我ら永遠の津村和彦

2015.7.16-18  我ら永遠の津村和彦
7月17日と18日の2日間、津村和彦、米木康志、本田珠也のトリオでライブが行われる予定であったが、その願い叶わず一月前に津村は帰らぬ人となってしまった。闘病明けから少しずつ演奏活動を軌道に乗せていたことを聞いていたので、あまりに突然の訃報だった。津村の復帰後のプレイは渾身の極みだったらしく、既に彼は最終メッセージを発する覚悟の中にいたのかも知れない。一流ミュージシャンの天国流出が後を絶たない中、ここ札幌では、津村がLBに残した数々の名演に報いる思いを込めて、米木・珠也に地元ミュージシャンを加えた追悼ライブが行われたのだった。
2015.7.16 田中朋子(p)米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.17 佐々木伸彦(g)本山禎朗(p) 米木康志(b)本田珠也(ds)
2015.7.18 田中朋子(p)山田丈造(tp)米木康志(b)本田珠也(ds)
3日間のうち、初日と最終日に田中が起用されているが、理由は明白だ。レイジーバードのライブ史上“伝説”とまで言われているクインテット(津村、田中、臼庭、米木、セシル)の一員として彼女は究極の演奏を行っていたからだ。そうした経過があるため、筆者としても田中は今回のライブには不可欠だった。田中がこの日のために曲を厳選したことは容易に想像できる。紹介すると自作曲から「デイ・ドリーム」「カレイドスコープ」「ベガ」という当地ではスタンダードの地位を確立している曲。そして安息を意味する「レクイエム」、ピアノがテーマを奏でた途端、笑顔の津村が脳裏を駆け巡った。切なさがピークに達すると津村に誘われて自分が笑顔を催してしまった。田中は更に津村と縁の深い曲を採り上げていく。「アローン・トゥギャザー」「サークル」そして「ベラクルーズ」。津村が演奏しながらジャンプする姿の残影、目の前で繰り広げられている演奏、その素晴らしさは残酷ですらある。この追悼は明らかに早すぎるのだ。3日目にはボーカリストでもある津村夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人の典子さんが駆け付けてくれていた。傷心のあまり歌う自信が持てずにいると語っていた夫人は万感の思いを込め2曲披露して下さった。歌が行き着くある地点に届いていた歌唱だと思った。最後は津村、米木、珠也のトリオが定番とする愛奏曲で締めくくられた。
ライブ中は相当しょんぼりしていたので、客観的な聴き方を一切できなかった。それで良いのだと思っている。何故なら、この3日間は。津村を偲ぶという私たち個々の胸中に収めておくべきことだけが課されていたのだから。我ら永遠の津村和彦、ありがとう。
(M・Flanagan)