女帝 小池百合子 石井妙子著

小池百合子写真集なるものを見かけたことが有る。都知事になったころではなかったかと思う。当時人気絶頂とはいえ酔狂な物を出したものだなあと思っていた。兎に角目立つことが大好物の方だ。都知事になってからのパフォーマンスを列挙すると医療従事者を応援すると言ってブルーインパルスを飛ばす、「ステイホーム」という犬の「待て」を都民に押し付ける。コロナかるたで感染対策のやってる感を押し上げる。東京アラートと言って都庁を赤く染める。リオオリンピックの閉会式で極道の妻のように凛々しい和服姿で五輪旗を受け取る。
マスコミが求めるものは何でも提供してくれる。そしてそれによって出世の階段を一気に上り詰めていった。どんな人物なのか興味を持つ。そしてそれに答えてくれる本を見つけた。
「女帝 小池百合子」
昔、ニュースキャスターであったことは知っていたが番組は見たことはない。当時のテレビ東京の中川順に気に入られて抜擢された。カイロ大卒業という経歴、大きな目と「中の上」と言った容姿、ゴルフ、カラオケ、気の利いた受け答え・・・それが相まって道が開かれていく。
専門知識など全くないのだが度胸だけでやりこなす。弁舌も流暢だが中身はほとんどない今の都知事としての資質の原型がもうこの時に出来上がっている。時の権力者に取り入るのが天才的に上手い。細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎、財界ではオリックスの宮内義彦。小沢一郎にはゲッペルスになれると持ち上げられている。国会議員時代何をやっていたのかよく知らなかった。「クールビズ」も小池百合子の発案だった。そういえば昔半袖のスーツと言う奇天烈なものがあった。トヨタの社長や先の宮内義彦らも嬉々としてモデルを引き受けた。環境相時代水俣訴訟の責任者であった。マスコミがいるときは被害者と一緒に泣いて見せ、いなくなると爪を磨きながら陳情を聞いたと言う。
百人以上の関係者の証言を拾い集め小池百合子と言う彫刻を形作っていく。カイロ時代、一緒に暮らしていた早川玲子(仮名)の証言は謎の多いカイロ時代の生活の一部を教えてくれる。大学に通っている様子はなく、アラビア語も小学生レベルと言う事だ。大学を卒業するのも無理なレベルでましてや主席卒業など夢の又夢のはずである。
ところが「待てば海路の日和あり」大臣になってしまった。その時早川玲子は身の危険を感じたと言う。
権力者を手玉に取るが色恋沙汰はほとんど聞かない。ところがある著名人と恋仲だったと聞いて驚いた。そしてそのことが今の地位に微妙に影響している。相手の名は伏せる。ここからは有料サイトだ。ひょっとしたら知らないのは僕だけなのかもしれないが・・・・。
昨日も渋谷にはワクチン接種を希望する若者が列をなした。打たないのではなく打てない若者が多いと言う事がはっきりした。このキャンペーン費用7.5億である。
今もマスコミ向けにやっている感をアピールしている。そういう本性がこの本を読むと良く分かる。面白いです。
石井妙子の著作に「原節子の真実」がある。こちらも面白いがその中に原節子がゲッペルスと写っている写真がある。日独防共協定の関係で制作した国策映画の制作時期のものだ。小沢一郎がゲッペルスになれると言った言葉を思い出す。

Speak like a child

ハンコックには申し訳ないが共通一次の英訳ではないので思いきって意訳を試みる。
「糞ガキのように喋ろ」
喋ってみる
「さもしい顔して貰える物は貰おう。弱者のフリして得しよう。そんな国民ばかりじゃ国は滅びる。人様に迷惑かけない社会へ。もう一度、日本を奴らから取り戻そう」
自民党総裁選に出馬する高市早苗元総務大臣のスピーチである。クソガキ以下である。「ガキの使いか」…来賓の安倍晋三が涼しい顔して座っている。今年のスイングジャーナル暴言部門人気投票1位の最右翼でもある。
税金を自分たちの金と勘違いしている。国民への施策や福祉は施しでは断じてない。この一年半「国民と国民の生活を守る」というⅡⅤフレーズを何度と聞いた。嘘っぱちであるとはっきりわかる発言である。
基本から確認する。税金は我々国民のお金である。それを適正に配分するのが政府の役割である。神棚に手を合わせて持続化給付金の再支給を待っているわけではない。
今の総理も酷いが、高市早苗候補も酷い、岸田文雄元政調会長も典型的風見鶏である。こちらは贅沢を言っているわけではない。フィレステーキフォァグラ添えを食べたいのではない。普通の白飯と胡瓜の浅漬けで良い。それくらいの人材居ないのか。

秋日和

秋日和
小津安二郎監督作品は全部VHSで持っている。いや…持っていた。BSで小津監督生誕100年記念の特集があった時録画したものだ。ところがビデオデッキが老朽化しテープを咥え込んだまま動かなくなること数台・・・そのたびに中古屋をめぐりブルーレイではなくデッキを買い求めていた。VHSテープはレコード以上に嵩張る。ある時期絶対これ以上増やさないと決めたことが有った。どうしてもダビングしたい時は在庫のテープで一番見ないと思われるものを潰していった。だから現在ある在庫は珠玉の何百本かになっている。「秋日和」もその中の一本になる。偶然であるがこの映画を見終わって新聞をめくっているとプロデューサーの山内静夫の訃報があった。小津映画の製作を手掛けた人物である。そしてこの映画の原作者、小説家里見弴の息子でもある。だが原作の映画化ではなく、主な登場人物を決めたら小説と脚本が同時スタートすると言う手法を取っている。だから映画と小説は全く違った内容になっている。「秋日和」は1960年公開の作品である。日米安保条約改定をめぐって日本中が揺れ動いていた時期に制作された。時代の空気を感じさせる大島渚監督の「日本の夜と霧」もこの年の映画だ。「秋日和」にはこうした喧騒な痕跡は全く見られない。一部の批評家からはもはや存在しない平穏な社会を描いた作品と扱き下ろされもした。だが小津の日本的なものは国民からは支持された。今は社会の上位者になっている大学の同期3人と亡くなった同期の未亡人とその娘の関係性を軸に話は進む。古い世代と若い世代、女性と男性の相互影響を通じて過去の日本の関係性と言ったものを追求している。具体的に言うと未亡人(原節子)の娘(司葉子)の縁談を寄ってたかって纏めようとする。娘は24歳である。まだそういう気はないと断る。すると同期3人組は母親が一人になるのを気遣っているのではと先走りする。そういう事であれば未亡人を先に再婚させようと考える。全く余計なお世話としか言いようがない。じわっと可笑しさがこみあげてくる。3人のうち一人は奥さんに先立たれている。「そうだ、お前が一緒になれ」と2人はけしかける。最初は親友の奥さんを後添いにするなど不謹慎と断っていたのだが何せ未亡人は原節子・・・品があって美人・・・段々その気になっていく。原節子は娘の大反対もあってひとり身を通すことを同期に告げる。そこまで人生決めなくても・・と思うのである。ここに小津監督の実人生が反映されていると感ずる。小津監督は生涯独身で通した。そして監督が亡くなると原節子は銀幕を去りほとんど隠遁生活といって良い生涯を全うした。何かそこに大人のエロティシズムを感じるのである。小津監督の映画には笠智衆や原節子他同じ俳優が頻繁に出て主題も似通っていたりするので時々どの映画であったのか混同することが有る。司葉子は丸の内界隈のOLである。小津の映画に出てくる会社のシーンはどの映画も人工的な印象で「会社はこうじゃないな・・」とツッコミを入れたくなるくらい違和感がある。
小津はワンカットで長いシーンを取ることはほとんどない。あるシーンの音を次のシーンにつなげたりするカットを使う。マイルスのテープを編集するテオ・マセオの様だ。
映画の出来に全く関係ない話だが気が付いたことが有る。司葉子の縁談がまとまり原節子と最後の親子旅行に行くシーンがある。義理の兄の笠智衆が経営する旅館に泊まる。その旅館のロゴは僕が20年務めた会社のロゴであった。アップで3度ほど出てくる。この時代の映画はエンドロールがないので協賛会社名は出てこないが多分電通の口利きのはずである。

乱暴怒りのアフガン

アメリカのアフガニスタン撤退の仕方が乱暴者極まりない。食べ放題の焼き肉屋で食い散らかしていくお馬鹿男子の様である。
アフガン情勢を語るだけの知見も情報も無いがアメリカのアフガン統治失敗は「あること」が旨く行き過ぎたことの弊害であると考える。「あること」とは日本の占領統治である。日本は原爆を投下されても喜んでアメリカの支配を受け入れた。この従順さが世界基準だと勘違いした。まずベトナムで間違う。あんな小国があれほどまでに抵抗するとは考えなかった。ベトナムはまず中国、フランス、そして大東亜共栄圏を謳った日本に侵略され異民族支配へのアレルギーがある。その事を過小評価した。日本以外では失敗続きの理由を考えるうえで天皇制を存続させたことが重要と考える。天皇に対する従順さをアメリカへの従順さに移行させる行為がものの見事にはまったため、以後日本の国民性・民族性を深く研究して戦争の準備をした作業を手抜きしている。太平洋戦争時は「菊と刀」の著作を残したルース・ベネディクトを中心に占領後の青写真を想定して戦争に突入した。ブッシュ元大統領の写真をしばらくぶりに見た。もともとこの人が正義のカウボーイ気取りで始めた戦争である。もうそんなことは大体の人が忘れている。
後一般論だが大事なものを戦闘で奪われるとその喪失感を憎悪で穴埋めしその憎悪が血肉化し自己の存在意義にまでなり和平の道が遠のくことになる。

2021.8.20 松島&山穰5 ウルトラQ

松島啓之(tp)山田穰(as)本山禎朗(p)柳真也(b)伊藤宏樹(ds)
ウルトラQとは、怪獣系の草分けと思って頂いても結構であるが、素朴にウルトラ“Q”uintetのことである。それはさておき、ご存知のとおり松島は定期的な出演枠を持つtpのトップ・ランナーである。そして今回は継続的に共演を続ける山穰入りという願ってもない贅沢な編成だ。LBでの山穰は7、8年ほど前のLiveを最後に少し遠ざかっている。従って、待ち望まれた再登場である。思い起こすと山穰と言えば若き‘90年代を駆け抜けた花形プレイヤーという印象が強過ぎて、個人的には演奏家としての全体像が明快にならない。職業評論家なら豊富な情報を背景に俯瞰的に論ずるのだが、素人のライヴ・レポートというものは、限られた聴音体験しか持ち駒がないので、そこは割り切るより他ない。そうではあるが地方都市にいて、“これは是非聴きたい”と気がはやるLiveに足を運び、それが僅かずつ積み重ねれられた位置で、Liveの素晴らしさを伝えたいと願うことに徒労感はない。少し勿体ぶった物言いになったが、これも行動抑制下のストレスによるものと容赦願いたい。まずはおおよその流れを紹介しようと思う。最初の数分でこの日の全貌が掴めた気がした。自明のことだが、演奏が終わるまで全貌が分かる筈ないのだが、時として“今日は行っちまうな”と確信することが、時おり起きるのだ。松島の「Back to Dream」で幕を開けたのだが、2管で立ち上げ、松島のソロへ突入した、彼は音一発でライブの醍醐味をぶっつけて来る。こっちに向かって突き抜けてくるのだ。そして山穰のソロ、彼はどのような局面でもロジカルに演奏を発展させるタイプと思っていたが、やや感情を前に出す展開に持って行っているような印象を受けた。そしてそれが何ともこっち(胸)にくるのだ。この様子は最後の最後まで継続して行ったのである。開演が導く快演の連鎖というべきか。最初の数分に予期したことが的中したのは、勘が冴えていたのではなく成るべくして成ったに過ぎない。2曲目はガレスピーの名曲「Con・Alma」、松島のワン・ホーンによる「Skylark」、N・アダレー「Tea met(と聞こえた)」、柳を大きくフィーチャーしたP・チェンバースの「Ease It」、松島作「Treasure」、山ジョーのワン・ホーンによる「My Foolish Heart」、音の深みを握りしめて離さない雰囲気が充満していて、説得力に溢れていた。バラードと言えば内省的味わいを噛みしめるのをイメージするが、その佇まいを保ちながら情感が注がれていく様に喉元から変な唸り音が出てしまった。制限時間一杯に選曲されたのはお馴染みの「Lotus Blossom」、ウルトラ“Q”uintetの百花繚乱サウンド、中でも山穰のソロは圧巻だ。鳴り止まぬ拍手が残業命令となって「I’ve never been in love before」に突入した。迫り来る閉店時間と忍び寄る国防婦人会の見回りに最高度の緊張感が走る。だが、事なきを得て無事終演した。いつまでも拍手は鳴り止まなかった。これは忘れられないLiveになりそうだ。記憶に納められた財産は減価しないからである。振り向けばドアの前に“立ち見”のお客さんがいて、ドアーズの“Touch Me”を思い出してしまった。
晴れないモヤモヤがまとわり付いて久しいが、それを吹っ飛ばすLiveが終了した。禁酒法の適用下でウーロンを含みながら、ふと思い出したことがある。Tpのクラーク・テリーがエリントンをこう評していた。『彼は人生も音楽も常に生成過程におきたいんだ』。
(M・Flanagan)

So what

So what
D
昨年の一月初旬の事である。身近で初めてコロナの感染者Xが出た。あるライブにお客さんとして来ていた。その事実を知ったのは数日後、それも直接は関係のない人間からであった。こういう情報はすぐ伝わり、悪意はないもののなぜ発表しないと言うような言われ方もした。直後のライブは2,3回中止にし自分とミュージシャン2名はPCR検査を受けに行った。9割は連絡のつくお客さんであったのでその旨連絡した。Xはlazyの前日に言った店には自分で連絡したことを知って憤慨した。その後しばらくしてXから入院してライブを穴開けたことを詫びるメールが来た。感染したことを非難する気は毛頭ない。だが詫びるポイントが違うのでなぜ連絡をくれなかったのかを聞いた。保健所の判断でlazyにいた日は濃厚接触者に該当しないし、知らせる知らせないかは個人の権利であると言った。Xは学生である。行政はどこかで基準を作って白黒をつけるが世の中杓子定規に動くわけではないことを説明し納得してもらった。濃厚接触者の基準があるのである。当たり前の話だが。
E♭
百貨店大手伊勢丹が社員、出入りの業者にPCR検査をしないように指示を出した。検査をせざるを得なくなった場合は結果が出る2日前から会社を休むよう指示を出していた。先の濃厚接触者の定義とかかわる。濃厚接触者が出た場合はその職場は封鎖せざるを得ない。その法の目をくぐる措置と言える。だがこの問題は一企業の問題ではないと思っている。現在過去最高の感染者数である。だがPCR検査数は伸びていないのである。これは初期の頃からの政府の政策であり、感染者数を低く抑え込むための統計操作である。と言う事は感染者数の割合はもっと多いはずである。無自覚感染者が白昼堂々闊歩して感染を拡大させている。最近のクラスターが出る職域、領域が変わってきている。学校、塾、百貨店、北海道で言えばアイスホッケーの試合。「夜の街」のクラスター頻度は落ち目になっている。だからライブは安全ですと言う気はさらさらない。ただ政府のゲームセンターのモグラたたきのようなまん防延長対策には流石に辟易している。
ニュージーランドでは一度収まったが感染者がでた。一人出ただけで3日間のロックダウンである。感染経路を徹底的に調査し封じ込めるためだ。ジャシンダ首相にお願いされれば法的整備などなくとも3日間ぐらいは我慢する。臭いにおいは元から立たなきゃダメ・・・というトイレの消臭剤の手法が一番効くのである。
こういう状況なのに明後日の松島&山譲2daysは満席である。こういう日に限って道の時短調査員が来そうな悪い予感がする。言い訳は考えてある。
「お酒は出していませんね」
マイルスのように「so what」って言ってみたいものである。

終戦と敗戦その2

8月15日の靖国神社前の映像を見た。降りしきる雨の中、参拝に訪れた国民が列をなしていた。そこにいた国民のほとんどは戦争を賛美するつもりもなく右翼思想の持ち主でもなく素朴な気持ちで行っているのだろうと想像する。そしてそのことが何より根深い問題なのだと思う。
靖国神社の宮司が、戦争初期、日本軍人の妻にかけた言葉を読んだ。
「あなたの夫は天皇陛下のために笑って死んだ。『おお、よく死んで下さいました』と褒めよ。泣いては天皇陛下に済まない。夫は靖国神社で生きている。夫の名を辱めるな」。
これが靖国神社の正体である。
戦後の日本の平和と繁栄が先人たちの屍の上に成り立っているという言われ方をする時がある。誰しも死者に鞭打つような発言をしたくない所に付け込むすきがある。全くの間違いである。日本は終戦を迎えた。完敗して無条件降伏を受け入れ特攻を肯定するような価値観を全否定したうえで人権人命を尊重する社会に変質したことで獲得した繁栄のはずである。
小津安二郎監督の映画の「秋刀魚の味」の一場面である。戦友の笠智衆と加東大介がばったり出会いバーで飲むことになる。
「日本が戦争に勝っていたらどうなっていたのですかね」
「負けてよかったんだよ。つまんない奴が威張らなくなった」と言うやり取りがある。
小津は当時の事をチクリとユーモアをもって批判して見せる。
「終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」
天皇のお言葉である。昨日安倍元総理の発言を掲載した。「命を捧げた英霊」と「戦没者の皆様の尊い犠牲」の上に成り立った反映であるとするなら先の戦争は正しかったと言う意味になってしまう。お二人の言外にある「歴史認識の違い」をじっくり考える必要がある

終戦と敗戦

「終戦の日にあたり靖國神社に参拝致しました。先の大戦で父や母、妻や子、愛する人を残し戦場で尊い命を祖国の為に捧げたご英霊に、尊崇の念を表し御霊安かれとお祈り致しました。」
安倍晋三
靖国神社を参拝した際の安倍元総理のコメントである。一見どうと言う事のないコメントに見える。重要なのは命を捧げたのではない。捧げさせられた・・・端的言うと時の為政者に命を奪われたと言う事である。必要なのは謝罪の言葉である。
また中国と韓国から猛反発を食うであろう。わざわざ緊張感を高めるような行動をして危なくなるとアメリカの後ろに隠れてアカンベェをして見せる。それは外交コストあるいは防衛コストの増加を意味する。オリンピック以上の税金の無駄遣いである。
今日8月15日は終戦記念日と呼ばれている。黙っていて戦争が終わったわけではない。ポツダム宣言を受諾して日本の敗北で戦争が終わったのである。この敗戦を終戦と呼び変えたところに戦後のほころびのすべてがあると考える。アメリカ追随によるアメリカからの独立と言ったある意味論理矛盾を起こす2回宙返り2回ひねりという「ねじれ」の中で我々は生きている。敗戦という現実を経済成長などの華麗な衣装で覆い隠してしまったことをもう一度「反省」しなおすべきと考える。そうすると基地問題、領土問題、慰安婦問題、憲法問題のスタート位置が見えてくる。
アウシュビッツでの収容を生き延び、35年間アウシュビッツ・ミュージアムの館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんが残した言葉を紹介したい。今を生きる若い世代に語り掛けた言葉である。「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」
ドイツは政権トップも謝り続けている。だから国際社会から日本のように難詰されることがない。

ロンメルとエーデルワイス

知らない人の名は何かと何かを足したような名前だなあと思う事が良くある。
今日は「手洗い消毒法」の提唱者ハンガリーの医師ゼンメルワイスの命日だそうである。当時の医学界では受け入れられず、精神病院で看護人になぶり殺させる非業の死を遂げた。
追悼の意を込めていつもより丁寧に手を洗った。
五輪とコロナ感染は無関係という人がいる。
少なくとも五輪に投じた予算、人的リソース、ホテルや体育館などの空間、食料、広報などあらゆる兵站を感染対策に投じられたことだけは確かである。
茂木健一郎などの科学者も五輪とコロナ感染は無関係と豪語している。そういうなら科学者らしく根拠を示してほしい。人の往来が増えれば感染拡大につながるから不要不急の外出を自粛しているのではないのか。五輪関係者が海外から5万人来て、警備、運輸関係者が全国から相当数集まってきた。現在過去最大の感染者数である。今の数字が2週間前の感染と考えるならオリンピックに関する移動が開始した時期と合致するのではと素人でも考えるのである。
その一端を警察官が証明してくれている。応援に来た千葉、静岡、福島で感染者が増加している。警備の警官の感染者数は72人である。
ところがコロナに勝った証としての五輪が終わった4日後、東京では「これは災害と同じで制御不可能である」と急に自己防衛を迫られている。これは良く戦争映画で見られるが・・・例えば「男たちの大和」なら艦長の役所広司が沈みゆく大和の司令塔で「もういいだろう」という。そこで初めて「非難せよ」という指示が出る。
その後は誰の命令も聞かなくても良い。生き延びられるものは生き延びよと言う命令である。
そんな重い指示を簡単に出してもらっては困るのである。
西村大臣は12日に「今からでも帰省をキャンセラ、キャンセラ・・」と歌い出した。迎え火の前日に言ってもキャンセルは難しい。でも政府としては「帰省をキャンセラ」と言ったからな・・・感染が拡大したらお前たちが指示を守らなかったからだからな・・・と羽田空港の搭乗率などを出してしたり顔で言い訳を言うはずである。
帰省が不要不急の用事なのかを考える時に参考になる意見を丸川珠代五輪相が言っている。
バッハ会長が警備員を従えて銀座を散策した時の事である。
「銀座散策は不要不急の用事ではないのですか」
「それは個人の考えで」
ああ・・・個人の考えでいいんだぁ。
「キャンセラ」を歌った西村経済再生担当大臣は靖国参拝に出かけた。これは不要不急の用事ではない。自民党総裁候補に入れてもらうための必要条件が、産経新聞のカメラマンを伴っての靖国参拝だからである。
それは必要至急の用事だよな。

2021.8.6  本山禎朗4 ヒートでジャンプ

本山禎朗(p)米木康志(b)伊藤宏樹(ds)+山田丈造(tp)
札幌は連続真夏日の観測記録を更新する熱波の只中にあった。しかも個人の話で恐縮だが、ワクチン摂取により少々熱っぽく頭がフワ~ットしている始末である。かかる事情下とはいえ、例年と異なり今回の米木さんが本年最初で最後ということなので、奮い立たねばならない。加えて丈造の参加で真夏の夜のジャズはあらゆる熱を好作用に導くだろうと期待が膨らんでいった。そしてスタート時間の繰り上げを余儀なくされているなか、リーダーの本山が時間の制約に配慮して簡潔に開演宣言を行ったのだった。
1曲目はガーシュウィンの「エンブレイサブル・ユー」、これは熱さ求めて前のめりになるのを戒めるような端正で落ち着いた演奏。2曲目は米木さんが今年リリースしたアルバム“SIRIUS”からハロルド・ランドの「ワールド・ピース」、終始ベースのビートに乗っかって各自が開放的なプレイを展開し、ややアクの強い曲を一般人の耳にスンナリ入ってくるように仕上げられていて、聴き応えがあった。次は数多くの名演・名唱がのこされている「アイ・フォーリン・ラブ・トゥー・イージリー」、丈造のバラード感性が格段に研ぎ澄まされていることを印象づけるものだ。4曲目はE・マルサリスの「スインギン・アット・ザ・ヘブン」、多くのライブがそうであるように、終盤の聴かせどころは渾然一体感を流し込む仕様である。そしてその通りとなったのである。締めくくりは「ストレイト・ノー・チェイサー」、ぜい肉なし。
ご存知だろうか、1960年代にフィフス・ディメンションという歌のグループがあった。彼らには“ビートでジャンプ”という割と知られたナンバーがある。“ビート”から煩わしい濁点を取っちまえばスッキリするだろうと他愛ないことを考えていたが、演奏者・客ともども熱さ満開の“ヒートでジャンプ”に行き着いてしまったと言える。
なお、冒頭に述べたとおり、今年の米木さんは聴き納めとなるので、あと2daysを覗かせて頂いた。鹿川暁弓3とNate Renner3である。両者とも高鳴る緊張感を露わにすることなく一身に演奏する素振りが見て取れ、持ち味が十分引き出されていたように思う。三夜を通じて攻めの姿勢を緩めることのない米木さんに改めて頷かさせられた。そこには生き続けるジャズとは何かという問いが漂っていた。
(M・Flanagan)