原爆の父と言われているオッペンハイマーの半生記の映像である。複雑な構成になっていて難解であった。時間軸がオッペンハイマーとオッペンハイマーをプリンストン高等研究所所長に招聘しのちに商務大臣に推薦されるストローズの時間軸で進む。オッペンハイマーの部分はカラー、ストローズの部分は白黒と分けられているがそれぞれの回想の部分で相互に行きかう。この映画の主要登場人であるアインシュタインの特殊相対性理論で時空を乗り越えている錯覚に陥る。主題は原爆を作ってしまった事ではなく使われてしまったことに対するオッペンハイマーの苦悩である。オッペンハイマーは天才学者には在りがちなその分野だけは秀でているが日常生活感覚はどこか抜け落ちている。女性関係も適当である。何かジャズミュージシャンを思い出させる。登場人物は実在人物で5,6十人はいるのではないか。物理や世界史で聞いたことが有る名前が登場するが年号、人物名などのテロップは一切出ない。オッペンハイマーは原爆が完成したのちの使用しない主旨の嘆願書に署名しなかった。その事を悔いている。戦争を終わらせた人物としてタイム誌の表紙を飾っている。だがトルーマン大統領と謁見した時「日本人は誰も誰が作ったかなど気にしていない。誰が投下したかだ」と言われる。ここに今でも引きずる科学と戦争の相関関係を見て取れる。ノーベルもライト兄弟、チューリングも今の時代を予測はしていない。終戦後ソビエトが原爆を完成したとの情報が入る。開発が早すぎるのでロスアラモス研究所にスパイがいたのではないかとオッペンハイマーは査問委員会にかけられる。ストローズも商務大臣の任命是非に関する公聴会でオッペンハイマーの査問委員会に関する事を質問され個人的恨みからスパイ容疑を掛けたことが明かされていく。細かいカットが一瞬だけ挿入されているような箇所がいっぱいあり一回見ただけでは良く分からない。オッペンハイマー自身が焼かれるシーンが2か所あるがこれは広島と長崎のメタファーである。監督クリストファー・ノーランはコンピューターグラフィックは使わないので爆発シーンもリアリティが有る。
付記
この映画は3時間ほどの長尺だ。最近目が悪くなってきて疲れるので一気にみられなくなった。昔はウッドストックなど上映3時間以上の映画を映画館で3回続けて見たことが有る。尻の感覚がもうなくなっていた。今は映画も自宅で早送りしながら見る時代になっている。
カテゴリー: シネマ
東京物語
今日12月12日は映画監督・小津安二郎の誕生日であり命日である。テレビも無い時代親に連れられて映画を見に行った記憶があるが黒澤明の映画は覚えているが小津安二郎の映画の記憶はない。あまりに何も起こらず淡々と進むので子供にとって退屈だったので覚えていないのか親もあまり好きでなかったのかもしれない。ある程度に年を食ってから全作品見直したがここではローアングルのカメラショットなど映像論的なものは省く。昭和はこういう時代だったなあとつくづく思うのである。家父長制の残滓が見て取れる家庭、高度成長期の会社、学校の同窓などの共同体内の付き合い・・・。政治学者・丸山真男が言った「タコつぼ社会」が描かれている。そこには社会はなく、あるのは世間だけである。どの作品を見ても俳優の喋り方が変である。こういう物言いする大人はいたなあ・・と思うのであるその口調は日常ではほとんど聞かれない。小津の言葉を紹介しておく。その謎を解く鍵になるかもしれない。
「僕の生活条件として、なんでもない事は流行に従う。重大な事は道徳に従う。芸術の事は自分に従う」「こういう所から僕の個性が出てくるので、ゆるがせにはできない。理屈にあわなくとも僕はそれをやる」
男と女3部作
フランスの名優ジャンルイ・トランテニァンが亡くなった。91歳であった。ダバダ・シャバダバダ・シャバダバダの主題歌で始まる「男と女」が代表作である。この映画が札幌に来た時、主演のジャンルイ・トランテニァンとアヌーク・エーメの巨大看板が須貝劇場にかかっていた。キャッチコピーは今でもよく覚えている。「この映画を恋人同士で見たら帰りに貴方たちは必ず接吻をするでしょう」とあった。多分中学1年生であった吉田少年はもう少し大きくなったら必ずこの映画を二人で見て接吻とやらを経験して見るのだと誓いを立てたのだった。それから苦節…年。クロード・ルルーシュ監督の映像が美しく大人の恋物語が素敵だった。印象に残っているセリフがある。ホテルのレストランで二人で食事をする場面だ。オーダーを取り終わって下がるギャルソンを呼び戻す。「あと何を」「部屋を一つ」こんなしゃれたやり取りをしてみたいものだ。頼んだ料理も一品だけでフランス料理をオードブルから始まり魚頼んで、肉頼んで白ワイン頼んで赤ワイン頼んで・・・と思っていたが裏切られた。
「男と女Ⅱ」も制作された。1作が当たったので柳の下の泥鰌を狙ったような低劣なものではない。結局一緒にならなかった二人だが人生のある部分で微妙に繋がっている。ジャンルイ・トランテニァンには若い彼女がいる。そして彼女はアヌークエーメに嫉妬しジャンルイ・トランテニァンと砂漠で心中しようとする。女心の浅はかさと砂漠の残酷さがつづら折りになって描写されてる。映像がまた美しい。二人を必死で探すアヌークエーメ・・・。
処女作から53年後「男と女Ⅲ 人生最良の日々」が撮られた。ジャンルイ・トランテニァンは認知症を患い施設に入っている。彼の息子がアヌークエーメを探し出し連れてくる。だが昔の彼女だとは分からない。だが素敵なのはそこからだ。また恋をし始めるのである。「まだ君に恋してる」坂本冬美が流れ始める。嘘である。例のダバダ・シャバダバダ・シャバダバダ・ダバダバダ・・・が流れている。恋は若者の特権ではない。年老いても二人が素敵に描かれている。フランスの文化の違いを感ずる。
クロード・ルルーシュ監督は自分の作品の所謂本歌取りのような作品を良く作る。「男と女の詩」という作品がある。これは「男と女」3作とは直接は関係ない。宝石強盗を働いたリノベンチュラが刑務所で服役している。恩赦がでて出所し昔の彼女に会いに行くと言う設定である。だがこの恩赦は未解決の宝石強盗事件を解決するためのおとり捜査なのである。娯楽の映画鑑賞で刑務所で「男と女」を見ている時呼び出され恩赦を告げられる。刑務所から出た時にはあの音楽が頭から離れない。
娑婆・ダバダ娑婆ダバダ
三島由紀夫VS東大全共闘
1969年安田講堂陥落後の東大全共闘の活動の記録ドキュメントである。なぜ討論の相手に三島由紀夫が選ばれ三島はなぜ出向いたのか。その一端が理解できるドキュメントである。当時の学生運動は60年安保の直系であり反米愛国の思いが根底にあった。三島とは思想的には全く異なるものではあったが反米愛国の思いには通ずるものがあったと言う事である。三島は討論の中で「天皇と言う言葉さえ言ってくれれば私は君たちと一諸に安田講堂に籠城したであろう」とさえ言っている。
一人敵地へ乗り込む三島由紀夫。そこには1000人の学生が待ち構えている。怒号と罵声が飛び交い討論の程などなしえないと思いきや想像と全く違っていた。友好的とまだは言えないが笑いなども入り混じる討論であった。三島は実に丁寧に学生の質問に答えている。言葉を荒げることも無い。そこには1000人の学生を本当に説得しようという意気込みさえ感ずるのである。三島は丸山真男を頂点とする東大権威主義に反抗する学生に共感している。三島は認識より行動を・・・という意味に於いて反知性主義を唱えている。ここで用語だけの問題なのかもしれないが気になることが有った。僕は反知性主義と言う言葉を自分の都合の良い所だけつなぎ合わせて理屈を作る方法論と理解していた。三島の言う反知性主義は反教養主義と言う方が適切ではないのか。このフィルムの中で作家平野啓一郎が言っている。三島の文学の中には苦節何十年で何かを成し遂げると言った類のものは皆無であると。散る桜的なものに憧憬を抱き実際にこの二年後市ヶ谷駐屯地でクーデターを試み失敗すると自害して果てた。その行動を裏付けるセリフをこの討論の中で言っている。
この映画を見ると当時の事を想い出す。僕は毛のふさふさした高校生だった。全共闘運動は全国に飛び火し北大でも中央図書館が占拠される事件が起きた。物見遊山で見に行ったが北大正門前は機動隊が陣取り、信号は金網で防護され物々しい警備であった。勿論構内には入れない。これは後で知ることになったのだが図書館には僕が引き継ぐこととなるGROOVYのマスターが籠城していた。
ジョーカー
てくるジョーカーである。トランプのジョーカーは何にでもなれるので最強のカードである。映画でのジョーカーは何も持たないからバットマンにとって最強の敵なのである。ここでホアキン・フェニック演ずるジョーカーは「格差と貧困」の象徴になっている。トッド・フィリップ監督作品である。70年生まれの監督は70年代のアメリカ映画「タクシードライバー」や「セルピコ」へのオマージューを散りばめながら重苦しい主題に笑いを散りばめている。主役のアーサーはピエロのバイトをしながら認知症の母親の介護をしている。スタンダップコメディアンを目指しているのだが全く面白くない。僕のジョークの方が面白い。ローバート・デニーロ演ずるトークショウの司会者マレー・フランクリンに憧れている。デニーロはかつて自分が演じた「キングオブコメディ」へのオマージュをシナリオを読んだ時点で感じ取り引き受けたという。アーサーがトークショウのゲストの真似をするシーンは「タクシードライバー」でデニーロが鏡の前で芝居をするシーンそのものである。「タクシードライバー」のスコセッシ監督が脚本に参加していることを知った。
ロケーションはゴッサムシティとなっているが街並みはゴミ山積のニューヨークである。81年清掃局のストによって2週間ゴミ収集がなかった事実をもとにしている。
ピエロの格好をしたアーサーは地下鉄で絡まれ3人を射殺してしまう。其の3人はゴッサムシティを仕切るボスのトーマス・ウェインの部下であった。アーサーは母親の手紙から自分はウエインの子供ではないかと思い彼に会いに行く。ところが彼から出自の真実を知らされる。養子であり母親の同棲者から虐待を受け、ある瞬間笑いが止まらなくなる精神疾患にかかってしまう。自分は笑うが人は笑ってくれないピエロのなんとアイロニカルな存在か・・・。カーソン・マッカラーズの小説で「心は優しき狩人」という小説がある。その主人公が「シンガー」と追う名前であるが口がきけない事を想い出した。この事実を知ったアーサーは寝ている母親をまくらで窒息死させてしまう。このシーンはフランス映画「ベティ・ブルー」に酷似している。
この瞬間アーサーは何も失うものがないジョーカーになった。アーサーはマレーから番組出演依頼を受ける。彼のライブを番組で放映したところ反響が有ったと言事であるが、内実は「すべった」所をマレーが弄って笑いを取っているに過ぎないのであった。
町ではピエロが上流階級に鉄槌下したと喧騒な雰囲気になっている。
「一つジョークはどうだい。社会に見捨てられた精神疾患のある孤独な男をコケにするとどうなるか知ってるかい」と言ってアーサーは番組本場中マレーを射殺してしまう。警察に取り押さえられるがその護送中事故にあいパトーカーから暴徒と化した市民に車から救出される。そして市民から歓喜を持って迎えられ、ヒーローになるのである。
バックにはクリームの名曲「White room」が流れている。
決して日の届かない白い部屋で孤独に何かを待ち続けている・・・・
この映画が封切られるときアメリカでは暴動が起きるのではと警察が出動したという。トランプ大統領支持者が国会議事堂を占拠した事件と本質は同じである。
もう一人のアーサーが近くにもいるはずである。
素晴らしき哉、人生
アメリカではこの映画が頻繁に放映されるという。クリスマスにこの映画をお勧めしようと文章だけ起こしてブログにUPするのを忘れていた。クリスマス映画史上最高傑作と思う。1946年制作。フランク・カプラ監督。証文の出し遅れ感があるが、jazzでも年中枯葉を演奏している。お正月に馬鹿なお笑い番組を見る代わりに見ても何ら支障はない。「アメリカの良心」ともいうべきJ・スチュアートが主役である。一見善良な市民の心温まる「いい話」になっている。勿論そこだけ見ても元は取れる。主人公が中年になって人生を振り返る。人生は無限のIFに満ちている。諦めてしまった夢、かなえられなかった欲望に苦しむ。苦い大人の物語でもある。エンディングは何度見ても感動する。この映画を見ると今からでも遅くない正直に生きてみようとちょっとだけ思うのである。
「ニキータ」とか「ローラ」などのバイオレンス映画を制作しているリュック・ベンソンがこの映画の有る場面を敬意をもって拝借している。
古い映画である。パーカーがsavoyレーベルに最高傑作を吹き込んでいる頃の映画なのだ。パーカーの音楽がそうであるように3分に一回の爆発シーンも無ければエロいお姉さんも出てこない。だが心に残る。
この映画の製作年度を見て改めて思うのだが戦後すぐこのような映画を作れる国に戦争しても勝てるはずがない。
太陽を盗んだ男
この映画を見た日チャーリ・ワッツが死んだ。そんなこと何が関係あるのだと思うかもしれない。僕の中では繋がっている。封切当時話題になっていたが見逃していた。長谷川和彦監督の作品で1979年の制作だ。何となくしらけてくる時代の空気感が横溢している。沢田研二が高校教師、菅原文太が刑事役。冒頭沢田研二は引率する研修旅行でバスジャック事件が起きる。
なんと皇居前である。捜査責任者が菅原文太で二人の協力で生徒たちは無事解放される。この出会いが伏線になっている。沢田研二は中学の理科の教師で学問的見地から生徒に原爆の作り方を教えている。実際沢田は原子力発電所に忍び込みプルトニウムを盗み出し自宅で小型の原爆を作り出す。それを武器の政府を脅すのであるが要求がはっきりしない。交渉窓口が菅原文太である。勿論犯人が沢田研二だとは知らない。最初の要求は今中継中の巨人戦のナイターを終了するまで放映することであった。学生運動が収束しつつあり何を目標に生きていけばいいのか分からない喪失感が出ている。沢田研二は学校以外での人間関係は一切捨象されている。沢田研二は池上季実子がディスクジョッキーを務めるラジオ番組のフアンでもあった。そのラジオフアンも巻きこみ二番目の要求がローリングストーンズの日本公演になった。僕は運命論者ではないが誰かが亡くなるとこういう経験がする。会場に犯人は必ず来ると踏んだ菅原文太は網を張る。沢田研二は辛くも逃げ延びる。そして最後となる要求が現金になった。原爆を作るにあたってサラ金から金を借りたのだ。・・・が本当に現金を欲しい感がしない。脳足りんなDJ役の池上季実子は聴取率を上げようと番組で逃亡の実況中継をする。池上は最終的に沢田研二の逃亡を助けるのであるがヘリコプターを飛ばすのは少し無理がある。池上演ずるDJは美人でセンスが良くて、けれど頭からっぽでジュリアナ東京のお立ち台で羽振って踊っているタイプである。けれどしらけている。生活は沢田研二と全く違うが同じ質の孤独感を抱えている。
菅原文太が刑事役で好演しているが撮影時いたるところにヤクザの癖が出てきてしまい若い監督に何度もNGを出され切れそうになったと聞いた。沢田研二も体当たりで演じているが長回しのカットで何十回ものNGをだしその度、消えていく制作費の事を考えプロデューサーは胃が痛くなった。
この映画が話題になったことの一つにロケを無許可でゲリラ的に撮影しているカットが多い事でもある。警察の手入れが入った時の為に助監督は始末書を胸にヤクザ映画で言うところの「鉄砲玉」の役を担わされてもいた。その中には相米信二もいた。そこがNG出せない緊迫感に満ちている。この映画の上映時マーティン・スコセッシ監督が来日しており日本映画を見て帰りたいと要望を出した。たしか映画の白井佳夫がこの映画を勧めスコセッシ監督も気に入ったと言う事だ。長谷川監督もスコセッシ監督のファンであり「タクシードライバー」のような映画を撮りたいと考えていた。そういえばR・デニーロと沢田研二の孤独感の在り方に共通したものを感ずる。
ラストシーン沢田研二は原爆を抱えて逃げるのであるが自分がもう被爆していることも知っている。今まで原爆に関する映画はすべて被爆者の立場から作られている。加害者の立場から作られた初めての映画でもあり被害者団体から相当のクレームが来たと聞いている。
最後に原爆はどうなったか・・・そんなことはどうでもいいと言わせる力作である。
秋日和
秋日和
小津安二郎監督作品は全部VHSで持っている。いや…持っていた。BSで小津監督生誕100年記念の特集があった時録画したものだ。ところがビデオデッキが老朽化しテープを咥え込んだまま動かなくなること数台・・・そのたびに中古屋をめぐりブルーレイではなくデッキを買い求めていた。VHSテープはレコード以上に嵩張る。ある時期絶対これ以上増やさないと決めたことが有った。どうしてもダビングしたい時は在庫のテープで一番見ないと思われるものを潰していった。だから現在ある在庫は珠玉の何百本かになっている。「秋日和」もその中の一本になる。偶然であるがこの映画を見終わって新聞をめくっているとプロデューサーの山内静夫の訃報があった。小津映画の製作を手掛けた人物である。そしてこの映画の原作者、小説家里見弴の息子でもある。だが原作の映画化ではなく、主な登場人物を決めたら小説と脚本が同時スタートすると言う手法を取っている。だから映画と小説は全く違った内容になっている。「秋日和」は1960年公開の作品である。日米安保条約改定をめぐって日本中が揺れ動いていた時期に制作された。時代の空気を感じさせる大島渚監督の「日本の夜と霧」もこの年の映画だ。「秋日和」にはこうした喧騒な痕跡は全く見られない。一部の批評家からはもはや存在しない平穏な社会を描いた作品と扱き下ろされもした。だが小津の日本的なものは国民からは支持された。今は社会の上位者になっている大学の同期3人と亡くなった同期の未亡人とその娘の関係性を軸に話は進む。古い世代と若い世代、女性と男性の相互影響を通じて過去の日本の関係性と言ったものを追求している。具体的に言うと未亡人(原節子)の娘(司葉子)の縁談を寄ってたかって纏めようとする。娘は24歳である。まだそういう気はないと断る。すると同期3人組は母親が一人になるのを気遣っているのではと先走りする。そういう事であれば未亡人を先に再婚させようと考える。全く余計なお世話としか言いようがない。じわっと可笑しさがこみあげてくる。3人のうち一人は奥さんに先立たれている。「そうだ、お前が一緒になれ」と2人はけしかける。最初は親友の奥さんを後添いにするなど不謹慎と断っていたのだが何せ未亡人は原節子・・・品があって美人・・・段々その気になっていく。原節子は娘の大反対もあってひとり身を通すことを同期に告げる。そこまで人生決めなくても・・と思うのである。ここに小津監督の実人生が反映されていると感ずる。小津監督は生涯独身で通した。そして監督が亡くなると原節子は銀幕を去りほとんど隠遁生活といって良い生涯を全うした。何かそこに大人のエロティシズムを感じるのである。小津監督の映画には笠智衆や原節子他同じ俳優が頻繁に出て主題も似通っていたりするので時々どの映画であったのか混同することが有る。司葉子は丸の内界隈のOLである。小津の映画に出てくる会社のシーンはどの映画も人工的な印象で「会社はこうじゃないな・・」とツッコミを入れたくなるくらい違和感がある。
小津はワンカットで長いシーンを取ることはほとんどない。あるシーンの音を次のシーンにつなげたりするカットを使う。マイルスのテープを編集するテオ・マセオの様だ。
映画の出来に全く関係ない話だが気が付いたことが有る。司葉子の縁談がまとまり原節子と最後の親子旅行に行くシーンがある。義理の兄の笠智衆が経営する旅館に泊まる。その旅館のロゴは僕が20年務めた会社のロゴであった。アップで3度ほど出てくる。この時代の映画はエンドロールがないので協賛会社名は出てこないが多分電通の口利きのはずである。
東京物語
念のために言っておくが東京五輪物語ではない。
言わずと知れた小津安二郎監督の代表作である。この映画を見るといつもデジャヴ現象にとらわれる。時代設定が自分の生まれた時代に近いからなのか実際子供の頃見た映画だからなのかははっきりしない。高度成長期に於ける日本人の生活様式、家族制度の変質、大人とはといった問題がすべて穏やかな形で詰め込まれている。
尾道から老夫婦が子供たちに会いに上京してくる。長男は町医者、長女は美容室を営んでおり生活に追われて忙しい。一番誠実に応対してくれたのは戦争で亡くなった次男の嫁紀子(原節子)であった。結婚すると言う事は旦那の家に入ると言う事を意味する。戦争が終わってもう8年もたつのに紀子は次男の写真をまだ飾っている。位牌はないのでまだ戦死公報が入っていないと言う事だ。周吉(笠智衆)は紀子にもう次男の事は忘れて再婚してもいいと言う。老夫婦は子供たちに気を使い早めに尾道に帰ることにする。その帰路で妻とみ(東山千栄子)は「これでみんなに会えたから、何かあってもわざわざ来てもらわなくても良いね」と夫に告げる。このセリフが伏線であったかのようにとみは尾道に帰って間もなく亡くなる。周吉は葬儀に来てくれた紀子にとみの腕時計を形見として渡す。形見分けは家に縛る行為の象徴である。これが佐分利信が渡したなら、いくら口で「息子の事は忘れても良い」と言っていても「わかっているだろうな」という家父長制の残滓をぷんぷん感じさせるのだが笠智衆がひょうひょうと言うとどちらの解釈も有と思わせる。葬儀を終えた周吉は「今日も暑くなるなあ」と独白する。こういうところに昭和の大人を感じる。とみの年齢を聞いてびっくりした。僕とほとんど同じ年なのである。大人になると言う事は苦い、あるいは切ない時間に耐えられるようになると言う事である。
映画のラストシーン近く尾道の寺での周吉と紀子の2ショット。小津監督の血縁ではない共同体のありようを示唆している気がする。周吉は小津自身でもある。
小津は生涯独身をとおして1963年に亡くなった。原節子はその日から公の場には姿を現していない。
付記
義理の親をもてなすために紀子はかつ丼の出前を頼む。やはりこの時代かつ丼は御馳走だったのである。ドラマでたたき上げの刑事が落としにかかる時もかつ丼だ。「クラブサンドイッチ食べるか」と言うセリフは聞かない。公務執行妨害で取り調べを受けたDさんに聞いたがかつ丼を出前してくれる親切な警察はないと言う事だ。
カサブランカ
永遠の名画である。名セリフの宝庫であり、名曲「as times as go by」が花を添えイングリット・バーグマンは透き通るほど美しく、ハンフリー・ボガードは男のあこがれになるほどかっこ良い。だがここではそれらを封印して当時の国際情勢と言う視点から語ってみたい。この映画を初めて見た時ある場面に違和感を持った。
時代は第二次世界最戦時、ドイツ軍がパリに侵攻し難を逃れてきた人がカサブランカに集まり安息の地を求めて機会を待っているのである。ドイツのストラス少佐がカサブランカを訪れる。この地は仏領モロッコである。ご当地の警察署長ルノーが出迎える。イタリアの警察関係者も顔をそろえている。戦争が終結した時点ではフランスはちゃっかり連合国側に名を連ねているがこの時点では枢機軸側であったのである。いつから同盟の枠組みが変わったのだと言う違和感であった。ハンフリー・ボガード演ずるリックはアメリカ人の設定でスペイン戦争などでレジスタン側に加担した経験がある。イングリット・バーグマン演ずるイルザの夫ビクターラズロはフランスレジスタンスの英雄でもある。これらの人間がリックの店で和気藹藹でなないが大人の振る舞いで酒を酌み交わしているのである。呉越同舟どころの話ではない。
ドイツ軍が侵攻してくると言う事で脛に傷あるリックはイルザとパリを離れようとする。だがイルザは来なかった。普通のパリ市民はドイツの占領下で制約はあるが普通の生活をしている。当時のフランス政府のトップはペタン元帥でビシー政権と呼ばれ対独協力政権であった。ドゴールは独立政府を名乗るがイギリスで亡命生活である。ところが戦況が連合国側に傾くとレジスタンス活動も活発化しドゴールは外交手腕を発揮し連合国側に入ってしまうのである。
終戦後は臭いものには蓋をしろとばかりにビシー政権下でのことは語られることは少なかった。日本の終戦もねじ曲がった形で迎えたがフランスも相当のものであった。映画のラスト近くでリックはイルザとビクターラズロを逃がすために追ってくるストラス少佐を撃ち殺してしまう。だがそれを見ていたルノー署長はリックを庇う、そして手にしていたミネラルウォーターをごみ箱に捨てる。その瓶には「ビシー産」と書かれている。当時のフランス国民のねじ曲がった感覚が象徴されている。
当時のフランスは密告社会でユダヤ人を中心にゲシュタポから逃げ回っていた。その辺の状況はクロード・ルルーシュ監督の「遠い日の家族」や「愛と悲しみのボレロ」を見ると実感できる。重い話題を美しい映像で表現している。
ではイタリアはどうであったのであろうか。イタリアは日独伊三国同盟を結んでいたので敗戦国の印象があるが土壇場で日本にも宣戦布告をしている戦勝国側なのである。ただドイツ軍がローマに侵攻してきた時に国王エマヌエールは市民を残して自分だけトンずらしてしまった。トップがいなくなったイタリアではパルチザンとファシストの生き残りとの内戦が続く。
どちらも勝ったのだか負けたのだか良く分からない状態で終戦を迎えたが指導者の力量の差でフランスとイタリアでは戦後の国の在り方が大きく変わってしまった。イタリアのその時代の映画にはクラウディア・カルディナーレ主演の「ブーべの恋人」がある。パルチザンであったブーベことG・チャキリスは刑務所に収監されてしまう。K・カルディナーレは面会に行く汽車の中でひとり呟く。「10年待っても私はまだ30歳。まだ子供も産めるわ・・・」意志の強そうな目力が凄い。
始まりと終わりが違う曲になってしまったような文章になった。
付記
「ブーべの恋人」を見た時の事ははっきり覚えている。調べれば日にちも限定できる。高校二年の学校帰りに今は亡き須貝ビルの弐番館でみた。クラウディア・カルディナーレの美しさに気を取られ学帽を忘れてきた。取りに戻ったが無いと言われた。僕のファンの女子高生がたまたまいて大事に持って帰った可能性もないではないが普通は亡くなる代物ではない。当時高校では制服自由化の動きがあり近い将来制服が廃止になりそうな気配があった。それで帽子を被らないで通学していた。ところが同じバス停から数学教師のIが乗り合わせる。毎日帽子はどうした、帽子はどうした・・・と言われるものだからレコードを買うために昼食を抜いて貯めたお金で帽子を買った。その翌日制服が廃止になった。