったんでそのしゃれこうべを見せる小屋が出ていたんだって。
でも、江戸の町民の間で噂ほど大きくないので浅草のご隠居が口上をしている人にきいたんだって。『頼朝公はたいそう頭の大きいお方だと聞きましたがこのしゃれこうべは小さいね』」
「さもあり何、頼朝公のご幼少のしゃれこうべにございまする」といったんだって」
「そうなんだ」
みたいな話をしているのだろう。
多分二人は初恋だ。恋に破れたこと経験しているの二人はああいう手の握り方はしない。
対立する山口組と神戸山口組のご子息なのだろう。
逢引きは恥じらいをもってツタの絡まるチャペルの裏でやってほしい。その方が燃えるよ。

仏のfaceもthree time

店に入る前に近くのコンビニでタバコとコーヒーを買う。毎日同じ時間に同じものを買うので面が割れてきてレジに来る前に品物を持ってくる子もいる。コンビニなので応対がシスティマテイックなのは仕方ない事だがそこの店舗の従業員の人は血が通っていてダッチワイフの様な冷たさはない。僕と天気の話をする学生ではないバイトの人は新しく入った子に「こちらのお客さんはタバコはマイルド7のソフトなので覚えておいてね」と説明していた。又タバコを止めづらくなった。買い物がタバコとコーヒーで良かったとも思った。袋とじのあるエロ週刊誌とこんにやくを買うことで覚えられたら恥かしい。昨日又コーヒーサーバーがおかしかった。雨漏りのように変なところからコーヒーがぽたぽた落ちてきて紙コップに入らない。店の人を呼ぶことになる。レジの子は皆忙しいので店長が呼ばれる。店長も三度目ともなると僕の顔を覚えている。またあのお客さんだ、でもあの人はやくざには見えないが、さすがに二週間で3回同じことがあると怒るかもしれないという表情で奥の事務所から出てきた。「申し訳ありません。先程までちゃんと動いていたのですが」と丁寧に詫びを入れた。僕もいも美を飲む前は大人なので「人を見るのですかね」と言ったら店長は「人を見るのなら、ちゃんと出さないとだめですよね」とおっしゃった。勿論意味はわかる。僕はどちらかと言うといい人に分類されているという事だ。でも「出さないとだめですよね」というセリフはコーヒーサーバーに言う事なのかと?マークが浮かんだ。

bird song

何もない日曜日。正確に言うとやることは山ほどあるが何もしないと決めた日曜日。多少気温も緩んで何より日が照って気持ちが良い。近くに雑木林があって天気も良いので小山で子供たちがそり遊びをしている。空気が乾いているせいか子供たちの声も明るく聞こえる。それに交じってキィキィという鳥の鳴き声が聞こえた。渡辺貞夫がソプラニーノでパストラルを吹くときの音域だ。目を凝らすと色合いが燕で大きさがインコくらいの鳥がせわしなく小枝の間を飛び交っていた。名前はわからない。仮の名を燕もどきにしておく。その燕もどきのさえずりは聴くに値する歌であった。その雑木林の一丁北側に今は営業していない病院がある。いつもカーテンが引かれていて人の気配がない。ただ大型犬の鳴き声が聞こえるので人は住んでいるのだと思う。金網で囲われた庭には夏の間は中が窺い知れぬほど木立が鬱蒼としていて鳥たちのたまり場になっている。今日も冬だというのに雀が何十羽も来ていた。あんなにいっぱいの雀はそこでしか見られない。でもさすがに賑やかであった。大阪のおばちゃんの団体旅行かコルトレーンのアセンションとオーネットのフリージャズを一緒にかけたような賑やかさだった。
ついでなので落語のまくらに出てくる「雀の捕り方」を紹介しておく。味りんに浸した米粒を撒いておく。雀はコメを食べているうちに酔って眠くなってくる。その頃を見計らって落花生を撒く。すると雀は良い所に枕が来たといって熟睡してしまう。そこに網を掛けて一網打尽にするのが良いらしい。似た方法で子供の頃雀を捕まえて飼おうとしたが鳥かごの中を気が狂ったように飛び回りあっという間に死んでしまった。
そう云えば店の近くに巣があるカモメの声を最近聞いていない。出稼ぎに行っているのであろうか。鳥たちも冬場は大変そうだ。ジャズの店のマスターとどちららが大変なのだろうか。

八百屋

店の近くに昔ながらの八百屋ができて一年ほどになる。市場にあって従業員の人が元気よく「いらっしゃいませ」と声をかけてくれるあのタイプの店である。値段も安い。そして時々目玉商品なのであろうが腰を抜かすぐらい安い商品が出る。小葱五束100円だったり、トマト一箱500円だったりする。学生のライブがあると打ち上げ用に取り敢えず目玉商品を買いだめする。メニューは後で考える。「マスター。今日はなす料理づくしですか」と聞かれたことがあった。「そうだよ、美味しいなすが出ていたから」「ありがとうございます」ということになる。僕は絹のストッキングを穿いた有閑マダムの脚を舐めるニシキヘビのように舌をぺろぺろだし「しめしめ」と思った。レジの女の子も実に感じがいい。子供連れのお客だと飴だったりミカンの様なプレゼントをくれる。
ある日、子供がお使いでメモを見ながら野菜を買っていた。頭の中に何かが点滅した。僕はその子をしばらく見ていた。するとその子は半世紀前の僕になった。そうだ、よく市場にお使いに行っていたのだ。当時は冷蔵庫などなかった時代なので、毎日買い物に行かなくてはならなかったのだ。市場に行って色々な品物を見るのが好きだった。そしていたるところから「秋刀魚安いよ」「トマト一山、一個おまけするよ」と声が飛び交っていて活気があった。今考えるとあの時代の活気そのものだった。子供がお使いに行くと八百屋でも魚屋でも少しおまけしてくれた。八百屋、名前を思い出した、中村青果店だ。そこのお兄さんはいつも大きな番号のついた野球帽を被っていて僕が行くといつも「偉いね」といって季節の果物をくれた。
「お客様どうぞ」レジが僕の番になっていた。その子は飴をもらって帰っていった。
「私も飴もらっていいですか」レジの子は怪訝顔もせず「どうぞ」といって棒のついた不二家のペロペロキャンディーをくれた。舐めながら店に戻ったが50年前の味がした。

故障したストーブ

厳寒の週末、母親から電話があった。ストーブが急につかなくなったという。母親は米寿で店から車で15分くらいのところで一人暮らしをしている。よりによってこの冬一番の寒さ。簡単に直る故障かもしれないがライブの始まる一時間前なので僕が行っている暇がない。二日間泊まれる準備をしてすぐ店に来るように言った。なかなか来ない。足も悪いので途中で転んでいるのではと心配になる。店に来たのはライブの開始時間。出演者と常連のKにフリーのお客さんが来た時のお願いをして母親を僕の自宅まで送っていった。電気やら、水道やらストーブの説明をし簡単な食事を食べさせて店に戻った。そういう時に限って初めてのお客さんが来る。ボックスの端で酒も飲んでいる。Kが出してくれたらしい。盛が多かったがそこまでは言うまい。
翌朝昼近く起きると当たり前だが母親はもう起きている。食事の支度にとりかかった。僕は普段でも食事はちゃんと作る。コンビニ弁当やらカップ麺の類はほとんど食べない。母親が居るからといって特に御馳走を作ったわけではない。ただ母親が家では絶対しない揚げ物を一品出した。そのウドの天麩羅を「おいしいね」と言ってご飯をお替りした。食事をしながら昔話をする。何度も聞いた話だが、僕は「そう、そう」と言って聞いていた。三泊したのでそんな食事を六食作った。薬のせいか食欲がないと言っていたが作ったものは全部食べてくれた。月曜日ストーブの修理の段取りも終わり帰るとき母親は「仕事の邪魔をしたね。美味しかったし、楽しかったよ」と言って
頭をちょこんと下げた。
「また、おいで」
「そうだね」
迎えのタクシーが来た。母親は杖をつきながら雪の階段をゆっくり、ゆっくり降りて行った。

つまらない話

面白い話というのはそんなに頻繁に聞けるものではない。確率は素晴らしいライブに出会う確率と同じくらいかもしれない。ここで言う面白い話というのは志ん生の落語みたいにネタになったものだけを意味しない。何人かで話をしていて自分とは違う考えでなるほどと唸らされたり、新しい視点を提示されたりす時は今日は面白い話が聴けたなあと思う。会話がスイングしていくのが分かる。逆につまらない話というのは一方的な蘊蓄の垂れ流しだったりする。あるいは知的レベルが届かないと「君、君わかるように説明してくれんかね」と言い出し会話の流れをジュラ紀まで戻し恐竜のように吠え続けるのを聞かされるとき。その場の思い付きで何の思慮もない意見を他の人が話しているときにぶち込んで来られるとき。ロリンズが4バースで自分の番まで待ちきれずに人のソロに割り込んでくる時がある。まあ、ロリンズなら許そう。つまらないソロをぶち込まれると「ああ、また振り出しだ」と思ってしまう。「俺の話を聞け」というタイプに限って話がつまらない。そういう人は人の話も聞かない。僕の経験で言うとそういう人は音楽もちゃんと聞けていない。聞こえているだけである。

初笑い

出来るだけ酉年にかけて
(1)
古今亭志ん生の落語に「弥次郎」というネタがある。法螺話の連続で息をつかせない。
「北海道じゃカモを捕るのに鉄砲はいらないそうだな。」
「どうやるんだい」
「鎌があればいいそうだぜ」
「嘘いえ。できっこないぜ」
「何せ北海道はさむいところだ。湖のそばで鴨が降りてくるのを待つ。足が着くや否や湖が凍ってしまう。鴨は動けなくなっえしまう。そこを見計らって鎌で刈るっていう寸法だ」
「それは簡単だな」
「だから鴨猟が終わると湖面に何本ものカモの足が残っているらしいぜ。それが春になるっていうとそこからまた鴨が生えてくる」
(2)
亡くなった父親は農家の出で僕が子供の頃鶏を絞めた話を聞かされた。
「鶏は卵を提供してくれる大事な生き物だ。だが寿命がある。食べてあげるんだ。首を刎ねて地面に置くとコケコッコーと鳴きながら走り回るんだ」
子供ながら鳴きながら走るのは嘘だろうと分かったがコケコッコーと鳴くのは雄で卵は産まないという事までかけているのに気が付くまで随分かかった。
(3)
年末地下鉄で大阪生まれらしいおばちゃんが紅白歌合戦の話をしていた。
「知らんけど、ことしのトリは嵐らしいな」
「ちやう、ちやう、来年の干支がトリや」
「じゃ、トリの前はなんや」
「嵐の前の静けさ・・・いうやろ、工藤静香あたりやないんか、しらんけど」
(4)
あまり親子どんぶりは食べない。子供の頃ダスティ・ホフマンの主演映画「卒業」が好きであった。訳知りの顔の奴がああいうのを「親子どんぶり」というんだという解説を聞いたからなのかもしれない。

2017年新年のご挨拶

昨年は所属事務所の問題からグループ解散という結論に至り、また覚せい剤使用という過ちを犯し、盛り土問題を報告を怠るという数々のご迷惑をおかけしたことをこの場をお借りしてまずお詫びいたします。それにもかかわらず所属事務所であるlazy birdも何とか持ちこたえ、私自身も生き延びることができました。支えてくださった皆々様に御礼申し上げます。今年の抱負は何かとお尋ねになるかもしれない。私の答えは昨年と同じだ。
「何とか持ちこたえて、生き延びること」ここ数年、これしかない。幸い体も階段から転げ落ちた時の足の痛みだけでここ20年パブロンゴールドで直る程度の風邪しかひかない。これは、イエス様か、お釈迦様かわからないがも少し長生きして誰かのために働きなさいという事の為に授けてくれたギフトだろうと思っている。私の歳で誰かの役に立てれるという実感は精神衛生上かなりのポイントだ。いいライブを増やしたいと思うと必ずジレンマに陥るので愛情をもって聴けるライブか、どうだ、これで文句あるかというライブを増やしたい。

2016.12.23-24  LUNA  Christmas-Live

LUNA(vo)小山彰太(ds)、23日田中朋子(p)、24日南山雅樹(p)
 この日札幌は半世紀ぶりとなる大雪に見舞われ交通網は大混乱となってしまった。主役二人が来られないとすると、ピアノとドラムスのDUOか奇襲攻撃用トラ・トラ・トラ部隊導入で繕うかの何れかしかない。不安気に会場口にたどり着くと、本日のライブ案内に“欠航により米木参加出来ず”の張り紙。LUNAだけが着いているとしたらは妙なことだ。彼女はこの2日間のために来ると聞いていたが、数日前から周辺で小遣い稼ぎしていたのではないか?しかし、この容疑はあっという間に晴れていった。前日のうちに陸路列車を乗り継いで、鍵の効き目も不確かな函館は場末の宿で一泊、やっとの思いで札幌入りしたとのことだ。歌を聴く前から聞くも涙の物語があったのだ。苦節8年、レイジーバードのファースト・レディーに躍り出るや、今年4度目のライブに賭けた女の情念こそLUNAから枕もとに差し出された贈り物であった。筆者はこの贈り物を“マルコポーロの紅茶”と呼んでみたくなった。理由は分からない。
年の瀬模様を散りばめた今回の選曲は「アメイジング・グレイス~マイ・フェイバリット・シングス」、「ラブ・フォー・セイル」、「ルビー・マイ・ディア」、「リメンバー」(注:寒い冬に元彼とバッタリ、今夜どう?に躊躇する心理を描いたオリジナル・サスペンス)、「ブルー・クリスマス」、「ハンド・イン・ハンド」、「ユウー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング」、「アビス」、「トゥ・フォー・ザ・ロード」、「ア・チャイルド・イズ・ボーン」、「アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト」、「ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ」、「ヒアズ・トゥ・ライフ」、「プレリュード・トゥ・ア・キス」、「ブリジス」、「淋しい女」、「ハレルヤ」「(カッチーニの)アヴェ・マリア」、「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」。そして、両日とも「諸行無常」の響きあり。曲数が多いこともあって個々に触れる力量がない。いまや、「LUNAのライブはいつも楽しい」が定着している。強引にまとめると、熱い歌と熱い客、“水割りの氷がいつもより早く溶けるのだの法則”が的中したライブだった。今回はあわやホワイトアウト・クリスマスになりかけたところだったが、LUNA奮闘記によって、無事、今年の暮を済ますライブとなった。暮れ済ますライブ、Christmas-Live。Wow!
たまにはレイジーバードの宣伝をしよう、3月10日頃LUNA再上陸が決定。何でも「大暴れスプリング・ライブ」という噂だ。「Live for sale」、仮予約殺到、残りわずか20数席。
(M・Flanagan)

日ロ問題 part2

北海道が大雪で交通が麻痺した日、ロシアでは年末のプーチンの記者会見があった。全世界から記者が1400人、会見時間は4時間。質問内容には日本に関することと北方領土問題に関する事は一切なかったという小さな記事が道新にでていた。これは全世界が北方領土領土に関しては聞くまでもないと思っているいう事の証明だ。それを安倍首相は元島民の手紙をプーチンが読んでくれたと情に訴えて偉大な一歩だと嘯く。福島では今も汚染水が海に垂れ流されているのに完全にコントールされていると発言したのと同様だ。

廃線

北海道の赤字路線が廃線も視野に検討されていたところ鵡川と様似間の廃止が伝達された。復旧に年間13億の負担が自治体に求められる。自治体にはそんな余裕がないから廃線やむなしかという事になる。日高線に限らず赤字路線を切り捨てていけば鉄路は北海道には残らなくなる。ここで根本的な疑問が残る。鉄道は営利事業であっていいのかということだ。憲法二五条の「健康で文化的な最低限度生活を営む権利」に交通手段確保という事は入ってこないのか。国の義務に国民間の平等を守るということがあるはずだ。僕は札幌という大都市に住んでいるので交通の不便さはあまり感じることはないが遠隔地の不便さを補償する義務が国にあるのではないか。今北方領土が話題になっている。相当額の投資がロシアとの関係性の中で行われることになるはずだ。まだ北海道になる前の北方領土にだ。その前に北海道も国土だという事を思い出してほしい。旧国鉄が分割民営化された時にこういうシナリオは見えていたはずなのにそういう政権を選んでしまった。

日ロ問題

序章
ある知識人が日中関係について新聞か雑誌に論説文を書いていた。それがよく当たるという事で外務省の高官が中国にどういうコネクションが有って情報源が何なのかを尋ねに来たという。その U氏は毎日新聞ですと言ったらその公務員はすごすごと帰ったという。大きな流れは毎日新聞だろうが朝日新聞、道新、赤旗であろうが読み解けるという。これは大本営発表の記事を掲載してしているだけではないという時代であることだけは前提としている。そういうことができるのだと思った。取りあえず新聞を隅から隅まで読んでみようと思った。今までは見出しだけざっと読みあとは興味ある記事だけ読んである程度たまったらゴミ袋と交換していた。新聞もまじめに読むと結構時間がかかる。職業がら二日酔いのこともある。そういう時は活字など読みたくはない。そうこうしているうちに半年分の新聞がたまってしまった。これを読み切るまでは新刊の本は買わないと軽く心に誓ったが、やはり本の誘惑には勝てず,特高の目をかいくぐり定休日様に数冊の本を買う。日曜日に清原から譲ってもらったシャブを静脈にうち徹夜で読みふける。読み終わると明日からまた新聞を読む生活だとやる気のないサラリーマンのようにため息が出た。ところが現在の状況が分かった上で過去の新聞を読むと微妙な状況が見えてきたりする。まとめて読むと論調が変わってきたりすることにも気が付いたりする。面白い。そうこうしているうちのたまっている新聞が12月8日なくなった。尚且つ10日は資源回収車が来る日だ。ゴミ袋は足りている。ポケットティッシュを貰おう。新聞を読むだけで世界情勢がわかるかを試す時が来た。
予想
安倍首相にしても秋田犬をプレゼントするだけで二島が戻ってくるとは思っていないだろうが経済協力を対話の糸口としてことさら強調するだろうとは思っていた。たいしてプーチンは棚からの牡丹餅はありがたくいただくだろうが領土問題の話になれば安全保障の話しを出しやんわり断るだろうと思っていた。共同記者会見を聞いていた。産経新聞社の記者が領土問題の質問をした所、急に気色ばんでぴしゃりと抑えつけたように聞こえた。ロシア人二人の記者のプーチンへの質問は一人は「シリア問題」でもう一人は温泉と好きな日本食に関する事であった。ああー、相手にされていないと思った。
終章
「ラインの仮橋」というフランス映画がある。その地域は戦争のたびごとにフランスになったりドイツになったりする。逆から考えると領土問題解決の一番手っ取り早い方法は戦争ということになる。ロシアはそういうことを知っている。実際バルト三国の圧力をかけクリミアには軍隊を派遣する国である。そういうやり手のママに貢いだところで
チラッと胸ぐらいは触らせてくれるだろうが絶対に部屋には入れてくれない。「今日は、ダメな日なの、わかるでしょう。もう少し待ってね。」とじらされるだけだ。旧島民の方の平均年齢はは80歳を超えている。問題は10年、20年で片が付くとは思われない。当事者が少なくなれば戦争の記憶と一緒で領土問題も風化していく。残るのは経済協力という名目の中で伸びた経済指標だけという事になりはしないだろうか。経済がまわればどうとでもなると思っている人ですから、安倍さんは。

スピーチ

ラジオでスピーチに関する特集をやっていた。リスナーからいろいろな体験談が届く。結婚式の来賓の乾杯の前の長いスピーチでグラスを持つ手がだるくなった経験は皆あるだろうと思う。20分、30分と長さだけコルトレーン並で中身はヤマハ音楽教室風書き譜丸暗記だったりする。これは一か所詰まると頭真っ白になるなるパターンだ。僕も一度だけ見かけたことがあるが途中でフレーズを忘れてしなったのだろう。しどろもどろで話がおわってしまった。ところが席に戻ったら思い出したのだろう、次の人が話をしているのにマイクを奪って「これだけはしべらせてください」と言ってサビの一番いいフレーズを話し出した。その方は宝石会社の社長で「君たちはまだ磨かれていない原石ですが二人で磨きあってダイヤのような家庭を作ってください」という内容であった。まばらな拍手が起きた。余りに唐突な行動であったので30年も前のことなのに覚えている。僕もパーティの司会やら結婚式の祝辞、葬儀の弔辞、宣戦布告、スーパーの呼び込み等一通りやらせてもらったが何となくコツらしきものが分かってきた。いい話にしようとしないことだ。先日lazyに来ていた池田篤がよく言っていたが「xxxxは上手く見せ様としています」これがなかなか難しい。禿のかつら、ブスの厚化粧のごとし。
話を戻す。この放送の中でボブ・ディランのノーベル賞受賞のスピーチに触れていた。ディランは自分の作品をシェークスピアにたとえて話していた。文豪とは正反対の人としてとらえている。シェークスピアは自分の作品を文学と考えたことはないだろう。舞台で上演されることを前提にそこに関わる人を意識していたに違いない。ディランも自分の作品も文学と考えたことはなく受賞の話を聞いたとき戸惑ってしまったという。長年の生活感からの積み上げが作品に投影されているに過ぎない。かっこいい!

北大が危ない

予算が5年間で5億削られると新聞で読んだ。これは新規教員を雇わず自然減に任すと同時に非常勤講師の首切りが行われ成果を上げる分野に予算を重点配分するという事を意味する。防衛省の研究予算も獲得した。企業との共同研究の記事もよく目にする。北大は全国でも一二を争うキャンバス面積を有する。それを有効利用しようという話が持ち上がり果てはファイターズドームを敷地内に建設する案まで浮上している。バカも休み休みにしてほしい。あの広々としたキャンパスが学生の志に影響しないはずがない。大体教育に効率を持ち込むのは筋違いだ。例えば一単位とるのに半分講義に出るのと全く出ないでとるのとでは後者の方が効率的だという話になり目先の実利に鼻が利く学生を再生生産するに過ぎなくなる。僕はjazz研の学生を通して10年ほど定点観察をしているが極端な効率主義に流れていないので救われる。この問題は北大に限ったことではないと思うが取り敢えず身近な学校なので気になる。これは政府のグローバル主義という名の金持ちがより金持ちになるしくみを学生のうちから植え付けるのに寄与している。ある程度経済成長して人口が減少する国はGDPは伸び悩むのが当たり前で経済成長率という幻想に重みを置くのはやめてもらいたい。昔売れていた女優が何度も整形をして若作りをしているようで見苦しい。美しく年を重ねる吉永小百合を見習ってほしい。

2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」

2016.12.2-3 「IT‘S YOU.池田篤」
池田篤(sax)若井俊也(b)本山禎朗(p)伊藤宏樹(ds)
 一旦雪が解けたとはいえ冷気に震える札幌。ところが、僅かドア1枚を隔てた池田2Daysの空間は、灯油ストーブですら嗚咽する熱気を提供してくれたのだった。池田は年2回のペースで来演しているが、近年は毎回が全盛期の様相を呈している。周知のとおり、その突出した技量から若くして我が国のジャズ・シーンに登場した池田だが、今や天賦の才を絶やすことなく、そして人間池田篤としての音楽に到達していると言ってよい。演奏家の最難関とされる“自分の音を出せること”、その領域に踏み込んだ者は、最早、新たに付け加えるものを必要としていないのだろう。演奏しているその姿から、長年かけて引き寄せた“まだ見ぬ音”との格闘のドラマを眺め返しながら、現在を出し切っているように感ずるのだ。
 相当前のことになるが、池田がリー・コニッツを好んでいることを直接聞いたことがある。
今回のMCでそれは思っていた以上のことだと知った。池田がNYにいたころ(多分‘90年頃と推測する)、住まいが近く道ですれ違うこともあったらしいが、鬼才に中々声を掛けるに至らなかったという。大きく時を経て2年ほど前、東京で対話する機会に恵まれたそうだ。その終わりに記念写真を申し入れたところ、“今日は疲れている”とのことで惜しくも実現しなかったらしい。そのコニッツに“It’s you.”という曲があり、彼からそう言われたと仮定して作った曲が「Is it me?」だそうである。出だしから完全にコニッツ風の曲想に笑みがこぼれるが、演奏は“音追求の鬼“と言われるコニッツ然としたものであった。
池田は、毎年、琉球最南端の島に家族旅行するとのことだ。今年持ち帰った愛称“まきちゃん”という貝に捧げた「巻き貝」という曲、ほのぼのしつつも音の芯が見え隠れする。そして池田の最重要曲「フレイム・オブ・ピース」、毎回演奏してくれるので冷静に比較したいが、いつも今回が一番感動的という結果になる。熟して止まないということだろう。両日とも闘病中の辛島さんの回復を願う「スパイシー・アイランド」が演奏された。心の師への思いが乗り移った異様な完成度が胸を打つ。最後の最後に長尺のアルト独奏があり「インプレッションズ」に突入した。コルトレーンのファンには申し訳ないが、池田の演奏の方が筆者のフェイバリットだ。共演者について書き添えると、別ルートで合流したベースの若井は伝統の上に新しい個性を乗っけていて、相変わらず可能性満点だ。地元選出の2人も力を引き出されて全力で格闘している様は立派なものであった。その他の演奏曲は、「デルージ」、「ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」、「セントラル・パーク・ウエスト」、「Yes or No」、「フォーリャス・セーカス」など。当然の帰結で締めておこう。一択問題「Is it me?」のアンサーは、勿論“It’s you.池田篤”だ。
 かつてススキノにあったライブ・ハウスでリー・コニッツのライブを聴いたことがある。その時、幸運にも筆者はツーショットを得ることができた。今も大切な一枚だが、流石にそれを池田には伝えられなかった。 
(M・Flanagan)

ブラック企業

今長時間の残業による過労死が問題になっている。40数年前新卒で入った時のことを思い出した。研修が終わって札幌に戻って来ると「死のロード」が始まった。残業時間が月200時間を超えることが半年間続く。勿論休みなど一切ない。三日に一度着替えを取りに自宅に戻る程度で会社に寝泊まりする。仮眠するといってもベッドがあるわけでなく応接用のソファーを早い者勝ちで奪い合う。それにあぶれるとリノリュウムの床にカーペットの切れ端を敷いてホームレスのように横になる。ああ、畳の上で寝たいと真剣に思った。酒には寛容な会社で女子社員が帰ると取り敢えず今日も頑張ろうとビールで乾杯になる。僕は経理でコンピュータが帳票類を打ち出すまで時々数時間手が空いたりする。仮眠とってもいいと許可が出たりする。倉庫に行くと見本商品の羽毛布団があった。背に腹は代えられぬ。商品のうえで寝た。今でもあの快眠感は覚えている。朝方遠くに「おーい。吉田」と呼ぶ上司の声が聞こえた。一人当たりの売上高業界一とかいう触れ込みであったが今考えると人使いが荒い会社だったというだけなのだが当時は何か自分たちが有能であるかのように錯覚していた。勿論それが会社の戦略なのだが。そんな生活が続いても上司にも会社にも恨みはなかった。新規事業を立ち上げるということはそういうことだと思っていたし、いずれトンネルは抜けることは想像できたので耐えられた。そうは言ってもたまに家に帰ってもコルトレーンを聴く心の余裕はなくピンクキャバレーで憂さを晴らすのが関の山だった。ネットで書き込みがされているように今の若いもんは二桁の残業時間にも耐えられんのかという事を言いたいのではない。企業組織というものは程度の差はあれそういうものだと思って付き合ったほうが良い。それでも辛いなら相性が悪いという事なので辞めた方が得策だ。僕は適当な性格なので・・・・・(今はそう思っているが当時はまだ組織の抑制力があったので自分はまじめだと思っていた)なんとかもった。人使いも荒いし最後は会社更生法適用も受けた会社の金繰りもやったので今の儲からないライブハウスを何とかやるのにも妙に役に立っている。

2016.10.6-7 大口純一郎ミッション・インビジブル

大口純一郎(p)米木康志(b)本田珠也(b)
今回のライブは、大口の最新アルバム・リリース全国ツアーの最後にあたるので、トリオも客も気合十分という好条件だ。そんな中で初めっからちょっとした驚きに出くわした。プロが三者ドンピシャのタイミングで入るというのは普通のことの筈だが、1曲目、W・ショーターの作品「サミット」での入りの瞬間、ドンピシャのタイミングにもレベルの違いがあることに気付づかされたのだ。“ああ、こう言うことなんだ”と呟いていた。これは正規軍トリオの力量を余すことなく見せつけるものであって、この一瞬が2日間を支配していたと言って過言ではなかった。その後は、安心してスリルの連続に乗っかればよかったのである。市井の人間関係は時とともに質的緩慢の日々に埋もれるものだが、このトリオは劣化の逆側で勝負していることが直に伝わってくる。
演奏曲は「インビテーション」、「アイ・ウントゥ・トーク・アバウト・ユー」、「ゼア・ウイル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」、「タイム・リメンバードゥ」、「レッツ・コール・ジス」、「イマジン(イメージ)」、「ニンニクのスープ」(大口)、「ミスター・シングス」、「ラメント」、「モーメント・ノーティス」、「ニュー・ムーン」(大口)、「ベリー・スペシアル」(エリントン)、「マイルス・アヘッド」、「ジョーンズ嬢に会ったかい」、「ラウンド・ミッドナイト」など。
“インビジブル(Invisible)“とは大口トリオの新作アルバムである。そこには、『見えざる世界(Invisible)との対話。美しい「暗号」に満ちたジャズの新たな道標ここにあり・・・』と評者によって書き添えられているが、筆者にとっても、この“インビジブル(Invisible)“とは音という振動を耳から心に届ける使命(ミッション)を託された使節団の演奏を意味する。化粧の上手さで見える世界を渡り歩く夫人を”美人ぶる“と云うが、これとは大違いである。兎にも角にも、わが国最高峰のライブであったことは疑いようがない。
大口トリオの前後に触れておく。前の日(10/5)は、田中朋子スペシアル・カルテット(田中、岡本、米木、本田)のライブが催された。演奏曲は「ベイジャ・フロー」、「ジャックと豆の木」、「デイ・ドリーム」、「ハッケン・サック」、「ウイッチ・クラフト」、「ヴェガ」、「カレイドスコープ」、「レクイエム」。とりわけ、岡本の停電何するものぞのスリリングな演奏が印象的だった。最終目(10/8)は、大口・米木に高野雅絵によるボーカル・トリオのライブ。曲は「スパルタカス愛のテーマ」、「ジンジ」、「ルビー・マイ・ディア」、「死んだ男の残したものは」、「泣いて笑って」、「ソ・メニー・スターズ」、「マイ・ハート・ビロングス・ダディ」、「カム・トゥギャザー」、「ピース」、「ブリッジス」、「スマイル」。完璧なバックにシンガー自身も酔いしれ、盆と正月の合体のように緊張と満足に包まれていたようであった。密度濃い4日間に疲れと秋の寒さはどこへやら。
(M・Flanagan)

2016.8.19 チコ本田 ソングス・トゥ・ソウル

チコ本田(vo)和泉聡(G)高瀬順(p)米木康志(b) 
レイジー・バードの乱心からか、ここのところボーカルが席巻している。このシリーズの要所々々は押さえて来た積りだが、本日お招きしたチコさんのライブは長年延び延びになっていた経緯もあり、気は早いが今回を以て早くも年内のボーカル締めくくりとなりそうだ。重鎮チコさん故にこちらも重度の構えが必要になる。その上“適当に聴き流すんじゃねぇぞ!”、日本一多忙なドラマーの声が聞こえてきそうで増々圧が高まる。
全体的にロック系やブルース系が採り上げられている曲の布陣であったが、どれもがチコさんの圧倒的パフォーマンスに釘付けにされるものであった。中でもCCR(クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル)の「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」、G線上のアリアを素材にしたプロコル・ハルムの「青い影」、J・ザビヌルの「マーシー・オン・ミー(マーシー・マーシー・マーシー)」はチコさんの今日を余すことなく伝えるものといってよいものだ。古めの曲が引き出す郷愁すら出る幕を失っていた。そして、急きょ予定にない選曲となったのが「Purple rain」。「パープル・レイン~パープル・レイン・・・」の連呼は異様に胸に突き刺さり、プリンセス・チコさんのこの瞬間は私達の永遠になると確信する。このほかスタンダードの「フールズ・ラッシュ・イン」、ベッシー・スミスで有名な「ノーバディ・ノウズ・ホエン・ユア・ダウン・アンド・アウト」、まばゆい「サニー」、“浅川マキ”バージョンの「イッツ・ナット・ア・スポットライト」、シャンソン歌手ジルベール・ベコーの「レット・イット・ビー・ミー」、ゴスペルの「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」、本田竹広さん晩年の作品で小室等氏が詞をつけた「Save・our・soul」。アンコールはてんやわんやに「ブン・ブン・ブン」。筆者はこの感動に言葉は追い付けないと諦めた。言い逃れのために、サイドメンに関して逸話を添える。ピアノの高瀬はチコさんとの共演で初めてジャズの世界に足を踏み入れたということだ。因みに小学生の2年間ほど札幌に在住していたとのこと。ギターの和泉、イフェクターを駆使して大技・小技を縦横無尽に繰り広げたが、絶えず歌っているのには参った。因みに彼はあの臼庭潤が率いたJAZZ-ROOTSのメンバーで、その時はまだ二十歳くらいの頃だったという。米木さんによれば、元々チコさんとの共演が縁で本田さんと出会ったということである。“みんな逆だと思ってるんだよね”と突け加えて頂いた。因みに長年米木さんと仕事を続けている我が国のトップ・ボーカリストで7月にLBでライブを行ったあの人が、チコさんの歌には感動を禁じ得ないと漏らしていたらしいのだ。
永遠の1曲をテーマにした「ソング・トゥ・ソウル」というTV番組がある。ハートに秘められた声帯から滲み出すチコさんの歌は時に嗚咽のようであり時に優しい。今日出会った全ての曲を『ソングス・トゥ・ソウル』と言わせていただく。
(M・Flanagan)

2016.9.2  帰って来たからうれしいわ

LUNA(vo)菅原昇司(tb)板谷大(p)柳真也(b)
 今年のLUNAは3月、7月と北上しながら、その後関東地方と東海地方あたりで無断外泊を繰り返していたらしく、音信が怪しくなったところではあったが、このたび3度目の帰宅を果たしたことはうれしい限りだ。本日は編成に管が入っているのが里帰りの土産だ。
順を追って曲を紹介する。B・エバンスの「ベリー・アーリー」、難曲を端正にそして熱く語りかけられて冒頭からしびれる薬を呑まされた感じだ。エリントン・ナンバーから2曲。多分、喪失感が主題と思われる「チェルシー・ブリッジ」、スキャットのみで陰影を出し切った。失恋の痛手で出歩く気にもなれない心境を歌った「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア」。異常気象がもたらす春らしくない春、夏らしくない夏、私の季節感をどうしてくれるのよとぶちまけるLUNA作「アイ・ドント・ノー・ホワット・トゥ・ドゥ」。地球が平であると信ずる某○○団体への皮肉「ディア・フラット・アーサー」。日本語はEarthを“地球”と云うので、既に地が平であることを否定しており、中々の人が命名したのだろう。成就しえぬ恋人たち、B・ストレイホンの「スター・クロストゥ・ラバーズ」、ざわめきが沈没する瞬間が訪れた。残酷と享楽と失望が混ざったような武満徹の「他人の顔(ワルツ)」、はかない大正ロマンを彷彿させる旋律。歌詞を色使いする魔術師ユーミンの「挽歌」、ビビッドな雰囲気に転換が図られた。これだけのファン囲まれてもLUNAの自意識はオーネット作「ロンリー・ウーマン」なのだろうか。LUNA手による「コントレイル(ひこうき雲)」、Tbのバルブの伸びと共に雲の糸が加速をつけて彼方に引きずられて行くところが聴きどころだ。生活感のない年齢の恋愛は一時的に最強だが、過ぎさりし日に思いを馳せるのは空しく響くというような内容の歌、曲名が不明につき勝手に名付けてみた。「青春の灰とダイヤモンド」。クルト・ワイル「ロスト・イン・ザ・スターズ」、人は淡い希望と無慈悲な失望に翻弄されるしかないのだろうか。惨禍からの復興を願う「ペシャワール」、一部の人々の中でスタンダードへの道を歩み始めている。今回も涙腺をピンポイント攻撃されてしまった。厳かにアルコで始まる「サイレンス」、ヘイデンは幾つか録音を残しているが、管が入るとリベレーション・ミュージック・オーケストラ風になることが分かる。そのヘイデンとH・ジョーンズによる名作「スピリチュアル」から標題曲、最終曲にしてライブのハイライトをなす大熱唱だ。又しても胸を打つ攻撃を受ける羽目になってしまった。万雷の拍手の中、これなしには外泊どころか帰宅も認める訳にはいかない。そうです「諸行無常」、胸をど突かれる度合いは今回も“not change ”だ。筆者は歌の解説に自信がないので核心を相当外していると思うが、それにしても歌詞というのは希望と逆向きの内容が非常に多い。傷を手当てするプロセスが人生だと言わんばかりだが、歌詞はその人生の趣きを掴み切ることを宿命としている。それゆえに心の世界と対峙するシンガーも歳月とともに深みを加える宿命を負うのだろう。面倒な話はやめた。LUNA!You’d be so nice to come back home to.
(M・Flanagan)

2016.8.19 L列車で行こう

元岡一英(p)橋本信二(g) 
絶妙とか流石とかの形容では何か不足しているように感じた。それを補うため帰り道に少し付け加えた。“今聴き終えたのは、何時か出会いたかった演奏なのだ”と。若い時は前向きに受け入れられなかったかも知れないが、今は質素の極みにある贅沢が尊い。
1stの最初はケニー・バロンの「カリプソ」という曲で、久しぶりに聴いたついでに言うと、付き合いは長くなかったがイイ奴と邂逅したような心地よいメロディーが引き立つ演奏になっていた。2曲目は札幌の宝石こと田中朋子さんの愛奏曲「ウイッチ・クラフト」。全曲通じて言えることだが、両者のバランスが非常に良いので余計なことが気にならない。3曲目は「アイ・リメンバー・エイプリル」。このスタンダードは多くがバド・パウエルに代表される高速演奏だが、このDUOはかなりスロー・テンポで扱っており、旋律はそのままでニュアンスは新たに思い出す四月という感じだ。人生は大体がてんてこ舞い続きだが、ひと山越えてからのテンポは自主判断に任ねられるのだろう。4曲目は「ジャスト・ア・クローサー・ウイズ・ジー」、ゴスペルの曲を聴くと数名の黒人女性がバックから繰り出す高音域の伸びが頭に付き纏うが、同様の症状は他の人にもあるのだろうか?5曲目はSax奏者サム・リバースの「ベアトリアス」、大物(マイルス)との共演歴がある割にはファンに恵まれないといった身近にもいるタイプの人だ。やや切ない曲からこのDUOはタイトなスイング感を引き出していた。2ndはモンク臭溢れる「バルー・ボリバー・バルーズ」で開始。妙なタイトルのこの曲は“ブリリアント・コナーズ”に収められている。2曲目は元岡作「アズ・ア・バード」。ちなみにシンガー・ソングライター中島みゆきに「この空を飛べたら」という曲がある。彼女にとって“私と鳥はもはや一致しえない無念”であり、それへの拘りに思える。元岡の場合は“客観的に鳥を眺めている私の自由度”がモチーフになっている印象だ。3曲目はB・ストレイホンの「デイ・ドリーム」、うっとりのあまり眠ってはいけない。4曲目はC・ブラウンの「ダフード」、バップはいつもかりそめの帰巣本能をくすぐる。5曲目は「トゥー・フォー・ザ・ロード」、この哀感が最後を飾るには未練が残る。とその時、拍手の中で面白い光景が訪れた。ギターの橋本がストラップを外して楽器を仕舞いにかかる様子が窺われ、アンコール無しかと思わせる微妙な雰囲気となった。すると立ち上がっていた元岡が小声で読経のように何か歌い始めている。少し間をおいてから橋本がギターを手に戻してバッキングをし始める。やや声量が上がって「ムーン・ライト・イン・バーモント」だと分かる。元岡は心の様子をなぞりながら呟くように歌っている。ボーカルを生業としている歌唱ではないが、不思議な感動を呼ぶ。何が人を揺さぶるのかの謎は深まるばかりだ。感動を定義できず困っている。
 我々は喧噪や慌ただしさとは縁切り出来ないが、この演奏を聴いていると少しは出来そうな気になって来る。時間に囚われず、酔っ払いに絡まれず、夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、欲を言えば意匠を凝らした質素な演奏を各駅に1曲のゆったりペースで耳を傾ける贅沢を望む。今日のような予期せぬ財宝探しにはLocal列車で行こう。
(M・Flanagan)

2016.7.29 7月のシング・シング・シング 

大野エリ(vo) 石田衛(p)米木康志(b)小山彰太(ds)
7月はシング・シング・シングにつきる。よってメニューの立役者は「ボーカル漬け」である。いずれも糠床が格好よく発酵していて聴き応え十分だった。そしてこの月のライブ循環は大野エリの王道において解決をみた。彼女のそもそものエネルギー源は、ボーカルが別物扱いされることへの不信感を単なる不満に留めることなく、対等な肉声楽器に昇華させようとする自意識の強さだ。それが既に確立されている“私のカタチ”を超えて自らが取りうる可能性を徹底追求しているように感じさせるのだ。言い換えると、彼女に対する最も舌鋒鋭い批評家は彼女自身である。但し、ステージではその苦行難行は見つけることはできない。プロフェッショナルな誇りをもって自らの“楽器”を演奏しているだけなのである。解説を加えすぎるのは宜しくない、今日も素晴らしかったとだけ言っておく。バックのピアニスト石田を初めて聴いて、目立たないところに沢山の仕掛けがあった。“隠し味、自分だけしか、うなずかず”。このつまらない川柳ふうはある評論家の一言をもとに捻った。彼が云うには“作品の良さとは読者が自分にしか分からないだろうと感じさせるものが優れている”。これを信ずるならば、このピアニストはそういう感じをさせてくれていて興味深い。誤解しないでほしいのは、ある曲の途中で石田は一瞬“ラバー・カムバック・トゥ・ミー”のサビを引用したが、それに気付いたかどうかを言っている訳ではなく、自分だけに響いていると思わせるものがあったかどうかを言っているので要注意。それからショータさんのここぞという時の一撃、米木さんの背骨の太さについては付け加えることは何もない。曲は、「ジャスト・イン・タイム」、「リフレクションズ」「コンファメーション」、「マジック・サンバ」、「ブルー・イン・グリーン」、「アイム・オールド・ファッションドゥ」、「ハウ・マイ・ハート・シングス」、「リトル・チャイルド・“クリスティーナ”」、「ジス・キャント・ビー・ラブ」、「カム・アラウンド・ラブ」、「イン・ザ・タイム・オブ・ザ・シルバー・レイン」、「アップル追分」、「ブラックバード~バイ・バイ・ブラックバード」、「アイ・ラブ・ユー・マッドリー」などスタンダードを始めベーシストB・ウイリアムスの曲、エリさんの曲で、殆どエリさんのアルバムからピック・アップされていた。
ボーカルを別物扱いにしている人はまだまだ大勢いいると思われる。筆者自身も例外ではなかった。経験則に従えばシング・シング・シングにある程度リッスンを対応させていれば、いつか貴方は歌にとってのグッドマンになることができる。今回のレポートはここからが重要である。ボーカル・ライブの日は女性のお客さんが多い。ジンジャーかウーロンで人生が変わり得ることに期待を込めてレイジー・バードに足を運ぶことをお勧めする。
(M・Flanagan)

2016.7.22-23 クレイジー・バード/愛と平和と音楽の2日間

LUNA with 一哲Loud three LUNA(vo)竹村一哲(ds)碓井佑治(g)秋田祐二(b)
 これはどう考えても憲法違反な企画である。自らをjazzに縛ることを信条としてきたLBマスターだが、若き日に浴びたロックのDNAが暴発、戒律をその手に掛けてしまったのだ。この深刻な成り行きが本当の話になってしまったのは、共犯の申し入れをLUNAが快諾したことによる。ここには音楽と熱狂の関係を問い直すための明確な意図があるのだろう。
いよいよロック・シンガーLUNAの誕生だ。のっけからツェッペリンの「ホール・ロッタ・ラブ」、「ロイヤル・オルレアン」、「シンス・アイブ・ビーン・ラビン・ユー」、ジミヘンの「ファイアー」、「リトル・ウィング」、ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」。これらのリアルタイム世代としては恥も外聞もあったものではない。ハートに火をつけられ、“イェー”の声が裏返ってもお構いなし。この日だけは行儀の良さにHellow-good-by。次のエアロスミス「ママ・キン」やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのFワード連発「サック・マイ・キス」そして人気曲「バイ・ザ・ウェイ」は、筆者より少しあとの青春の人々のものである。若き日に誰を好んで聴いていたかによってその人にとってのロックはほぼ決定されるように思う。しかし、年齢と時代の出会いは本人には選択できない偶然にすぎず、ビートルズ世代であろうとその後のどの世代であろうとロックと個人の関係に優劣は全くない。ロック的な感受性が繋がっていれば世代という垣根は取り払われてしまう。場内の性別・年齢を問わない一体的興奮がそのよい証拠となっていた。LUNAの言を借りれば、そこにいた一群の女性達を“ロック喜び組”と言うのだそうである。そして再び我が世代がやって来た。3、40年ぶりに聴いたのに咄嗟に思い出すジャニス・ジョップリン「メルセデス・ベンツ」、「ムーブ・オーバー」、更にはツェペリンの古典「ステア・ウェイ・トゥ・ヘブン」、トドメはディランのやるせない「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」。あぁ、過去と現在が日本語の時制のように節操なく行き来する。ロックのボーカルは単に主要パートと言うより武器に近い。メッセージの発信という役割を担ったLUNAの闘争心に歓喜のうるうるは仕方あるまい。
 躊躇なく2日目も聴く。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「アイ・シャル・ビー・リリーストゥ」、先ごろ伝説になったプリンスへの追悼「パープル・レイン」など前日にない曲に再び泣きが入ってしまった。Loud3はと云うと、碓井がオリジナル・フレーズ多用する我らが望み通りの展開に持ち込み、応戦する一哲渾身のドラムスには久々に鼓膜がヘトヘトとなるも、長老秋田のグルーブ感は抜群の効果をあげていた。何時しかLUNAに潜むナチュラルなロック魂がエクスプロージョン、ついにLoud4へと変貌した。その時“サッポロ・シティー・ジャズ”は視界から消えてしまい、店主の願いどおりドラッグにまみれない「愛と平和と音楽の2日間」Woodstockな夜が終了したのだった。もはや憲法違反は撤回され、新たに第北24条として“Love&peaceに対する音楽的罰則については永久にこれを放棄する”が追加された。放心状態のさ中、筆者に宿る家政婦は見ていた。帰り際とらえた最高のロック・シンガーLUNAの目は、『またやるわよ』。
(M・Flanagan)

オージーブーム

昨日ここ2か月で5人目になるオーストラリア人が来店した。ニセコ、倶知安はオーストラリア景気に沸いているがlazyもその恩恵をほんのちょっとだけ頂いてる。だがアベノミクスのトリクルダウンでは断じてない。カナダに帰ったマークがlazyのことを英語で紹介してくれているからだ。僕はいつもウォルシングマチルダを歌って歓迎している。オーストラリアでは国歌より有名な曲だ。このことはオーストラリアに音楽を習いに行ったキム・ハクエイから聞いた。昨日来てくれたジェイムスにオーストライリアで一番有名なjazzミュージシャンはハクエイがjazzを習っていたマイク・ノックだろと聞いたがその人は知らないといわれた。フラメンコギターも好きだということでパコ・デルシアやビンセント・アミーゴの話で盛り上がった。好きなjazzミュージシャンはキース・ジャレットで好きなスタンダードはwaveだという。ライブを終えたwaveを弾ける東区のキース・ジャレットことM山がいたので日豪親善のために1曲弾いてもらった。そう言えば前回新婚旅行で来たオーストラリアのカップルが来た時もM山がいてダラー・ブランドの「ウエディング」弾いてやってくれとお願いしたがレパートリーにないといわれた。2度あることは3度ある。「ウォルシングマチルダ」と「ウエデイング」はレパトリーに入れておいたほうがいい。マークにはあらためて感謝している。お中元にオジービーフのしぐれ煮を送ろうと思っている。