groovy時代からの常連D口さんが亡くなったと聞いた。74歳僕よりちょっと年上の団塊の世代である。最後に会ったのは10年以上前になるかもしれない。高血圧で酒は止められていたがソフトドリンクを飲みながらでも話をしに来ていた。ちょっと認知症が入っていたのかもしれない。物忘れが多くなっていた。その日も素面で二次会に行き乗ってきた車を忘れて帰ってしまった。groovyには前のマスターN川さんの時代から来ていたが僕の代になってからはほぼ毎日来ている時期が有った。N川さんは北大の中央図書館をバリ封鎖した革マル派の主要メンバーで器物破損その他の罪状で卒業できずアイラー、次にgroovyを経営していた。僕はアイラーの最初の客でありgroovyの最後の客でもある。groovyは中立地帯の様な役目を果たしていて色々な新左翼セクトの人間も出入りしていたがそこで揉めるようなことななかった。勿論出口さんとも・・・。groovyは呉越同舟を絵にかいたような店であった。出口さんは中核派の構成員で三里塚闘争にも参加したことが有ると聞いたが所謂左翼崩れを自慢するような人では決してなかった。笑うと人なっこい童顔の様になるが実に男気に溢れる人でもあった。色々なエピソードがある。24条界隈には当時3人の客引きがいて前川総業の息のかかっている者もいた。出口さんは毎回「いい娘がいるよ」と客引きに会うという。出口さんは「俺は行く店が有る」と断ると客引きは「どこに行く」と聞く。
「GROOVYだ」
「ジャズって顔してないだろう」
「なんだと、この野郎、顔でジャズ聞くのか、この野郎、ボコボコにするぞ」と気色ばった。客引きがすごすごと退散したという。
ある時不良中学生グループのカツアゲにあった。
「おじさん、金貸してくれない」
「取れるものなら取ってみろ」と挑発し先に手を出させてからボコボコにした。
警察が来た。
「旦那さん、正当防衛とはいえちょっとやり過ぎじゃない。鼻曲がっているよ」
groovyのボックス席で飲む団体がいた。話の内容で北区役所の職員だとわかる。カウンターには何人かの常連がいた。出口さんは飲み過ぎてカウンターで潰れていた。奥の客の一人がゲロを吐いた。他の客は何事もなかったかのように話を続けている。僕は「具合の悪いお客さんがいるようなのでそろそろお開きにしたらどうでしょう」と言った。客はボトルを持ち帰っても良いかと聞く。勿論と答えると帰りしなそのボトルをカウンターに叩きつけた。僕も流石に切れて「ふざけんな、この野郎」とカウンターから出た。常連が間に入り一大抗争には発展しなかった。団体客がはけてから出口さんが目を覚ました。「うるさかったけど何かあったのか」と・・・。常連客と出口さんを弄った。「腕に心得があると言っていたけど本当は怖くて寝たふりしていたんじゃないの」
翌日出口さんが来た。北区役所に話をつけに行ってきたという。昨日良心的に経営する札幌市民の飲み屋に多大なる迷惑をかけた職員がいる。探し出して謝罪させろ・・取りあえず責任者だせと凄んだらしい。
その日を境に時々来ていた区役所の何組かのグループは誰も来なくなった。愛すべき人間である。酔うとよくリクエストしていたタイム盤のソニークラークをかけた。