アホ馬鹿博覧会 国民の部

前回に続き安保法案の話である。毎日新聞のアンケートを使わせてもらう。軍備増強に賛成するが反対するを上回っていた。細かい数字は忘れてしまった。次の質問である。財源をどうする。1.増税をする。2.国債で賄う。3.他の支出を削減する。どの項目に対しても賛成者は軍備増強に賛成するパーセンテージを大幅に下回っていたのは覚えている。と言う事は何となく軍備は増強したほうが良いと思うが金を負担するのは嫌だという話である。軍備は増強する必要がある。そのための増税はやむなしと言う事であれば賛成はできないが論理は通っている。軍備は増強すべき。国債で賄う。戦争一歩手前の発想であるがギリギリ論理は通っている。軍備は増強する。そのためには教育費や年金を減らす・・・・賛成はできないが論理は通っている。防衛力の強化と防衛費の増額は必ずしも比例しない。教育費を考えるとわかりやすい。参考書にいくら金をかけても頭は良くならない。自分の事を考えると良く分かる。ウクライナの戦争あるいは北朝鮮からのミサイルで何となく軍備を増強しなければという機運が醸成されている。戦争は外交の失敗の帰結である。仮想敵国を想定して軍備を増強することはその国との外交ルートを細くすることにつながる。例えば中国である。日本にとって輸出入とも最大の相手国である。中国と事を構えると言う事は日本の生命線を断つと言う事に等しい。北朝鮮からミサイルが飛んで来たらどうするという議論が有る。これはアメリカに対するプレゼンで日本を狙ったものではない。ただ例外が存在する。日本がアメリカのお先棒を担ぎ敵基地攻撃能力を行使することになる場合である。その時は日本に雨あられのミサイルが飛んでくることになる。軍備増強を考える際その前提となる状況を考える必要がある。そして購入する装備の必要性を一つ一つ精査する必要がある。トマホークなど60年代の武器である。最新戦闘機が楽々と追い越していくスピードで蠅叩きでも落とせる代物である。安倍晋三元総理が亡くなった2日後米国のブリンケン国務長官が来日したことは大きくは報じられていない。安倍総理、トランプ大統領の間で交わされたアメリカ兵器爆買いの約束を守るように岸田総理に念を押しに来たと言う事だ。まず金額ありきで防衛構想などありはしない。国民は馬鹿にされている。Jazzを楽しむ余裕は必要だがこの国の状況を知る最低限度の知識は持ち合わせていたい。

2022.12.15-16 LUNA のMagicai Mistely Tour

これは世界中の歌をさすらう異色の無国籍シンガーLUNAを追った2日間のドキュメントである。初日の1ステはブラジルもの、2ステは昭和歌謡という誰にも理解できないカップリング。2日目は大西洋を行ったり来たりの英米Unpluged Rock。いま私たちがいるのは、「サンパウロ郡北の酒場24番地第6区」という架空の地なのだ。
12.15 ブラジル&昭和歌謡 LUNA(Vo)古舘賢治(g、Vo)板橋夏美(tb)
外は寒いが中は温暖だ。ブラジルものは音をほのぼのと包む雰囲気という先入観が付き纏う。しかし、歌詞のあらましを聞くと男女の出会いとスレ違いをテーマとする内容が多いようだ。あの国から惚れっぽい情操を取っ払うと、文化が成り立たないのかも知れない。それはそうと、ポルトガル語は皆目分からないのだが、筆者はVocalを楽器として聴いているので気にしていない。かつて洋楽が勢いよく入って来た時代に歌詞は分からなくても、これいいなぁと思ったことが原点になっているのだと思う。意味の分からない異言語の歌を受け入れられるのは、音楽が超文化圏的に世界流通する希なる特殊性を内在させているとしか言いようがない。筆者の中ではインストもVocalも殆ど同じと言ってよく、ただ刺激のされ方が違うだけなのである。その違いの秘密は単純に肉声と特定できる。そして今回も楽器としてのVocalを大いに楽しませて頂いた。例えば、1曲目の「Cigarra」という曲で、ブラジルではセミが“シシシッシッシ・・・”という擬音になるそうだが、我が国では“ミィーン・ミィーン”である。この違いを一本道に繋いでいるのが楽器としてのVocalなのかも知れないと思うのだ。他の曲は「fotografia」「falando de amor」「bridges」「samurai」「ponta de areia」。そして2次会は北の24番地、昭和歌謡へと突入して行く。好いた惚れたのブラジルから恨みつらみを心情の核とする世界へ転換だ。多くの場合、この世界は情緒の汲み上げ手腕によって出来不出来が決定される。それもそうだが、定めある歌唱時間を重苦しさだけで埋め尽くしてはいけない。曲順的にjazzならバラードのタイミングに昭和歌謡では肩の凝らないものをハメ込む軽重相殺の工夫が必要とされる。北の酒場でもそれは実践された。では曲順。まず「天城越え」。普通、お通しは軽めの一品なのだが、これは背筋が凍る恐ろしいサービスだ。お口直しにポップな「ルビーの指輪」、北国もの2連発「雪国」「北酒場」。松田聖子の「瑠璃色の地球」(初めて聴きました)。M&Bの「ダンシング・オールナイト」、バイオリニストの高嶋ちさ子がこの曲を歌いすぎて喉をツブしたと言っていたので要注意だ。そして最後は隆盛を極めた北方漁業への郷愁「石狩挽歌」。あっという間の長旅だった。
12.16 Unpluged Rock
LUNA(vo)町田拓哉(g、Vo)古舘賢治(g、Vo)
 会場は第6区に移った。このトリオ、3度目の取り合わせだから正直に言おう。完成度がますます高まっている。ギターの腕達者ぶりは周知のとおり出色なのだが、最大のセールス・ポイントはハモリ。いま述べた完成度ウップはこのハモリのことを言っている。3者の息が測ったように揃っていて耳が全く疲れないのだ。ところで、筆者がRockを聴いていたのは若い時なので、そのラインに乗ってないと聴く機会の無かった曲になる。Rockの場合、大半がオリジナルを演るので、バンドと曲は一体的なものだった。B・ディランが「枯葉」をカバーすようなことは後々の潮流だ。従って個人の記憶としてRockはバンドと曲がセットになっている。この3人Unplugedにバトンを渡したLoud Three&LUNAの演奏の時から、Rockの遺産を今日の現役プレイヤーが扱うとどうなるのだろうかという思いがあった。実際、聴いてみると面倒なことはなく、ストレートに懐かしさが蘇って来たのだった。これはクリームやツェッペリンがリアル・タイムだった者の宿命だ。この日のUnplugedは騒音防止条例に引っか掛かることのないアコースティックを基調としているが、前任バンドと受け止め方は何ら変わりない。そしてRockの名曲にはそのバンドが消滅しても生き残っていく生命力があると思わされるのである。過去のリアル・タイムの宿命であったものが、時を移した現在のリアル・タイムの特典に切り替わったのだと思う。多分、この3人は”懐かしさ頼みで聴いてもらっては困るよ”と言っているのだろう。そこまで言うのなら、次回は新たなハモリ曲を出して来る覚悟ができているのだろう。演奏曲は「Jumpin’ Jack Flash」「Sunshine Of Your Love」「Will You Still Love Me Tomorrow」「Angie」「Dust In The Window」「Down By The River」「Nowhere Man」「Who’s Loving You」「The Long &Winding Road」「Forever Young」「Honkey Tonk Woman」「Hotel California」「Blowin’ In The Wind」。
 無事に世界のカム・トゥ・トラベルが終わった。盛りだくさんで決めの1行が浮かばない。遮二無二締めるとしよう。モンキーズの「恋の終列車(Last Train To ClarksVille)」を歌うカサンドラ・ウイルソンンには意表を突かれたが、LUNAはその上をいったかも。
(M.Flanagan)

アホ馬鹿博覧会 ジャーナリストの部

安保3文書が閣議決定されてしまった。今後の日本の方向性を決める重大な方針である。
朝日新聞の官邸クラブ記者は、数時間後に岸田首相がどんな「閣議決定」を発表するか知っていた節がある。ツイッターで次の投稿を見つけた
投稿日時は2022年12月16日午後1時14分である。
『きょう11時半ごろ「あんぽ関連の報告」と言って総理面会に来た亀岡偉民衆院議員。きょう閣議決定される安保3文書の話かと、面会後の亀岡氏を記者団が出待ちしていると…
「あんぽ柿を贈呈してきた」。
安全保障でなく地元福島の柿を総理に贈呈したとのこと。記者たちも思わず笑ってしまいました。』
駄洒落は好きであるがこういう状況下でのこの投稿。全くいただけない。
朝日新聞の政治部記者はこの程度の感覚の人間なのか。
政府は敵基地攻撃能力を反撃能力と言い換え保有に踏み切った。反撃とは攻撃を受けた側が攻撃に転じる意味であるが、攻撃を受けていなくても相手が攻撃に着手した段階で攻撃することも想定している。大手新聞社でも表現が分かれた。僕が購読している道新は「敵基地攻撃能力」朝日もこの表現を取っていた。だが政府が決定してからの究極の後出しじゃんけん・・・ジャーナリストの矜持のかけらもない。読売、日経、産経など政府寄りの新聞は政府の言うまま「反撃能力」の用語を使っていた。ジャーナリズムの劣化は今に始まったことではないが権力に近い所の情報を誰が掴むかで序列を争うようになった。安倍総理の時代から顕著である。

ベーシストの抗議スト

パリで国鉄にベース持ち込み禁止に反対するストの動画を見た。10数人のベーシストがパリ駅構内で演奏しながら抗議活動をしている。付き合いのあるフランス人ミュージシャンが二人いるが日本との文化政策の違いに驚く話を聞くことが有る。まず駅構内で演奏ができることである。許可制で地下鉄駅構内でも演奏できる。ストリートミュージシャンで一軒家を購入できるらしい。どういう経緯で国鉄内持ち込み禁止になったかは情報がないが日本でのベビーカーが混雑時邪魔になるとクレームをつける輩がいた類の話かもしれない。兎に角文化保護の度合いが日本とは比べ物にならない。日本ではミュージシャンは相も変わらず川原乞食状態である。ここでも自助、共助、公助が基本になっている。日本にもストリートミュージシャンいるが「ゆず」の様にメージャーになった者だけが厚遇される。秋口の事である。店の前にストリートミュージシャンがいた。静岡県から流れてきたフォークシンガーであった。日曜日であったがライブが有ったので音につられてきたのかもしれない。「この辺は日曜日は人通りはありませよ」とアドバイスした。休憩時間ドラムの柳沼が外で煙草を吸っていた。その煙草を外の灰皿の近くに忘れて二部の演奏に入った。演奏が終わりもう一服しようと外に出ると煙草とストリートミュージシャンが消えていた。被害届は出さなかった。
昔からベースの運搬は大変である。飛行機の場合昔はAB券と言って二席を半額料金で購入し機内に持ち込んでいた。ところがお盆様な繁忙期には席が取れないことが有る。昔お盆時期に米木に来てもらった時の事である。席が取れなかった。チェロと偽ればなんとかなる。機内に入ればこっちのものだ。米木にチェロで押し通してくれと頼んだ。米木は渋々承諾した。乗務員の人もいい人であったのだろう。「今回だけですよ」と言って乗せてくれた。まだおおらかな時代であった。航空会社がエアーフランスであればいい落ちになるが世の中そんなにうまくはいかない。

原発と民意

リトアニアの例である。ロシアの影響下にあるバルト3国の小国である。ロシアのエネルギー政策の影響をもろに受けていた。ガス、石油の供給量が不安定なため原発の道を選んだ。選挙では原発廃止を訴える緑の党などは敗退した。小選挙区の為資金の潤沢な原発推進を訴える与党が大勝したのである。しかし国民投票で原発凍結の票が勝った。日本の場合原発を受け入れるかどうかは立地する地方の自治体の議会に委ねられる。例えば関西電力大飯原発は福井県大飯町に立地している。町議会議員は15名であったと思う。8名が賛成すると原発が誘致される。原発が立地しているところはどこも人口の少ない地方都市である。送電に有利な大都市には決して造られない。100%安全でないことは福島で立証されたからである。そしてそれらの地方都市の新聞には電通を通した原発プロパガンダ広告が頻繁に掲載される。多額な金もばらまかれる。この町の公共事業を取り仕切る助役が関電幹部に小判を贈呈した事件ではみな不起訴になっている。多額な補助金をもらったので結納返し程度の認識で贈呈したのである。世界は再生エネルギーに舵を切っている。日本は産業構造の転換に失敗し1周遅れの政策を行っている。核のゴミの処理方法が決まらぬうちに政府は原発の寿命を根拠もなく20年延ばしてしまった。理由は稼働していない期間はカウントしないというものだ。車を買って20年乗らなかったからと言って中古市場で新車で売られることはないことを考えればなんと愚かしい理屈であることが分かる。最低国民投票にしてほしい。だがその際我々が正しい知識を持っているかにかかっている。

2022.12.10 極上の男たちのDUO

大口純一郎(p)米木康志(b) 
一般論として人は年を重ねるとともに話がクドくなる。寄る年波に従って謙虚に自分を過小評価すれば良いものを、それとは逆に虚勢を張るように作用する傾向が強まる。かく申し上げるのは、少しばかりクドい話をさせて頂くからだ。筆者が育った時代はパソコンやネットはおろか電卓すらなかった。そうした時代あるいはそれ以前に制作された音楽作品が不朽の名盤を輩出してきたのは何故なのか。現代の技術進歩と音楽的成果は無関係なのか。面倒話になってきたが、すぐ終わるのでご容赦を。前置きとして、技術は一方的に進歩し必ず便利になるが、人の精神はこのことと歩調を共にすることはないと言っておこう。最新の機器を使いこなしていても、泣き笑いその他の精神反応を起こしてしまう理由は太古から何ら変わっていない。すると人の精神営為には何が残されているのかという問題に行き着く。このことを今回のLIVEと関連付けてみると、人の精神営為に残されているのは、殆ど磨くとか掘り下げるということの他に余地がないのだと考えてよいかも知れないと思うのだ。私たちはよく「緩み無き演奏」という言い方を耳にするが、それは聴き流しを許さない演奏のことを言っている。このDUOの演奏に当てハメて言うと、安全装置を外して演奏に向き合っているから、聴き手はいつ何が起こるか分かりかねて、聴き流すことを許してくれはしない。それは修辞を凝らしながら本質論一本に打って出る冷静な論客の語り口のようでもある。ここにはムキ出しの過激さのようなものがないことによって、逆に荘厳さが引き出されているようにみえる。説得力のある演奏とはこういうことであると思わされるのだ。前述した磨くこと掘り下げることを両者と第4コーナーを併走する気分で代弁させていただく。こう言っているようだ。「目差すはゴールじゃなくて通過点だよ」、どうやら止まったままでいることがないらしいのだ。演奏曲は「Minor Choral」「(W・ショータの古い曲)」「Let’s Call This」「I Should Care」「Moments Notice」「Ugly Beauty」「Mr . Sims」「Sopa de Aio」「Don’t Explain」「Ode to J.S. Buch」「I Love You Porgy」。
このDUOは“極道の妻(おんな)たち”の岩下志麻的な任侠セリフの凄みとは趣を異にする。しかし、突きつけてくる隠れた切迫感の凄みは“極上の男たち”による至高の振る舞いであると確信する。このたび私どもにおいて、駄洒落精神は磨かれもせず掘り下げられもせず、財津一郎的に「悲し〜ぃ」。
(M.Flanagan)

東京物語

今日12月12日は映画監督・小津安二郎の誕生日であり命日である。テレビも無い時代親に連れられて映画を見に行った記憶があるが黒澤明の映画は覚えているが小津安二郎の映画の記憶はない。あまりに何も起こらず淡々と進むので子供にとって退屈だったので覚えていないのか親もあまり好きでなかったのかもしれない。ある程度に年を食ってから全作品見直したがここではローアングルのカメラショットなど映像論的なものは省く。昭和はこういう時代だったなあとつくづく思うのである。家父長制の残滓が見て取れる家庭、高度成長期の会社、学校の同窓などの共同体内の付き合い・・・。政治学者・丸山真男が言った「タコつぼ社会」が描かれている。そこには社会はなく、あるのは世間だけである。どの作品を見ても俳優の喋り方が変である。こういう物言いする大人はいたなあ・・と思うのであるその口調は日常ではほとんど聞かれない。小津の言葉を紹介しておく。その謎を解く鍵になるかもしれない。
「僕の生活条件として、なんでもない事は流行に従う。重大な事は道徳に従う。芸術の事は自分に従う」「こういう所から僕の個性が出てくるので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくとも僕はそれをやる」

防衛問題を考える

12月8日。「専守防衛」から逸脱し「敵基地攻撃」を遂行した日である。真珠湾攻撃。1941年の事である。後は周知の事実である。岸田総理は「専守防衛範囲内における敵基地攻撃能力の増強」などと論理矛盾することを言い続けている。防衛費をGDPの2%にすると言う事は世界で3番目の軍事大国になると言う事である。軍備を拡大すれば隣国は、「ははあ・・お殿様には敵いませぬ」と言ってひれ伏すとでも思っているのであろうか。だとすれば志村けん並みのバカ殿である。ミサイル一発でも打てば半沢直樹の様に「倍返しだ」と言って雨の様にミサイルが飛んでくるのは目に見えている。それくらいの想像力は為政者たるべきもの持っていてほしいと思うのである。安倍、トランプがゴルフをしながら約束したことの付けを払わせられている。僕は軍備は要らない・・という丸腰論の信奉者ではない。根底になる安全保障の考えもなくいいなりに防衛装備を買うのは究極の無駄遣いである。イージスアシュアだけではなく当の防衛相でさえ「どうやって使うんだよ」という代物さえつかまされている。この取引例えばロッキード社と直接やり取りするわけではない。ロッキード社からアメリカ政府が一括買取をする。それをアメリカ政府が日本政府に売るのである。ロッキード社の納入価格は発表されていない。莫大な額が中抜きされているのは想像できる。あるレーダーシステムの話である。細かい話は省略するが日本の為に開発したシステムである。当然メンテナンスはアメリカの業者がする。そのメンテナンス料を派遣される人員数で割ると一年で一人9500万円になったと言う事である。何日滞在するかは知らないが相当物価の高い街だ・・・という笑い話がついていた。

Wカップの裏番組 vol4 冬季オリンピックと環境問題

Wカップの裏番組 vol4 冬季オリンピックと環境問題
IOCが突然2030年の冬季オリンピックの開催地の決定を延期すると発表した。環境問題に対する対策を考慮するためとある。何を今更二郎である。バンクーバーが撤退し、ソールトレイクは2034年の方が本命と言う事で実質札幌しか残っていない。何もなければすんなり札幌と言う事になってしまったはずだ。そこに燻っていた東京オリンピック汚職事件が大疑獄事件へと進展している。高橋治之容疑者は2度の保釈請求を却下され今も収監中である。橋本聖子会長、森喜朗前会長も特捜部の事情聴取を受けている。弱気になった橋本聖子会長は「札幌開催は難しいのでは・・・」と発言している。だが橋本会長は所詮腹話術の人形である。しゃべらせているのは森喜朗前会長である。この二人、親子の杯を交わした任侠の関係にある。驚いたのは国際IOCのボッタクリ男爵である。ここで札幌に降りられては一からやり直しである。そこでバッハ会長は考えた。「札幌市長はまだやる気である。どうせ日本人は時間がたてば忘れる。ほとぼりが冷めるまでちょっと時間をおこう・・・。でもな・・・延期する口実が必要だな・・環境問題と言う事にすればトレンディだよな」
この程度の問題意識である。我々の事を舐めまくっている。本当に地球環境を危惧するのであればオリンピックなどやらないのが一番である。冬季オリンピックは開催できる環境が整っている地域は限られている。その国が招致に手をあげなくなっている。そこでIOCは開催地輪番制を主張している。施設と開催のノウハウを持っている都市が順番に開催するというものである。スポンサー料で食っているIOCにとっては賄賂は減るだろうがこの方が楽である。あまりやりたがらない会社の観楓会の幹事が定期的に回ってくるようなものである。手をあげる国が有るとは思わないがいい案が有る。ロシアと北朝鮮で交互に開催してもらうのである。ミサイルと戦車代がインフラに使われるようになる。
東京五輪インパール作戦を我々は見てきた。札幌五輪八甲田山行軍は辞めるべきである。

Wカップの裏番組 vol3

定例札幌市議会は6日本会議を再開し各会派の代表質問に入った。秋元市長は冬季オリンピックの招致に関し「既成概念にとらわれないクリーンで新たな大会に挑戦する」と述べた。
遡る事数日前橋本聖子オリンピック組織委員会会長は「流石に札幌は無理では・・・」と述べている。高橋治之氏の逮捕だけで幕引きかと思われた東京五輪贈収賄事件が急転直下の展開を見せている。電通をはじめとする広告代理店11社に東京地検のガサ入れが入った。聴いたことも無い無名の会社にもである。これは特捜が談合の証拠を握っていることを意味する。これは昨日今日の調査で判明することではない。特捜は摘発の機会をずっと伺っていた。検事総長の人事もごり押しした安倍総理の呪縛が解けたことによる。裏を返せば今まで司法もどれだけ歪められていたか・・と言う事をまず考えなければならない。電通は今まで聖域であった。原発の広報など一手に引き受け政府、財界と太いパイプがある。社員も半分はコネ入社で政財界、有名人の子息だらけである。そういう会社は立ち行かなくなるものだが電通は違う。後の半分が相当に優秀で猛烈に働くからだ。その優秀な社員が組織委員会に何百人も出向している。要は企画を出すのも電通、事実上決済するのも電通と言う図式なのである。社長が訓示でオリンピックで1兆円儲けろ・・・と檄を飛ばした。汚職が起こらない筈はない。今回は現役社員に逮捕者が出るかもしれない。そうなると官公庁の入札業者から締め出される。事実上オリンピックに関わることは出来なくなる。業界二位の博報堂も頑張ればできるらしいが電通とノウハウの差が違いすぎると言う事だ。この捜査どこまでメスが入るかである。電通、それから組織委員会、お飾りの山下や室伏の理事ではなく武藤事務局長、コロナと言う事で入院し続けている森喜朗前会長・・・・今回だけは東京地検特捜部を応援している。
秋元市長もこれくらいの事は知っているはずである。なのになぜ先の発言になったのか・・・。新幹線の延伸とオリンピックの招致を重ね合わせるよう札幌財界から強力に要請されていると思われる。現在も札幌の広告代理店、(たぶんPRセンター)が元受けになって招致活動を行っているが電通北海道に丸投げである。もう20億が使われている。だが無理に開催することに比べたら撤退することの方が傷は浅い。オリンピックインパール作戦は辞めるべきである。