いとしの令和

新元号が決まった。4月1日、エイプリルフールである。いっそクラプトンの「レイラ」から取りましたということにしてはと言いたくなる。安倍総理、日本会議の思惑が反映して日本古典からの出典よいうことに拘ったが、万葉集の「新春の令月、気淑しく風和らぐ」が中国の張衡作の古詩「仲春令月、時和気清」の本歌取りになっていることがばれてしまった。クラプトンが人の彼女に横恋慕して作った「レイラ」の状況に似ている。安倍総理がニュースで「美しい日本」的なものを年号に込めていると嬉々として語るのを見ると情けなくなる。文化は相互作用があって当たり前である。jazzで例えば板橋文夫が「俺が最初の国風jazzを作った」と発言したとしたらjazzの歴史を知る人間にボコボコにされるであろう。
又発表がなぜこの時期なのか。世は統一地方選真っ最中である。選挙期間にある特定政党の幹部が朝から晩までメディアに露出するのは政治的公平性に欠ける。実際内閣の支持率が5%ほど上がっているという事である。
元号の使用を義務付けようという動きが日本会議を中心になされている。個人的には強制されるのは嫌であるが併用は賛成である。元号でしか実感がわかない文化がある。例えば相撲である。昭和の大横綱と言えば大鵬や
北の湖がすぐ出てくるが1970年代の横綱と言われてもピンと来ない。
又逆の動きで元号など面倒くさいものは止めて西暦だけでいいのではないかと言う意見もある。これも乱暴な話でキリスト教を信奉する国の一文化に過ぎない西暦だけを採用するのは独自の文化を抹殺することにつながる。イスラム圏では独自の暦を併用している。グローバル化と言う個々の文化を尊重しない動きが蔓延している。日本語やフィンランド語の様なめんどくさい言葉は止めにして英語だけでいいのでは言われたらどう反論するだろう。
元号の話に戻る。海外向けの日本政府の対応の悪さがここでも出てしまった。
令』を『冷』と誤解した結果、『令和』を『クールジャパン』と思った外国人記者もいたという事だ。

どうでもいい事であるけれど「レイラ」ってジョージ・ハリソンの彼女でしたっけ。ミック・ジャガーの彼女でしたっけ